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♯195 魔王 vs 魔王(魔王の憂鬱28)



 ベルアドネが腕の中に深く沈み込む。

 そのまま、眠るかのように意識を手放した。

 

 その様子に一抹の不安が心中を過るが、微かに立てる呼吸に気付き、安堵する。


「……よく頑張ってくれた。すまん」


 ベルアドネの身体は思った以上に軽い。

 起こさぬようにそっと、静かに抱き上げる。


 柔らかさを感じる身体は幻晶体では無い。それは明らかに本来の身体、生身のものだ。


 目立った外傷は見られないが、明らかに憔悴しきっている。感じる魔力の質も、相当に消耗が激しい。


 そもそも幻魔の一族であるベルアドネが、こうして生身を敵に晒している事自体があり得ない。虚弱に過ぎる身体には、この場にいるだけでも相当な負荷だろうに。


 本当によく、……持たせてくれた。


 馬鹿馬の背の鞍にベルアドネを預けると、銀色の毛並み中の瞳が振り返った。


「コイツを頼むぞ」


「ぶるっひひーんっ!」


「出来るだけ遠くに離れてろ。お前らを巻き込まずにいられる自信は無い。……いいな」


 軽く鼻先を鳴らし、馬鹿馬が空へと浮かび上がる。


 背に預けたベルアドネを起こさぬよう、落とさぬようにと、優しく空高く駆け上がっていく。


 あれも同じ雄として、それなりに良い女への扱いは心得てはいるらしい。


 馬鹿馬は馬鹿馬だけどな。


 小さくなるその背を見送り、感慨を込めて瞳を閉じた。


 馬鹿馬が単体で聖都へと飛び込んで来た時には驚きもしたが、そもそもレフィアを乗せていない時点で、何かがあった事は伝わった。


 クスハがその場に居なかった事は惜しいが、それでも馬鹿馬が、その神速の六足で駆け抜けてくれた事には感謝している。


 一切俺をその背に乗せようとしなかった馬鹿馬がだ。


 おかげで最悪の事態を招く事は防げた。


 ここからは、……魔王(オレ)仕事(でばん)だ。


 敢えて押さえ込んでいた激情が、自身の中で今にも爆発しそうになっているのを強く、自覚する。


「……何をしに来たのかと、問うべきか?」


 スンラが口を開いた。


 何のつもりなのかは知らんが、馬鹿馬にベルアドネを預けているのを黙って待っていてくれたらしい。


 余裕を見せているつもりなのだろう。

 けれど今はそんな事でさえも、どうでも良いと思えてしまう。


 ゆっくりと振り返ると、歪んだ表情に張り付いた笑みが、嘲りを顕に向けてられていた。


 問い掛けに答える義理もなければ、そもそも言葉を交わすつもりも無い。


 ただ一つ。


 ただ一つの事だけが確認出来れば、それでいい。


「お前が、……スンラだな」


 自身の中に沸き上がる感情に奇妙な戸惑いを覚えながらも、一歩ずつ前へと、歩みを進める。


 瓦礫の山と化した魔王城の一角。


 地面に散らばっているのは大理石か地面の砂利か。

 粉々に砕かれた砂礫の上を一歩ずつ、踏みしめる。


 一歩ずつヤツとの距離を、詰めていく。


 高揚する気分が口角を持ち上げる。


 今にもはち切れそうになる全身を、理性で以て懸命に押さえ込みながら、一歩ずつ。……一歩ずつ距離を、詰める。


 憤怒。


 激昂。


 怨恨。


 幾重にも積み重ねてきた私怨、義憤。


 その相手を目の前にした時、自分は一体どんな感情を持つのだろうかと。どんな顔をしてそこに立っているのだろうかと。


 そんな事を考えた事も、あったように思う。


 だが実際に当の本人を目の前にした今、沸き上がる感情はそのどれもであり、そのどれでも無いようにも思える。


 意外な感情に覚える、微かな戸惑い。


「だとしたら、どうする?」


 身震いを起こす程におぞましい笑みが、愉悦によって更に大きく歪んだ。


 人はこれ程までに醜悪に笑う事が出来るのかと。


 頭のどこかにいる冷静な自分がそう感心するも、もっと別な感情が全身に沸き上がり、毛穴の一つ一つにまで駆け抜けていくのを確かに感じとっていた。


 間違いない。この感情。


 これは……。


 ……。


 ……。


 ……()()


