第1章 第66話 序章 愛を語るに至るまで⑤
何かは分からないがその朝は胸騒ぎがした。
何かが起こる予感、悪い予感が五感を刺激する。
このような悪い虫の知らせはたまにあった。
それは悪夢のような形であった。
それは頭痛のような痛みで表さてれいた。
些細な痛みやきっかけがあったが、全ての虫の知らせに共通することがあった。それは嫌な気分だ。
今回はその嫌な気分が全面的に押し出されていた。嫌悪感や吐き気を覚える程に、細胞が、体がそっちに行くなと言っているようなものだった。
これを悪い知らせだと捉えるのなら今回は、──相当厄介な戦いになることを暗示しているのだろう。
──だがそれ以上に、今回のこの感じ、何か異端な事が、俺達が予期していない事が起こるかもしれない。
装備を揃え、俺達は万全を期してとまではいかないが、戦力としては申し分ないチーム編成をした。
目的に沿った鋭敏に動けるメンバーを揃えた。
今回の目的はあくまで偵察。直接的な戦闘は向こうが仕掛けてこない、もしくは此方を取り巻く状況が悪化した場合のみ。
万全を期していない状態で得体の知れない司教と対峙するのはデメリットでしかない。
このパーティの全滅だって有り得る。
無駄な戦いはよし、安全で且つ出来る限りの情報と、地形把握、そして結界の包囲網の情報を限りなく正確に知ることが今回のキーポイントになってくる。
万が一に備えて街に戦力を残しておきたかったが生憎人員が少ない、やろうにも此方で手一杯だ。
「小隊編成の方がいいとはいえ、もう少し人手が欲しい所だ」
「一人倒れただけでこのザマじゃねぇ、私も少し考えないとなー」
「す、すまねぇ⋯⋯」
「別にハルを責めてるわけじゃねえよ、そう思うんだったら早く治してくれよ」
「お、おう⋯⋯」
俺はハルに近づく、小声で──
「⋯⋯それに何か悪い予感がする、悪いがもしもの時があったら──」
「そんときゃ任せろ、雑魚相手だったらこの体でも十分だ」
安心出来る返事を返してくれた。
「⋯⋯助かるぜ」
「そんじゃ、行ってこい相棒。生きて帰ってこいよ」
「ああ、勿論」
各々が準備を終え、第一のミッションの扉を開く。
森へ向かう道中、俺はふと頭の中にこれがウィル・ファミリアとしての初めての任務だということに気がついた。
「ん、そういえばこれが初めてじゃないか、ウィル・ファミリアとしての任務」
「? 宝石龍は?」
「あんなもん任務に入るかよ、プライベートだプライベート」
「プライベートであんな思いしたかねーよ⋯⋯」
シフォンが愚痴る。
「なーんか魔導騎士団って名乗ってる時より見が引き締まるな」
「同感、なんか本当に冒険って感じ」
シフォンが惚けている間、俺と美穂は初めての冒険隊として活動する事に胸を踊らせていた。
とは言っても流石に細心の注意は払っている。
周りの気配を感じ取れるように五感を過敏に働かせる。
神経も尖らせ、如何なる奇襲にも対応出来るようにしている。
「む、でかい岩⋯⋯」
「俺が見る、美穂達は周りの警戒を」
視界が悪い森や、巨大な岩の裏等はしっかりとクリアリングしてハンドサインで知らせる。常識の範疇だ。
生き残るため、敵に主導権や此方の情報を知られないため、このような知識は必要不可欠。ましてやここは敵のアジト付近、何があるか分からない。
「いつも通りだ、ハンドサインがあるまでは動くなお前等」
「おーけーってかあいっかわらずの信用のなさね」
信用のなさというかこれは当たり前の行動だ。
敵に変装のプロがいて見分けがつかなくなり小隊を潰されるってことはよくある。
それに危険な地域になってくると森自体が幻覚を見せてきて危険な植物を味方と思わせおびき寄せ食う、そんな事をしてくる。
敵だけでなく味方も信用しない。
安堵は一瞬の判断を反応を鈍らせる。勿論美穂も承知。以前にハルが「疑うんだったら合言葉みたいなのが作ればいいじゃねーの?」と論外の発言をしてきた。
合言葉なんぞ聞かれたらおしまい。もし敵にバレてしまった時、合言葉を作ってる連中はそれだけに便っている。故に疑わなくなる、そして殺られる。
──パーティとして仲間を思う事は大切だ、ただ、思いすぎていると守るものも護れなくなる。真に思うのなら疑え。
冷たく俺はハルにそう言い放った。ハルは何か奥歯を噛み締めるように何かに耐えるように押し黙った。
──持論ではあるが暴論では無い、ハルには歯痒さが残ってしまっているがそれでも誰かを助けられるのなら感情を押し殺してでも従って欲しい。
「っ──」
思い出すとこっちまで歯痒くなってくる。
そんな事を考えていると何か音が聞こえた。俺は近くに身を潜めると合図を送った。
美穂とシフォンは静かに木陰に身を潜める。俺は別方向に身を潜める。
俺は聴覚を最大限働かせる。
(誰が何を言っているんだ⋯⋯?)
