#111 思い出との決別
控えの間で一人、魔王様の来訪を待つ。
大事な話があると言われてしまった。
確かに、大事な話に違いない。
……うん。覚悟はもう決まっている。
マリエル村にも別れは済ませてきた。
両親にも、ちゃんと思いを伝えられた。
だから、……大丈夫。
道中リーンシェイドやベルアドネにも、何だか気を使わせてしまったようで申し訳なく思う。
スヴァジルファリと言うのだそうだ。
何でもあの有名なスレイプニルの原種で、とても珍しい種類の馬なんだとか。幻獣の一種なのだそうだけど、六本足の馬なんて生まれてはじめて見た。
世の中変わった生き物がいるもんだ。
帰りの道中、野生のスヴァジルファリを偶々見つけたベルアドネは、見事な手際でそれを捕獲して見せた。綺麗な顔した変態だけど、やるときゃやる。
例え野生の馬であっても、得意の傀儡術を使えば調教いらずですぐに使役出来るのだそうだ。捕らえたスヴァジルファリを馬車に繋ぎ、一気にすっ飛ばしてくれたのは、多分落ち込んでた私を元気づける為だと思う。
あれでいて、意外に情が深い所がある。
……残念な所の方が多いのが難点なんだよね。
結局そのスヴァジルファリのおかげで、あっという間に魔王城まで戻ってくる事が出来た。
ばるるん達を置いて来る形になってしまったけど、あっちはあっちで、ゆっくり帰ってくる事になっている。思いの外長い滞在になってしまったから、帰る時ぐらい、ゆっくり帰ってきてもらえればそれでいい。
思ってたよりも気分が落ち込んでいたらしい。
スヴァジルファリの疾走のおかげで、だいぶ気分も晴れたような気がする。あれは、……気持ちが良かった。
木立も藪も、小山も川もあっという間に置き去りにしてしまう爽快感。ぐんぐんと流れていく景色にぱぁーっと心も踊った。
聖都で聖女様に言われた事を思い出す。
私が魔王様に、望む答え。
私は、魔王様にどんな答えを望んでいるのか。
今ならそれは、はっきりと分かる。
私は、魔王様にマオリを重ねていたんだと。
魔王様がマオリであって欲しいと望んでいた。
マリエル村で一緒だった、幼馴染みのマオリ。
いつも一緒に遊んでいた、マオリ。
ある日突然いなくなってしまった……、マオリ。
私は、マオリが好きだった。
自分でも気づかない位に幼い恋心だったけど、私はどこかで、マオリが戻ってくるのを待ち続けていた。
……その事に、気づいてしまった。
だけど今は、魔王様の側にいたいと思う自分がいる事も、強く自覚してしまっている。
マオリと魔王様。
私は勝手に、魔王様にマオリを重ねていたんだ。
それがどんなに自分勝手な事かも知らずに。
私は魔王様がマオリであって欲しいと、願っていた。
魔王様がマオリなのかどうか。
それを確かめる事が出来なかったのは、怖かったからなんだと思う。その返事を聞く事が怖かった。
魔王様にマオリであって欲しいと望む私は、魔王様自身の事をちゃんと見ていないんだって事に、気づいてしまった。
魔王様自身の事をちゃんと見ているのならば、魔王様がマオリであるかどうかなんて、関係ないハズなのだから。
私は魔王様の事が好きだ。
魔王様がマオリかどうかに、関係なく。
魔王様がマオリだったら、どうするのか。
魔王様がマオリじゃなかったら、……どうするのか。
……どうもしない。
どうにもしようなんて、ないんだ。
今はそのどちらの答えも、望んでいない。
だからこそ余計に、聞く事なんて出来ない。
逃げていたんだと思う。
自分の中の魔王様への気持ちから、逃げていた。
マオリの事が好きで、魔王様の事も好きで。
そんな節操なしの自分が認られなくて。
どちらかを選ぶのであれば、どちらかの思いと決別しなくてはならないという現実から、逃げたくて。
決めなくてはならない事が、怖かったんだ。
「……つくづく身勝手。……だよね」
だから私は、決めた。
私の選びとる道を、自分で。
これから自分がどうするのか。
何がしたいのかを考えた上で、決めたんだ。
もう、逃げたりなんか、……しない。
逃げるべきではない。そう、思うから。
ガチャリっと音を立てて扉が開かれる。
その姿を確認して、我知らずと身体が強張ってしまうのが分かる。柄にも無く緊張してるんだと自覚すると、不思議とますます身体が強張ってくる。
やっぱり怖い。
でも、……言わなきゃ。
「……魔王様」
私から声をかけようとして、止められてしまった。
魔王様は片手を上げて私の言葉を止めると、部屋の真ん中のテーブルに座るように促した。
……魔王様の落ち着き様がムカつく。
何だか私だけが気持ちがたかぶって焦っているかのように見えるのも、……気に入らないっちゃ、気に入らない。
普段は挙動不審が目立つのに、こういう時にはちゃんと落ち着いてられる魔王様が恨めしい。……がぅ。
聖都から戻ったらちゃんと返事をすると、そう約束していたんだから、今から何の話をするか分かってるだろうに。
随分と落ち着いてるように見える。
まさかその約束を忘れてるなんて事も無いだろうから、その余裕は、私がどんな返事をするのか分かりきってるって事何だろうか。
……バレバレだろうしな。
色々やらかしちゃったし。
……。
沈黙が重い。
これは、……あれかな?
