そこまで、腐ってない。
校舎を出て、駐輪場へ。
二宮くんが自分のものであろう自転車の鍵を開け、跨る。
私は運動神経はそんなに鈍い方ではない。でも、自転車の速度で走れるだろうか。
「……あの、ちょっとゆっくり漕いでくれないかな。頑張って走るけど、追いつけないかもしれない」
二宮くんの機嫌を損ねない様に、『努力はします』の意思を織り込みつつ、お伺いをたてる。
だってやっぱり、男子の漕ぐ自転車になんて、全力出して走っても追いつけないだろうから。
「正直、お前みたいな人間に好感なんか微塵も持ってないけど、俺はそこまで鬼畜じゃない。後ろ、乗れって」
二宮くんの容赦ない前置きは、どうしたって傷つく。でも、二宮くんは事実を言っているに過ぎないんだ。
「でも私、濡れてるし。二宮くんに捕まったら、二宮くんも濡れちゃうよ」
「いいよ。俺、帰ったらすぐ着替えるし。いいから早く乗れって」
二宮くんが自転車の後部を叩きながら急かすので、遠慮がちに二宮くんの後ろに回った。
「行くぞ」
二宮くんが、ペダルに足を掛け漕ぎ出した。
自転車が風を切って走る。
手を制服の濡れていない部分で拭い、身体を二宮くんにくっつけてしまわぬ様に、二宮くんの制服を必要最低限だけ捕まらせてもらう。
……寒い。濡れた制服が風に当たって、どうしようもなく寒い。
身体が震えて仕方がない。
『チャリで7分』7分の我慢。
ガチガチ音を鳴らせて震えてる歯をグッと噛み殺して耐えていると、二宮くんがシャツを掴んでいた私の手を引っ張って、自分の腰に巻きつけた。
二宮くんの背中に、自分の身体が密着してしまった。
ヤバイ。二宮くんが濡れてしまう。
慌てて身体を剥がそうとすると、またも私の手を引っ張って自分の腰に巻きつけ直す二宮くん。
「別に着替えるから濡れてもいいって言っただろうが。くっついてていいから。寒いんだろ? もう少しの辛抱。俺ん家まであともうちょいだから」
二宮くんの気遣いに、涙が出そうになった。
こんな時、それが同情であったとしても、差し伸べてくれる手は有難い。
「ありがとう。二宮くん」
どうせ、水か涙かなんて分からないだろう。
二宮くんの背中に顔を押し当て、泣いた。
二宮くんの背中を勝手に借りて泣いていると、
「着いた。ココ、俺ん家」
二宮くんが自転車を止めた。
涙を見られぬ様、即座に目を擦って自転車を降りる。
二宮くんの家は、庭付きのとてもキレイな一軒家だった。
家の玄関前に適当に自転車を置いた二宮くんが、玄関の鍵を開ける。
「どうぞ」
二宮くんが私を家に招き入れた。
「……お、お邪魔します」
今更緊張してしまう。
二宮くんは、彼氏でも友達でもない。ただのクラスメイトだ。
そんな男子の家に上がりこんで、私は何をしているのだろう。
靴を脱ぎ、二宮くんの後について行き、廊下を歩くと、
「風呂、ココ。沸かすか?」
二宮くんが足を止め、ドアを指差した。
「シャワーで充分だよ。ありがとう」
そんなワガママなんて言えない。それに、本当にシャワーだけでいい。サクっとお借りして、さっさと帰らなければ。
ペコっと頭を下げると、
「お前さぁ、スゲエよな。普通に男の家に上がれるのな。軽いよな。何されても文句言えねぇから。たまに『そんなつもりじゃなかったの』とか純粋ぶる女がいるけど、お前もそっち系?」
下げた頭の上で、二宮くんが冷笑した。
「……別にいいよ。私は……」
「さすがビッチだなー。あ、タオルは棚の中な。シャンプーとか、どれでも好きなの使っていいから」
『別にいいよ。私は二宮くんを信用しているから』言おうとした言葉を、二宮くんによって遮られた。
「俺、お前に欲情する程ビッチじゃねーわ。じゃあ、俺は部屋で着替えてくるから、ごゆっくりどうぞ」
そして、貶されながら振られた。
ムカついて、悔しくて、恥ずかしくて、涙が込み上げる。
だって私は『二宮くんが望むなら』とちょっとでも考えたから。
好きな男に振られて、友達を失って、辛くて淋しくて。
何だかんだ手を貸してくれる二宮くんとなら、そうなってもいいと思った。
