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♯165 崩壊する世界



 気づけば一人、元の場所に立っていた。


 遺跡の最深部。カグツチの本体の間。

 広いドーム内には他に動く影もなく、微かな大気の震動が耳鳴りのように低音で響いている。


 ドームの上部で渦巻いていた青い炎もすでに消え、足元の床が浮かべる白緑の筋と中央の球体だけが、薄暗さの中で淡い光を放っていた。


 ……。


 幻影……、だったんだ。


 消えてしまった魔王様達、……マオリ達の姿を思い浮かべながらそっと、唇に指を当てる。

 乾いて荒れた感触が、指先に残る。


 唇と唇が、重なった。


 それは幻影越しではあったけど。

 何の感触も熱も、伝える事は無かったけど。


 確かに、重なり合った。


 確かにマオリの唇がそっと、私の……。


 ……。


 ……。


 ……ぐっ。


 緩やかに遅れてやって来た動揺と恥ずかしさに、自分が今、耳まで真っ赤になってるだろう事を悟る。


 とりあえず、……顔が熱い。


「……くっ、油断した」


 両手で頭を抱えてしゃがみ込む。


 本当に顔から火が出そう。

 自分でも信じられない位に、顔が火照ってる気がする。  


 まさか、あんな行動に出るとは。


 確かに油断があったとは言え、マオリにしてやられた事が悔しくて、実はそんなに嫌な気分じゃない自分が尚一層、悔しくてたまらない。


 悔しくて嬉しくて。

 腹立たしくて愛しくて。


 ごちゃまぜに掻き乱された感情が、押えの利かない動揺となって、心臓を大きく拍動させる。


「あーっ、もうっ!」


 パチンッと一つ、両手で頬を叩く。


 何か色々ありすぎて目が回りそうだけど、それに流されてしまっては駄目だ。気持ちをさっさと切り替えなくてはいけない。


 ……。


 ……。


 あのバカッ。

 絶対覚えてなさいよ……。


 心に強く誓いを立てて、恥ずかしさと悔しさと、認めたくないけどほんの少しの照れ臭い嬉しさを、一旦飲み込む。


 今はそんな事に悶えてる場合じゃない。


 気持ちを落ち着けて、ドームの中心の球体に意識を移す。ほのかに青く光る球体の中で剣聖さんは、深く呼吸をしながら、静かに佇んでいる。


 眠っているようにも見えるけど、今すぐ何か変化が起きそうな様子も無い。とりあえず無事なその様子を確認して、手に持つ小太刀の柄を、正眼に構え直す。


 ……多分、いける。


 だいたいの感覚は覚えている。


 気配というのか予感というのか。漠然と感じるイメージを更に深め、柄を握る両手に込めて、……願う。


 ……。


 ……。


 届け。


 ゆっくりと息を吐きながら、微かに感じるその繋がりに、全神経を集中させていく。柄を通じて刀身から、集中させた意識がじわりと広がっていくような、そんな感覚。

 立体的な空間に染み渡るように広がっていく意識の中で、うっすらと感じる力の残滓を、掴み取る。


 それは、か細く伸びた、微かな希望。


 お願い。……届いて。


 ……。


 ……。


 力を感じて、波紋が広がる。


 鈴の音が、響いた。


「せぇいやぁっ!」


 気合いを込めて、感じた波紋を切り開くようにして、中空を斜めに切り裂いた。


 軌跡が、空間を捉える。

 手元に感じる確かな手応え。


 空間に亀裂が生じて、弾けるようして裂ける。


 途端、その亀裂から空間が、裏返るようにして一気にひっくり返った。


 空間が変異する。


 石造りのドーム内が一変して、真っ暗な空間へと移り変わった。

 そこに現れたのは、どこまでも吸い込まれそうな、深い闇が広がる空間。物理的な力が意味をなさない最奥の世界。……間の空間。


 すでに破壊されてしまった空間には点々と、星のように欠片が浮かんでいた。その、小さな欠片の上に立っているっぽい。


「何をしに来たのかと、問うべきなのだろうな」


 同じように闇の中に浮かぶ、一つの欠片の上。崩れかけた地面に座り込み、小さな岩に背を預けたままイワナガ様は、力無く顔を上げた。


「折角話せるようにしてやったというのに、……アスラの子らと共に、何故戻らぬのか」


「まだ、聞きたい事が残ってましたから」


 相変わらずのそっけない物言いに、不敵に笑ってみせる。……さっきの幻影はマオリの言ってた通り、やっぱりイワナガ様の仕業だったっぽい。


 本当は優しいクセに。

 ……素直じゃないよね、まったく。


 コノハナサクヤに割られてしまった空間は、バラバラに砕け散ろうとしている。 

 

