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♯119 抗えぬ条件(魔王の憂鬱15)



 転移空間の中にレフィアが消えた。


 風景の一部を陽炎のように歪めていた空間は対象を飲み込むと、まるで何事もなかったかのようにスッと元の風景の一部へと戻ってしまった。


 ……嘘だろ。


 こんな、目の前で。

 俺は……っ!?


 重く縛りつけられたかのように動かない手足に、悔恨の情念が宿る。


 為す術もなかった自身への憤りが収まらない。


 ありとあらゆる渾身の力を以てしても、身体を束縛する何かを振り払う事が出来ずにいた。


「何を呆けておるか」


 レフィアが消えた空間を見つめ、立ち尽くしていたリーンシェイドに賢者が迫る。

 一瞬早く我に我に返ったようだったが、隙を突かれ、懐深くまで踏み込むのを許してしまう。


「あぐっ!?」


「思った以上に身体が動かぬか。そう己を責めるでない。この空間内で動けるだけでも大したものなのだ」


 賢者が造作もなくリーンシェイドを捕らえる。

 黒いローブからすらりと伸びた指先が、リーンシェイドの顎下をがっしりと掴んでいた。


「あぅあぁぁぁあがーっ!?」


 リーンシェイドが身体を仰け反らせて絶叫する。

 レフィアやベルアドネの時と同じように、魔力を大きく掻き乱されているように感じる。


 賢者が手を放すと、顔色を悪くしたリーンシェイドがその場に崩れ落ちた。


「リーンシェイドにっ、何をしたっ!」


「案ずるな。視ただけに過ぎん」


 こちらを一瞥する事もなく、ただ立ち尽くしたまま、賢者はリーンシェイドに視線を注ぎ続けている。


「姫神に至る要件は満たしてはおるが、すでに母を亡くしておるのか。……惜しいものよな」


「きさまっ!」


 歯を食いしばってジリリと身体を前へ動かす。

 思うようにならない身体に、苛立ちが募る。


 さっきから一人だけ分かったような面して、訳の分からない事ばかり並べやがって。


 不意に、賢者がこちらを向いた。


 目深に被ったローブで顔は見えないが、射抜くような冷たい視線が突き刺さる。


「……で、お前はいつになったら動けるようになるのだ? アスラの子よ」


「やかましいっ! 今すぐ待ってやがれっ!」


「戦神アスラの血を受け継ぐ者が、……情けない」


 のそりと賢者がこちらに歩みを寄せる。


 ……くそっ。


 何で俺だけ、動けねぇんだ。


 ベルアドネもリーンシェイドも、レフィアでさえもこの空間で動く事が出来たっていうのに。

 どれだけ闘神闘気を身体に込めても、手足を覆う見えないくびきが一向に振りほどけない。


「あの『器』の娘の方がよっぽど見処があるのやもしれんな。……生き延びさえすれば、だが」


 ……レフィアっ!?


 身体の奥底からさらに魔力を捻り出し、闘気へと変換させていく。

 後先の事など考えてる余裕なんか無い。一秒でも早くここら抜け出して、レフィアを探しに行かないとっ!


「ほぅ、闘神闘気の出力だけなら大したものだが……」


 賢者は俺のすぐ目の前まで来るとそこで立ち止まり、そっと指を伸ばして、額に触れてくる。


「そもそも使い方が違うのだと、何故気づかぬ」


 一瞬だった。


 賢者の指先から何かが身体を突き抜けていったその瞬間、高めていた闘気がフッと一瞬で霧散して消えてしまった。


「……なっ!?」


「肉体にのみに頼るでない。……愚か者が」


 身動ぎ程度には動けていた身体が途端、まったく微動だに動かなくなってしまった。


 アスラ神族の秘術である闘神闘気を、こんな形で無効化された?


 ……嘘だ。

 何をしやがったんだ、今。


 コイツ、……一体。


「肉体には自ずと限界がある。まずそれを超えねば話にならぬ」


 ……肉体の、……限界?


 何の話をしてやがるんだ。


「……賢者殿」


 セルアザムの呼び掛けに、賢者が頷く。


 何を考えてるのか分からないと言えば、セルアザムもそうだ。


 騙すようにしてここに連れて来た事もそうだが、賢者のする事を黙って見守っているようにさえ思える。


 そもそも、何故レフィアを助けなかった?


 ……一体、何を考えてやがる。


「……その賢者と言うのはよせ。リーンシェイドとベルアドネだったか。その姫夜叉と幻魔の娘はすでに十分な域に達しておる。これ以上は必要もなかろう」


「では……」


「だが、このアスラの子はまるで駄目だ。このままでは無駄に死ぬ事になろう」


 どこか残念そうに言い捨てる賢者の視線の先にいるのは、……俺だった。


 ……。


 ……。


 待て。何だそれは。

 俺が、……死ぬ?