二宮くんは私に好感もなければ、味方でもないことを、改めて思い知らされる。
二宮くんが自室に行った為、脱衣所のドアを閉め、濡れた制服を脱ぎ捨てた。
バスルームに入り、早速シャワーを浴びる。
シャワーから出る温かいお湯に、何故かホっとしてまた涙が出た。
化粧も何もかもがグシャグシャになった自分が鏡に映る。
……酷いな。酷すぎるな、自分。
二宮くんのお母さんのものと思われるメイク落としを拝借し、化粧をキレイに洗い流す。
誰のものか分からないシャンプーなどもお借りして、髪と身体を洗ったら、少しだけ気分もスッキリした。
バスルームを出て、二宮くんが言っていた棚からバスタオルを取り出し、身体を拭く。
……ん? 制服がない。下着もない。
二宮くんのものと思われる、メンズのスウェットはある。
スウェットを着ろってことだろうか。でも、着ようにも下着がない。
どういうことなんだ?
悩んだ末、バスタオルを身体に巻きつけ、二宮くんを探すことに。
「あのー。二宮くん。ドコ?」
バスタオル1枚で他人の家をうろうろする。
「他人の家でよくそんな姿でうろつけるな。どういう神経してんの? ヤリたいの? ヤリマンが」
後ろから声がした。
振り向くと、私服に着替えた二宮くんが白い目をして立っていた。
「違う‼ 制服と下着がなくなってて……」
誰が好きで他人様の家で露出狂みたいな真似がしたいと思うんだ。迷った末の苦肉の策だったのに、
「制服と一緒に洗濯中に決まってんだろ」
二宮くんにシレっと言い返された。
「心配すんな。ネットに入れてやったから。とりあえず、下着なしでスウェット着とけよ。用意しといてやっただろ」
更に、おかしな親切心をも出す二宮くん。
てか、下着も洗ったって……。
「下着は洗わなくて良かったのに‼ 普通他人の下着触らないでしょ‼」
どういう神経してるんだよ、二宮‼ 私のこと、ビッチだのヤリマンだの言っておいて、自分だって大概変態じゃん‼
「お前の下着なんか興味もなければ、1ミリたりとも興奮しなかったわ。Aカップだし。洗濯してない濡れた下着なんか気持ち悪いだろうが」
変態二宮、傷つく暴言連発するし。それに私は、
「Bカップ‼」
「見栄張って1コおっきいヤツつけてんじゃねーよ。まな板が」
二宮くんが口に手を当て「ぷぷぷぷぷー」と笑いやがった。
……コイツ、超絶ムカつく。しかし、
「ネットに入れて洗濯なんて、男のくせによく知ってたね」
二宮くん、何でそんなこと知ってるんだろ。
あ、彼女が年上とか? 1人暮らしのキレイなお姉さんと付き合ってるとか?
「見ての通り、両親共働き。洗濯くらい普通に出来るっつーの。俺、普通にオカンの下着も洗ってるし」
私の読みとは違う、二宮くんの意外な答え 二宮くん、そういうことしなさそうに見えるのに。
なんていうか、男友達と女の子ナンパしたり、合コンしたり、とにかく遊んでそうなイメージだった。
「どうでもいいけど、早くスウェット着て来いよ。まじで風邪引くぞ」
確かに湯冷めしそうなので、二宮くんの言う通り、下着なしでスウェットを着ようと腹を括った時、
「兄ちゃん、ヤるなら自分の部屋でしてくんない?」
背後から知らない男子の声がした。
声のする方に目を向けると、ウチの学校の制服を着た男の子が立っていた。
あ、二宮くんって、弟がいるんだっけ。さっき二宮くんを『兄ちゃん』って呼んでたもんね。 学校終わって帰って来たんだ。
んー。似てるっちゃ、似てる。二宮くんより可愛い系かな。
2人の顔を見比べていると、
「何で俺がこんな女と。お前にやるよ。コイツ、誰でもいいらしいから」
二宮くんに背中を押され、勝手に弟に献上された。
「はぁ⁉」
二宮くんを睨みつける私の腕を、
「ふーん。じゃあ、遠慮なくもらっちゃおうかな」
と、二宮くんの弟にグイグイ引っ張られ、弟の部屋と思われる所まで引きずり込まれ、ベッドに放り投げられた。
はだけそうになるバスタオルを必死に押さえると、二宮くんの弟が馬乗りになってきた。
……コイツ、正気?
