第1章 第64話 序章 愛を語るに至るまで③
──推しというものをご存知だろうか。
『人やモノを薦めること、最も評価したい・応援したい対象として挙げること、または、そうした評価の対象となる人やモノなどを意味する表現。』
と辞書では書かれている。
昨今においてはジャンルにおいて同種のものでこれが一番好きという意味の捉え方もできる。
さてここで少しお話を変えよう、──性癖、それは人間の心理・行動上に現出する癖や偏り、嗜好、傾向、性格のことである。
簡単に言えば自分の好きな性格、体型そして顔など。例を挙げるなら「脇フェチ」など、フェチが典型的なものだろう。
さてここで志龍君の性癖を暴露しよう。
え? 志龍が泣く? んなもん目の前で土下座してる屑に人権なんて無いよ(ニコリ)。
志龍の性癖は──重度の猫っ子フェチだ。
──ああ、言いたいことは分かる。
何だその性癖はと。
私もそう思った、いやそう思わざる負えなかった。
初めて私に内緒で買ったエロゲに出てきたキャラに志龍は衝撃を受けたらしい。
「今までハマりきっていなかったパズルのピースがハマったみたいだ! ああ、いと尊し」
──などと部屋で一人で言っているのをバレないように見ていた時は幻滅というか、アニメの主人公がエロいお姉さんとキャッキャウフフしようとしてる所をヒロインが見て目の光が無くなる気持ちがわかった。
その後も部屋で「推しを汚すな、いや待て、これは尊ばれる行為では無いのか? 推しの幸せが⋯⋯嫌でもそんなの見たく──」と一人で自問自答したり「ラッキースケベって運だよな! そうだよな! やっぱゲームは運だね!」等と自分の信念とはとあの大馬鹿者に質問してやりたい位の発言をしている。
──今も聞いてもらったら分かる通り重度だ。
そのエロゲが成功しスマホゲーまで成り上がり、何と志龍の推しが期間限定の特別仕様で出てきた時は真顔であいつ貯金を崩した。
その信念だけには賞賛と拍手と軽蔑を送りたい。
お分かり頂けた通り志龍は猫っ子が大好きである。
だがその中でも好みがある。それを理解してもらった上で話を進める。
──まずい、事態は急を要する。
理解が先だ、この状況を瞬時に把握する理解力を美穂は求めていた。
目の前で大馬鹿者が土下座をしその眼前に居るものは──
(身長は160、体毛は薄く猫耳に猫目、顔は少しお姉さんぽい、おまけに喋り方まで──ッ! 何から何まで志龍の推しじゃない!)
──そう、まさにそれは志龍が求めた理想形。
現実にこんな子がいて欲しいという願望、理想が詰め込んだ姿だった。
勝てるわけが無い、もしこれからの冒険で彼女も一緒になってしまって本気で志龍のことが好きになったら絶対に負ける。
そう確信しすぐさま彼女を敵と判断した。
そしてそれと同時にその敵に情けない姿を見せている我チームの隊長を蔑む目で見て。
「ねえ、そろそろ立たない? それともこうして欲しいの?」
美穂が俺の上に座る。
「なっ⋯⋯何すんだ美穂」
「丁度いい椅子があった、座らないわけ無いでしょ」
ニコニコと答える美穂の笑顔の裏には殺意と軽蔑が入り交じっていた。
「一つ言う、俺は椅子じゃない」
「ん? 地べたに這いつくばっているのに椅子じゃないの?!」
「そんな驚くようなことかよ!?」
俺が美穂が座っているのをお構い無しに立ち上がろうとするといきなりもう一人座ってきた。
「にゃはは、面白いからうちも座るにゃ」
「美穂、俺は椅子だ」
凛々しく俺が言うと美穂は本気で蔑んだ目でこちら見る。
「変態」
「どストレートに心に刺さる!」
二人に降りるように促す。素直に降りてくれたことに俺は感謝した。
「さてと、何すんだっけ?」
「ふんっ!」
ボディにブローが飛んできた。先程から美穂の機嫌がなんだか悪い気がする。
俺なんかしたっけ? そんな疑問はそっちのけで呆れたように俺を見て──
「忘れたの? シフォンのナイフを打ってもらいに来たのよ」
あ、そうだった。
俺は猫っ子の彼女の方を見る。
「と、言う要件なんだ、打って貰えますかマドモアゼル」
人にものを頼む時は丁寧にと教わった知識をフル活用してお願いしてみた。
「志龍⋯⋯おめえここまで来ると俺でも少し引くぞ」
「はっはーハル、こいつもう見切りつけた方がいいんじゃない?」
「シフォンに同意」
三人の言葉なぞ俺は知らん!
