♯203 完全蘇生【リザレクション】
眩いまでの光の中に、マオリがいた。
それは間違いなくマオリだった。
幻影でも記憶の中の映像でもない。
本物の、マオリ。
瓦礫に足を取られながらも、懸命に駆け寄る。
会いたかった。
ずっと、ずっと会いたくて仕方なかった。
実はずっと一緒にいたのだと知った時にはどうしてくれようかとも思ったけど、今はもう、それでも構わない。
側にいきたかった。
側でその姿が、見たかった。
逸る気持ちを押さえられずに駆け寄る最中、不意に視界の中で、マオリの身体がグラついた。
「……マオ、リ?」
外の明るさに目が慣れてきて、眩しさが治まる。
次第に明瞭になっていく景色の中、マオリの身体が大きく揺らぎ、胸の真ん中にぽっかりと開いた傷口から大量の血柱が吹き上がった。
「っマオリィィイイイイ!」
込み上げていた熱が一気に冷め、重たい鈍器で殴り付けられたかのような衝撃が意識の芯を打ち砕く。
(急げっ、レフィアっ!)
緊迫感を増すイワナガ様の声に足を早める。
目の前で力無く崩れ落ちていく姿にすぐさま走り寄り、血溜まりの中に沈む身体を抱え起こした。
「なんでっ、どうして……っ!? マオリっ!」
触れた肌から温もりが失われていく。
抱き上げた身体はありえない程に傷つき、どこもかしこもがボロボロだった。
力なくしだれる手足が、閉じたままの瞳が、必死の呼び掛けに対しても何の反応も示さない。
……嫌だ。
こんなのっ、嫌だっ!
ありったけの魔力を注ぎ込んで『治癒』の魔法を構築し、損傷した部位に意識を集中する。
発動した魔法によって傷口が癒えかけて、止まる。
一瞬だけ治りかけはするが、すぐに止まり、そこからまるで逆行していくかのように傷口が開いていく。
手の平にねっとりと絡む血だけが熱を帯び、土気色をした肌を赤く染め上げていく。
まるで、『治癒』の魔法を身体が拒んでいるようにも思えた。どれだけ魔力を注ぎ込んでも魔法が効かない。
「……何で、何で傷口が塞がらないのっ!?」
傷口が塞がってくれない。治らない。
『治癒』の魔法が、……かからない。
(落ち着けっ! 臓器の欠落しているものに『治癒』は効果を示さぬっ!)
……。
……。
……そうだ。
『治癒』の魔法は傷口の再生、体組織の再生。
臓器を欠落させた状態では体組織の再生は行われない。無理に行い続ければ臓器が欠落した状態のまま、身体の組織が再構築されてしまう。マリエル様に教わった事だ。
聖都で学んだ事を必死で思いだし、記憶を辿る。
「……臓器を失った者には『臓器生成』を先にっ」
(このっ馬鹿者が! 落ち着かんかっ!)
『臓器生成』の魔法を構築しかけ、耳元で叫ぶイワナガ様の激しい叱咤に身体が強張り、手が止まった。
(そもそも体力も尽き血液も足らぬっ! この状態のまま『臓器生成』を構築した所で不発に終わるのが分からぬかっ!)
「……体力、血」
体力を補うには『体力補助』と『生命維持』。
失った血液を補うには『血液生成』と『体液循環』。
(治療魔法は闇雲に行えば良いというものでは無い。被術者の状態を冷静に確認し、それに応じた手段を選ばねば効果は得られぬ。治療魔法を行使する者は常に落ち着き、冷静さを失ってはならぬ)
「……冷静に。状態を確認、する」
……そうだ。イワナガ様の言う通りだ。
焦った所で効果がなければ意味がない。
状態にあわせ、必要な魔法を構築しなければ治療魔法はその効果を示さない。それもまた、しっかりと教えられた事なのに。
眉間に力を込め、瞑目する。
……落ち着け。落ち着いて状態を確認するんだ。
大きく息を吸い込み、逸る鼓動を無理にでも落ち着けさせた。ここで焦っても仕方ない。やるべき事をちゃんと、見定めるんだ。
目を開き、マオリの状態を確認する。
まず、体温の急激な低下は大量の失血によるものだろう。大きな傷口が胸部に一つ。様子からして、まず間違いなく心臓が欠落している。それ以外にも身体の至る所に筋繊維の断裂と、激しい打撲の跡がある。
骨組織へのダメージも深刻だった。
目に見えて目立つようなものは無いものの、肋骨の幾つかは砕けており、腫れ具合から相当な箇所が欠けているか、深い亀裂が入っているようにも思える。
必要な処置はまず『体力補助』と『生命維持』、それと同時に『血液生成』と『体液循環』が必要で……。
……違う。そうじゃない。
混乱しかける頭を振り払い、考えを整える。
「血管の損傷を『治癒』で治さないと生成した血液が上手く循環しない。『治癒』は臓器が欠落した状態では使えないから同時に『臓器生成』も必要で、その為には血が足らない……」
焦る気持ちを押さえ込み、思考を回す。
少なくとも、『治癒』『血液生成』『体液循環』『臓器生成』『体力補助』『生命維持』を同時に構築する必要があり、生成した臓器を傷つけない為にも『骨格整形』もまた必要になってくる。
少なくとも、七つを同時に……。
治療魔法は万能では無い。