「────ぅ」
(ん?)
「──始めましょう」
それは聞き覚えのある声だった。戦慄に背筋が凍り、悪寒が走った。
弔いの狂人のねっとりとした気味が悪い声がする。
その瞬間俺は悟った。まずい、何かが起こると。
なにが起こるか、それを知るためにもっと聞き入る。
美穂とシフォンには臨戦態勢をとってもらった。
「さあ始めましょう!」
元気よく、見てはいないが笑っているのが分かる。
「賽は投げられた、我らはあの御方の意志に従うのです、楽しい宴の始まりですゥゥゥゥゥゥゥゥウヴ!!」
相変わらずの狂いっぷり、思わず顔を歪めてしまう。それ以上に賽は投げられたとはどういう意味だ?
何が起こる? いや何が起こってる?! 狂乱に叫ぶ司教は次の台詞に俺達の戦う意志を与えた。
「さあ! 始めるのです! あの街、ゴラフを破壊するのです! それがあの御方の意志! 我らの総意! 弔いを、我が手に全ての弔いをォォォォォォオオ!!」
「美穂! シフォン! 迎撃だ! 赤い狼煙を上げろぉ!」
「シフォン!」
「分かった!」
急いでシフォンは赤い狼煙を上げる。
「奴らの目的は街の襲撃! 美穂とシフォンで降りていく下っ端を向かい打ってくれ!」
「了解! 志龍は?!」
「やるべき事がある」
それだけ伝えると美穂とシフォンは追撃に向かう。
それでも何人かは街に入ってくるだろう、──ハル、任せたぞ。
美穂とシフォンを尻目に俺は場所へ向かう。
そこは断崖絶壁の崖の下の大きく開けた場所だった。
一人男がそこには立っていた。黒い喪服のような服を着て直立不動の姿勢を保ちながら此方を見据える。
俺は友達と遊びに行く時の待ち合わせ場所に着いた時みたいな声を出す。
「よぉ、司教さんよ待たせたか?」
こちらを見て彼はニタリと笑う。
「いえいえ、早急に来て下さって誠に感謝申し上げます、長旅ご苦労さまでございます」
全身全霊の笑顔で出迎えてくれた怠惰の司教に対し俺は目だけで笑って返した。
「御託はいい、それよりなんだ、随分と準備がいいじゃねーか」
「はて? たまたま貴方様がこられたのと被ったのじゃないでしょうか?」
「そうだとしたらとんだ悪運だな」
「全くもってその通りでございます」
お互い笑って、(笑)って、嗤った。
そんじゃあと俺は撥を構える。さっさと初めて終わらせるつもりだ。
「再戦でも始めようか」
「ええ、そのつもりでございます」
彼は死霊達を数百体出す。
──弔いが、死の舞踊が始まる。
だが俺はもうそんなもの聞きはしない、再戦は俺の学校の為、友人の為、仲間の為、──あいつの為。
──じゃあな、次は友達でいような。
俺の目の前で友と言ってくれた彼を。──もうあんな思いしたくない。もう鎮魂歌なんて聞いてやるかよ。
「悪いがもう鎮魂歌は聞かねえぞ?」
「そうでございますか」
「奏でる前に終わらせてやらぁぁぁぁあ!!」
狂人は口が裂ける位大きく天を眺めながら笑う。
「さあ! さあさあさあさあさあさあさあさあさあさあさあさあさあさあさあ!! 始めましょう! 戦慄に鮮明に繊細に! 語るよりも騙るが早し! 我鎮魂歌をどうかお聞きになられて下さい! 弔いが! 同胞たちを我が弔いで導くのです! さあさあ! 始めましょう! 我が罪への弔いを!」
「勝手にやっていやがれ!」
「うるァァァァァァァ────ァァァ!!」
