♯118 最奥の賢者
突然、背中で大きく気配が動いた。
「あ、しまっ……、あがっ!?」
動けないでいるすぐ後ろで、ドサッと地面に倒される気配と音がする。
今の声は、……ベルアドネ!?
どうにか視線だけでも振り返れないかと踏ん張ってもみるけど、やっぱり身体に力が入らない。
「あぐぅっうふっ!?」
くぐもった声がすぐ後ろの足元で聞こえる。
──ベルアドネっ!
ってか、動けるのっ!? なんでっ?
助けてくれようとして下手こいた?
この空間で動ける味方がいる事は心強いんだけど、どういう状態になっているのかがさっぱり分からない。
ベルアドネの様子が気になる。
酷い怪我とかしてないといいけど……。
「……幻魔の者か。なるほど、お前達であればこの空間でも動けよう。だが暴れるな、悪いようにはしない。ただこの人間の娘を一人殺すだけだ」
私には物凄く悪いんですけど、……それ。
「レフィアからっ、手を放しやーせなっ!」
「悪いが聞けぬ。憂いを残す訳にはいかん」
後ろを振り向けないのはもどかしいけど、ベルアドネが無事な様子でホッとする。
もしかして、さっきのアレをやられたんだろうか。……アレが何をされたのかは分からないけど、そうとう気持ちの悪い事である事は確かだ。
何だか口振りから察するに、ベルアドネをどうこうする気はない?
それならそれで、幾何かの安堵を感じもするけど……。
私は多分、別なんだよね?
理由はともかく、特別扱いに頭も下がる。
こんちくしょーめが。
自分の身ぐらいは自分で守りたい。……けど、身動ぎ一つ出来ない今の状況ではそれも難しい。
……。
……。
あれ? 限りなくヤバい状況じゃね?
「恨むなとは言わぬ。だが諦めろ」
……理不尽すぎる。
無茶にも聞けるものと聞けないものがある。
聞けない無茶を大人しく待つ気はない。
がぅっ!
ほぉうっ!
とぉりゃぁぁあああっ!?
……あぐぅ。相当ヤバい。
気合いだけは十分あるんだけど、動かないっ!
首筋を掴んだ手にヤバそうな力がこもる。
ふぬぬぬぬぬぬぬっ!
おんどりゃーっ! ちぇすとぉーっ!
ふんぼぉりぁぁああああーっ!
う・ご・け・ぇ・えええええええっ!
全く微動だにしない手足を、それでも何とか動かそうと足掻いてると、目の前で突然、大きな力の塊がまるで爆発したかのように膨れ上がった。
一瞬、誰かの魔力かとも思ったけど、感じる力の質が魔力のそれとは何かが違う。
力強い、どこか安心する類の力……。
「レフィアっから……、はな……、れ、ろっ!」
……魔王、様。
力の中心にいたのは、魔王様だった。
時間の止まった空間の中、身体から魔力とは違う何か大きな力を吹き上がらせながらこちらを睨みつけている。
身体中を縛り付ける見えない楔を引きちぎるかのように、手足にこめられる力の密度がぐんぐんと濃くなっていくのが分かる。
小刻みに震えながらも歯を強く食い縛り、少しずつ前へ前へと進み出る魔王様。
首筋に当てられている手に、明らかな動揺が生まれる。
「……これは、……闘神、闘気?」
……闘神闘気?
魔王様から沸き上がるあの力の事だろうか。
魔力とはまた違う、別の何かを強く感じる。
「……俺の目の前でっ! レフィアにっ、手は、出させんっ!」
魔王様……。
魔王様の姿から目を離せないでいると、背後から呆れを含んだ呟きが聞こえてきた。
「アスラの子か。……力技にも程がある」
……ん? あれ?
呆れの中にもどこか温かみ感じる。
努めて感情を抑えてたかのようだったのに、言葉の中にチラリと感じる感情に違和感を覚えた。
この人、……誰? どういう人なの?
「この空間の中でも動けるのはさすがだが、まだ未熟に過ぎる。力の使い方を知らぬのか」
「やかましいっ! すぐ叩きのめしてやるから待ってろっ!」
……考えてみたら、どういう空間なんだろう、ここ。
時間が止まっているように見えるけど、単純に時間が止まった空間という訳でもなさそうに思える。
ベルアドネや魔王様も動けるみたいだし。
魔法的な何かが構築されているようにも感じない。
……結界とも、何かが違うような気がする。
考えろ。
まずはよく考えるんだ。
女神の加護を持つ私には毒も薬も効かない。
よく分からんけどそういうものらしい。
だとすると、何らかのマイナス的要因を持ってこの状態に縛り付けられてるという事も、考えづらい。
時間が止まっているかのように見えて、結界に閉じ込められてる訳でもなく、何らかの強力な魔法で縛り付けられてる訳でも、毒を盛られた訳でもない。
……。
何のこっちゃやら。
何をどうすればこんな事になるんだ……。
「真正面から素直にぶつかる愚直さは嫌いではないがな。もう少し慎重さも覚えよ。そこの姫夜叉の娘のようにな」
リーンシェイドっ!?