「にゃははー、面白い人達だにゃーいいぞー!」
「ありがとうございます!」
「うむ! くるしゅうにゃい!」
交渉が成立して俺は後ろを向き笑顔でグッドするが然し、もう俺を仲間と見ていないのかその目に光はなかった、というかもはや俺を人と見ていないそんな気がしてたまらなかった。
「ガン、こいつら面白いにゃー!」
「ああ、さっき俺を賭博で負かしたとは思いたくもねえがな⋯⋯」
案内役のガンですら少し引き攣った顔をしていた。
「それより名前聞いていなかったな、俺は志龍」
「志龍っていうのか、よろしくにゃー、うちの名前は『ラン・アネモネ』だにゃ! 気軽にランって呼んでにゃー!」
「へぇ、綺麗な名前ね、私は美穂よろしくね」
「シフォン、よろしく!」
「俺はハル、そして隣にいるのがプレアって言うんだ」
「おーけーだにゃ! みんな覚えたにゃ!」
元気ハツラツで天真爛漫なその言動や行動が先程までの空気を少し和らげてくれた。
「よし、自己紹介も終わったところで仕事の話に切り替えるにゃ」
少し笑顔でありながらも真剣な表情へと変わっていった。
「作るのはハンドナイフでいいにゃか?」
「ああ」
シフォンが答える。
「前使っていたものは今あるにゃ?」
「一応あるが⋯⋯」
「貸すにゃ」
と、シフォンの折れたハンドナイフを渡すよう促す。
シフォンは鞄の中から丁寧に包装されたナイフを取り出す。
ランは「ふーむー」と唸りながら隅々までナイフを見る。
「にゃるほどにゃーいいナイフだにゃ、手入れも行き届いていて使い手がどれほど大切にしていたかがよく分かるにゃ、まあ折れた原因は老朽化だにゃ──」
少し語尾が濁った、一瞬表情が動きシフォンを見た。
ランは首を少し振ってその後ナイフを返した。
「大体分かったにゃ、おみゃーがどんなナイフを使ってどう切ってどう握っているのか分かったにゃ」
「え?」
今ナイフを見ただけだ、それでそこまで分かるのか?
「分かるにゃ、グリップのへこみ方の差、すり具合、そしてナイフの刃の形状、見て取れるにゃ」
流石職人といった所だ、素人では見ただけでわからない小さな差を見て取れるなんて、相当の技量が無いと出来ない芸当だ。
「さて、それで素材は?」
俺は鞄からクトュルフの鉄を取り出す。
「これで一本作ってくれ」
「ふーむどれどれ──ってぶふーーーッ! これ『クトュルフの鉄』にゃ!?」
語尾が変な感じのトーンになった。
「にゃ、にゃんでこれを!?」
「え、取ってきた」
「取ってきたってお前さんあそこには宝石龍が」
「「「「倒した」」」」
そう即答する俺達を目の前にしてガンとランは頭を抱える。
「なんだこいつら、どーいうことだよ」
「それはこっちの台詞にゃ、やばいちょっとガン向こうにある頭痛薬取ってくれにゃ」
すんごい驚かれている、俺らは顔を見合わせる。
「こんな驚かれるとはな⋯⋯」
「正直、私もここまでとは思っていなかったわ⋯⋯」
「おもしれーなー」
「早く作ってくれよー」
思い思いの感想を俺達も述べる。
そう言ってるとランは手を叩く。
「そうにゃ! あの憎き宝石龍がいにゃくなったってことはまた採掘が──」
「あーその事なんですがねー」
俺達は少し申し訳なさそうに顔を引き攣らせる。
──経緯を伝える。
「鉱山丸ごと凍らせた!?」
二人がそう驚く。
自分のした行為が少しやり過ぎたと思った。
「にゃははー⋯⋯ガンうちちょっと引きこもるにゃ⋯⋯」
「いやちょっとランさん!? それは困るよー!」
「困るってか、この状況についていけってかにゃ!? 頭おかしくにゃるわ!」
至極当然の反論をされて誰一人として止められるのもはいなかった。
「ま、まあ少し休むだけにゃ、すぐ戻ってくるし待っててくれにゃ、てかお前さんら止まる宿はあるにゃか?」
「あ」
そう言えば宿の事をすっかり忘れていた、この頃は野宿が基本だったが、なにせここは外で野宿するより危ない気がする、例えば身ぐるみを剥がされたり。