二宮くんの弟の顔がどんどん近づく。
--------------嫌。絶対無理。
「嫌だ‼ まじで嫌‼ ホントに嫌‼」
力じゃ敵わないから、大声を出す。
酷いよ、二宮くん。
でも、助けて。助けて、二宮くん。
二宮くんの弟の手がバスタオルに触れた時、
「……ふぇ……」
辛くて涙が出た。
これも天罰だというのだろうか。
「……あー、まじな方か」
そう言うと、二宮くんの弟は馬乗りをやめて、私の隣に寝転がった。
「俺、嫌がる女を無理矢理ヤる趣味ないから。そんなことしなきゃいけない程、女に困ってないから。女ってよく分かんないじゃん。『口では嫌って言っておきながら、ホントは来てほしい』みたいなの、往々にしてあるじゃん」
二宮くんの弟が「ごめんごめん。怖かったね」と、近くにあった箱ティッシュを私の傍に置いた。
安堵で涙が噴き出す。鼻水も一緒に出てくる。
箱から豪快にティッシュを引き抜き、鼻をかみながら二宮くんの弟に怒りの視線を向けると、
「え? 悪いの、俺? 兄ちゃんでしょ」
二宮くんの弟が開き直った。
ごもっともだけど、普通こんなことしない。
「……何で。二宮くん」
私の勝手な思い込みだけど、二宮くんはこんな酷い事をする様な人ではないと思ってた。
厳しいことを言う人だけど、それは全部正しいことだったし。
だから二宮くんのこと、信用してたのに。
「んー。そういう話になると、俺が悪いのか」
隣に寝転んでいた二宮くんの弟が起き上がり、頭を掻いた。
「いいー加減寒いっしょ」と言いながら、私の身体を布団で包んでくれる、二宮弟。
「意味が分からないのですが?」
ありがたく布団に身体を埋めながら、私もゆっくり起き上がった。
「兄ちゃんの彼女と、ヤっちゃったんだよねー、俺」
多少、後悔と反省の念は感じる、二宮弟。
「バカじゃないの」
などと、友達の彼氏に手を出した私が言ってみる。私、何様。
「だってさー、ココ数年でセックス覚えた十代だよ? そりゃ、ヤリたくてしょーがないでしょ、男も女も。で、兄ちゃんがいない日に兄ちゃん訪ねて来た彼女を誘ったら、最初は拒んでたんだけど、そのうちあっちもその気になってさー。それが兄ちゃんにバレちゃったよねー」
二宮弟が「はぁ」と溜息を吐いた。
「そりゃバレるでしょ。近すぎ。兄弟間で隠し事なんか、リスク高すぎ」
などと、友達間の隠し事がバレた私が言ってみる。
「バレないと思ったんだって」
二宮弟の言葉に『バカじゃないの』と返せなかった。
川田くんと隠れて付き合っていた時、私も同じことを思ったから。
欲が出た人間は、どうして根拠のない自信が沸いてくるのだろう。
「二宮くんとその彼女は?」
「即刻別れたよね。兄ちゃん、曲がったことが大嫌いだし」
二宮弟の言う『曲がったことが大嫌い』には激しく納得。
だって二宮くんは、正論しか言わない。
「別れて正解だと思う。そんな女」
言いながら、胸が苦しくなった。
川田くんからしたって、私となんか別れて正解だったのだろうから。
平気で友達を裏切る様な女となんか。
「でも、よくギクシャクしないよね、二宮くんとキミ。そんなことがあったのに」
さっきも普通に会話してたもんね、2人。
私が二宮くんの立場だったら、一生口利かないと思うもん。
「兄ちゃん、オトンとオカンのことが好きだからね。心配かけたくないんでしょ。本当は腸煮え繰り返ってると思うよ」
二宮弟が、しょっぱい顔で苦々しく笑った。
だからか。二宮くんが洗濯の仕方を知っていたりするのは。
見かけによらず、親孝行息子だったんだ、二宮くん。
「だから、女も俺に譲ってくれる。みたいな。別に欲してなかったのに」
ココ最近で何回男に振られているんだろう。二宮弟にまでアッサリ振られた。
