♯205 聖都陥落
マオリが死んだ。
『完全蘇生』の構築は成功し、失われていた神代の魔法はその凄まじいまでの効果を発動してみせたけれど、マオリを助ける事が出来なかった。
イワナガ様もまた、どこかへ消えてしまっていた。
術式の途中で何かを叫んだっきり、呼び掛けても一言の応えも無く、その存在をどこにも感じる事が出来ない。
頭が混乱する。
何故。何で。……どうして。
尽きない疑問ばかりが心を締め付ける。
ぽっかりと開いた穴が、塞がらない。
倒壊を免れた魔王城の奥。
普段使われる事のない、荘厳な神殿のような内装の部屋に運び込まれたマオリを、ただ呆然と見守る。
傷一つ無い肌。
穏やかで優しげな、表情。
ふとすると、ただ眠っているだけのようにも見えるその姿は、けれど鼓動は止まったまま、動く事は無い。動かないまま、ただ冷たい肌の感触だけを残している。
間に合わなかった。
力が、及ばなかった。
後悔ばかりが押し寄せ、胸の奥底を締め付ける。
あの後、駆け付けてきたクスハさん達に私は、事の次第と、マオリが死んでしまった事を淡々と伝える事が出来た。
……そう、出来てしまった。
現実感の薄い中、どこか他人事のように感じてしまっている自分が、まるで嘘のようで仕方なかった。
嘘だとしか、思いたくなかった。
けれどそこで、思考を止める訳にはいかなかった。スンラと対峙したあの時、イワナガ様は確かに言っていた。シキさんもまた、危ない状態にあると。その事をそこで、思い出す事が出来たから。
クスハさん達に説明をし終えた後にすぐ、奥へ避難していたシキさんの元へと向かった。
魂の器の崩壊が始まっていたシキさんは魔力減衰が著しく、すでに深い昏睡状態の中にあった。
魂の器が壊れかけた状態では、どれだけ回復魔法を施しても効果は無い。肉体の問題では無いからだ。
シキさんを助ける事が出来るのは、根源からの再生を理とする『完全蘇生』だけ。
私は、躊躇わなかった。
マオリを助ける事は出来なかったけれど、マオリの鼓動を取り戻す事は出来なかったけれど今度こそは、今度こそ失う訳にはいかない。
その手段が、そこにあるのだから。
二度目の構築にも成功し、術式は発動した。
その効果を万全に示してみせた。
そしてシキさんは一命を取り留め、私はその場で気を失ってしまった。
『完全蘇生』は普通の治癒魔法よりも多くの魔力を消費してしまうのだそうで、おおよその計算で約1023倍の負荷がかかるのだとか。
人よりも甚大な魔力量を保持していたとしても、一日の内に二度の行使で魔力を枯渇させてしまった所為だと教えて貰った。
目覚めてからずっと、より深い混乱の中にいる。
シキさんは助かり、マオリは助からなかった。
二人の何が違って、何がその結果を分けたのか。
構築した術式に変わりは無く、魔法の発動により二人の傷は精神的なものも物質的なものも両方とも快癒を見せたのに。
シキさんは再び息を吹き返し、マオリは未だに目覚めぬまま、冷たい骸を晒し続けている。
傍らに座り込み、そっと顔を見下ろす。
以前に見て思った通り、やっぱり睫毛が長い。
すっきりとした鼻立ちといい、なだらかでいてどこかがっしりとした顎の形が男性を強く意識させる。
記憶の中にある姿よりも、ずっと男の人らしくなっている。より逞しく、それでもやっぱりマオリなんだと強く思わされる程に、昔の面影を残している。
指先でそっと目元から顎先までをなぞり、開く事の無い冷たい唇にかすかに触れる。
「がんばったんだよ。……私、がんばったんだからね」
呟く声が掠れてしまうのが分かった。
視界が潤んで輪郭が歪む。
「何で、起きないの。……起きてよ。目を覚ましてよ」
もう一度名前を呼んで欲しい。
もう一度、マオリの声が聞きたいのに。
「がんばったねって、褒めてよ。よくがんばったねって、ちゃんと褒めなさいよ、……お願いだから、褒めてよ」
