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♯158 灰黒色の瞳(魔王の憂鬱19)



 魔力を力の塊に変えて、乱暴に叩きつける。


 幅30メートルの大蛇が大口開けてりゃ、とりあえずぶっ叩くにはそれしか考えつかなかった。


 確かな手応えとともに激しい衝撃音が低く轟く。こんだけでかけりゃ狙いを定める必要も無い。むしろ、でかい分だけ叩き甲斐がある。


 力の塊がミシミシと大蛇の頭を潰していく様がありありと見てとれた。別に認識速度が上がったとか、集中しているからとかじゃない。……それだけでかいからだ。


 まともな大きさであれば一瞬で潰れてしまう勢いであったとしても、でかいってだけで、その潰れていく様がまるでスローモーションのようにも感じられる。


 正直、遠近感が狂いそうになる。


 ぶっ叩いた衝撃でその欠片がまるで飛沫のように、盛大に飛び散った。……何か、反応の一つ一つが大事だな、こりゃ。


 高く跳躍出来ても飛べる訳じゃない。

 昇りきった後は当然、重力に任せ落ちる。 


 飛び散る欠片の雨の中を落ちていきながら、その欠片の一つ一つが例の炎の蛇である事に気がついた。


 ……コイツらっ。


「集合体かよっ、……厄介な」


 勢いよろしく轟音を立てて地面をめり込ませながら、その中心へと降り立つ。全身に伝わる衝撃が却って気持ち良い。


 直後、どしゃ降りのように炎の蛇が降り注いだ。


「っ鬱陶しいわっ!」


 苛立ち紛れに魔力を爆散させて吹き飛ばす。

 攻撃すると増えるとか、もう知らん。

 ここまで散々焦らされて来たんだ、こうなったらいっそ清々しい位に暴れてやる。


 空の上から大気の鳴動する音が低く鳴り響く。

 見上げれば頭の潰された炎の大蛇が身を捩らせながら、ウゴウゴと蠢く様が空一面に広がっていた。


 その潰した頭も、爆散した箇所がゆっくりと盛り上がっても来ている。


「……そりゃそうだよな」


 とりあえず、挨拶代わりに八つ当たりでぶっ叩いただけだ。元々、これでどうにかなるなんて最初から思ってなどはいないが……。


 厄介そうな予感に眉間に力が籠る。


「ぶるっひひーんっ!」


「陛下っ!」


 上空からリーンシェイドと銀色の馬鹿馬が視界の中へと降りてきた。上空を仰ぎ見る俺のすぐ側まで近寄ってくる。


 馬鹿馬の背には二人、リーンシェイドともう一人、見たことの無い筋肉ダルマが跨がっていた。


「心配かけたな、……その後ろにいるのは誰だ?」


「このル・ゴーシュ! 問われて名乗る程の名など、無いのであるっ!」


 ……。


 ……。


 そうか。そりゃ何よりだ。


 何のつもりか大胸筋を強調して答える筋肉馬鹿の脇で、リーンシェイドはとても疲れた表情をしていた。

 その表情の意味が何となく推し量れる。


「ル・ゴーシュって事は、コイツがセルアザムの言っていた四魔大公最後の一人の、妖魔大公か」


「……そのようです」


「ぬっ? 何故その名を知っているのであるか」


 死んだように疲れ果てているリーンシェイドの後ろで、筋肉馬鹿が怪訝に眉根をひそめた。


 ……暗い。暗いぞリーンシェイド。

 とりあえずそんな、何もかもを諦めたような顔をするな。何だか俺まで不安になるだろが。


「当代魔王のマオリと言う。すまんが面倒な挨拶は後にする。とりあえず今は、黙って力を貸せ」


「……お主が、今世魔王であるか。委細承知したのである。このル・ゴーシュ、頼られて断る程情を失してはおらぬのであるっ! 任せられよっ!」


 老エルフだと言うからどんなヤツかと思えば。

 委細も何も、まだ魔王だとしか言ってないだろ。


 自然、可笑しさに気分が楽しくなる。


「その明快さは嫌いじゃない。分かりやすくていいな。頼んだ、ル・ゴーシュ」


「応であるっ!」


 一瞬どこの山賊か蛮族かとも思ったが、深い皺をくしゃけて作る漢らしい笑みには好感が持てる。何よりあのセルアザムが、その力を是非にと見込んだのだ。それだけで十分信用にも足りる。


