♯156 目覚める大禍1
ぼんやりとした意識の底から目を覚ます。
何だか背中がゴツゴツゴリゴリしてる。
霞む視界に黒い毛じゃむくれが見えた。
その中央に二つ、おっきな穴が開いている。
とりあえずそこに、指を突っ込んでみた。
「ほぐぅおおぉぉぉーっ!?」
「えっ? ……あれ、剣聖さん?」
くぐもった悲鳴に意識がはっきりとする。
やっぱりまだ、ぼんやりと暗い。
どこか一本道の通路で横にされてたらしい。
丁寧に磨き上げられたかのように表面がつるっつるの石が床や壁、天井にまでしっかりと敷き詰められた通路。
几帳面に並べられた石の所々にも光る魔石がはめこまれているけど、迷宮の中のそれとは違い、明らかに加工されているようにも見える。
傍らでは剣聖さんが鼻頭を押さえ、打ち上げられた魚のようにもんどりを打って転がっていた。
どうやら間の空間とやらから、いつの間にか戻ってきてたっぽい。
見覚えの無い周りに少し戸惑うけれど、大扉をくぐったのは確かに覚えている。多分、あの大扉の手前と奥で様相が違っているのかもしれない。
思いの他ずっぽりと入ってしまた二本指を、くいっくいっと曲げたり伸ばしたりしてみる。
もしかしてさっきの穴って……。
……。
……。
「ひ、ひほいのでほざる……、レフィア殿……」
「……ごめんなさい。何か、……つい」
……うわちゃ。ごめんね、剣聖さん。
いたたまれなさを視線を逸らす事で誤魔化す。
……うん。
とりあえず状況の確認をしないといけない。
あの真っ暗な闇みたいなのがきっと封印で、あそこからイワナガ様の所へと繋がったんだとは思う。
封印はもう割られてしまったと言っていたから、あの真っ暗な通路もそれで無くなったのかもしれない。チラリと振り返れば、通路の奥に大扉が見える。ざっと見て50メートル位だろうか。
暗闇の中を結構歩いたと思ってたけど、思ったよりも進んでなかったっぽい。
「突然暗闇が晴れたかと思えば、レフィア殿が一人、床の上に倒れ込んでいたのでござる。オルオレーナ殿は大丈夫だから心配は無いと言ってござったが、拙者、相当に肝を冷やしたでござるよ」
「あ、……うん。大丈夫。ごめんなさい、心配させてしまって。それで看ててくれたんですね。ありがとうございます」
心配して看ててくれてた人の秘穴を貫いちゃったのか、私。だって何か、自然と誘われてしまったというか……。
……本当にごめんなさい。
そりゃ突然倒れてりゃ心配もかける。
実際は中身がおでかけしてただけっぽいけど、知らなきゃそりゃ、何事かとは思うよね。
オルオレーナさんはコノハナサクヤから聞いたんだろうか。どうやって神託が下るのかは分からないけれど、もしそうなら、剣聖さんにそう言ったのも頷ける。
光の女神、コノハナサクヤ。
愉悦に歪んだ微笑みをずっと浮かべてた。
まるで、しでかした悪戯を暴露するかのように。
あんな奴の所為でどれだけの人達が……。
「……絶対に思い通りになんて、させない」
悔しさとやるせなさで頭が変になりそう。
込み上げる怒りを理性で必死に押さえ込み、絶対の意思を込めて低く呟く。
「……レフィア殿?」
思いの外呟きに殺気が込もってしまった。
心配してかけてくれた声に振り返る。
アイツの所為で人生を狂わされた人がここにも。
剣聖さんとオルオレーナさんも……。
オルオレーナさんも……。
オルオレーナさん。
……。
……。
「……あれ?」
そのオルオレーナさんの姿が見えない。
ここにいるのは私と剣聖さんの二人だけ。
「オルオレーナさんは? オルオレーナさんは何処に……」
「オルオレーナ殿ならば、すべき事があるからとこの先に一人で行ったでござるが」
「……っ!? オルオレーナさんっ!?」
ヤバいっ!
こんな所で呆けてる場合じゃなかった!
