♯159 カグツチ
紅蓮の炎が輝き、勢いを増す。
すでに灼熱の様相を呈した球体の中で、勢いを増した炎が生命の輝きに暴れ乱れる。
「レフィア殿っ! ……ご免っ!」
それまで背後に控え、成り行きを見守っていてくれた剣聖さんが真っ先に異変に反応する。
オルオレーナさんの事で動揺していた私は、その異変に反応する事が出来なかった。
力強い腕で、乱暴に押し倒される。
「あぐっ!?」
「剣聖さんっ!?」
ゴオゥッという大きな音と振動が通り過ぎた。
覆い被さる剣聖さんの肩越しに、唸りを上げて渦を巻く炎が、球体から沸き上がる。
炎は連なり交ざり合い、数丈の帯となって広いドームの中を舞い広がっていく。
ドーム内を埋め尽くすように広がっていた光の筋もまた、これ以上ない程に強く光を放っている。
白緑とオレンジの光が荒々しく乱れ重なる。
剣聖さんの身体の下から体勢をずらし、すぐさま苦痛に呻くその肩に手を添える。
剣聖さんの背中は、見るも痛々しい程に焼け爛れていた。
……今の炎が掠めたんだ。
すぐに治癒の魔法を構築して傷を癒す。
本当に表面を掠めただけのようで、火傷は深い所までは至ってはいなかった。一呼吸する間もなく傷は癒える。
「……ごめんなさい。ありがとうございます」
姿勢を低くしながら、暴れ狂う炎を纏う球体から距離を置く。
……迂闊だった。
オルオレーナさんの事に気を取られてしまい、周囲への警戒が疎かになってしまっていた。その所為で剣聖さんにいらぬ傷を負わせてしまったのは、明らかな失態だ。
「何のこれしき。レフィア殿を守るは拙者の誓いにござる。むしろ礼を言わねばならぬでござるよ」
目元を緩ませて笑顔で安心させようとしてくれてるけど、苦痛に表情が歪んでる。
その不器用な優しさに申し訳なさが募る。
自身の不甲斐なさに自然と力の籠る拳を額に当て、ぐっと目を瞑って自分への怒りを堪える。
……切り替えろ。
気持ちを、切り替えるんだ。
こんな所で剣聖さんの足を引っ張ってどうする。
引き摺られるなっ。
今、自分のすべき事を考えるんだ。
「……迷うな止まるな呆けるなっ!」
自身に渇を入れ、沈む気持ちを切り替える。
剣聖さんが背に私を庇うように立ち上がった。
「して、これは何事にござろうか……」
警戒しながら、剣聖さんの背に並んで立ち上がる。
「……カグツチが、オルオレーナさんを飲み込んで目覚めたんだと思います」
「カグツチ……、でござるか」
ドーム内に広がる炎の帯に注意を向けたままの剣聖さんに、ゆっくりと頷きを返す。
「……拙者の記憶が正しければ確か、古き神話にて語られる、戦神アスラが打ち負かした二体の古き神の片割れと同じ名に、ござるな」
「……片割れ?」
「カグツチとヒルコ。どちらも戦神アスラに戦い挑み、敗北した、古き神の名にござる」
カグツチと、……ヒルコ?
