♯133 銀のいななき
高い岩壁に囲まれた逃げ場の無い谷底。
奥にある石組の入口からは、炎の蛇の大群が列をなして次々と這い出てきている。それはまるでどんどんと広がっていく生きた絨毯のようでもあり、鎌首を持ち上げる仕草がさざ波のように蠢く。
……不気味な光景に現実感を疑う。
まるで悪い夢でも見てるみたい。
夢なら夢であって欲しいと願わずにいられない。
警戒を最大に強めながらじりじりと後退る。
「……剣聖さん、コイツらは斬ると増えるので気を付けて下さい」
声を沈めて注意を促す。
特に初見の剣聖さんには気を付けて貰わないといけない。
「すでにごまんといるようでござるが……」
「湧き過ぎですね。もうお腹いっぱいです」
これだけいるとさすがに暑い。
じりじりと肌に感じる熱が危機感を募らせる。
来た道を戻る以外に逃げ場がない。
前方に警戒を強めながら、背後を確認する。
逃走経路を確保しようとして、その試みはとっくに潰えて事にようやく気づく。
「……マジでか」
空中に赤い魔法陣がいくつも浮かんでいた。
見たことの無い術式で構築された魔法陣に、どこか確信めいた悪い予感が警鐘を鳴らす。
赤い魔法陣は淡い光を放つと、ボトッと中空から予想通り炎の蛇を呼び出しては地面に落としていく。
……まだ前の奴らに手もつけてないのに。
おかわりには気が早すぎると思う。
「すでに囲まれているのである」
「……すぐに引き返すべきでした。ちょっと失敗だったかなぁと反省しています」
円環状に取り囲む炎の蛇達はじわりじわりと距離を縮めてくる。元々谷底の底の底。逃げ場なんて初端から無い。
「……来ますっ!」
最前列にいた奴らがぐぐっと身を屈め、一斉に飛び掛かって来た。
四方八方から囲い込むようにして炎の槍が飛来する。
……数、多すぎっ!
「フンッ! ハーッ!」
気合いの入ったル・ゴーシュさんの掛け声と同時に、眩いばかりに光を放つ鉱石のような結界が私達を包む。
瞬間、大気と地面を轟かせて衝撃と地響きが押し寄せる。
「ぬぅおわぁあーっ!?」
目の前の結界に阻まれているとはいえ、間近にせまる凄まじいまでの迫力と圧力に声が漏れてしまった。
「これしきの数では、このル・ゴーシュの守りは抜けないのであるっ!」
胸を高らかに張るル・ゴーシュさん。
その言葉通り、視界を埋め尽くす程に飛来する炎の槍の、その一本でさえも通さぬまま、金剛石のようなル・ゴーシュさんの結界は迫る炎の槍を全て弾き返した。
……すげぇ。さすが妖魔大公さん。
四魔大公の名も伊達じゃない?
衝撃と地響きが一段落を見せた時を見計らって、剣聖さんが腰の得物に手をかけて前へと進み出た。
「レフィア殿への償いを果たす良い機会にござる。ル・ゴーシュ殿っ!」
「……って、ちょっ、剣聖さんっ!?」
身を低く屈め、一気に結界の外へと向かって駆け出す剣聖さん。
金剛石のような結界は剣聖さんの歩みを阻む事無く、まるで水のカーテンのようにその身体を外側へと送り出した。
外からの衝撃は一切通さずに内側からは自由に出られる一方通行な結界?
その高度な結界技術に酷く驚きもするけど、それに続く剣聖さんの行動にさらに驚かされる。
「ぅむんっ!」
気合い一閃。
鯉口から放たれた剣聖さんの剣筋が、炎の蛇達をまとめて斬り裂いた。
剣筋……、としか言い様がない。
刀身の動きを全く目で追うことが出来ず、刃の光沢が残す軌跡が、一本の光りの筋としてかろうじて分かる程度でしかない。
その卓越した剣術に言葉を失う。
違う。感心してる場合じゃない。
「剣聖さんっ! だからっ斬ったら駄目だってば!」
「心配ござらんっ!」
慌てて静止を呼び掛ける。
けど、剣聖さんは止まらない。
返す刀でさらに炎蛇の集団の一角を斬り裂いた。
斬ったらどんどん増えていくのに。
何で人の話を聞かないかな……。
……。
……。
……って、あれ?
炎の蛇は斬っても叩き潰しても増える。
確かに、そのハズだったのに。
剣聖さんが刀を返して一閃するたび、斬り払われた炎の蛇達が次々と霞のように掻き消えていく。
あっという間にその一角に足場を確保してしまい、さらに正眼に刀を構える剣聖さん。
……あれ?
斬っても増えてない?
……なんで。
魔王様の時も、トレントの時も、攻撃すればするほど、どんどん増えていったのに……。
「……何で、……消えて?」
静かに息を吐いて、剣聖さんが再び炎蛇の集団の一角へと飛びこんでいく。
「斬るべきを斬るは当然の理」
更なる剣閃が炎蛇達を斬り捨てていく。
「斬れぬものを斬るが達人の技」
淀み無い足捌きと流れるような身体捌きで、迫る炎を避けながら光の筋が炎の絨毯を削り取る。
「更にその先へと至ってこその剣聖にござる」
斬り払い、斬り捨て、残心に構える。
その剣聖さんの背後で、斬り裂かれた炎蛇達が一斉に霧散して消えた。
「剣聖の剣より逃るるは能わず。……にござる」
……。
……この人、強い。
めちゃくちゃだけど、めっちゃ強い。
……って言うか、もしかしたら。
剣術だけなら魔王様よりも強いかもしんない。
こんな人がまさか、こんな誰も来ないような森の奥で一人で誰にも知られずに住んでたなんて。
何で、……こんな所に。
「……されど、多勢に無勢」
……ん?
