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♯197 ヒルコ



 魔王城地下迷宮の最下層。


 崩れた岩巨人を横目に、開け放たれたままの大扉を通り抜ける。大扉の先は、まっすぐな通路になっていた。


 多分、目的が同じで主が同じだからだと思う。


 地下迷宮の最深部へと続く通路は、最果ての森にあった遺跡とほぼ同じ造りをしていた。


 最下層に直結する大穴を急降下させられたのには驚いたけど、イワナガ様の落下制御は完璧だった。


 重力を上手く利用して加速させたかと思えば、床面スレスレを滑るようにして放り出され、そのままの勢いでここまで来れてしまった。


 実はちょっとだけ楽しかった。

 事前予告と心の準備位はさせて欲しかったけど。


(通路が終わる。気を引き締めよっ)


「っはい!」


 ぐっと気合いを込め、通路から飛び出す。

 通路の先はドーム状の広い空間が広がっていた。


 まず真っ先に視界に入ったのはその中心。

 ど真ん中で脈打つ大きな黒い影。


 壁に埋め込まれた魔石の仄かな明かりに照らされるそれは、空間のど真ん中にぶら下がっていた。


 まるで巨大な球根のようにも見える。


 巨大な球根が天井に根をはり、逆さまになりながら天井からぶら下がっている。正直、気味が悪いと言う他にない。


 どこか無機質な印象を受けた『カグツチ』の本体とは違う。大小様々なコブのようなものが幾つも重ね合わさり、ドクンッドクンッと脈動しているのが分かる。


 これが、……『ヒルコ』。


 広間を駆け抜け、その巨大な逆さ球根へと迫る。


(来るぞっ!)


 天井に広がっていた細長い触手。その触手の一部が突然膨れ上がり、弾けて目の前へと落ちてきた。


 イワナガ様の声と同時に真横へと飛び退く。


 後ろ腰に差してある鞘から小太刀を抜き払った。小太刀からも強い警戒の意思が伝わる。落ちてきた触手の一部だったものを視界に収め、正面へと構える。


 一抱え程の腐肉の塊のように思える。


 表面に浮き出た血管のようなものが脈打つ様が気色悪い。不気味に過ぎる。何だこりゃ。


 異様な物体を目の前にして警戒を更に深め、順手に構えた握り柄にぐっと力を込める。


 こちらからの攻撃の意思に反応したのか、肉塊が大きく震え、十数本程の触手がにょきりと生えた。それらのウネウネと蠢く触手に抱えられるかのように、肉塊が頭上高くまで持ち上げられる。

 

 見上げる高さになった肉塊を眺めながら思う。


 ……きしょい。


(近付かれるのは嫌と見える。……どうする?)


「そんなのっ、とーぜんっ! 突撃あるのみっ!」


 床面を強く蹴り飛ばし、一気に間合いを詰める。

 肉塊から更に数本の触手が槍のように突き出された。


 身体を捩って触手の隙間を掻い潜り、肉塊を支えている方の触手をまとめて切り払う。見た目通りの弾力性のある手応えが両手に伝わってきた。


 一呼吸も置かず、目の前にまで降りてきた肉塊部分を斬りつけると、斬りつけた傷口から青い炎が沸き上がる。


 青い炎がたちまちの内に肉塊を包み込んだ。


「何、これ」


(ヒルコの防衛機能の一部だ。近付かれる事を本能的に嫌がっておるらしい。ほれ、ボヤボヤしておるとどんどん増えていくぞ)


「……って、ぬぉっ!?」


 炎に包まれた肉塊が燃え尽きていくのを見届ける間も無く、見上げれば天井一面に同じようなコブがぶら下がっていた。数えるのも億劫な位の数がある。


 これはちと、ヤバい。


(駆け抜けよっ!)


「あいあいさーっ!」


 膨れ上がり、次々と床面に落ちてくる肉塊を避けながら、中心にあるでっかい逆さ球根を目指す。


 途中、槍のように突き出される触手を小太刀で受け、切り払い、叩き落とす。


 避け損ねた触手が皮膚を掠めると、掠めた所が酸を浴びたかのように焼け爛れた。


 一体一体は脆いけど、どうやらまともに受けては駄目っぽい。実に嫌らしい攻撃だ。


 数も相当に多い。


 手当たり次第に凪ぎ払っても次から次へと際限なく降ってくる。数が多ければそれだけ触手の数も増え、避けるのも難しくなるのは目に見えている。


(飛び込めっ!)


 最後の一押し。


 肉塊に埋め尽くされて立ち往生してしまう直前、中心の逆さ球根の根元へ身体ごと飛び込んだ。


 転がり込んだ背中から、触手の槍が一斉に突き出される。


「このっ!」


 咄嗟に身体を起こして身構えると、突き出されきていた触手の群れが目の前で、見えない壁に阻まれて弾かれた。


(小太刀の力を借りるぞっ!)


「え? は、はいっ、……って、おぉ!?」


 状況を理解しかねていると、小太刀から青炎が沸き上がる。青い炎はそのまま見えない壁の外側へと燃え広がっていき、そこにすがり着こうとしていた肉塊達を焼き払った。


(物理結界を張っておいた。青炎がある限りは大丈夫であろう。ヤツラ程度であれば十分に防げる)


「……おぉー。何か、凄い」


 さすが闇の女神様。何か色々凄い。


 結界の外側では肉塊達がウネウネしてる。気の休まる光景とはとても言い難いけど、どうやら青炎を越えてはこられないらしい。


(大事なのはここからだ。これからお前にはヒルコと同調して貰わねばならん)


「は、はいっ! 同調、……ですか?」


(数あるヒルコの分体を一斉に叩き潰すには、ヒルコと同調し、その魔力経路を把握せねばならん。難しく考える必要は無い。お前はお前としての意識を強く保ち、飲み込まれぬようにしておればそれで良い。あとはこちらで上手くやる)