「じゃあ、貰わなきゃ良かったでしょうが‼ どんだけ怖い思いしたと思ってんだ‼」
二宮弟の腕を多少強めに殴ると、
「イヤ、俺的に親切心だったんですけど。だって俺が貰ってあげなきゃ、アンタの女のプライド傷ついちゃうかなーと思ったから」
と、悪びれるどころか『怒られる筋合いがない』とでも言いたげな表情の二宮弟。
「結果的に事情バラして傷つけてるじゃん‼」
近くにあった枕を二宮弟の顔に押し付けると、
「確かにー」
枕の下で二宮弟が笑った。
何となく、コイツは憎めない。
「キミ、二宮くんにちゃんと謝った?」
『それでも謝れ』ふいに二宮くんの言葉が過ぎった。
「俺だって、謝れるなら謝りたいよ。でも、どうやって? 『兄ちゃんの彼女、寝取っちゃってごめんなさい』とでも言うの? それこそ、兄ちゃんのプライドが損なわれるし、いくら兄弟と言えども失礼すぎない?」
二宮弟から押し付けていた枕を退かすと、表情を曇らせた二弟の顔が出てきた。
二宮弟の言い分は分かる。納得出来る。
ただ、散々失礼なことをしておいて今更何を言っているんだ。とも思う。
「じゃあ、二宮くんに彼女が出来た時に謝りなよ。『あの時はごめんね』って。新しい彼女が出来れば、昔の浮気した彼女のことなんかきっとどうでも良くなるだろうし、笑って許してくれるんじゃん?」
やっぱり、それでも謝るべきだと思う。悪いことをしたのだから。人を傷つけたのだから。
二宮弟に絶対に謝らせようと、謝り方を提案すると、
「それはいい案だと思うけどねぇ。兄ちゃん今、女に信用を置けないっぽいからねぇ。だから、さっきアンタのことも普通に横流ししたんだろうし」
二宮弟が「うーん」と唸った。
「まぁ、信用はされてないよね」
「ビッチ冴木だもんね」
二宮弟の言葉に、ピクっと肩が動いてしまった。
まさか1年にまで知られていたとは……。
「知ってたんだ」
「知ってますがな。有名人じゃん、ビッチ冴木。悪口ツイートされまくってんじゃん」
二宮弟の言葉に意気消沈。
自分が悪いのに、ネット社会を恨む。
「でも俺、みんなが言う程ビッチ冴木のこと、悪いヤツじゃないと思うよ」
二宮弟が慰めるように、ガックリ落ちた私の肩にポンと手を置いた。
「ビッチ冴木が兄ちゃんと付き合えばいいのに。ビッチ冴木、間違っても俺には靡かなそうだし。わりとイイヤツだと思うし」
二宮弟は私の事を割とイイヤツと言ってくれたけど、
「ないよ。私、横流しされるほど二宮くんに嫌われてるんだよ?」
二宮くんは私のことをそうは思っていないだろう。
「確かにね。でも、兄ちゃんもバカじゃないから、好きか嫌いかは置いといて、ビッチ冴木がそんなに悪人じゃないことは気付いてると思うよ」
それでも二宮弟は、私に優しい言葉をくれた。
だから、コイツは憎めないんだ。
「ねぇ、ビッチ冴木。今更なんだけど、何で半裸?」
二宮弟が『そう言えば』的なテンションで聞いてきた。
本当に今更だ。よくこんな疑問しか抱かない様な姿をした女と普通に話が出来たもんだよ、二宮弟。
掻い摘んで事の顛末を説明すると、
「ふーん。じゃあ、もう洗濯も乾燥も終わってんじゃね? そろそろ着替えないと、その姿でウチのオカンと鉢遇う可能性大。もうちょいでオカンが帰って来る時間」
二宮弟が壁時計に目をやった。
「まじか‼」
慌ててベッドから飛び降りる。
「ココで待ってる? 俺、取って来ようか?」
気を利かせた二宮弟が立ち上がろうとするから、
「いい‼ 下着もあるから‼」
そんな二宮弟の肩を押して再度座らせた。
下着を二宮弟にまで見られるのは、まじでまじで嫌。