 話してる最中でも微妙に変わるポージング。

 ムキムキの筋肉が隆起するたびにリーンシェイドの視線が遠くなっていってるのは、……多分の気のせいだ、うん。


 刹那、大気の振動が様子を変えた。


 何がっと思い振り向く直前、辺りが大きな影に包まれる。


「ぶるっるるるっ!」


 馬鹿馬の警戒声の先、上空一面に炎の蛇の胴体が迫ってきていた。


 その巨体さ故か、酷くゆっくりと動いているように見える。

 届く前から圧縮された大気が草木を揺らし、逃れようの無い圧迫感を覚える。


 空が落ちてくるって、多分こういうんだろな。


 ゴゴゴッと大気が悲鳴を上げ、身体で感じる空気の層がその圧力を増していく。

 胴体の巨体さで押し潰すつもりらしい。


 ……舐めるなっ。


「フンハッ!」


 巨大な胴体が唸りを上げて押し迫る瞬間、俺が魔力を練り上げるよりも早く、ル・ゴーシュの力声が響いた。


 途端、強固で分厚い結界に包まれる。その、肌で感じる程に強く組み上げられた結界に息を飲む。


 直後、唸りを上げる地響きをともなって、炎の大蛇の胴体が叩きつけられた。


「フンッハーッ!」


 それを、さらに外側に構築させた格子状に輝く結界が受け止める。地の底を抉るかのような衝突音と、凍てついた金属を振り抜いたかのような甲高い爆裂音が重なり響く。


 一瞬の間を置き、胴体と結界がぶつかり合う点を中心にして、凄まじい衝撃波が放射状に駆け抜けた。


 大重量の叩きつけを真正面から受け止めた格子状の結界が、軋みを上げ、キリキリと(たわ)む。


「フン……ッ! ハーッ!」


 さらに気合い一閃。


 細かくポージングを変えながら、様々な筋肉隆起のバリエーションを見せつけ、ル・ゴーシュの気合いの籠った力声が声高に轟く。


 その力声に呼応して、圧力に負けて撓んだかのように見えた結界がしなやかな粘りを見せる。そのまま、極限まで引き絞った弓の弦を放つかのように、大きく受け止めていた炎の大蛇の胴体を弾き返した。


 ドオォォッーンっと、ばかでかい太鼓を力一杯打ちつけたような衝撃音が、震える大気を乱暴に掻き乱す。

 二度目の衝撃波が波紋を広げていくのが見えた。


「……フンッ。なのである」


 ……。


 ……。


 何だろう、これ。


 目の前で繰り広げられたスケールのでかい、超高等な結界術の行使には感嘆の念さえ抱くのに……。それを、筋肉を隆起させたポージングと短声だけで、この筋肉老エルフがやってのけた事に脱力感が否めない。