群衆の群れに少年はただ一人で突っ込んでいった。
敵は総数百を超える。対人外、加えて対多数戦。基本、音を中心に、最後に氷で再生させないようにする。だがやつはあれを持っている。
「うらァ! 1音 射音」
百を超える軍勢の前衛の一人を吹き飛ばす、周りにいた奴らの元に突っ込んでいき団子状態になる。
上に飛ぶ、まとめて狙い撃ちだ。
「1音 轟音」
音は死霊を押し潰す。
「今だ! 『絶対零度の領域』」
範囲魔法が全てを凍らせる。俺が出来る唯一の死霊対策だ。
そして後衛にも同じことをする。
「1音 轟音!」
──っ! 然し轟音の連発は腕に響く。腕の筋肉が音を立てて千切れていく感覚が襲う。
「そう連発は出来ねえか⋯⋯まあいい、そら『絶対零度の領域』」
死霊達を凍らせる。
「⋯⋯驚きましたね」
「ん? 何がだ、別にお前に一度手口は明かしてるだろ?」
「そうとは言いましても実際目の当たりしますとね⋯⋯我が弔いが通用しないとは」
ニタニタと笑いながらお世辞のように口にする。
その態度に少しイラついた。
「おいおい司教さん、弔いが通用しないって? 舐めたこと言ってんじゃねーよ、本気すら出してねえのに」
俺は続ける。
「出せよ手前の好きな弔いさんをよ、出さねえのならさっさと倒して聞き出すぞ、お前らが崇める神とやらとロベンの場所を」
先程までの薄ら笑いを止めて此方を睨む。
「──全く、なら見せてあげましょう」
地面に手を着く。地面が赤く染まる。
「一つ言っておきましょう、私のスキルはこれでは無い」
──スキル? 聞き慣れない言葉が聞こえた。
「今から見せるのはその余興、絶望の前兆」
それは神話に出てくる様な怪物たちだった。
漆黒の巨神兵、ケルベロス、紅き龍、そして──一人の青年だった。
「絶望なんぞ生温い、貴方に送るのはもはや弔いの言葉でもない」
青年は恐るべき速度で俺の懐に入った。
「──ッ!」
咄嗟にガードをしたが蹴りはその上からでも腹を貫いた。
「ガボァ!」
治癒の音を響かせる暇もなく巨神兵が、ケルベロスが、紅き龍が俺に襲いかかる。
「クソ! 4音 射音」
全力で繰り出した音ですら彼らの足を数秒止める程度だった。
──だがそこだ。
「1音 氷音」
打音の応用、内部に氷を巡らせ、数秒で身体機能は停止する。
だがそんなの通用しなかった。
死霊である彼らは青年に体を破壊してもらって自ら修復した。
下っ端の不死性なら不可能なことだがこいつらは最高位に値する死霊だろう。不可能では無い。
それをたった一人で相手にしろってか、──全く。
「どこのブラック企業だこんちくしょう」
状況は先程より一変して最悪。
敵の強さは未知数、恐らく一人一人がアダムス並だろう。
一人であんなに手こずったのにそれを五人も、はっきり言って無理難題に等しい。
──それでもやらなければならない。
──それでも諦めてはいけない。
──それでも前に進まなければならない。
何故?
「それ以上の無理難題に挑んでいるからだろ!」
最悪がどうした、そこは最悪であって最底辺ではないだろう。
なら立ち上がれるはずだ。──比にならない位の絶望を、苦しみを味わってきたのだから。
決意を固める。
ここまで来たんだったらやるしかない。
──もはや司教の呪いのことなぞ頭の中に入っていなかった。
俺は笑って絶望に挑んだ。