 難しく考えるな、か。


(ヒルコとの同調も魔力経路の把握も任せておいてくれれば良い。お前の意識を通じてこちらで調整出来る。だがそれも、お前がお前であり続ける事が出来ればだ。……お前ならば、それが出来るハズ。ヒルコの意識に飲まれてくれるな、頼む)


 静かな声音に緊張が籠る。


 この気色の悪いドクドクいってる逆さ球根に意識を同調させ、自分を見失うなと。


 同調がどういうものなのかは分からないけど、失敗すればちょっと困るような状況になってしまうのだろう。よく分からないけど、よく分からない事はちゃんと理解出来た。


 うん。要するにイワナガ様と自分を信じろと。


(……分かっておるではないか)


 一つ、大きく息を吸い込む。


 ……。


 ……。


 ……よしっ!


 青炎に守られる中でそっと、逆さ球根に掌を添わせた。


 ブヨブヨとして柔らかく、生暖かい。

 一定のリズムを刻み続ける脈動といい、まるで本当にこういう生き物がいるかのように感じる。


 生理的な嫌悪感を堪え、気合いを込める。


「お願いしますっ!」


 自分を信じられるかどうかは正直分からない。分からないというか、多分無理だ。信じられる訳がない。何せこの世で一番信じられないのが、その自分自身に他ならないのだから。


 でも、イワナガ様の事なら信じられる。


 口が悪くて性格が捻くれてて。

 ドSで意地が悪くて陰険で高圧的だけど。


 素直になれないだけのこの優しい女神様の事なら、信じる事が出来る。


 そのイワナガ様が出来るというのであれば、きっと大丈夫なのだと。イワナガ様が私に出来るハズだと言うのであれば、出来るのだと信じられる。


 だから、……大丈夫。


(お前とは、良い友人になれそうだ。始めるぞ)


 愉快げな感情がダイレクトに伝わる。

 その感情に釣られてつい、口元が緩んでしまった。


 勝ち気に微笑んでる自分を自覚する。


 やってやりますともさっ、どんとこいっ!


 自身の魔力が小さな波動を小さく刻みはじめた。

 逆さ球根が打つ脈動に合わせ、膨張と縮小を繰り返す。


 粘質な雰囲気を持った魔力が、高まる。


 膨れ上がりまとまって、溢れ、満たされる。


 編み物の目を解くかのように。

 組み合わせた糸が順番に解れていくかのように。


 高まる魔力が小さく細く、ほどけていく。


「っぐ!?」


 針のように細くなった魔力が逆さ球根へと届いた瞬間、合わせた掌の周りに起きた変化に息を飲んでしまった。


 指先程の太さの黒い触手が逆さ球根の表肌から泡立つように伸びて、手の先へと絡み付いてきた。


 ぞわりとした感触が、肌の上をなぞる。


(同調を拒む最後の抵抗だな。幻覚だ。嫌悪感を刺激しているに過ぎん。惑わされるな。実態は無い)


 イワナガ様の言葉に浅く頷く。


 触手はさらに伸び続け、肌の上を這い上がってきた。

 

 触れるもの、近づくものを排除しようとする頑なな拒絶の意思を、強く感じる。それは『ヒルコ』のものなのかそれとも『スンラ』としての意思なのか。


 どちらにせよ明確な意思がそこに感じられる。


 何をそんなに拒むのだろうか。

 頑なに他を排除したがるその様子にふと、小さな疑問が過った。


 自らが駆除されてしまう事の恐れ。


 確かにそれもあるのかもしれない。けれど何だかそれだけでも無いような気がしてならない。


 脅え、畏れ、……拒絶。


 触手の先が皮膚を突き破り肉を蝕む。


 這い上がり、絡み付き、身体を蝕んでいく。


 掌がウネる触手の群れに埋もれ、更に腕が、肩が、上半身が触手に絡み付かれ、触手の先が頬に伸びてくる。


 でも、これは幻覚に過ぎない。


 激しい嫌悪感を理性で押し込め、身体を蝕んでいく触手の感触を拒む事なく受け入れる。


 ……拒むな。


 怯むな。竦むな。抗うな。


 意識を明に。感覚を鋭く。


 拒絶も、排除の意思も。明確な敵意も。

 その全てをありのままに受け入れる。


 視界と感覚の全てが触手に覆われ、真っ暗闇の静寂に包まれる。酷い嫌悪感と気味の悪い浮遊感だけが、ぐるぐると感覚を酔わす。


 それでも何故か不思議と、不安はなかった。


 妙に落ち着いた気持ちのまま、暗闇の向こう側に感じる存在へと意識を注ぎ込む。


 何かがいる。

 何かがそこにいた。


 違う。


 誰かだ。


 浮遊感に酔いそうな暗闇の向こう側に、誰かの存在をはっきりと感じられる。


 そこに誰かが、いる。


 気配がだんだんと近づいてくるのが分かった。


 拒絶の壁を越え、次第にその存在がはっきりと見え、輪郭を伴いはじめてきた。


 男の人だ。……若い。いや、老いている?


 憔悴し、疲れ果てているようにも見える。


 その男性は暗闇の中でこちらに顔を向け、絞り出すような掠れた声でそっと呟いていた。


 その、懇願するかのような呟きが耳に届く。


「……て、くれ」


 嫌悪感が消え、浮遊感が落ち着いた。


 音の無い静寂の暗闇の中にはっきりと浮かび上がるその男性は、酷く疲れ果て、やつれきっていた。


「……誰か俺を、殺してくれ。……頼む」


 絶望に染まった呟きがそっと、暗闇の中に響いていた。






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