「ヤリマンビッチのくせに、下着ごときで何言っちゃってんの、ビッチ冴木ー。男の家に風呂借りに来ておいて、ヤる気がなかったとかは有り得ない」
言い切って、溜息混じりに呆れた様に嘲う二宮弟。
「ヤリマンでも何でもいいけど、私はアンタとは違うの。許容範囲の異性だったら誰でもいいわけじゃない。二宮くんはいい。アンタはダメ。触れ合うのも、下着見られるのも‼」
何で私は二宮弟を拒否りながら、自分のヤリマンを認めてしまっているのだろう。
私の経験人数なんて、川田くん唯一人だ。
でも、『二宮くんとなら』と思った私は、ヤリマン予備軍なのかもしれない。
「ヤリマンに振られるとか、屈辱。ヤリマンのくせに選り好みって何様。でも、やっぱ俺、冴木のこと嫌いじゃないわ。色んなトコ、ユルッユルなくせに、大事な部分だけは固いもんね、冴木は」
【ビッチ冴木】から【ビッチ】を抜いてくれた二宮弟が「てか、急げって」っと私を急かした。
「私も、アンタとそういう関係になりたくないだけで、アンタのことは好き。てか、名前聞いてもいい??」
二宮弟の部屋を出ようとドアノブに掛けた手を止める。そういえば、二宮弟の名前聞いてなかった。二宮が2人いて紛らわしい。
「二宮です。どうぞ、宜しく」
ボケているのか、私に名前を教えたくないのか。二宮弟は分かりきっている苗字を名乗った。
「……冴木です。こちらこそ」
前言訂正。二宮弟のことは好きだけど、めんどくさい。
めんどくさいし、時間もないので名前を聞くのを諦めて、急いで二宮弟の部屋を出て、制服があるだろう脱衣所に小走りで向かう。
脱衣所には、洗濯が終わってキレイにアイロンまで掛けられた制服が置いてあった。
下着はネットに入ったまま。
さすがに下着を畳むのは変態すぎると、二宮くんも気を遣ってくれたのだろう。
二宮くんが生粋の変態でなかったことに、心から安堵した。
二宮くんには、私が信頼している二宮くんのままでいて頂きたい。
素早く着替えて、二宮くんにお礼を言おうと二宮くんの部屋に……。
……って、二宮くんの部屋ってドコよ。
仕方なく、二宮弟の部屋に戻る。
ノックをすると、二宮弟がドアを開けて顔を出した。
「どした? 忘れ物?」
「イヤ、二宮くんにお礼言いたくてさ 二宮くんの部屋ってドコ?」
「隣だけど……律儀だねー、冴木。あんな目に遭わされたのに」
二宮弟の言う通り、酷い目に遭わされた だけど、制服のお礼は別の話しだし。
「教えてくれてありがとう。普通に苗字で呼んでくれてありがとう」
二宮弟にもお礼を言うと、
「冴木の名前は聞かないでおくわ。兄ちゃんが名前で呼ばない兄ちゃんの連れの女を、名前で呼びたくないから」
二宮弟は、困った様に微笑んでドアを閉めた。
彼は謝罪こそ出来ていなくても、彼なりに反省しているんだ。SNSの私の悪口の書き込みを見ているなら、本当は私の名前も知っているだろうに。
二宮くんの部屋の前に立ち、ドアをノックしようと……する手を止める。
制服の件は別問題。……と思っていたが、やっぱり腹が立つ。
「ふんッ‼」
変な気合の声を出しては、ノックではなく、ドアを蹴り上げてしまった。
「えッ⁉」
その音に驚いた二宮弟が隣の部屋から飛び出してきた。
「二宮弟‼ 二宮くんの部屋のドア、一緒に押さえて‼ 殺される‼」
その二宮弟を巻き込んで、二宮くんが部屋から出て来れないように、2人で二宮くんの部屋のドアに付加を掛けた。
「何やってんの、冴木‼ お礼言うんじゃなかったのかよ」
二宮弟が、肩で私をど突いた。
「だって、やっぱりあんな目に遭わされたことがムカつくんだもん‼」
「物分りいい女演じといて、結局かよ」
二宮弟、半笑い。もう、苦笑いを返すしかない。