 抗い難い喜びの感情に魂が震え立つ。


 ヤツの持つハルバードの間合いを越える。

 それでも歩みを止めない俺に対してスンラもまた、微動だにせず鷹揚に構え続ける。


 更に一歩。


 淀む事なく躊躇う事なく、その間合いを詰める。


 一歩ずつ。


 俺の携える長剣の間合いをも越える。


 手を伸ばせばすぐにでも届く距離にまで近寄り、そこでようやく、歩みを止めた。


 見下ろすヤツの視線と、見上げる俺の視線が、真っ正面から互いを捉える。


 愉悦に歪んだ笑みと歓喜に満ちた笑み。


 スンラと同じように俺もまた、沸き上がる衝動に笑みが歪んでしまっている。


 どれだけこの瞬間を待ち望んだ事か。

 どれだけこの瞬間を恋い焦がれた事か。


「ようやくお前を、殺せる」


「ぬかしおる。若造が」


 風が止んだ。


 大気に一瞬の空白が、生れた瞬間だった。


 動いたのはスンラと俺とほぼ同時。


 互いの魔力が爆発したかのように膨れ上がり、螺旋を描いて立ち上る魔力の渦が弾け合う。勢いに圧された大気が、周囲の瓦礫を吹き飛ばしていく。


 闘神闘気に満たされた身体が、瞬きよりも早く長剣の柄を握りしめ、鞘を払った。


 全身の捻りをただ一点へと集中させ、渾身の力を込めた刃を逆袈裟に切り払う。


 刹那の邂逅。


 ほぼ同時に振り下ろされたハルバードの柄と長剣の刃腹がぶつかり合う。


 ただその一点。


 ハルバードと長剣が噛み合ったその一点。


 ただその一点を中心にして、金属同士が打ち合わされたとは思えないような重く激しい爆音が轟き、衝撃が、同心円状に走り抜けた。


 長剣とハルバード。互いの武器が衝撃をまともに受け、まるで岩壁に叩き付けられた硝子の様に砕け散る。


 極度に研ぎ澄まされた感覚の中で、砂礫の如く粉々になった金属粒子がゆっくりと散っていく。


 更なる衝撃が大気の壁を荒々しく突き破り、更なる怒号を高々と叫びながら、周囲を殴り付けていく。


 互いに得物を失ったきき腕が外へ流れていく。


 飛び散る金属粒子が空中を舞う中で、しっかりと互いの目標を見定めた瞳孔が熱を増す。


 掌の中に残っていた柄が砕けた。


 更に強く拳を握りしめ、力を込める。


 拳と拳が交わり、すれ違う。


 打ち下ろした拳と振り上げられた拳が、互いの横っ面へと同時に叩き込まれた。


 顎から上が吹き飛ばされるかのような衝撃が脳天を突き抜けていく。


 奥歯が圧っせられ、視界が明滅する。


「っがぁぁぁああああああああーっ!」


 かかる衝撃に気合いで抗い、全身を前へ前へと押し込め、受け止められた右拳を更に奥へと突きだしていく。


 負荷に耐えきれず、足元の地面が沈み込んだ。


 骨が軋む。断裂していく筋肉の筋の一本一本が、耐え難い悲鳴を上げていく。


「っぜりゃぁぁぁあああああっ!」


 自身の力の反動によって身体のあちこちが損なわれていくのにも構わず、右拳を、思いの限りに振り抜いた。


 スンラの身体が勢いに負け、横へと流れる。


「ぜぁぁあああっ!」

 

 更に大きく前へと踏み出し、流れたスンラの体勢を受け止めるようにして、左拳を脇腹へと叩き込む。


 踏み込んだ足場の周りが地割れ、捲れあがって隆起する。


 左拳が身に纏う鎧を砕き、脇腹の奥へと抉り込んでいく。


 スンラが両腕を前へと構えた所でそのガードの上から、大振りの拳を力一杯叩き込んだ。


「だぁりぁぁぁあああああっ!」


「ぐっ!?」


 魔力が弾け、爆風が荒れ狂う。


 激しい力の余波が後方へと駆け抜けていくのを感じる中で、スンラの身体が大きく後方へと吹き飛んでいった。


 残っていた柱の残骸を吹き飛ばし、更に魔王城の壁へと叩き付けられ、土煙の向こう側へと埋まっていく。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」


 一瞬の間に様相を変えた場に、自身の荒い息づかいだけが残る。


 力の余韻に振り抜いた拳が震えている。


 視界の中で、吹き飛ばされた瓦礫が動いた。


 暴力への歓喜に震える心情を抑え、その瓦礫の下から立ち上がる姿をしっかりと、正面に見据える。


 土煙がおさまっていく中、スンラが立ち上がる。

 その表情からはすでに、歪な笑みが消え失せていた。


「……何者だ。お前は」


 剣呑な目付きから狂おしい程の苛立ちが伝わる。


 激しい怒り。憤り。不満。憎悪。


 ……それでいい。


 それでいいんだ。


 貴様がこれまでに皆に残してきたそれらの感情をこそ、自らの中へと深く、深く刻み込むがいい。


 そうでなくては、意味が無い。


「覚えておけ、スンラ」


 両親の無念。一族の誇り。


 この国に生きる、この国に生きていた者達の全ての思いを込めて。


「お前だけは絶対に許さない」


 お前に潰された命。

 お前が踏みにじってきた明日を。


 俺がお前に叩き返してやる。


「何があろうと、……絶対にだ」






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