急いで立ちあがり、通路の先へと駆け出す。
「レフィア殿!? どうされたでござるかっ!?」
「オルオレーナさんがっ、危ないの!」
剣聖さんに一言、叫ぶようにそう伝えると、細長い通路を全力で走り抜ける。多分この先にあるであろう、カグツチの本体とやらの元へ。
二人の女神の口振りからすると、カグツチの封印が解けたのだとしても、それだけではまだ完全じゃないという事なんだと思う。
生体核。
それがどういうものなのかは分からない。けど言葉から察するに、あの『悪魔の心臓』が埋まり込んだオルオレーナさんこそが、多分復活の為の最後のピースという事なんだと思う。
コノハナサクヤは言っていた。
必ずオルオレーナさんはカグツチを求めると。
そしてイワナガ様は、オルオレーナさんでは制御しきれずに命を落とすだろうと。
……オルオレーナさん。
お願いだから、……早まらないで欲しい。
そんなものなくったって、絶対どうにか出来る。
絶対他に何か、方法があるハズなのだから。
焦燥が動悸を早める。
嫌な予感に冷たいものが首筋を走る。
まっすぐ前の先に見える、光のもれる出口へと向かい、必死で走り抜ける。
無意味に長い通路に苛立ちが増す。
「オルオレーナさぁぁあああああんっ!」
そのまま光のもれる出口へと身体を投げ込み、くぐった先で腹の底から出しうる限りの声で叫んだ。
出口から身を乗り出すと、通路からつながるその場所の、その異様な光景に目を奪われる。
球形のドーム状に切り取られた、だだっぴろい空間が目の前に広がっていた。
壁も床も、通路と同じように磨かれた石のタイルのようなものが敷き詰められていて、自然のものようには到底見えない。今はそのつるつるの表面に、何だか幾何学的な模様がいくつも光をもって浮かび上がっている。
幾何学的な光の筋はその広いドーム内いっぱいに広がっていて、どれもが中心に向かって集束してるかのようだった。
浮かび上がる光の筋の明かりで、視界が通る。
光の筋が集まるその中心、ドーム内の中心部には、天井部から馬鹿でっかい漏斗のようなものが地面に向かって、突き出ているのが見える。
螺旋を描くその先端、地面から一段高くなっている所へと向いているその手前。まるで何かの祭壇のようにも見えるその手前に、願っていた人物の後ろ姿を確認出来た。
……よかった、まだ間に合ったっ!
「オルオレーナさんっ! 待って下さいっ!」
力の限り叫ぶ声に、オルオレーナさんが一瞬振り返った。
「駄目ですっ! それはっ!」
けれど一瞬振り返っただけで、オルオレーナさんはそのまま、祭壇のようなものの上へと足をかけてしまう。
「オルオレーナさんっ! 駄目ぇぇえええっ!」
叫びながらも全力で、祭壇へと走り寄る。
馬鹿広いドームの広さが恨めしい。
折角まだ、オルオレーナさんが無事でいたというのに。
もどかしさに悶えながらも中心へと辿り着く。
そのままの勢いで祭壇への階段を駆け上がった。
……駄目っ!
それじゃあアイツの思う通りにっ!?
「あぐっふ!?」
オルオレーナさんの背中をすぐ目の前にした時、足元からせせり上がってきた見えない何かに阻まれ、勢いよろしく弾き返されてしまった。
硬質な、薄いベールのようにも見える。
思わず尻もちをついて後方へと転がってしまう。
階段の手前で低く姿勢を保って踏ん張り、懲りずに再び、膜のような壁へと体当たりをぶちかます。
……ビクともしないっ!?
撓む雰囲気さえ見せない頑丈な膜に両手の平をつけ、すがり付くようにして大声を張り上げる。
「オルオレーナさんっ! 駄目ですっ!」
ここに来てようやく、オルオレーナさんがこちらへと振り返ってくれた。その優しげな視線と視線が重なる。
「……ごめんね。でも、どうしてもこれが、僕には必要なんだ」
心底すまなさそうに言う様子に、言葉がつまる。
「……なんでっ、こんなものに頼らなくったって、他にも必ず何か方法があるハズですっ!」
「もう、時間が無いんだ」
「こんな事をしたって、どうにもならないんですっ! コノハナサクヤはリディア教皇を許しはしないし、オルオレーナさんだってっ!」
祭壇を覆う薄い膜のような壁は、オルオレーナさんを中心にして丸く、球形を取っている。……正しくはその、オルオレーナさんの胸に埋まり込んだ歪な魔石を中心にして。
ドクンッと、魔石の高鳴る鼓動が伝わった気がした。
壁にすがり付く私に、オルオレーナさんはそっと首を横に小さく振って、否定を返す。
「違うんだ。……これは、姉さんの為だけの事じゃないんだ」
「オルオレーナさんっ!」
どうにか壁が壊せないかと駄目元で何度も体当たりを繰り返す。けど、薄い膜のような壁はまったくビクともしない。
力任せにぶつけ続けた肩が腫れる。
なんでっ、こんなに硬いのっ!?
「もう、本当に時間が無いんだ」
そんな私から痛々しそうに目を逸らすオルオレーナさんが、そっと呟いた。
「この森に来る前、ラダレストの最高評議会で対魔王協定の発動が採択されてしまったんだ。もう、……流れは止められない」