返事なんて分かりきってんだから、とっとと言えっていう無言の圧力なんだろうか。
くっ……。
そりゃそれなりに覚悟は決めたし、その通りに返事をするつもりでもいるけど。そうやって見透かされてるかと思うと何だか面白くもない。
面白くもないけど、『お前の気持ちはとうに知っている』なんて言われた日には負けた気分になりそうだ。
言うならせめて、こっちから言うべきか。
「……お前に、言わねばならん事がある」
っほわ!?
「……私もです。私も魔王様にお伝えせねばならない事があります」
「その……、何だ。つまり、……あれだ」
……びっくりした。
先に言われるかと思って、とっさに返してしまった。
やっぱり、バレバレか。
そりゃそうだよね。
水差しから水を汲んで飲んでるし……。
余裕見せてくれてからに。
こっちなんかガチガチだってーのさっ!
……はぁ。緊張する。
「……レフィア」
「はい」
「レフィアは、俺が……、その、……嫌いか?」
……。
……。
はい?
何を……、言い出すかと思えば。
いきなり何を聞いてんだか。
嫌いならこんなに悩んだり緊張したりなんか、する訳ないでしょーが。見て分からんのかい。
見て……。
……。
分からんわな、そりゃ。
まだ何も、言ってないんだもんね。
言わなきゃ何も、分かる訳ない。
そりゃそうだ。
ふっと、力が抜けた気がした。
そりゃそうだ、まだ私は何も言ってない。
言わなきゃ分からないのは、誰だって一緒だ。
そんなの、当然なのに。
だから私は、ちゃんと返事をするって決めたのに。
あれこれ考えて、勝手に緊張して。
まだ何も言ってないし、伝えてないのに。
そりゃあ魔王様だって、不安にもなるよね。
魔王様もそれなりに緊張しててくれてるんだと思うと、何だか少し、ホッとする。
「嫌いな訳、無いじゃないですか」
「……そ、そうか。そうか。……そうだな」
「好きですよ。魔王様の事」
「あぁ……、そう、だな」
思ったよりも自然に言えた。
うん。……大丈夫、大丈夫だ。
「今、何て……」
席を立ち、魔王様にかしずく。
座ったまま言う事でもない。
ちゃんと深々と頭を下げ、はっきりと伝える。
「魔王様からの求婚を、お受けいたします」
覚悟は決めた。
これが私の、選んだ答えなのだから。
「未だに未熟な身ではありますが、どうか御身のお側に、いさせていただけるようお願い申し上げます」
胸を張って、顔を上げて、そう言える。
私は、魔王様を選びます。
魔王様の側で生きる事を、選びたいんです。
……。
ごめんね、マオリ……。
ずっと、ずっと好きだったけど。
私は、魔王様を選びます。
マオリを選べなくて、ごめんなさい。
自分の気持ちに気づけなくて、ごめん。
……馬鹿な私で、ごめんね。
でも、ずっとずっと、好きだった。
本当に、好きだったんだよ。
ごめんね、……マオリ。
……ごめん。
知らず、頬を涙が伝った。
言ってしまった。
これで、伝えてしまったんだ。
自分の気持ちと意思を、魔王様に伝えた。
私は、魔王様を選んだんだ。
他の誰でもない、自分の意思で。
マオリへの思いも。
マオリとの思い出も。
自分の意思で絶ち切らなくてはいけない。
「……これが私の、返事です。覚悟は、決めました」
もう、振り返らない。
魔王様にマオリを、重ねたりもしない。
そこまで情けない自分にはなりたくないから。
本当に好きだったマオリに、申し訳無いから。
「……分かった。よくぞ受けてくれた。心より、嬉しく思う」
「……よろしく、お願いします」
魔王様はつとめて抑揚を押さえた声音で応じてくれた。
改めて、深々と頭を下げる。
これで、いいんだ。
これで……。
泣くべきでは無いのに。
ここで泣いてはいけないのに。