「で、どうする? 俺が押さえてる間に帰る?」
二宮弟は、私を甘やかす優しい提案をしてくれたけれど
「イヤ。私、二宮くんに言いたいことがある」
私には、二宮くんに言わなければいけないことがある。
「二宮くん、ドア蹴り上げてごめんなさい」
ドアを蹴ったお詫びと、
「あと、制服。お洗濯してもらった上にアイロンまで……。ありがとう」
制服のお礼。それと、
「……私はビッチだけど、誰でも良くないんだよ‼ お家に呼ばれて来たのは、二宮くんだからだよ‼ 私の間違いを指摘してくれて、正しい答えを教えてくれる、二宮くんだからだよ‼ 私、二宮くんのこと、一方的に信用してるから。二宮くんだから、そうなっても構わないって思ったんだよ‼ 私を元カノと一緒にしてくれるなよ‼ 私はそこまで腐ってないんだよ‼」
文句を叫ぶ様に怒鳴りつけた。
一気に言いたいことを全部吐き出し、興奮冷めやらぬ為、肩で息をしていると、
「もう1発くらい蹴っとけば?」
二宮弟が私の背中を擦りながら、唆した。
…………。
ドアの向こうからは何の音もしない。
無反応な二宮くんに苛立って、
「ふんッ‼」
足を振り上げもう1発、渾身の一撃を。
「逃げろ‼ 冴木‼ ココは俺に任せろ‼」
二宮弟が、何故か少しだけ笑って私を逃がす。
「頼んだぞ‼」
二宮弟の笑顔の意味は分からなかったけれど、いよいよ本気でヤバイだろうと思い、一目散に二宮家を立ち去った。
-------------翌日、行きたくない気持ちを押し殺して学校へ向かう。
どうせ学校へ行ったって、授業は受けられない。
それなら学校へは行かずに、どこかで時間を潰せば良いではないかと思うけど、そんな事をしてしまったら学校へ行くきっかけを見失ってしまいそうで。
ひたすら足元に視線を落としながらとぼとぼ歩き、そのまま校門を抜ける。
「冴木」
後ろから私を呼ぶ声がした。
嫌われ者の私に声を掛けてくれる人間は、二宮くんしかいない。
昨日のことがあるので、足は止めても振り向く勇気が出ない。
怒って……ないわけないよなぁ。
逃げ帰った後、二宮弟、上手く取り繕ってくれて……ないだろうな。
もう、腰90度に折り曲げて謝ろう。
覚悟を決めて振り向こうとした時、
「昨日、ゴメン」
自転車から降り、それを引きながら二宮くんが私の横に立った。
二宮くんが頭を下げて私に謝罪をしている。
確かに昨日の二宮くんは酷かった。でも、
「私も、ゴメン。つい頭に血が上っちゃって、他人様の家のドアに当たってしまいまして……」
私も私で酷かった。
先に二宮くんが謝ってくれたお陰で、だいぶ謝り易い。
二宮くん、怒るどころか反省してくれたんだ。
二宮くんの優しさが、嬉しかった。
「ホント、短気な女」と言いながら、頭を上げた二宮くんと目が合って、思わず2人で笑い合う。
そんな私たちの横を、手を繋いだ川田くんと里奈が通り過ぎた。
どうしたって目が2人を追ってしまう。
そんな私の様子に二宮くんが気付く。
「……なんであの2人は別れないんだろう。俺だったら即別れるけどな」
二宮くんが眉間に皺を寄せながら首を傾げた。
「私が里奈だったら、絶対別れない。川田くんのことは許せないと思う。だけど、別れて川田くんが浮気相手と付き合ったりしたら、それこそ赦せない。それに里奈は、赦せなくても川田くんのことが今でも好きなんだと思う」
そう言いながらも、2人から目が離せないでいる私に、
「……冴木は本当に川田のことが好きだったんだな」
二宮くんがポツリと零した。
「……じゃなきゃ、友達の彼氏に手なんか出さないよ」
好きだった。好きになりすぎてしまった。だから……。
「まぁ、遊びでされちゃ敵わないわ」
二宮くんが苦々しく笑った。
