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♯206 夜明け前



 月明かりの荒野に、銀閃が煌めく。


「のぼぉぉぉおあおああああああおおおおっ」


 乾いた大地の中から隆起した巨大な柱のような魔物が、体躯を深く刻まれた痛みに叫び声を上げた。


「無理をするな、下がれっ」


「す、すまない……っ」


 巨躯を抉った白刃に月光を返しながら、飛び込んでいった黒フードの騎士が周りの兵士達を下がらせる。


 岩喰い大蚯蚓(ロックバイトワーム)


 巨大な胴廻りと鋭く小さな牙を口腔内に持つ岩荒野の主。名前の通りに岩をも噛み砕く咬合力と、めっちゃ硬い表皮が自慢の獰猛な魔物。色々なんか凄いけど、つまりはでっかいミミズ。


 ボロボロの兵士達と入れ替わるようにして、黒フードを羽織った騎士達がミミズを囲むようにして距離をつめる。


 岩喰い大蚯蚓(ロックバイトワーム)は決して楽な相手じゃない。兵士四人では分が悪すぎる。救援が間に合ってよかった。


「速攻で決めるっ!」


 暴れ狂う岩荒野の主の胴体を軽々と避けながら、黒フードの騎士の集団がそれぞれに刃を抜き放つ。


 月明かりの下、鋭い剣撃の嵐が巨大ミミズの硬い体表を深く抉っていく。鍛え抜かれた連携から繰り出される集団攻撃は、その類稀なる個の技量も合わさり、荒野の主に確実にダメージを与えていっているようにも思える。けど、さすがに相手がでかすぎた。


「……あいかわらず頑丈なっ!」


 騎士の一人が苛立ち紛れに舌打ちをする。


 ぶ厚く硬質な体表をどれだけ深く穿ろうとも、身に届くは僅かばかり。傷は与えられても致命傷には至らず。


 更に大きく暴れ狂う岩喰い大蚯蚓(ロックバイトワーム)。無軌道に暴れる巨体の暴虐に巻き込まれぬよう距離を取る黒フードの騎士達の後ろで、小太刀の柄を握りしめ鞘を払う。


 青銀の短い刀身が月明かりに鈍く輝く。


「っせっりゃぁああっ、ぜぇぇえええぃっ!」


 黒フードの騎士達が距離を置いたのを見計らい、渾身の力でもって小太刀の刀身を斜めに切り払った。


 青炎が生まれ、激しい衝撃を伴った斬撃が走る。


 周りの空間ごと大気の断裂に巻き込まれた荒野の主は、その断末魔を残す間も無く切り裂かれ、青炎の残滓に焼かれて粉々に砕け散った。


 いや、……うん。あれ?


「……その威力、反則だと思います」 


 途端に静まり返った場に、カーライルさんの呆れのこもった呟きが溢れる。


 自分でやっておいて何だけど、私もそう思う。


 何だこの威力。


 思えば今まで古代兵器だの復活した魔王だの、そんなんばっかだったような気もしないではない。相手が相手だっただけに分からなかったけど、まさかこれが、ここまで威力のあるもんだったとは。


「け、結果オーライ……?」


「そこで不安にならないで下さい。お願いします」


 とりあえず胸を張って誤魔化してみる。

 相変わらずつっこみが優しくない。がう。


「そ、それよりっ、大丈夫ですか? 怪我は?」


 心無しか距離を取ろうとしている薄情な仲間達は置いておいて、今しがた襲われていた兵士達に向き直る。


「た、助かった。すまない。救援に感謝する」


 防寒の為の外套に目を止めると、小さな薔薇の紋章の入った金属の留め具が月明かりに光っていた。


 スプレー薔薇をあしらった趣向は聖女様の紋章。しかもそれを金属製のものに使っているという事は、それなりの身分にある事を示している。


 聖教国の神殿騎士。もしくはそれに準ずる人達だろうとおおまかな目星をつけ、納得する。


 人の世界と魔の国を隔てる広大な岩荒野。


 元来人の往来の無いこんな場所で岩喰い大蚯蚓(ロックバイトワーム)に襲われている人達がいるともなれば、気になるのは襲われている事よりもその襲われている人達の事。


 どこの誰が何の為にこんな所にいるのか。


 私達だって何の目的も無くこんな所に通りかかった訳じゃない。


 すったもんだの挙げ句に決まった聖教国への再出兵。前の時は援軍として防衛を手助けすればよかったのだけれど、今度はそれが王国連合軍の手に落ちた聖都の奪還ともなればそう簡単にもいかない。大軍で攻め寄せた所で聖都の人達を人質にでも取られたら、聖都の住人を助けたいっていうそもそもの目的さえも失ってしまう。


 魔王軍の本隊に先駆けて聖都の人達とどうにか連絡がつかないか。それが目的の先遣隊として人目を忍んで聖都に向かっている途中で、その聖都の人間に出会えるなんてまさに渡りに船。