 ……フンハーッとしか言ってないよな。コイツ。


 傍らにいるリーンシェイドも難しい顔をしている。

 遠目にも弾き返しているのは見えていたから、あれもこうやって、ル・ゴーシュがやっていたんだとは思う。


「……レフィア様も言っておられたそうです」


「……何を、だ?」


「変態と馬鹿は紙一重なのだと」


 ……。


 ……。


 分かれてねーだろ、それ。

 紙一重で裏表にくっついてんぞ、絶対。


 スゴゴゴッと大気を吸い上げながら、跳ね返された巨体がゆっくりと浮かび上がる。かなり高くまで跳ね上げられてるハズだが、よく分からん。

 真下に落ちる影の所為で暗い。その影の面積も狭くなったのかどうか分からん。


 散々大気を揺らしてくれた所為か天気も乱れ、どんよりとした低い雲が、いつの間にか空一面に広がっていた。


 さらに追撃をかけようとした時、跳ね上げられた胴体のある一点から、黒い筋のようなものが駆け抜ける。


 曇り空の影よりもなお暗い、漆黒の闇の刃。


 黒い筋が線を描いて瞬く間に胴体を一周すると、その黒い線上から滲み出るかのように闇が広がり、スパーッと巨大な胴回りを両断してみせた。


 一呼吸置いて、両断した胴体の断面が闇色に膨れ上がり、広範囲に渡って爆散する。


 ……この技は、知っている。

 魔の国の内乱を鎮める為に敢えて力を誇示させる必要に迫られた時、それを、すぐ側で見ていたのだから。


 大豪雨となって降りしきる炎の蛇の中を、いとも涼しげに側寄ってくる、一人の老紳士の姿を確認する。


 ……セルアザム。


 聞きたい事が山程ある。

 直接確かめないといけない事が、いっぱいあった。


 スンラの事。

 俺の本当の両親の事。

 あの賢者の事や、今までの事。


 そして、……セルアザムの過去の事。


 なのに、どうしてだろうか。

 その姿を見ただけで、ただそれだけの事で。

 どこか安堵に緩む自分がここにいる。


「……陛下。無事のお戻りを、お待ちしておりました」


「心配をかけた」


 慣れ親しんだ姿に、安堵を覚える。


 こんな時にこんな場所だってのに、慌てる素振りもなく、やっぱり落ち着いた雰囲気で所作に乱れもない。


 ……思えば、昔からこうだった気もする。


 浅く礼を取るセルアザムに、軽く頷き返す。


 ゆっくりと顔を上げるセルアザムの視線を、その真正面から受け止める。


 少し、……皺が増えたようにも思う。


 深く刻まれた皺の奥にある灰黒色の瞳は、やっぱりいつも通りに優しげで柔らかく、どこか哀しみをたたえていた。


 同じだ。

 ずっと同じ、変わらぬ眼差し。


 俺はずっと、この瞳に見守られていた。

 この瞳に見守られながらずっと、そこに安心を感じていたんだ。


「実は聞きたい事が、山程ある」


「……申し訳ございませんでした。陛下」


 かしこまって頭を下げようとするセルアザムに、そっと否定を返す。


「いつかまた、ゆっくり聞かせて欲しい。……色々と、な」


「……陛下」


 だからこそ、信じられる。


 聞きたい事も確かめたい事も山程あったが不思議と、こうして直接顔を合わせただけで、それで大丈夫なような気がしてしまう。


 不安だったものが、消えていく。

 それでいいんだと、素直に思えた。


「ぎゃーっ! も、もう無理だがねっ! 誰かーっ! はよーっ!?」


 自分の中でそう納得してる所に、絹を裂くのとは程遠い悲鳴があがる。


 見ればベルアドネが一人で、散らばる炎蛇を必死に処理していた。憔悴しきった様子で今にも泣きそうになってる。……ってか、泣いてる。


 ……すまん。何か色々と。


「うわぎゃーっ!? おろぅっふっ!?」


「……バサシバジル。お願いします」


「ぶるっひひひーんっ!」


 リーンシェイドが馬鹿馬にベルアドネの救助を頼んだ時、大きく地面が揺れ動く。両断され、断面をセルアザムの闇の力に浸食されていた巨体が蠢いた所為だ。

 見る間に盛り上がり、塞がっていく闇色の傷口を見上げながら睨みつける。


 その睨みつける先で炎の巨体が大きく膨れ上がり、突然、弾けて広がった。


「……そう来るか」


 元通りどころか、更に七つの頭を新たに増やしてこちらを威嚇する、炎の大蛇。


「いいさ。とことんやってやるよっ!」


 練り上げた魔力を闘神闘気に変換する。

 あのいけ好かない賢者から教わったやり方で、何がどう変わるのか。今はそれが知りたい。


 俺は、猛る闘争心を更に滾らせた。






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