力任せに束縛を振り切ろうとする魔王様にばかり注意がいってしまっていた。
リーンシェイドもまた、この空間の中で姫夜叉モードに転身し、こちらの様子に対して身構えていた。
リーンシェイドも動けるのか……。
やっぱり何かコツがあるな、これは。
「満足に動けぬだろうに。それでも虎視眈々と機を狙うその強かさは悪くない。相手に気づかれぬように殺気を抑える事が出来ればさらに良かったのだが、その若さからすれば十分に上出来な部類ではある」
もはや誉めてるようにしか聞こえない。
しかも上から目線で助言までしちゃって。
なーんか、私と魔王様達に対する態度とで、だいぶ隔たりがあるような気がするんだけど。
これ、気の所為とかじゃ、ないよね。
「……賢者殿。お戯れも程々になさりませんか」
殺気と怒気がこもる場に、抑揚を押さえた低い声でセルアザムさんが一歩前へと進み出てきた。
やっぱりというか、当然の如く、セルアザムさんもこの空間で普通に動けてるっぽい。
「アスラの子に幻魔、姫夜叉の娘か。希少種ばかりをようも取り揃えたものだ。……久しいな。とっくにどこかで野垂れ死んでおるかと思ったが、まだ生き永らえておったか」
……賢者、殿?
おいこら。
この人が、私達が会いに来たっていう『最奥の賢者』さん?
何かのっけからえらく険悪なんだけど。
私なんか殺すかとまで言われたよね。
「面目もなく、生き恥を晒し続けております」
「それで? これはどういう事か。アスラの子らはともかく、何故『器』をこのように放っておく? 見ればすでに印もある様子。……少し、迂闊に過ぎぬか?」
『器』って、もしかしなくても私の事かな?
一人だけモノ扱いされてる気がしないでも無い。
この待遇の悪さには一言文句を言うべきだろうか。
……喋れれば、だけど。
「なればこそ、お力添えをいただきたくこうして参りました。過ちを再び繰り返さぬ為にも、どうかお力を、お貸しいただけませぬか」
「……力を貸して何とする?」
「今度こそ、過つ事なく抗ってお見せいたします」
うーん。
話が見えてこない。
うぉおおおおーっ。
もどかしいっ!
もどかし過ぎるーっ!
私にも何か喋らせろーっ!
最奥の賢者に会う為にここに来たのは、魔王様との婚儀の進め方を教えてもらう為だったハズ。
要点を得ないけど、何だか婚儀や慣習を教えてもらうとか言う雰囲気じゃ無い。
「……以前はアリシアに救われたのだったか」
ふいに出た名前にピクリと反応してしまう。
それはセルアザムさんも同じ様子だった。
アリシア。
アリステア建国の礎になった、初代聖女様。
賢者の言うアリシアと言うのがその初代聖女様の事だと、何故かすぐに確信めいたものを感じた。
聖地で見たあのアリシアさんの肖像画。
セルアザムさんの持っていたペンダント。
魔王城の一角で育てていた、……バラ。
やっぱりセルアザムさんは初代聖女様を知っている。
……そしてそれに、この賢者も関わっている?
「救われたその命を惜しむでもなく、再び足掻くか」
「是非もございません」
「……この『器』をここで殺せば、それで済む話であろう。何故そうまでして拘る」
「それを私が見過ごせるかどうか、すでにご存じにあられると思っております」
「情でも移ったか。らしくも無い」
「情ではございません。決して譲る事の出来ぬ義にございます」
やっぱり私の事を言ってる。
多分福音の事を言ってるんだって事は何となく予想がつくんだけど、それ以上の事はさっぱり分からん。
浅からぬ因縁があるらしいのは感じるけど。
何のこっちゃさっぱりだ。
……でもただ一つ。
この賢者さんに会いに来た理由は、聞いてたものと違うってのだけは分かった。
何でそんな騙すような事を……。
そうまでして私達をこの賢者さんに会わせたかった?
