87.魔界
「えっ――」
「なにしてんだお前は」
「あ、ありがとうございます」
門を抜け降り立った先はダグラットによく似た高山の山頂。
勢い余って落下しそうになったレミナの首根を掴んで引き戻す。
「移動して――いるのは確からしいな」
「そりゃそうだ。この段まで来て失敗するのは有り得ねぇ」
辺りを見回して僅かに怪訝そうな表情をしたユイだが、すぐにその顔は納得の色に変わる。
確かに周囲の見た目だけはさっきと変わっていないように見えるかもしれない。
だが少し遠くに目を向けてみれば広がっているのは全く違う景色だし、それ以上に空気が違う。
魔界特有の瘴気を大量に含んだ大気に活力が満ちていくのを感じる。
「この感じ……何か、懐かしいような……?」
「そりゃお前が魔族化してるからだ。なんたってホームグラウンドだからな」
「……なるほど、な」
「肝心の勇者サマの具合はどうだ? 使い物にならねぇようなら今から魔族化したっていいんだぜ?」
「いや、心配無用だ。今のところ体調に差し障りは無い」
「へっ、そうかよ」
ユイのあっさりした反応にわざとらしく顔をしかめてみせる。
ここのところ、ちょっとやそっとの煽りじゃ平然と流してくるようになったせいでどこか物足りな……いや、つまらない。
そりゃ精神面で成長しない方が問題ではあるんだが…………どうでもいい話か。
頭を軽く振って意識を切り替える。
「俺の知る限りじゃ、魔界で特に関わるべき出来事は無ぇな。準備もエルハリスで揃えた分で十分だ」
「なら、真っ直ぐ魔王の元を目指すという事でいいな?」
「ああ。ただ……魔王の根城付近の連中は完全に敵の支配下にある。許可なく近づけば見逃しちゃくれねぇだろう」
「その様子だと強行突破するつもりはないようだな」
「……まぁな。頭を潰せばただの魔族だ、その程度の理由で殺すには勿体無い」
「――ふっ」
ユイの言葉に頷くと、何故か勇者は小さく笑みを零した。
なんとなく気に入らないように思えて睨み返す。
「……なんだよ」
「別に大した事じゃない。……確かにお前は変わったよ」
「あ?」
「いや……もしかしたら本当に、あの時から変化は始まっていたのかもしれないな。私が気付かなかっただけで」
「何言ってんだお前」
まともに取り合おうとしないユイをずっと睨んでるのも馬鹿らしくなって視線を逸らす。
まさか最初に牢で話した時の出まかせの事でも思い出してるのか?
それよりコイツもレミナもあの時は可愛げってもんがあったってのに……。
視線の端で今のユイたちを眺め、思わずため息を零す。
「――ほら、いつまでもグダグダしてる暇は無ぇぞ。足なら用意してやるからとっとと乗れ」
「……ん? お前、以前はこの人数を乗せて飛べるような龍など作れないと言っていなかったか?」
「そりゃ地上界での話だ。魔界で魔族は力を増す。俺を勝手に例外にするんじゃねーよ」
「そういえばそうだったな。では失礼する」
生み出したのは地上界で使ったものの倍近いスケールの炎龍。
流石に余裕があるとは言い難いが、それでも実用性は十分と言えるだけの消耗に留まってはいる。
全員が乗り込んだのを確認して炎龍を西へ飛ばす。
「――待て。魔王の根城というのは、魔界の端にでもあるのか?」
「んな訳無ぇだろ。ど真ん中だよ」
「それなら向かう方向が逆だろう」
「あー……説明してもいいが面倒だ。リフィス、任せた」
「承りました」
炎龍のバランスを維持しながら、陽炎その他を組み合わせて雑魚からの隠蔽まで並行してるんだ。
悠長におしゃべりしてるだけの余裕は無い。
背後でリフィスが恭しく一礼したのを感じながら運転に戻る。
簡単にまとめるなら、魔界は地上界と東西南北が逆転している。
俺は地上界では南部を攻めてたが、魔界じゃ北部を支配してたわけだ。
もっとも魔界は気候も地上界と相反するから、灼熱の地域を担当してたって意味じゃ魔界でも地上界でも大差ないんだがな。
魔族の集落なんかを越える時はリフィスやアズールに隠蔽を手伝わせつつも進む事しばらく。
ようやく目印となるシルエット……魔界一高い山が見えてきた。