 賢者の指先が動けないでいる俺の顎にかかる。


「不服そうだな、アスラの子よ。だがそれが今の現実だ。この空間で動けぬようでは、到底仇など討てまい」


 仇……。


 その言葉に、身体の中の何かが反応を返した。


 決して忘れる事の出来ない感情が、とぐろを巻くように腹の底から沸き上がる。


「……おい、どういう事だ」


「……ほぅ、闘神闘気は封じたというに。声を出せるか」


「どういう事かと聞いているんだ。貴様、何を知っている?」


 不思議と、声が出るようになった。

 さっき力任せに振り切ろうとした時よりも、自然に喋れているような気がする。


 身体が動かせるようになった訳ではないが、腹の底から沸き上がる感情を押さえつつもさらに問いかける。


「はなから死んだとは思っておらぬのだろう?」


「聞いた事に答えろっ!」


「今のままでは仇を討つなど、無理な話だ」


「いいから言えっ! 何を知っている!」


「お前の知りたい事だ。……そう言えば、満足か」


「はぐらかすなっ!」


 ぐっと詰め寄ろうにも身体が言う事を聞かない。

 賢者との距離など無いも同然だというのに、もどかしさで狂いそうになる。


 一呼吸置いて、賢者がじっと俺を見つめた。

 その見透かしたような視線が気に食わない。


 見定めるかのように時間を置いた後、静かに、ただ静かに賢者の口からその名が告げられた。


「……スンラは、まだ死んではおらんよ」


 激昂する感情が身体を駆け抜けた。


 憤怒と憎悪が入り交じる、焼けつくような真っ黒な感情が腹の底から脳天へと駆け抜けて、目の前がまっさらになったような感覚を覚える。


 スンラ……。


 先代魔王、スンラ。


 短い在位の間に魔の国に恐怖と怨恨を刷り込み、決して消える事の無い深い爪痕を残していった、……魔王。


 まさかここで、よりにもよってその名とは。


 スンラが、……生きている。


 やっぱりヤツは……。

 まだ死んでなかったのか!?


「どこだっ! ヤツはどこにいるっ!」


 腹の底が弾けてしまうかのように感情が溢れ出る。

 食いつくかのように叫ぶ俺に、賢者は首を振った。


 ……言わないつもりかっ!?


「言えっ! 教えろっ! どこだっ!」


「それを言った所で、今のお前では無理だ」


「構わんっ! 例え無理でも、刺し違えてでもヤツののど笛に食らいついてやるっ!」


「むざむざ無駄死にするのを見過ごす訳にはいかん」


 ……くそっ。


 落ち着け。まずは落ち着くんだ。


 今のこの状況でただ吠えても意味が無い。

 聖都での失敗を、今ここで繰り返す訳にはいかない。


 目を閉じて、深く息を整える。


 考えろ。

 感情を押し込めて、冷静に考えるんだ。


 思いも寄らない名前につい昂ってしまったが、そうじゃない。

 今大切なのはスンラの事じゃないハズだ。


 落ち着け。

 大事なものを見誤るな。


 ……。


 ……レフィア。

 今大事なのは、レフィアだ。


 すぐにでも、レフィアを助けに行かねばならない。

 その為にも……。


 落ち着け。……考えるんだ。


「……何を、すればいい?」


 ゆっくりと目を開けて、賢者を見据える。

 真っ黒なローブに身をくるんだ、一見して華奢な女のようにも見える、この目の前の化け物を。


 フッと、賢者が笑ったような気がした。


 目深にかぶったフードで顔が見えないままだが、賢者のまとった雰囲気が少し、変わったように感じられる。


「何をすれば、貴様を納得させられる?」


「……駄々をこね続けるかと思ったが、意外に切り替えは良いのだな。面倒が少なくて助かる」


「やかましい。貴様が俺に何を求めているのかと聞いているんだ。とっとと答えろ」


「勇ましいな。嫌いでは無いぞ、そういうのも」


 俺の問いには答えないまま、賢者はセルアザムの方へと振り返った。


 ……とことん軽く見られてるな、俺。

 悔しいが、今は堪えるしかない。


「この者は預かろう。この様子であればそれほど時間もかかるまい」


「ご配慮に、痛み入ります」


「……どういう意味だ? それは」


「お前次第と言う事だ」


 賢者がさらに一歩、近づいてくる。


「お前が条件を満たすのであれば、スンラの事を教えてやっても良い」


 動けないままでいる俺の顎先を、賢者の細い指先がなぞる。

 忌々しい。噛みついてやろうか。


 口をガッと開いて噛みつこうとしたら、賢者はさっさと指先をひっこめやがった。


 ……チッ。


「元気の良い事だ。……そうだな、素直に言う事を聞くのであればもう一つ。あの『器』の娘の身の安全を考えてやっても良い」


「……レフィアを助けてくれるってのか。貴様がわざわざ飛ばしたんだろうが」


「『試し』を受けてもらう事に変わりはない。だが、お前が素直に指示に従うと言うのであれば、その間は命を守ってやっても良いと、そう言っておるのだ」


 痛い所をついてきやがる。

 その条件を無視出来る訳、……ねーだろが。


「……どこまで信用出来る」


「騙すような事はせぬよ。そもそもがその必要も無い。信用出来ぬのならそれでも構わぬが、それで困るのは私では無いな。……どうする?」


「……分かった。頼む」


「約定は守ろう」


 ここは、……堪えるしかない。

 手も足も出ない事実から目を背けた所で、事態が好転する訳でも無いのだから。


「……という次第だ。安心してまかせよ」


「よろしくお願いいたします」


「悪いようには、せんよ」


 セルアザムが深々と賢者に頭を下げる。


 ……この二人、どういう関係なんだ?

 何だかセルアザムの方が賢者に遠慮しているようにしか見えない。


 ふと浮かんだ疑問を考えていると、ふいに周りの風景がガラリと変わる。


 木立の間の開けた場所にいたハズなのに、一瞬の内にどこか、洞窟の中のような苔むした岩場に囲まれた場所へと移り変わっていた。

 側にいたセルアザム達の姿もそこには無い。


「……なっ!?」


「今は他の者に用は無いのでな。心配するな、元に戻したに過ぎん」


 賢者は言いながら、奥に向かって離れていく。

 よく見ると奥には石造りのテーブルのようなものが置かれていた。


 ……何だ? ここは。


 生活感というには味気無さ過ぎるが、明らかに手を加えたであろう彫刻のようなものも、そこかしこに見られる。


 相変わらず動けないままの俺に賢者が振り返える。


「では、始めようか」






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