♯189 王の再臨1(骸姫の迷走5)
魔王城のテラスからクスハ様を見送る。
一瞬にして空の彼方へと光の余韻が消えていくのを眺め、気持ちを切り換えた。
聖都では結局、今ある方法では魂の器の修復は不可能なのだと、その事実を再確認するだけで終わってまった。
時間はもう、あまり残っとらせん。
パァンと頬を両手の平で挟み込むようにしてはたき、諦めそうになる自分を、力任せに奮い起こす。
「……まだっ、まだまだこれからだがねっ」
砕かれた魂の器を直す方法は、現代には無い。
ただ神話の時代。遥かな古代においては、その方法は確かにあったのだと、伝承には残る。
おかあちゃんを助ける為の、微かな手掛かり。
僅かに繋がる、細い、細い糸。
遺失魔法『完全蘇生』。
今ではもうその構築方法も忘れられ、誰も使う事が出来んくなっとる、神話の時代の魔法。
「……ゼロから組む訳ではあらせん。元々あったもんを、再現するだけだがねっ」
可能性はゼロでは無い。
例え限りなくゼロに近いのだとしても、それは、どうにか繋がった微かな手掛かり。唯一の希望。
だったらその希望に、全力をこそ込める。
おかあちゃんを留守番役のバルルント卿に頼み、魔王城の奥へと急ぐ。魔王城の奥にある、禁書庫へと。
魔王城に戻って来た目的は二つ。
魔王城にある質の高い魔香でおかあちゃんの命を繋ぎ止める為と、神代からの記録が残されとる魔王城の禁書庫で、『完全蘇生』に関する資料を集める為。
魔力減衰の著しいおかあちゃんはすでに、昏睡状態にまで陥ってまった。聖都にある魔香ではその量も質も、もう持たんくなっとる。
それに、聖都では『完全蘇生』に関する情報を集めきる事は出来んかった。
けど。
……けど、魔王城なら。
ここならきっと、何か手掛かりがあるハズ。
セルアザム様から預かった禁書庫の鍵を握りしめ、魔王城の廊下を一心不乱に走り抜ける。
神代の魔法。
すでに失われた、遺失魔法。
それでも、それでもきっと。……必ず。
地下にある禁書庫の扉を、開ける。
随分と長い間、多分誰も入る事が無かったであろう禁書庫の中は暗く、乾いた埃と古い紙の臭いが重く、凝縮されまくっとる。
『灯り』の魔法を使い、中へと進む。
円柱状に作られた禁書庫内は天井が高く、遠い。
明り取りの窓など一つもなく、壁にそってぐるりと立ち並ぶ、身の丈を遥かに超える書籍棚達を見上げる。そのどの棚にもぎっしりと、古ぼけた革表紙のぶ厚い書物がまるで化石にでもなったかのように鎮座していた。
入口から見て正面。
一角だけ書籍棚が無く、石壁が見えるその一角に飾られた一枚の古い絵画に、目が止まる。
神話をモチーフにした絵画だ。
古い神話をモチーフにしたレリーフは、魔王城の廊下の至る所にも彫り込まれとる。それらは普段から目にする事も多く、その絵画が神話のどの部分なのかも一目で分かった。
中央に描かれた異形の戦神と、古き二柱の神。
古き神々を裏切り、光と闇の姉妹神に味方した戦神アスラ。古き神々はその戦神アスラを倒す為、二柱の神を生み出してこれを差し向けたのだという。
その絵画には戦神アスラがその二柱の古き神と戦い、これを退けた場面が描かれていた。
戦神の右側に描かれた炎の巨人がカグツチ。そして、戦神の左側で踏みつけられているのが……。
……。
……。
……神代の時代の、遺失魔法。
古き神々がまだいた時代の、……神の御業。
その途方もないものを再現しようとしとる事に急に不安を感じ、手足が強張り、……竦む。
けど、もう、これしかあらせん。
やらなかん。
やらな、おかあちゃんがっ。
固く瞼を閉じて全身に気合いを込める。
「……怖気づいとる場合では、あらせんっ」
ぐっと弱気を肚の底に飲み込み、書籍棚に手を伸ばした。
その瞬間、書庫内が大きく揺れ動いた。
「……なっ、何っ!?」
ズドォーンッと低く響く爆音とともに書庫内が大きく揺れ、乾いた埃と石のように固まった埃が石造りの床の上で舞い上がる。
立っていられず、真ん中にある閲覧台にしがみつくと、更に小さな震動が続き、爆音が響いてきた。