 ここまで崩壊してしまっているとは、ちょっと思ってなかった。消滅まで、もう幾何の余裕も無いように思える。


「……その小太刀があるとは言え、そんな力技で飛び込んで来たのはお前が初めてだ。……いいだろう。何が聞きたいのかは知らんがな」


 イワナガ様の様子にもまた、余裕がない。

 力無く座り込むその姿には、末期の予感を、否応なしに感じさせられてしまう。


 イワナガ様の力の残滓を何となく感じていた。


 糸のように細く、波紋となって空間に漂う力の残滓が、すぐ側にいるようにも感じられたから。


 カグツチの封印のすぐ側とも言ってたし、もしかしたらと、一縷の望みにかけたのが上手くいって良かった。


 多分ほとんど、この鈴守の小太刀のお陰なんだろうけど。


 ……ありがとう、リンフィレットさん。


「剣聖さんを連れて帰ります。剣聖さんは今、どうなっているんですか?」


「いらぬ世話だ。今は手を出すでない」


「どういう事ですか」


 返答は短く素っ気ないけど、どこか優しく諭すような、穏やかな口調だった。


「穏やかに見えるが今あの者は、己の内にて必死にカグツチの精神と戦っておる。ありえぬ事だが、見事にカグツチを押さえ込みながらな」


「強い人です。剣聖さんは」


 だからきっと、大丈夫なのだと。


 他人事に胸を張って応えると、さも愉快そうに、イワナガ様の纏う雰囲気がほころぶ。


「……そのようだな。お前達の助けがあったとは言え、まさか人の身でありながら、あれを自らの意思で屈伏させた事には感心もする。……じきに目を覚ますであろう。今は手を、出すべきではない」


「私達の、助け……」


 手にした小太刀の柄に視線を落とす。

 精巧な装飾の施された、青銀の小太刀。


 私達というより、この鈴守の小太刀の助けのような気がしないでもない。……いや、完全にこれのおかげだと思う。私だけじゃ何とも出来なかった。


「命を失いはしても、思いは残るもの。だが、それは時として形を必要とする。担うべき者がいてこそ、思いは力となるのだ。……そう己を卑下するでない。お前はよくやっておる」


 まるで何を考えていたのか見透かされているかのように、イワナガ様に優しく、諭されてしまった。握り手の中の小太刀の柄からも微かな震動が、伝わってくる。


 ……。


 ……。


 私にも、……何かが出来たのかな。

 もしそうなら、それはとても嬉しい事だと、そう思う。


「……ありがとう、ございます」


「あの者の事ならば心配はいらぬ。むしろ、時が来るまでは悪戯に触れぬ方が良いであろうな。……聞きたい事と言うのは、それで良いのか? ならばもう……」


間の空間(ここ)が無くなったら、どうなるんですか」


 手早く追い返そうとするイワナガ様の言葉を遮り、もう一つの疑問を口にする。


「力を損ない、身体を失ったイワナガ様はこの空間があってこそ、存在していられる。……そうなんですよね? だったらここが無くなってしまったら、イワナガ様はどうなってしまうんですか」


 力と肉体を失ったというイワナガ様は、この空間の中でのみ、その存在を保っていられる。二人の会話から察するに、それはそういう事なんじゃないのかと。


 肉体を失っただけのコノハナサクヤはそれでも、現世に関与する事が出来るのだろう。まだ、その力を失った訳では無いのだから。

 では、力と肉体の、その両方を失ってしまっているイワナガ様はどうなるのか。


 少しの間言い淀むと、イワナガ様はフッと一つ、息を吐いた。


「……どうにもならんよ」


 穏やかな声音には、諦めの色が見えた。


「神は死なぬ。ここが無くなろうとも、私がどうにかなる事は無い。……心配など無用だ。どうにもなりはせん」


 イワナガ様は更に言葉を紡ぐ。


「……だが、今までのように見守る事も、手を貸す事も出来なくなる。……すまんな。出来るだけの力になってやりたかったが、それももはや叶わぬ」


 それはつまり、一人世界の外側に取り残される。……という事なんだろうか。


 女神は死なない。

 例え肉体を失い、力を損なったとしても、滅する事は無い。ただ世界の外側で永遠に、一人の時を過ごすのだと、……そういう事なんだろうか。


 それはあまりにも、寂しすぎる。

 死なず滅ばず、永遠にあり続ける。


 それでは、悲しすぎる。


 ……。


 ……。


 だったら……。


「だったら一緒に、来ませんか」


 それが可能なのかどうかは分からないけど、もし出来るのであれば、可能性に賭けてみたい。

 このままはいさよならでは、あまりにも寂しすぎるから。


「……一緒に、だと?」


 さすがのイワナガ様も訝しげに聞き返す。


 うん。一緒に。


 出来るだけ胸を張り、努めて明るく振る舞う。


「どうやら私、魂の器とやらがとんでもなく大きいらしいんです。それこそ、光の女神の依代に選ばれてしまう位に。だったら、だったらもう一人の女神様も、受け入れられるんじゃないかと思って」


 それが出来るかどうかは分からない。

 分からないけど……。


 もしそれが出来るのなら、私は躊躇わない。

 このまま、この優しいひねくれ者の女神様を一人ぼっちになんてさせられないし、そんな事、したくない。


 私の提案に対して、イワナガ様は押し黙った。


 押し黙ったまま私をじっと見つめて、何かを考えているように見える。

 少しの間見つめられるにまかせて、イワナガ様からの返答を待つ。私の中に来るか、拒否するのか。


「……まったく」


 ため息まじりの呟きが、そっとこぼれる。

 その呟きはどこか、散々しかられた後のお母さんの顔に浮かぶ、優しげな雰囲気と同じものに感じられた。


「どこまでも読めん娘だ。お前は」


 言いながらイワナガ様は、目深に被ったフードに両手をかける。


「この顔を見ても同じ事が言えるか?」


 ふぁさっと事もなげにフードが後ろへとめくられ、イワナガ様がその素顔を見せた。


 花の如き美しさと称えられるコノハナサクヤと常に対比され、おぞましき醜さであると言われるその姿を、……見せる。


 突然の事に意表を突かれ、私はその素顔から目が離せずつい、魅入ってしまっていた。

 




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