89.魔界――3
「やってくれたな……」
「「「ッ……」」」
地の底から響くような低い声に、ユイたちが身を強張らせる。
ちょうど俺たちの正面に凝縮した魔力が、途方もない巨体の輪郭を縁取る。
それが実体化して魔界の大地を震わせたのは、その直後の事だった。
その体躯は俺の第二形態より二回り以上は大きい。
紫と橙に彩られた仰々しい胴体は猪のようにずんぐりとしており、そこから伸びた太い尾には杭のような棘が無数に並んでいる。背に備わった翼の形状はどこか人間の手にも似ていて、身体に相応の巨大さを誇る。
人面に近い頭部には羊の双角が備わり、耳元まで裂けた口の隙間から漏れているのは猛毒の霧。
そして、暗く淀んだ緑の三眼が今明確な怒りを湛えて俺たちを見下ろしている。
……魔王グナルゴス、その第二形態。
「セグリア・サガ」の知識通りの姿だ。
地上へ実際に現れた際はこの姿で人間たちの軍を壊滅させるらしいし、その時に要した時間から考えればこのサイズも妥当なところといえるだろう。
「――――」
何か言おうとしたのか、それともブレスの類で先手を取ろうとしたのか。
息を吸い込む素振りを見せた魔王へ向けて、俺はEマガジンを装填した焔銃を構える。
この距離に加えて標的の巨体。わざわざ照準を合わせずとも、外す要素は無い。
躊躇なく引鉄を引き魔法を放つ。
名付けるなら「光輝と紅煉の覇剣」。
銃口から溢れ出した炎の奔流は、その輝きで全てを白く塗り潰した。
それは眼前の魔王も例外ではない――いや、違う。
「グ……ォオオ……!」
「チッ、しぶてぇ野郎だ」
まばゆい白焔の中、薄汚れたシルエットが消えずに残っている。
まだ前座のつもりだったが、全部が全部思惑通りとはいかないのは腐っても魔王ってところか。
ならば此方も躊躇はない。
そもそも今の姿でさえ本来は十分驚異的な力を持つ相手だ。
秘密兵器で出鼻をくじいたと言っても、出し惜しみするような余裕は最初からありはしない。
焔銃から再び放ったのは「終焉の種火」。
城にぶっ放した初撃や先に魔王に撃った一撃にこそ見劣りするが、俺が最良のコンディションで込めた最大の魔法だ。
事実それはダメ押しには十分だったようで、粘っていた魔王の姿を今度こそ跡形もなく消し飛ばした。
……さて、ここからが本番だ。
焔銃を投げ捨てるように見せかけてジールの手に回し、俺はまだ特に構えないまま次の相手の動きに意識だけを集中させる。
続いた変化は第二形態の出現に比べれば静かなものだった。
肌を刺すようなプレッシャーも無ければ、大地が揺れるような天変地異もない。
先ほどよりずっと小さい規模に魔力が集まり――俺たちとさして変わらないサイズの人影を生み出す。
かつて俺が見た時の姿……奴の第一形態は、いかにも魔人然とした黒い姿だった。
今眼前にいる第三形態は、それとは対照的な白を基調とした姿をしている。
それは見ようによっては天使のようでさえあったが、直に対面して奴を天使だと思える者はいないだろう。
外見から不審なところなど何一つ無いというのに、内面から滲みだすような空気は俺でさえ邪悪と表現する他ないものだ。
「……戦えるか?」
「や、やってみせます」
「心配しなくても平気よ」
軽く視線だけ向けて確認する。
緊張を隠せないようだがしっかり焔杖を構えるレミナと、どこか皮肉気に肩をすくめてみせるキィリ。
レミナはともかくとして、キィリの様子は……あの魔王も勇者と同様、読心が通じないって事か。
そう推測すると、キィリは肯定するように頷く。
だが、それ以上何か考えている暇は無かった。
立ち尽くしていたかに見えたグナルゴスの姿が掻き消える。
「ッ――」
次の瞬間には眼前にあった姿を認識できたのは、これまでの戦いを経て俺自身のレベルも上がっていたからだろう。
咄嗟に生成した俺の大剣に、いつの間にかグナルゴスの手にあったシンプルなレイピアが叩きつけられた。




