♯148 断ち切れぬもの
肌に触れる空気がひんやりとしている。
迷宮特有の仄かな魔石光の中、オルオレーナさんは組んだ指に視線を落とし、黙って剣聖さんの語る言葉に耳を傾けている。
私が視線を逸らさずに見つめる先で、剣聖さんは握る拳に力を込めて瞑目した。
「拙者はそこで、リンフィレット殿を殺してしまったのは自分である事と、二人のお子を託された事を明かしたのでござる。なればこそ、なればこそどうか、二人を魔の国に連れて行ってもらえぬかと頭を下げ、二人が隠れ潜んでいる場所を伝えたのでござる」
同じように目を閉じて、深く頷く。
これでようやく合点がいった。
剣聖さんの話と、リーンシェイドから聞いた話が、ようやくここで繋がったような、そんな気がする。
馴染みのある鈴森御前のお伽噺に、何でアドルファスが出てこないかの理由も、これで分かった。
……やっぱり、違ってた。
リーンシェイドとアドルファスのお母さんはやっぱり、人を誑かして襲うような、そんな悪者じゃなかった。
鈴森御前、リンフィレットさんは悪者じゃなかった。その事が何だか、ちょっと嬉しく思えもした。
脇腹にそっと手を添えて、思いを馳せる。
この脇腹を貫いた妖刀は、やっぱりあの時に感じた通り、リンフィレットさんの頭蓋が加工されたものだったんだと話を聞いた今なら分かる。
死に行く時の未練や残した思いが瘴気に変わったんだとすれば、あの凄まじい量にも納得がいく。
……でも、もうあの妖刀はこの世には無い。
私が持つ女神の加護に触れて粉々になって、風の中に散ってしまった。
呪いはすでに、浄化されている。
まるでそれを肯定するかのように、脇腹が軽く、ズキリと痛んだ。
「二人の事を託せたのであれば、他に何の未練がござろうか。セルアザム殿が是と頷いたのを確認した後、拙者は、自らの首を差し出したのでござるが……」
だけどそこで、セルアザムさんは剣聖さんを殺さなかった。
……。
……。
まぁ、殺すわきゃないわな。
セルアザムさんだって馬鹿じゃないもの。
リンフィレットさんが二人を託した相手を、あのセルアザムさんが殺す訳、……ないじゃん。
「そこで拙者は命を拾ったのでござるが、さりとて行く所も還る所もある訳ではござらん。人の目を避け、耳を避けてといる内に辿り着いたのが、この最果ての森にござる。……ここで、未熟に過ぎた己を鍛え直すつもりにござった」
小さくしていた身体をより縮め、剣聖さんは両手で頭を抱えた。かすかに震えているのは……、気の所為ではないと思う。
「されど……」
呟く声がかすれて聞こえる。
堪えきれずに呟く声が、……震えている。
「されど、……断ち切れぬのでござる。どれだけ時間を経ようと、どれだけ修行に打ち込もうと、駄目なのでござる」
何が、……とも、何をとも聞けない。
聞かなくても、それが分かるから。
唇をきゅっと噛み締めて、思いが重なる。
「斬るべきを斬るは当然の理。斬れぬものを斬ってこその剣聖でござれど、この拙者の剣を以てしてでも、リンフィレット殿への未練だけは、未だにっ、断ち切れぬのでござるっ」
小さい身体をより小さくさせ、剣聖さんは、声をあげずに泣いていた。
……。
……。
思いを断ち切る。……か。
ふぅーっと一つ息を吐いて力を抜き、顔を上に向ける。
オルオレーナさんも思う所があるのか、顔を伏せたまま、じっと考え込んでしまっている。
……難しいよね。
思いを断ち切るのってさ。
本当に難しくて、……辛いよね。
目を閉じて姿勢を正し、ぐっと息を吸い込み、……ゆっくりと吐いた。
「私にも、断ち切らないといけない思いがあります」
思いを断ち切れないまま、前へ踏み出せないでいるのがここに三人。
だからこそ私は、胸を張ってしまおうと思う。
「本当は魔王様の他に、好きな人がいました。今も思いは変わりません。その人は以前に別れ離れになってしまった幼馴染でした」
「……レフィア、さん?」
オルオレーナさんが顔を上げて、心配そうな目差しを投げ掛けてくれた。
目配せをして、大丈夫だからと頷いてみせる。
「でも、同じ位、魔王様の事も好きなんです。だから私は、魔王様からの求婚を受けました。求婚を受けたからには、その幼馴染への思いも、本当は断ち切らないといけないんです。でも、私には無理でした」
無理なものは無理なんだ。
だったら、どうすればいいのか。