激しい後悔に飲み込まれていく。
もっとちゃんと出来ていれば。
もっとちゃんと、私が出来ていればと。
他に方法が何かあったんじゃないかと。
重苦しい思いに心が抉られる。
「……レフィア様。リーンシェイド様方が、お戻りになられました」
レダさんの声に、浅く頷きを返す。
マオリの死は、伏せる事が叶わなかった。
マオリが魔王として常に最前線にその身を置いていたのは、そうする必要があっての事だったのだと思い知らされる。
魔王としてのマオリに皆が寄せる思いは、とてつもなく大きい。魔の国の住人の希望の全てを、マオリは背負っていたのだ。
例えまだ年若くてもマオリは、その重責に懸命に応えようとし続けていた。そしてその姿を間近で見る事によってまた皆も、確かな安心を感じていたんだと。
そのマオリが魔王として皆の前に姿を見せない事に、それだけで魔王軍は浮き足だってしまい、統率を失ってしまった。それこそ、アリステアへの援軍が維持出来なくなる程に。
マオリの存在は魔の国の住民にとって、それだけ大きなものだった。
マオリから魔王の証である腕輪を託されたリーンシェイドは魔王代理として、聖都からの撤退を決定した。魔王軍は敵を前にして、撤退するしかなかった。
「……その後、聖都は」
頷き、顔を上げる事が出来ないまま、その先の報告をレダさんに促す。
王国連合の大軍に囲まれた中で、援軍であったハズの魔王軍が退却してしまい、孤立させてしまった聖都がその後、どうなったのか。
「陥落いたしました」
その短い一言に、唇を強く噛み締める。
「……聖都に残っていた皆は、……法主様達や住民は」
優しく暖かかった聖都の皆の顔が脳裏に浮かぶ。
ミリアルド法主様、アリシアさん、ガマ先生にアネッサさん。ダウドさんや、シュプレヒコールで見送ってくれた聖都の住民の面々がはっきりと、浮かぶ。
守れなかった。
守ってあげる事が、出来なかったのだと。
酷い悔恨の思いが深く、身を抉る。
「降伏勧告を受け入れて法主が投降した為、今の所は住民に主だった被害は無いようではあります」
「法主様が、……投降。聖都はラダレストからの降伏勧告を受け入れたんだね」
「……いえ、降伏勧告はラダレストからのものではなく、ロシディアの王からのものであったと聞いております」
「……ロシディアの、王からの」
聞いた事がある。傭兵国家ロシディア。その王は傭兵王の異名を持つとても強い王様なのだと。王国連合軍にはそんな強い王様でさえも参加していたのだと、ここに到ってなお、思い知らされる。
「法主が投降すれば聖都の住民の命と財をロシディアの王が自らの名で保証すると、そう条件をつけたそうです」
法主様一人と聖都の住民の命を引き換えに。
それはとても、納得のいく事のように思えた。
「あの法主様なら、……受けずにはいられないよね」
真面目で、どこかお人好しなのに、必要な時には驚く位にはっきりと決断してしまえるあの法主様なら、自身の保身など考えずに決断したのだと、そう思える。
「……勇者様と聖女様は」
「勇者は法主と同じくロシディアに、聖女はラダレストに捕らわれのままと聞いております」
「そう、……ありがとう」
スンラを倒す事は出来た。
けれど失ったものが、あまりにも多すぎる。
あまりにも多くのものを、失い過ぎてしまった。
悔しさで気が狂いそうだった。
悔しくて悔しくて悔しくて。
いっそ無力な自分が惨めで仕方がなかった。
この先、どうしたら良いのか。
……どうなっていってしまうのか。
秋を過ぎ、厳しい冬を迎えようとしている中、聖都が陥落した。
光の女神の思惑の通り、アリステアは王国連合軍に降伏を余儀なくされてしまったのだ。
……負けたのだと。
私達は、負けてしまったのだと。
その現実を認めざるえなかった。
──第五章「女神の軍勢」終