……何故?
……。
……。
これ、セルアザムさんに聞かないといけない事がどんどん増えていってるよね。
はてさて。
チラリと目線をずらしてリーンシェイドにアイコンタクトを送る。魔王様は未だぐぬぬって頑張ってるし、ベルアドネは視界の外にいるっぽいから、合図を送れるのがリーンシェイドしかいないからだけど。
……無理だった。
賢者さんの動向に物凄く集中してるからか、私からのアイコンタクトに全く気づいてくれない。
……あぅち。
「それだけのものが、この『器』にあると?」
「そのように確信しております」
大切なのはタイミングだよね。
こうなったら、何とか自分で……。
「……ならば、試してみるか?」
「何をなさるおつもりですか?」
……ん?
……何かやらされるの?
試すって言っても試食とかじゃないよね。
痛そうな事なら是非とも拒否権を。
そーっとバレないように、タイミングを伺う。
「この森は長い年月をかけて少しずつ、迷宮化が進んでいてな。道理さえ心得ておれば、こういう事も可能になる」
賢者さんがそう言うと、目の前の空間の一部分がぐらーっと揺らぎはじめた。このおかしな空間と違って、明らかに異様な魔力の流れを感じる。
触るな危険ってどこかに書いてありそう。
「意図的に発生させた転移トラップだ」
触ったらあかんヤツやん。
「賢者殿! 何をっ!?」
賢者さんは私の首根っこを掴んだまま、ずずいと転移トラップへと踏み出す。
「その身一つでこの森の最深部にまで辿り着けるかどうか、それを以て試しとする」
……っここだ!
ぐいっと腕に力が込められる瞬間、咄嗟に両腕で賢者の手を掴んで勢いよく身を沈める。
「……なっ!?」
不意を突いて、賢者の手から逃れる。
すかさず身体を捻り、地面を転がるように距離を取る。
「……そういうのは、お断りしますっ!」
「間の空間で、何故お前が動けるっ!?」
間の空間って言うのか……。
何だかよく分からんけど、動けてよかった。
ヒントは幻魔ならって言ってた事。
幻魔一族の特性と言えば、亜空間収納と幻晶人形。
亜空間収納はよく分からんけど、幻晶人形の方は確か魂を身体から切り離して、それで動かすって言ってたのをよく覚えてる。
魂と身体を切り離すって、ようは幽体離脱みたいなもんだと思う。厳密には違うのかもしれないけどもしそうであるのなら、私はその幽体離脱を以前にもした覚えがある。
今一つ記憶が朧気ではあるけれど、どこかであれは夢では無いと確信めいたものがあるのも事実で。あの時は確か、初めて感じる自分の魔力に身も心もどっぷりと委ねていた。
砦で魔力を目一杯引き出した時の事だ。
同じように自分の魔力に集中して、そこにどっぷりと浸かるように念じてみたら、あら不思議。
幽体離脱は出来なかったけど、どうにか身体が動くようになった。
それがどういう原理なのかは後で誰かに聞くとして、身体が動くなら動くでどうにかしようもある。
何ごともやってみるもんだと実感する。
自由に動けるようになってはじめて、ずっと真後ろに立っていた賢者の姿を真正面に捉える事が出来た。
……中背の女の人、だろうか。
闇色のローブを目深に被ってて顔がよく見えない。
スラリとした身体付きは男の人のそれとは違うように見えるから、やっぱり女の人で間違いないと思う。
何で私にだけそこまで敵対的なのかは知らないけど、そっちがその気なら力づくでその理由を問い質してやる。
ヤられっぱなしは性に合わない。
賢者さんから飛び退いて距離を置き、ガッと地面を踏みしめて立ち上がった所で、突然後ろから大きな衝撃を受けた。
「……えっ?」
「……あっ!」
堪えきれずに振り返りながら前へとつんのめると、酷く驚いた顔をしたリーンシェイドと目が合った。
リーンシェイドもまた、一瞬の隙を見逃さずに飛び込んできていたのだと直感で分かった。
……アイコンタクトが通じなかったのが悔やまれる。
折角動けるようになった所だったのに……。
バランスを崩して踏ん張る事が出来ないまま、目の前にある歪んだ空間の中へと身体が落ちていく。
「レフィア様ーっ!?」
「レフィアーっ!」
リーンシェイドと魔王様が叫んでるのが聞こえる。
どうする事も出来ないまま、私は転移トラップの中へと飛び込んでしまった。
……。
……。
……誰か嘘だと言って欲しい。
マジですか、……これ。