「……こんな時に、地震? ……いや、そんな感じであらせん。……これはっ」
どの道このままここにいては、いつ書籍棚が倒れて下敷きになるか分からせん。
……時間があらせんのにっ。
悔しさに歯を食い縛り、揺れが続く書庫内から外へと出る。
書庫内から外に出ると、爆音と揺れは一際大きく感じられ、まるで魔王城全体が揺れとるようにも思えた。
「……一体、何がっ」
慌てて階段を駆け上がり、一階フロアに出る。
一階フロアはすでに、蜂の巣をつついたような騒ぎになっており、これが只事では無い事を現していた。
逃げ惑う者達の中に見知った姿を見つけ、戸惑いと困惑を見せるその、小さな姿の元へと足早に駆け寄る。
「ジジっ、何があったん!? 何が起こっとりやあすのっ!?」
「ベルアドネ様っ!」
レフィアの世話係として白の宮で働くファーラットの兄妹の片割れ、妹の方のジジだ。白の宮に居候している身として、互いに見知った仲でもあらっせる。
「ボ、ボーンドレイクがっ!」
ジジの小さな身体が、震えで強張る。
「骸骨竜の群れが、魔王城を取り囲んでっ、それでっ」
「骸骨竜……っ? 何で死者の迷宮の魔物がっ」
「突然、空から襲われてっ、でも、どうしたら良いのかが分からなくてっ、私、私っ!」
突然の脅威に曝された所為か、視線が定まらず、奥歯が上手く噛み合っとらせん。
戸惑い、困惑を極めようとしていた小さな身体を不憫にも感じ、思わずジジの身体を強く抱き締めていた。強く抱き締め、その柔らかな背中毛を優しく撫で、落ち着かせる。
思ったよりもフワフワで、どこか心地よい。
「べ、ベルアドネ、……様?」
「……大丈夫。何も怖い事あらせん。大丈夫。ここは魔王城で、バルルント卿もおるし、留守番役の強い兵隊さんもおる。だから落ち着いて、……大丈夫。怖くはあらせん」
「……は、はい。……すみません」
「うん。ええ子だがねっ」
腕の中でジジが落ち着いたのを確認して、……モフモフを少し惜しみながらも、小さな温もりから離れ、頭を軽く撫でながら努めて笑顔を見せる。
気丈に振る舞おうとする小さな命が、愛しい。
「とりあえずジジは魔王城の奥へ。予め決められとる退避場所は分かりやあすな? そこでじっとして、事が終わるまで待っとる事。……ええな」
「は、はいっ! ……ベルアドネ様は」
「たかが骸骨竜如き、何て事もあらせん。わんしゃらに任せときやあせ」
「はいっ!」
黒い大きな瞳を輝かせ、働き者の小さなファーラットの少女は力強い頷きを、返した。
城の奥にある退避所へと向かう大人のファーラットにジジを任せて、足早に遠ざかる小さな背中をそっと見送る。
ふいに立ち止まり、不安そうに振り返る視線に対して胸を大きく張り、握り拳を立てて笑って応えてみせる。
嬉しそうに頷いてみせるその姿に、おかあちゃんの言葉がふと、胸元を過った。
――力とは、何かを守るべきにこそあるもの。
「……分かっとる。分かっとるがな、おかあちゃん」
握った拳を胸元に当てると、トクンッと小さく鼓動が伝わってくる。ここには、おかあちゃんから受け継いだものが流れとるんだと、改めて意識に強く、刻み込む。
受け継いだ血脈は確かな熱を持って、この身体の中に流れとる。
ぐっと力をこめ、その場から駆け出す。
すれ違う城内の者達に退避場所へ行くように声をかけながら、一路、魔王城の階段を駆け上がり、外へと大きく開いたテラスを目指す。
断続的に続く爆音と揺れに足元を取られる。
時に蹲って怯える者達の背中を押しながらも、ようやく辿り着いたテラスから空を仰ぎ、その中を自由に飛び回る者達を睨み付けた。
骸骨竜。
死者の迷宮の深層階で稀に生み出される、迷宮産の魔物。
生と死を司る光の女神の影響を受けとる死者の迷宮は、魔王城の近くには存在せん。一番近くにあったのは禁忌の森に封印されとったものだが、あれはすでに、レフィアが浄化してしまっとる。
上空を飛び回る骸骨竜は40匹ほど。