そうだ。二宮くんは彼女の遊びで傷つけられてしまったんだ。しかも、その相手が自分の弟で。
大事な人2人に裏切られた二宮くんは、どれだけ辛かっただろう。
だから、私のしたことが赦せなかったんだ。
それで、間違いを正してくれたんだ。自分みたいに傷つけられる人間が出ない様に。
「次はフリーのヤツを好きになれればいいな、冴木」
二宮くんが私の頭をポンポンと撫でた。
「……え?」
頭を撫でられた事に妙にドキっとして二宮くんを見上げると、
「だって、冴木がしたことって、相手がフリーだった場合、何の問題もなかったじゃん。運が悪かったんだなーと思ってさ」
二宮くんが、その『え?』じゃねーよと突っ込みを入れたくなる様な返事をした。
二宮くんに他意はないらしい。
二宮くんとの距離が縮まったわけではない様だ。
ひとりでドキドキしてた自分が恥ずかしい。
「……私は、もう誰も好きにならないよ。私、先生からも親からも『人を好きになるのは素晴らしいこと』って教わってきたのに、そうでもないからさ。もう、いいや」
だって、今こうしてドキドキしたことだって、こんなにも虚しいから。
「そうやってまた責任転嫁するし。他人の男を好きになるのは悪いことって分かってたから、こそこそ付き合ってたんだろ? 自分を正当化しようとするのはやめなさい」
別に責任転嫁したかったわけでも、自分を正当化したかったわけでもないが、またも二宮くんに叱られてしまった。
当然だ。二宮くんからしたら、私のやったことは嫌悪しか感じないだろうから。
「うん。だからもう、私は誰も好きにならない方が良いんだよ」
「…………」
二宮くんは、無言でまた私の頭をポンポンと撫でると、「チャリ置いてくるわ」と駐輪場へ行った。
この頭ポンポンは何なのだろう。
『どんまい』とか?
うん、そんなんで立ち直れないわ、二宮くん。
二宮くんと別れ、ひとり学校へ入る。
どうせ教科書はない。また準備室にでも行こうか。
教室には行かず、準備室へ向かう。
準備室はいつも通り誰も居なくて、落ち着く。
悪口もない。悪意の視線もない。
何もない。
今日はどうやって時間を潰そうか。
適当な椅子に座り、机に頬杖をついていると、
「やっぱりココにいた。学校に来てても授業に出なかったら単位落とすぞ。留年するぞ」
準備室の扉が開いたかと思えば、二宮くんが入って来た。
こんな私を気に掛けてくれるのは、やっぱり二宮くんだけだった。
「……それはそうなんだけど、如何せん教科書がないもので」
隣の席の人に見せてもらおうにも、隣は昨日のお昼に私を突き飛ばした女子なワケで。
方杖をついたまま、机に視線を落とす。
「如何せんて。人生で聞いたの2回目くらいだわ」
そう言って二宮くんは笑うけど、私にとっては笑い事ではない。
だってこのままでは本当に留年してしまう。
教科書、まじでどうしよう。
部活に入っているわけじゃないから、教科書を譲ってくれるような仲の良い先輩もいないし。
ネットとかで安く売ってくれる人とかいないかな。
とりあえず、スカートのポケットからスマホを取り出し、オークションサイトに繋げてみようかと試みると、
「授業サボって携帯いじってんじゃねーよ。走れば1時間目間に合うから」
手に持っていたスマホをスルっと二宮くんに抜き取られ、手首を掴まれると、半ば強引に立ち上がらされ、引っ張られながら準備室から出された。
そして、グイグイ引きずられながら教室へ。
「痛い‼ 痛い‼」
教室の扉の前で、手を振り解こうと暴れてみる。
「暴れんな。お前、もう高校生だろうが」
男子の力に勝てるはずもなく、呆れ顔の二宮くんにアッサリ取り押さえられた。
「痛い‼ 離して‼ 行きたくない‼」