「これはさすがに多すぎるのでござるっ! ル・ゴーシュ殿ぉぉおおおおっ! 中へ戻して欲しいでござるよぉぉーっ!」
構えも何も捨てて、剣聖さんが一目散に走って戻ってきた。
外側から包み込むように新しい結界が張られて最初に張った内側の結界が解除されると、元いた場所まで息を切らした剣聖さんが戻ってきた。
新しく張られた結界が、再び最初の大きさへと戻る。
「はぁ、はぁ、はぁ、かたじけないでござる」
「……剣聖さん」
一瞬感じた尊敬の念が行き場を無くす。
何をしに行ったんですか、……一体。
「償いを果たせると思ったのでござるが、力及ばず、まっこと申し訳ないでござる」
本当にすまなさそうに言う姿に、ほっこりと暖かいものを感じずにはいられない。
「……それはもうチャラになったじゃないですか。そんな事の為に無理をしたりはしないで下さい。お願いします」
「だがそれでは拙者としても……」
「今はそれより、この状況を何とかする方法を一緒に考えないと。これじゃジリ貧間違いなしです」
それでも今一つ納得のいかなさそうな剣聖さんを諭して、状況打破の手立てを考える。
ル・ゴーシュさんの結界はさすがの一言で、この結界の中にいる限りは大丈夫そうではある。私の魔法障壁と原理は似ているハズなんだけど、そもそもの格が違うっぽい。
けど守ってばかりじゃ何ともならない。
打つ手が無いとも思った。けど剣聖さんなら、その間合いの内であれば炎の蛇を倒す事が出来るっぽい。
元々ここから引き返すつもりでもいたし、脱出するだけであればこれはこれで……、何とかなるかもしんない。
何とかなるかもしんないんだけど……。
炎蛇の集団の向こうに見える石組みの入口に、チラリと視線を移す。
このまま引き返していいものかどうか。
それもまた少し、気になっていたりもする。
危険が危ない最深部になんて、頼まれたって行きたく無いってのは変わらない。むしろ今すぐ逃げ出したい。
状況的にこれ以上進む事は出来ない。
出来ないんだけど……。
このまま放って置くと、何だか取り返しのつかない事になりそうで、その事に逡巡もしてしまう。
今ここにコイツらがこれだけ蠢いているって事は、そういう事なんだと思う。運悪くはぐれに出会ったとかいう訳じゃない。
ここにコイツらがいるそれなりの理由が必ずある訳で……。
カグツチ。
オルオレーナさんの様子を見ると、岩壁の入口に視線を釘付けにしたまま、どこか青ざめた表情で緊張しているのが分かる。
……だよね。
まさかこんな所に最深部への入口があるなんて、私だって思わなかった。
誰が作ったかは知らないけど、確かにこんな所なら、どれだけ森の中を探したって封印の場所にたどり着けやしない。
良い隠し場所だとは思うんだけど……。
それも見つからなければの話。
この状況からすると、すでに見つかってしまっているのは何よりも明白だろう。
もしかしたら、すでに封印を解く為の何らかの行程に取り掛かっているのかもしれない。
それがどんなものなのかは知らない。
けど、こんな風に封印されているものを解き放って、良い結果につながるとは到底思えない。
……うーん。
周囲を埋め尽くす程の炎蛇達。
あの入口の奥へと進むには、コイツらを一掃出来る何らか手段が必要になっくる。
一掃する手段。
……。
……。
ここにベルアドネかバサシバジルがいれば何とかなるかもしれないのに……。
いやいやいやいや。
そうじゃない。
駄目だね。ベルアドネならともかく、バサシバジルを便利なアイテム扱いなんてしたら。
叫んだら飛んで来ないかな……。あの娘。
何かどうにかしたらどうにかなりそうではあるけど、……無理か。
無い物ねだりをしても仕方がない。
無いものは無い、いないものはいない。
やっぱりここは一度引くしかない。
一度引いて、対策を万全にしてから出直す必要があるように思える。
……そう再確認した時、遠く、何かの声が聞こえた気がした。
「……ふむ?」
ル・ゴーシュさんも怪訝そうに空を見上げる。
どうやら私の空耳では無いらしい。
でも、……まさか。
あり得ないと思いつつも空を見上げたその時。
ドッゴォォオオオオンという地響きを打ち鳴らし、激しい土煙を巻き上げて、はるか上空から一筋の銀閃が、谷底の地面へと突き刺さった。
衝撃で炎の蛇達が吹き飛ばされ舞い上がる。
「……嘘、……なんで」
パラパラと舞い散る火の粉と土煙の向こうに、見覚えのあるシルエットが浮かび上がる。
「ぶるっひひーんっ!」
「レフィア様っ!」
バサシバジルの心強いいななきが響き渡った。
銀色に輝く六本足の馬体。
銀のいななきが目の前に舞い降りていた。
二本の角を天に突き立てた、純白の鬼姫様をその背に乗せて。