「大体想像してる事は分かるにゃ、うちに泊まっていくにゃ、少し離れに家があるからそこに泊まっていくにゃよー」
と言い残して一人扉の向こうに行った。
取り残された俺達はそこにただ佇んでいた。
ガンが申し訳なさそうに口を開く。
「んまあ、見た通りの天真爛漫だ、腕は確かだしクトュルフの鉄も加工する技術はある、しっかしお前さんら随分とパンチの効いた挨拶をしてくれるんだな⋯⋯」
ガンはため息混じりそう言った。
「すまんな、なんせ面子が面子だパンチの効いたやつらしかいねえ」
「はは、それもそうだな」
ガンはそう言って玄関の前に向かう。
「そんじゃ、案内役はここで終わりだ、またなんかあったら賭博場にいるし呼んでくれ、お前さんらには興味が湧いてきた、なんかあったら手伝ってやるよ」
「ああ、すまねえなまた頼むわ」
「いいってことよ」
そう言って手を振って外に出た。
俺達はそこら辺にあった椅子に腰掛ける。その瞬間皆疲労感を露わにする。
「しっかしまあ、椅子に座るとなんだこう疲れがドっとくるよな」
「同感、もーやばい寝そう⋯⋯」
「俺も⋯⋯志龍少し寝るわ」
「右に同じく⋯⋯」
三人が就寝の体勢に入る。
俺自身も疲れが溜まっているとはいえまだ眠気は無いが⋯⋯
「──もう寝やがった⋯⋯」
早くも三人は寝息を立てる。仕方が無い、数日かけての移動に俺や美穂に関してはゲームに、色々と神経をすり減らしたこの町、疲労感はピークに達している。
──────
「──って俺もそろそろやばいな⋯⋯」
眠気ではなく疲労によって瞼が落ちていく感覚がした。
──寝るか⋯⋯。
──目が覚めるとベットの上に俺はいた。
身を起こして辺りを見ると何の変哲もない部屋に俺と美穂がいた。
美穂はまた寝息を立てて気持ちよさそうに寝ている。
「ここは⋯⋯ランが言ってた所かな?」
ラン曰く、オンボロだと言っていたが、そんなことは無くむしろ少しレトロチックな木造の別荘みたいで中々にいい趣味をしていると思う。
「ん?」
──何か匂いがする、シチューの様な優しくも香ばしい香りが鼻を燻る。
匂いがする方に自然と足が向かう。
二階を降りて一階のダイニングキッチンの様な場所にたどり着く。
「お、起きたにゃか」
エプロン姿でシチューを煮込みながらこちらを見てきた。
「ああ、おかげさまでゆっくり寝れたよ」
「それは良かったにゃー」
俺は料理はそこまでなので手伝うことは出来ないから少しゆっくりさせてもらうことにした。
「また皿運びとかはやるよ」
「それは助かるにゃー」
──二人の空間というものは中々慣れていると思っていたが、流石に会ったばかりの人となると少しばかり居心地が窮屈というか緊張する。
「ランって獣人族なんだよな」
「そうにゃよー」
「んじゃあクレナさんやカグラって知ってるか?」
「んにゃ? 変な事聞くにゃーそりゃ当たり前にゃよ、二人を知らない獣人なんていにゃいにゃよ、志龍もしかして知り合い?」
「ん、ああそうだよ」
「へえ、また会わせて欲しいにゃ、一度でいいから見てみたいにゃよー」
余り興味を示さなかったがそれでも会いたいという気持ちはあるらしい。やはりあの二人の知名度はえぐいと改めて思った。
「⋯⋯」
──ふと思った疑問だ頭をよぎった。俺はこれを質問していいのか、それは疑問だがそれでも俺はこの問を答えてもらいたいと思った。
いや頭の中ではずっと引っかかっていた、──だからこそ聞く価値があるんだろう。
「なあラン──」
「聞きたいことは大体想像つくにゃ」
「⋯⋯」
「にゃんでうちがまだこのヘーパイストス一派を続けているかにゃだろ?」
「⋯⋯ああ」
「志龍は面白いし語ってもいいと思っていたにゃ、丁度いいにゃここに座るにゃ」
煮込みが終わったのだろう火を消してテーブルに座って俺にこっちに来いと手招きする。