後から後から涙が溢れてきて、そのまま顔を上げる事が、どうしても出来なかった。
自分で選んだんだから、泣く資格なんて私にありはしないのに。涙が、止まらなかった。
魔王様が何も言わずに席を立つ。
そしてそのまま、部屋を出て行ってしまった。
……気を使わせてしまった。
本当に、本当に申し訳もなく。
……ごめんなさい。
ごめんなさい、魔王様。
ごめんなさい、……マオリ。
こらえる事が出来ず。顔を上げる事さえ出来ないまま、私はその場に泣き崩れてしまった。
覚悟を決めたつもりだったのに。
気持ちに整理をつけたつもりだったのに。
私は……、泣き崩れてしまった。
魔王様の、前で。
……ごめんなさい。
こんな情けない自分で、……ごめんなさい。
「……レフィア様っ!?」
魔王様が退出してしばらくしてから、リーンシェイドが部屋の様子を確認しに入ってきた。
部屋で泣き崩れる私を見て、すぐに側まで駆け寄ってきてくれる。
「どうされたのですか? 一体、何が……」
心配してくれる気持ちがありがたくて、でも、自分勝手な事で泣いてしまった自分が申し訳なくて。
それでも、誰かに側にいて欲しくて。
私は手を差し伸べてくれたリーンシェイドにすがって、声を上げて泣いてしまった。
「……レフィア様」
魔王様にもマオリにも、リーンシェイドにも。
申し訳ない気持ちでいっぱいで、勝手な自分が情けなくて。涙を止められないまま、まるで懺悔をするかのように、私はリーンシェイドに事情を話した。
魔王様からの求婚を受けた事。
幼馴染みのマオリの事が、ずっと好きだった事。
マオリへの思いを絶ち切って魔王様を選んだのに、魔王様の前で泣き崩れてしまった事。
こんな情けない自分で申し訳なく思うと……。
言うべきではなかったのかもしれない。
自分の中に、しまいこんでおかなければいけない事だったのに。気持ちを吐露する事が、止められなかった。
こぼれる言葉を、飲み込む事が出来なかった。
一つ一つ事情を説明するたびに、リーンシェイドの表情が厳しいものへと変わっていく。
底冷えのする冷たい怒気をまといはじめていた。
私の身勝手さに、怒ってるのかもしれない。
仕方ない、……よね。
呆れられても、仕方ない。
怒るのも、当然だ。
「……それで陛下からは、何と?」
「……私が突然泣き崩れてしまって、そのまま出て行かれちゃって。……呆れられちゃったかな、さすがに。……ごめんね。情けないよね、ごめん」
「そうですか。陛下は何も言わずに。……何も言わないまま出ていかれたのですね。……そうですか」
「……リーンシェイド?」
最後にそう確認すると、突然ぎゅっと、リーンシェイドに抱きしめられた。
何だか怒っているようだったのに、それでも抱きしめてくれる事が嬉しくて、肌の温もりが心地よくて。私はそのまま、リーンシェイドの温もりに寄り添った。
「呆れ果てて言葉もありません」
「……だよね。ごめん、リーンシェイド」
「レフィア様の事ではありませんっ」
「……へっ? って、えぇっ!?」
気づけばいつの間にか、リーンシェイドは姫夜叉モードになっていた。
凍りつくような赤い冷気が、怒気を孕んで沸き上がる。
「レフィア様は今夜はどうかお休み下さい。旅の疲れもございます。私は、急な用事が出来ましたので」
「……えっと、ごめん。……どうしたの?」
「ご安心下さい。命までは取りません」
「……はい?」
白一色の中に、血のように赤い瞳を鋭くギラつかせて、リーンシェイドがスッと立ち上がった。
何か知らないけど、リーンシェイドが怖い。
そしてそのまま、リーンシェイドまで部屋を出て行ってしまった。
……何が、どうした。
訳の分からないまま、部屋に取り残される。
鬼姫様の怒気に当てられたのかもしれない。
いつのまにか私は、泣き止んでいた。