確かオルオレーナさんもイワナガ様も、そんなような事を言ってた気がする。カグツチの事を、古き神々の遺した二つの遺産の内の一つだと。
カグツチとヒルコ。
戦神アスラに負けた二人の古き神。
遺された、……二つの遺産。魔術具。
「多分、そのカグツチだと思います。……詳しいんですね、剣聖さん」
ドーム内を暴れ狂っていた炎の帯が、次第に地面へと降り、幾つもの火柱へと姿を変えていく。火柱は人の大きさよりも頭一つ分の背丈を保ち、ユラユラと燃え盛っている。
その恐ろしくも幻想的な光景に、緊張が高まる。
「神学には多少の心得もござれば。……されど、斯様に恐ろしきものは、初めて目にするでござる」
「神話の中に出てくるカグツチって、もしかして炎の蛇のような姿をしてたり、……しません?」
「……否」
視界の中で、火柱が姿を変え始めた。
大きくうねって巻き上がったかと思うと、その渦の中からさらに一対の太い炎が吹き上がり、弧を描いて地面へと流れ届く。
まるで大きな両腕で地面をがしりと掴んでるかのようにも見えるその姿に、更に二本の足が生えた。
「……カグツチとは、不死たる炎の巨人にござる」
炎が、幾つもの人の形をとって立ち上がる。
どれも皆、首から上の無い姿をしていた。
「巨人というには、大袈裟な大きさですね」
「不死であるというのも是非、大袈裟であって欲しいでござるが、……さて」
首なし達が、一斉にこちらへと向きを変える。
のそりとした動きを見せて、じわりじわりと距離を詰めてくる。
剣聖さんの刀の間合いギリギリまで近づいた時、一番目の前にいた首なしが、突然大きく膨れ上がった。
炎の豪腕を大上段に振りかぶる。
「……ぬんっ!」
剣聖さんが咄嗟に深く踏み込み、首なしの太い胴体を一閃の下に斬り払う。胴体を両断された首なしは、その斬られた場所から霧散して消えていく。
炎の蛇を打ち払った剣聖さんの斬撃は、首なしにも効果があった。
続け様に迫る首なしに、剣聖さんが刀を返す。
その剣聖さんの後を追うようにして、魔法障壁を展開し、剣聖さんの動きをフォローする。
さらに『祝福』と『体力補助』を重ねがけした。
出来ればもっと有用な魔法で支援したいけど、生憎とそれ以外の魔法の術式を知らない。
……他に攻撃手段が無いのが悔やまれる。
迫り来る首なしの攻撃をかわしながら、剣聖さんの背中を守るようにして何枚も魔法障壁を張り巡らせていく。
「かたじけないでござるっ!」
見惚れる程の剣筋と体捌きで、次々と首なし達を霧散させていく剣聖さん。その動きは見事としか言う他になく、動きを疎外しないように障壁を配置していくので、いっぱいいっぱいだ。
刀が振るわれるたびに、霧散していく首なし達。
けど、数が全く減っていかない。
斬り払われて霧散するよりも多く、後ろにある、ドームの中心にある球体から伸びる炎の帯が、次々と首なしを生み出していく。
……これをまず、どうにかしないと駄目だ。
「剣聖さんっ! 先に後ろの球体をっ!」
叫びながら剣聖さんの背中を護るように、構築出来るだけの数の魔法障壁を展開させる。
「心得たでござるっ!」
剣聖さんが振り返って、一足飛びに球体へととびかかり、渾身の斬撃を放つ。
「……なっ!?」
「嘘……っ!?」
鈍い音だけがその場に鳴り響く。
球体を覆う膜の壁は微動だにしないまま、剣聖さんの刀を弾き返した。予想外の結果とその衝撃で、剣聖さんの刀が真っ二つに割れて弾け飛ぶ。
……。
……。
……嘘でしょ。
剣聖さんでも、壊せないなんて。
呆然とする間もなく、展開した魔法障壁を打ち破って首なし達がドドッと押し寄せて来た。
「……ぐっ! 何のっ!」
折れてしまった刀を捨て、脇差しで迎え討つ剣聖さん。
脇差しでも戦えるのは流石だとも思うけど、ここに来ての大きなミスに焦りが募る。
どこまで硬いんだ、この壁は……。
こんなの、……どうやって。
迫る首なし達を相手にしてても始まらない。
この球体をどうにかしないと駄目なのにっ。
その、球体を覆う膜のような壁が、貫けない。
どうすれば……。
こんなの、一体どうすればっ!?
「あぐっ!?」
数の圧力に押され、かわし損ねた首なしの一撃が剣聖さんを強かに打ち付けた。
「剣聖さんっ!」
体勢を調える為に後退した剣聖さんの背中に駆け寄り、すぐさま火傷の跡に治癒を施す。
「何のっ、これしきっ!」
……。
……。
駄目だ。
こんなんじゃ駄目だ。
弱気になりかけた自分を奮い立たせる。
再び斬り結ぶ剣聖さんの背中を見つめ、両手で自分の頬を勢いよく挟み打つ。
弱気になるなっ! 諦めるなっ!
こういう時こそ考えろっ!
頭を使えっ! 呆けるなっ!