それぞれが大空を自由に飛び回り、街や城目掛けて、黒い瘴気の塊を次から次へと好き放題に吐き出している。
……これほどの数が、一体どこから。
両足でテラスの床を強く踏みしめ、両腕を大きく前へと突き出す。下に向け、重ね合わせるようにした掌に意識を集中させ、大気の拍動を感じとる。
まずはコイツらを、何とかせなかん。
緊張を含む大気に自らの魔力を細く、より細く絡め、束ね、編み上げ、幾重にも重ねて織り込んでいく。
深く意識を沈めて大気の流れを掴み取る。
足元に束ねられた大気が渦を巻き、密度を増す。
自身の魔力を織り込んだ大気が勢いを増しながら、強く、強く渦巻いてその圧をより強めていく。
意識下で構築した魔法式を集めた大気の奥へと浸透させると、指向性を持った大気の塊が弾け飛び、幾重にも連なる風の刃となって上空の目標へと襲いかかった。
風の刃は周りの大気ごと骸骨竜達を巻き込み、砕き、斬りつけながら大きく渦を巻き、圧縮された空気の大渦で出来た檻のその内側へと閉じ込めていく。
広域殲滅魔法『嵐撃』。
荒れ狂う風に身動きを封じられ、無数の刃で身体を砕かれた骸骨竜達は抗う事も出来ず、大気の渦の中で粉々に散っていく。
一匹足りとも見逃したらかんっ。
街や城にこれ以上被害を与える訳にはっ。
神経を細く、刃物に触れるかのように尖らせ、風の帯の一本、束ねた大気の一摘みさえも漏らさぬように細かく、暴風域への制御に意識を深く集中させる。
上空で暴れ続けていた骸骨竜達を全て捕らえ、渦巻く大気の檻の内側へと放り込む。骸骨竜を一網打尽にした暴風の檻を更に圧縮し、最後の一片に至るまでの全てを粉々にする為に、拳を強く、強く握りしめた。
骸骨竜達を飲み込んで圧縮された暴風の檻が一瞬の間に縮み、掻き消える。
魔力で束ねられていた大気が解放され、その衝撃の余波が波紋のように広がり、……消えていった。
骸骨竜達は一掃出来た。……そう安堵した瞬間。
「……なっ!?」
視界の外から飛来した赤黒い火球が、脇を掠めてテラスに着弾した。激しい爆音とともに足場が、崩れる。
「……ぐっ、このぉぉおおおおーっ!」
落下は免れない。けど、このまま瓦礫に押し潰されてまっては洒落にもならせん。
破壊され、崩れさる足場の瓦礫に巻き込まれないよう咄嗟に魔力糸を編んで窓枠と繋ぎ、身体を支える。
無理矢理落下を防いだ反動で魔力糸が切れ、逃しきれなかった衝撃が身体に直に伝わり、息が止まる。
歯を食い縛ってその衝撃に耐え、瓦礫が散らばる地面の上へと転がり落ちた。
「……今のは、何があらしたんっ!?」
朦朧とする視界を気合で立ち直らせ、かぶりをふって辺りを注意深く警戒する。
「よもや、あれだけの骸骨竜を一網打尽にする者がいるとはな。魔王城の主戦力は出払っていると聞いていたのだが、……少し話が違うようだ」
立ち上がる土煙の中に、中背の鎧姿があった。
その鎧騎士は身の丈に合わないような巨大なハルバードを悠々と片手に抱え、ゆっくりと近づいてくる。
全身から感じる歪つな、生理的な嫌悪感さえ覚えるその魔力とは裏腹な優しげな声音が、不気味さを募らせる。
淀みなく歩み寄るその一歩が踏み出されるたび、言い様の無い恐怖心が知らず、心根に細く尖った針のように刻みつけられていく。
……こんなん、嘘だ。
こんな歪つな魔力の形なんて、ありえせん。
それは、まるで継ぎ接ぎだらけの、無造作に付け足していっただけの、歪つな形。人為的であったとしてもあまりにも醜悪で、不気味で、強大にすぎる、魔力の塊。
「まぁいい。余興の一つとしてはそう悪くもない」
土煙の向こう側から現れた鎧騎士が、その金色に輝く頭髪に見あった端正な顔立ちを醜悪に歪ませて、……嗤った。
鎧騎士はそこで立ち止まると、まるで舞台上の演者のように大袈裟な手振りをつけながら、高らかに声を張り上げる。
「祝えっ! 王の再臨をっ!」
得体の知れない恐怖心が、……確信に変わる。
……。
……。
……コイツだ。
コイツが、スンラだ。
コイツこそが暴虐の魔王、スンラなのだと。