「ハイ、出た。本心。お前、教科書がないから授業受けたくないんじゃないだろ。みんなの視線が怖いだけだろ」
二宮くんが私に白い目を向けた。
「……教科書がないことだって理由の1つだもん」
図星を射されても尚、言い返すと、
「その理由、解消されたからサボんな」
二宮くんが、ごねる私を無理矢理教室に引っ張り入れた。
クラスメイトの視線が突き刺さる。
悪口が飛び交う。
山頂でも何でもないのに、息が苦しくなる。
自分が蒔いた種だけあって、悲劇のヒロインにもなれない。
だから来たくなかったのに。
ほとぼりが冷めてから……ほとぼりっていつ冷めるのだろう。
いつ私は許してもらえるのだろう。
どうすれば許してもらえるのだろう。
良い案なんか浮かぶわけもなく、自分の席に座り、ただじっと耐えていると、
「冴木、机寄せろ」
何故か二宮くんが隣の席に座っていて、私の方に机をずらしてきた。
「……なんで?」
「だってお前、教科書ないじゃん。誰からも見せてもらえないじゃん。お前、まじで相当嫌われてんのな。『この席と俺の席、代えて』って言ったら喜んで代わられたぞ」
二宮くんは、何で本当のことをそのまま伝えるんだろう。
『冴木の為に席交換してもらった』とでも言ってくれればいいのに。
……言うわけないじゃん。
私を喜ばせたところで、何の得もない。
得をするどころか、
「二宮ー。何ビッチ冴木と机くっつけちゃってるんだよ。あ、お前もしかして、ビッチ冴木に喰われたとか? どうだった? ビッチだけあってスゴかった?」
よく一緒にいる仲間の男子に冷やかされてしまっている二宮くん。
「何で俺が冴木に喰われなきゃいけねぇんだよ。ほぼほぼ同情だわ」
まぁ、二宮くんが黙って冷やかされているわけもなく、しっかり言い返したけれど。
『ほぼほぼ同情』分かっているけれど、念押しの様に宣言されると辛い。
イヤ、同情してもらえるだけ有難いことだ。
同情でも何でもいい。
だって、今私の傍にいてくれるのは、二宮くんだけなのだから。
授業が始まるベルが鳴り、冷やかしていた男子が自分の席に戻って行った。
二宮くんが、私と自分の机の真ん中に英語の教科書を置いた。
1時間目は、二宮くんが嫌いだという英語だ。
自ら開くのもどうかと思い、二宮くんが教科書を開くのを待っていると、
「大方、同情」
二宮くんが、再度念をダメ押ししてきた。
「……うん」
小さく頷く。
分かってるよ。そんなに言わなくたって。
「……と、微かな興味」
二宮くんがボソっと小声を出した。
「……え?」
二宮くんの顔を見ると、
「だってお前、俺と友達になりたかったんだろ?」
二宮くんもこっちを見ていて、目が合って、なんか恥ずかしい。
『もっと二宮くんと仲良くなっていれば良かった』確かに言った。
二宮くん、覚えていてくれたんだ。
「……私と、友達になってくれるの?」
「無理」
……何ソレ。
私を完全拒否した二宮くんが、ようやく英語の教科書を開いた。
開かれたページに目が留まる。
「……英語嫌いって、嘘じゃん」
二宮くんの教科書には、綺麗な字で書き込みがされていて、むしろ英語は好きで得意なんだろうと感じた。
「……まぁ、お前よりは出来るだろうな」
これ以上突っ込まれたくない様子の二宮くんは、丁度先生が来たことをいいことに、「授業始まるから静かにしとけ」と私を黙らせた。
よくよく考えてみれば、曲がったことが嫌いな二宮くんが授業をサボるわけがない。
友達でもない。好きでもない。むしろ嫌い寄りの私を放っておけなくて、窓側の後ろから2番目の席から、廊下側の前から3列目の私の隣に移動してくれた二宮くんは、口だけが辛辣なとても優しい人間だ。