「……だから私は、その思いを抱えていこうと思っています。あれもこれも全部ひっくるめて抱え込んで、背負っていくしかないと。だって、どれもみんな、本当の私なんですから」
だからこそ、胸を張って、堂々としていよう。
「断ち切れないなら、それでいいじゃないですか。断ち切れない程の思いならいっそ死ぬまで、ずっとずっと、抱え込んでしまえばいいんだと思います」
前を向いて、自分らしく。
全部を抱えてしょいこんで、踏み出せばいい。
それでいいのでは無いかと、今はそう思えるから。
剣聖さんが、オルオレーナさんが、顔を上げる。
私はそれに、胸を張る事で答える。
「……レフィア殿」
腰を上げて、剣聖さんの前へと進み出て膝をつき、固く握り締められた拳にそっと、両手を添えた。
「アドルファスは相変わらず偉そうで、小憎たらしい事をネチネチと言ってくる、本当に憎たらしいヤツですけど、リーンシェイドと二人、魔王城で元気にしています」
ピクリとした反応が伝わってくる。
大丈夫、二人は元気にしています。
「リーンシェイドなんかはあまり思ってる事を話してくれませんが、それでも、色々とあって、一生懸命過去と向き合おうとして、頑張っています。あに様は知らん」
剣聖さんの目をじっと見て話す。
二人の事を思っての事か、見つめ返す剣聖さんの目元が、涙で潤んでいる。
「だから是非一度、魔王城に来てみて下さい。魔王城に来て、ちゃんと成長した二人を、見て上げて下さい。リーンシェイドはさっき見た通りに美少女になってますけど、あに様だって、黙ってればそこそこいい男になってますよ?」
「……魔王城に、……されど拙者は」
拒絶に強張る拳を、ぐっと握り返す。
「逃げちゃ駄目です。剣聖さん」
「逃げ……、でござるか……」
「こんな辺鄙な所で一人、逃げてる場合じゃないです。リンフィレットさんは剣聖さんにこそ、二人を託したんです。相手が剣聖さんだからこそ。だったら剣聖さんはそのリンフィレットさんの思いに、ちゃんと向き合わなきゃいけないんだと思うんです」
「リンフィレット殿の思いに、向き合う……」
握る拳に力を込めて、胸を張る。
こんな所で一人、立ち止まっていては駄目だと思うから。
剣聖さんは報われるべきだと思うから。
頑張った人には、報われて欲しいと心から思うから。
「魔王城に来て、二人に会って下さい。……どうか、お願いします。剣聖さん」
懇願に対して剣聖さんは固く口を結び、ぐっと堪えたまま目を閉じた。
そしてしばらくの沈黙の後、静かに頷いた。
「……もし、……もし叶うのであれば。……会いたいでござる。拙者も二人に、……会いたいでござる」
剣聖さんは堪えきれず、膝に涙を落とした。
ズキリとした脇腹の痛みが、何だか温かく感じる。
……そう、だよね。
リンフィレットさんだって、そう、思うよね。
何だか力を貰ったような気がして、その場で立ち上がる。
「一人で抱えきれないなら、ここにいる、断ち切れない者同士三人でっ、一緒に抱えていけばそれでいいじゃないですか」
力強い断言に、オルオレーナさんがキョトンとした顔をして瞬いた。
「僕も、……入れてくれるのかい?」
「あったり前じゃないですかっ、腹割って話を聞いた者同士、今さら一抜けは駄目ですっ! 抜ける気なら抜けるで構いませんが、その時は寝る時以外、アレチヌスビトハギのようにくっついて離れませんからっ」
一度くっつくと取りにくいよね、あれ。
「地味に嫌だなぁ……、それは」
困ったように目元を緩ますオルオレーナさんに、ニッと勝ち気な笑みを返してみる。
「そうと決まればっ、ちゃっちゃと最深部までいって、さっさと目下の問題を解決しちゃいましょうっ!」
どうせだったら前向きに。
踏み出す足は、前へこそ進むべきなのだから。
「……レフィアさんがそう言うと、本当に何でも無い事かのように思えるから、……不思議だよね」
いい感じで力が抜けたオルオレーナさんが、ゆっくりと立ち上がる。
「……この剣聖、かかる恩に報いる為にも必ずやっ、命に代えてもレフィア殿を御守りいたす所存にござるっ」
余計に力が入った剣聖さんも立ち上がる。
……。
……。
何か対称的な二人だけど、それでも。
二人ともが顔を上げ、前を向いて。
そして私達は、遺跡の最深部を目指した。
それぞれに色々なものを背負いながら。