すべき事、やるべき事を見失うな。
見るべきものを見て見つめて見つけるんだ。
両腕と両足に力を込めて、顔を上げる。
するべき事は何?
やるべき事は何?
焦る気持ちを押し込めて、思考を冷やす。
目の前の脅威に囚われては駄目。
コイツらじゃ無い。
コイツらを倒し続けても駄目なんだ。
カグツチ。
魔術具。
生体核。
知り得た知識、言葉、見たもの聞いたもの。
一つ一つのピースをしっかりと、組み上げる。
答えは必ず、どこかにあるハズだ。
振り返り、球体を睨み付ける。
剣聖さんでも壊せなかった、硬い膜に覆われた球体。
ドーム状の部屋の中心にあるこれを、まずどうにかしないと駄目なんだ。
でも、……どうやって?
あの剣聖さんでも壊せなかったのに。
物理的には多分、無理だ。
物理的に可能なのであれば、剣聖さんに壊せないとは思えない。それでも無理なら、多分そうじゃない。
なら、どうすれば良い?
間の空間の事が頭を過る。
まるで時間の止まったような空間。
力任せでは動けず、魔力によってでしか動けなかった、肉体がその意味を失い、魂が仮初めの形を持つ、あの空間。
肉体がその意味を失う。
物理的な力が意味をなさない。
それがどんな原理なのかは分からない。
何をどうすればそんな事が出来るのかは分からないけど、もし……。もしこの球体を覆う膜が、あの空間と同じ原理で出来ているのだとしたら。
魂が仮初めの形を持つ。
これは魔術具だ。
コノハナサクヤは確かにそう言った。
生きてる、魂を持った魔術具?
……違う。そうじゃない。
この膜が出来た時の事を思い出せ。
あの時膜が生れたのは、オルオレーナさんがここに入ったからだ。魂を持つ者がここに立ってはじめて、この膜が生み出された。
身体の奥底から、目一杯の魔力を引き出す。
……生体核。生きてる者の、その命。
魔術具に魂は無い。
だから、必要だったんだ。
だからこの魔術具には、魂を持つ者を取り込む事が、……必要だったんだ。
引き出した魔力をそのまま球体にぶつける。
魔法を構築はしない。それでは意味が無いから。構築された魔法は、物理的な力に変換されてしまう。……それでは駄目だ。
そうでは無く、魂の器を満たす魔力、その素のままの魔力でないと多分、コイツには届かない。
そんな気がしてならない。
強い意思を乗せてぶつけられた魔力の塊に、はじめて球体が撓みを見せた。
それまで一切反応しなかった膜の壁が、魔力の圧力に歪む。
……これだっ!
思えばイワナガ様に頼むと言われたのだ。
何も方法が無ければ、イワナガ様だって私にそんな事を言う訳もない。何とか出来る方法があるからこそ、イワナガ様は私に頼むと、そう言ったんだ。
歪みを見せる球体に、更に魔力をぶつけ続ける。
……足りない。
柔布を起こした風で破るようなものだ。
球体に対して、面でしか力をぶつけられない。
……足りない。もっと強く。
だからこそ、生半可な力じゃこれは破れない。
出来うる限りの力で、押し潰すつもりでないと。
更に魔力を絞り出す。
球体は確かに歪むけど、まだ壊れない。
これじゃあまだ、足りないんだ。
……もっとだ。
もっと、もっと。力がいる。
力が必要なんだ。
力が欲しい……。
まだ足りないっ!
まだ届かないっ!
こんなんじゃ駄目だ。
限界を超えて絞り出す魔力を、ぶつける。
視覚できる程に密度を増した魔力が、溢れる。
……もっと強い力が欲しい。
この壁を突き破るだけの強い力が、……欲しいっ!
──いいよ。貸したげる。
「……えっ!?」
突然耳元で、鈴の音が聞こえたような気がした。
脇腹に痛みが走り、ドクンッと大きな拍動を感じて重くなる。
……何が。……誰?
溢れ出ていた魔力が脇腹の一点に集まり、形を成す。
私の腹の中にあったそれを中心にして、魔力が固まり、一つの形としてそこに姿を現した。
一振りの青銀の小太刀。
鈴の音が耳元で転がるように、響いていた。