それは七夜熱の時にも、痛い程に思い知らされた事だ。
そしてここに来ての、更なる難度に気が狂いそうになる。
魔法の同時並列構築。
複数の魔法を同時に構築する事の難しさ。
魔法構築に長けた者であっても精々が三つ。例え達人の域にある者でも四つが限界だという。
それを七つ同時に構築しなければいけない現実に、目の前が真っ暗になる思いだった。
絶望が、這い上がってくる。
どう考えても、……無理が過ぎる。
急速に体温を失っていくマオリの身体が、そのマオリを目の前にして、講じる手段の無い自分を自覚する。
このままでは本当に、マオリが死んでしまう。
マオリがいなくなってしまう。
マオリを、……失ってしまう。
なのに、なのに私には……。
「……無理です。私には、出来ない」
悔しさに視界が滲む。
噛み締める奥歯の下から、嗚咽が込み上げる。
「私にはマオリを、……助けてあげられない」
諦めたくない。
諦めたくなんてないのに。
何をどうしていいのかが、分からない。
何をしたらいいのか、……分からない。
思考が澱む。
身体が強張って動かない。
……怖い。
失うのが怖いのに、何も出来ない。
何も出来ないまま、マオリを失ってしまう。
(……手段は、ある)
イワナガ様が重い口調で呟いた。
(手段なら、まだ一つ残っておる)
「イワナガ様っ……」
(上手くいくかどうかは分からぬ。実際、今までそれを成した者はまだおらぬが、一つだけ、方法が無い事もない)
落ち着いた口調であくまで慎重に、イワナガ様が言葉を紡ぐ。その暗澹たる物言いに不安を感じながらも、言葉の先にあるものにすがりつく。
(神聖魔法において治療に分類される魔法は全部で九つある。お前はその内のいくつを覚えておるのか)
神聖魔法で治療に分類される魔法は、『治癒』『体力補助』『生命維持』『血液生成』『体液循環』『臓器生成』『骨格整形』『浄化』『鎮静』の九つ。
「全部覚えています。九つ全て、教わりました」
二週間、マリエル様からマンツーマンで全てを教わっている。
中でも『治癒』『体力補助』『生命維持』『浄化』の四つは、身体で覚えている。その後の看護活動で何度も繰り返し構築し続けたからだ。
『血液生成』『臓器生成』『骨格整形』の三つは術式がよく似ているし、『体液循環』と『鎮静』は他のよりも比較的容易に覚える事が出来た。
……大丈夫。九つ全て、ちゃんと覚えている。
(上出来だ。師に感謝しておけ。それらは元々、ある一つの魔法の一部を、それぞれに取り出したものに過ぎん。神聖魔法における治療に分類される魔法とはそもそも、ある一つの魔法であったものなのだ)
「ある一つの、……魔法」
(すでに失われて久しいが、様式であればしっかりと覚えておる。生憎と私にはそれを構築する事は叶わぬが、お前ならばきっと、成す事が叶うやもしれん)
「イワナガ様では使えない、失われた魔法」
(その術式名を『完全蘇生』という)
「リザレクション……」
名前だけなら聞いた事がある。
神話の時代にのみあったとされる、遺失魔法だ。
(九つの治療魔法はその『完全蘇生』をそれぞれの効果ごとに分解、独立させたもの。逆にしっかりと様式にのっとり九つを合わせれば、『完全蘇生』の術式が構築される)
「九つの治療魔法を……。でもっ、九つの魔法を同時になんて、私にはっ……」
(慌てるでない。九つの魔法を同時に構築はするが、あくまで様式に添い、一つの魔法術式として組めと言っているのだ。それぞれを単独で並列構築する訳ではない)
「……それで、マオリを救えるのなら」
(保証は出来ん。重ねて言うが、例え構築式が分かっていたとしても、古来より誰一人として発動の叶わなかった魔法だ。だが、七つの魔法を同時構築する無謀に挑むよりは、成功の確率は高いであろう。……僅かな差ではあるがな)
「出来る、……と言ってはくれないんですね」
(気休めが欲しいのであればいくらでも言ってやる。だが、お前が求めているのは無責任な気休めでは無いのであろう? ……どうする。無理にとは言わん)
今のままではマオリは助からない。
助ける手立てが、無い。
無理を承知で七つの魔法の同時構築に挑むか、誰も発動させた事の無い遺失魔法の構築に挑むか。
どちらを選んでも成功する見込みは限り無く低く、そのどちらかを成功させなければ、マオリは助からない。
「イワナガ様は、意地悪ですね」
(自覚は無いが否定はしない。どうするかはお前が選べ)
「やっぱり意地が悪いです」
覚悟はとっくについている。
このまま何もしないではいられない。
どうせ無理無茶を通して足掻くなら、少しでも目のある方を選ぶしか、道は無い。
最初から選択肢なんて無いんだ。
だったら覚悟を決めて、やりきるしかない。
「お願いします。その方法を、教えてください」
(……成功する保証は無い。それでも良いのだな)
「はいっ!」
私は、力をこめて、イワナガ様に応えた。