 その聖都の人が何でこんな所にいるのかまでは分からないけど、こちらとしてはとてもありがたかったりする。


「うん。怪我はなさそうで何よりです。聖教国、……聖都の方ですよね。こんな所で何を……」


「本当にっ、本っ当にありがとうございましたっ!」


 相手の所属を確認しつつこちらも身を明かそうとした所で、兵士さん達に守られていた小柄な人物が慌てて前へ飛び出し、大きく頭を下げた。


「一時はもう駄目かと覚悟を心に決めかけていた所でした、本当に本当にありがとうございますっ、今は手持ちが無く如何程にもお礼をする事が出来かねて申し訳ないのですが今は何よりも先を急がねばならぬ身、本当に申し訳ないのですがこのお礼は後日必ず、必ずいたしますのでどうかこのまま先を急ぐ非礼をお許しいただきたく、いえっ、まさかこんな所で助けていただける事があろうなどと思ってもみなかったので驚き過ぎてより一層感謝の気持ちが深まるというか、必ず、必ずこのお礼はいたしますので……」


 顔を隠している黒フードを取ろうとした所に矢継ぎ早に捲し立てられ、あまりの勢いにタイミングを失ってしまった。

  

 ……って、あれ?

 何だろうこの感じ。


 何かどっかで覚えがあるような。


「……どうかコンラッド自由商人組合までハラデテンド財団所属のガマ・ボイルの助手アネッサをお訪ねいただけますよう深くお願いもうしあげますっ!」


「コンラッド……。財団って、……アネッサさん?」


 知ってる人だった。


 何か色々と聞いた事の無い肩書きが付いてるけど。


「はいっ! そう訪ねていただければ必ずっ! 今は何よりも魔の国にいらっしゃるレフィアさんという方の所まで急いで行かなければなりませんので、助けていただいた上での非礼をどうかお許しくださいっ! すみませんっ!」


「……って、あっ! ちょ、待ってっ!」


 一気に口上を捲し立て終わったアネッサさんは頭を下げたまま、呼び止める間も無く振り返って走り出してしまった。


 何に驚いていいのか分からないまま、呼び止めようとして上げた片手が相手を失ってしまう。


「岩荒野は冷えます。フード一枚では身体に障りますよ」


「……って、はひっ!?」


 慌てて追いかけようとした所で、空気の読める器用な男カーライルさんがやんわりとアネッサさんの側に寄る。


 乱暴にならぬよう強引にならぬよう、自然と防寒着をフードの上から羽織らせてしっかりとアネッサさんの足を止めてしまった。


 ありがとう、助かった。


「……けどその表情はとても嘘臭い」


「心の声がしっかり漏れてます。お願いですから閉まっておいて下さい」

 

「っと、アネッサさんっ、待ってっ! 私っ! 私ここにいるからっ!」


 今まで見たことも無いような甘い微笑みを浮かべたカーライルさんとアネッサさんの間に回り込み、黒フードを取って顔を見せる。


「……って、おーい。アネッサさーん」


 アネッサさんは頬を赤らめ、めっちゃキラキラと瞳を輝かせたまま別世界でカーライルさんの虚像を凝視していた。


 欠片もこちらが視界に入ってない。

 そう言えば、こういう人だったアネッサさん。


 ……再起動の為には仕方がない。

 私はぎゅっと軽く、拳を握り締めた。






 マオリが息を引き取ってから一週間。

 私は、マオリの遺体の側を離れる事が出来なかった。


 神殿のような荘厳な造りをした魔王城の一室で、目を覚ます事の無いマオリの遺体にずっと寄り添ったまま、何もする事が出来ないでいた。


 何もする事が出来なかった。

 何を考えていいのかさえも分からなかった。


 マオリが死んだ。


 ただその事がどうしても受け入れられず、受け入れたくなくて、動く事も考える事も全てを投げ出したまま、朽ちる様子の無いマオリの遺体に寄り添うばかりだった。


 一週間が経ってもマオリの遺体には変化が無かった。


 朽ちるでもなく腐敗するでもなく、同じ姿勢で横たえられているというのに背面が壊死する訳でもなく。かといって目を覚ます訳でもない。


 壊死が進まないのは『完全蘇生(リザレクション)』の効果なのかもしれないけれど、かといって生き返る訳でもない。


 何が何だか分からなかった。

 分からないままただ、理解を拒否し続けていた。


 入れ替り立ち替り、色んな人が来ていたように思う。


 誰もがマオリの姿を見て驚き、沈痛な面持ちを浮かべて静かに去っていった。何か言葉を残していく人もいたけれど、何を言ったのか覚えてすらいない。


 何も聞きたくなかった。

 何も考えたくなかった。


 死のうとも思えなかった。

 本当に何も、しようと思う事が出来なかった。


「……聞いてた通り、ありえせんがね」


 だからその時、彼女の声は確かに耳に届いてはいたけれど振り向く事も出来ず、その声音に込められた感情に反応する事さえ出来なかった。


 特に何かを思った訳ではなかった。


 足早に部屋の中へと進んできた彼女が目の前に立ち、ふとその顔を見上げたのは特に何かを思った訳ではなく、立ち塞がった彼女の所為でマオリが見えなくなったから、……ただ、それだけの理由だった。


「まるで壊れた人形でやあすな」


 見上げた彼女は、今にも泣きそうな顔をしていた。

 今にも泣きそうな顔をしたまま、酷く怒っていたように思う。


「……ベルアドネ」


 パシーンッと、やけに乾いた破裂音が静かな部屋の中にただ虚しく、響き渡った。







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