そしてテーブルに着くとランは淡々と語った。
「うちはにゃ元々捨てられていたにゃ、──記憶にあるのは小さい頃の寒い夜、凍えそうになっているうちを助けてくれたのが師匠にゃ⋯⋯」
「元々ヘーパイストス一派は『うつけ者の集まり』と言われていたにゃ、それをここまでの仕上げてうちを、皆を育ててくれたのは紛れも無く師匠のおかげにゃ」
「──でも⋯⋯あの忌々しい事件が⋯⋯」
言葉が震える。
必死に涙を堪えている、だがその目には今にも零れ落ちそうに涙が溜まっている。
「師匠は⋯⋯」
「それ以上言わなくていい──」
俺はそこで制止した。
聞かなくてもわかる、それに苦い思い出を思い出させる苦痛を彼女に与えたくない。
──それでも彼女は語った。
「師匠は殺されたにゃ、あのくそ野郎共に──ッ! それからうちらは壊れていったにゃ⋯⋯」
表情は険しくも哀愁が漂っている。
「皆は辞めていった、ガンは頑張ってくれたけどそれでも最後は辞めていったにゃ」
そう言って少し下を向く。
「⋯⋯一人は嫌にゃ⋯⋯」
絞り出すようにそう口に出した。言葉は震えていて、それでも涙を堪えるように肩を震わせる。
「師匠は生前いっつも言ってたにゃ、「うつけ者の塊? いいじゃねーか、なんでかって? 塊って事は居場所があるって事だろ、作ってやりたかったんだよそれを! どんなやつでも受け入れられる場所を作ってやりたかったんだ! 最高の褒め言葉じゃねーか!」ってにゃ──にゃはは! 師匠らしいにゃ」
こっちを見る、笑顔になり俺に語る。
「うちはその場所を引き継いでいるだけにゃ、そして帰ってくる場所を作っているだけにゃ、これがうちがヘーパイストス一派を続けている理由にゃ」
変に重たい空気になってしまった。貰ったお茶を一口すする。
そして一つ決意を固める。
「ラン約束しよう」
ランは少し首を傾げながらこちらを見る。
「俺がヘーパイストス一派の仲間達を連れてきてやるよ」
「え⋯⋯」
決意を固めた。── 一人は嫌だ、この一言に俺は動かされた。
どこか似ている、始まりは一人で会ったこと、そして誰かに救われた事、自分に当てはめてしまった。
──だからこそ俺は救いたい。
お人好し? 知ったごっちゃねーよ、人を救いたい気持ちを持って何が悪い。
「必ずだ、俺が連れ戻して皆でヘーパイストス一派を再建させてくれよ」
「あ──ぇ──」
声にならない声を出し、俺をまた見つめ直す。
「⋯⋯出来るの?」
「必ずしてみせる」
「──なんでそこまでしてくれるの?」
「⋯⋯俺も同じだったからだよ」
今でも覚えている、雨の日に彼女に──美穂に救われたことを。
「誰も手を差し伸べてくれないそんな暗闇から助けてくれた人がいる、そこがさ、共感出来たんだよ」
「そ、それにさ⋯⋯」
言いにくいし俺が言うには烏滸がましいかもしれないがそれでも──
「皆でやった方がなんでもやっぱ楽しいじゃん」
──我ながらどうしようもないことを言っている気がする。思わず苦笑いをしてしまった。
肝心のランはと言うと──
「にゃ、にゃはははははは!! やっぱ志龍って面白いにゃ!」
腹を抱えて笑っていた。
恥ずかしさのあまり一周してなんかもう開き直った。
「いいじゃねーか、賭け事も面白い方が楽しいじゃん」
「にゃははー! それもそうにゃ!」
全く、どこまで天真爛漫なんだと思った。そして少し安心した。
しばらく二人で笑ったところで俺は答えを尋ねた。
「それで答えは?」
「んー、なら面白い方に賭けるにゃ」
おーけー決まった、心の中でそう呟いた。
俺は手を前に出す。
「約束だ、俺は絶対に守る」
「うん、頼むにゃー!」
そう言って握手を交わす。
「さーてご飯だにゃー! 飯だ飯ー! そろそろ起きるにゃー!」
そう言って二階に向かっていく。
一度だけその背中が震えた事は見なかったことにしよう。




