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塾講師の憂鬱

作者: KMIF

「では、明日からの採用ということで……いいですね?」

「はい! よろしくお願いします!」

 この日は俺にとって記念日となるだろう。念願の塾講師のバイトに就けたのだから。面接をクリアし、学力診断テストもなんとかこなしてようやく受かった。将来は教師になりたいと思っているため学校以外にも実地で教える必要があると考えたのだ。

 そしてようやく――夢に一歩近づけた。今が面接中じゃなければ号泣しているところだろう。

「それで……教える対象は中学生ということでよろしいですね?」

「はい。自分は中学教師志望なので」

「ではよろしくお願いいたします。今日はこれで帰っていただいて結構です。お疲れ様でした」

「お疲れ様でした! 明日から頑張らせていただきます!」

 椅子から立ち上がり丁寧にお辞儀。そして最後まできちんと礼儀を保ったまま退出し――ドアを閉めた途端俺はガッツポーズをとった。

「……っよし!」

 やった! これで明日から……俺もここの仲間入りだ!

 思わず軽くスキップしながら講師室を通って出入り口へと向かう。塾長がいないから別にいいのだ。

「君……新しい講師の人かい?」

「あ……はい! そうです!」

 声をかけられて俺は振り向く。そこには大体三十半ばと思われる男性が立っていた。何やら疲れきった顔をしてこちらを見ている。

「学年は?」

「はい……大学一年生です」

「いや、君のじゃなくて教える学年さ」

「あ……すいません!」

 頭を下げる俺に目の前の男性ははにかみながら手を振っている。おそらく気にするなということだろう。顔が赤くなるのを感じながら咳払いを一つ。

「えっと……中学生です」

「ということは……中学二年生の生徒たちが空いているからそこに入るのかな……」

 その瞬間、講師室がザワッとわいた。中には頭を抱えている講師の人や、ぶつぶつとうわ言を呟いている人も見える。一体どうしたんだろう……?

「気にしなくていいよ。ただ……気を付けてね?」

「は……はぁ」

 俺はあいまいな返事を返して講師室を後にした。最後に講師の人たちが見せた態度が気になるが……

「まあいいや!」

 そう、今はただ喜ぼう。夢へと近づくことができたのだから――。


 そして翌日の夕方五時。今日は待ちに待った授業だ! 歯磨きも入念にしたし髪もセットした。おまけにスーツも新品! 今の俺に……死角なし!

「さて……と。そろそろかな?」

 授業は大体五時十五分に行われる。時間としては五十分で、マンツーマンの授業。だからこそ親身な指導ができるという理由で俺はここを選んだのだ。そして時計の針が十分を指そうということで俺は講師室を出た。それから教室――というか小さな自習室のような部屋へと移動し生徒を待つ。

 数分もしないうちにドアが開いた。俺はそちらに視線を移す。

「こんにちは」

「はい、こんにちは」

 入ってきた男子生徒に礼を返しその子をよく観察する。丸刈りで、いかにも野球少年といった風情だ。

「じゃあ、ここに来て。授業を始めるよ」

「はい」

 隣の椅子をすっと引いてその子が座りやすくする。男の子は丁寧にお辞儀をしてからそこに座った。やはり運動部というか、姿勢がきちんとしていて真面目そうだ。

「じゃあ、前回の宿題を出して」

「すいません、忘れました」

 前言撤回。少し認識を改める必要がありそうだ。

「えっと……それじゃ前回何処までやっていたのかな?」

「数学の一次方程式です」

「なるほど……じゃあ、そこをやろうか。それと」

「はい?」

「もう忘れ物はしないように。宿題っていうのはやってくるものだし、俺にもそれを確認する義務がある。これは俺との約束だ……いいね?」

「はい! お願いします!」

「よし! いい返事だ! それじゃ、がんばるぞ!」

「押忍! よろしくお願いシャス!」

 最初の方こそハプニングはあったがこの生徒――長谷川君は良い生徒だった。理解も早く、飲み込みも早い。その上授業に積極的だ。これはうまくやれば伸びる。俺もバンバン質問を受けるので大変だったが、同時に満足感もあった。

 楽しい時間というのは過ぎるのも早いもので、いつの間にか五十分経っていた。俺は彼に改めてお辞儀をして口を開く。

「よし、お疲れ。なんだやればできるじゃないか」

「ありゃっす! 頑張るっす!」

「よし! じゃあ次は忘れ物をしないようにね?」

「はい! 今日はありがとうございました! 失礼します!」

 最後まで礼儀正しく長谷川君は去っていった。あの礼儀作法は俺も見習わなければならない。満足感を胸に秘めながら机の上を片付ける。そして荷物をまとめて講師室に向かった。

「どうだったかい? 大変だったろう?」

「あ……お疲れ様です」

 昨日話しかけてもらった講師――佐藤さんに呼びかけられる。今日も疲れきった顔をして、どんよりとした空気を纏っている。

「大変でしたけど……楽しいです。長谷川君も真面目に授業受けてくれましたし」

「そう……か。それならいいんだけどね……」

 なんか含みのある言い方だな……そんなに悪い子じゃないのに。

「とりあえず、自分はこれで失礼します。明日もよろしくお願いします」

「うん。お疲れ様。明日もがんばってね」

 こうして俺の記念すべき講師としての一日が終わった。いろいろとハプニングは多かったが――とても充実した時間だった。

 やっぱり――いいな。教師になりたいや。

 今日だけで教えるということがどれだけ大変かわかった。だが、だからこそ俺はなりたいと思う。子供たちが少しでも自分の夢に近づく――その手助けがしたい。


 そして翌日。今日も俺は長谷川君の担当を任された。内心彼が忘れ物をしないかドキドキしたが……生徒を信頼するのもいい教師の条件だ。落ち着いた気持ちで彼を待つとしよう。

 すると昨日と全く同じ時間で彼は入ってきた。律儀にお辞儀してから俺の隣に座る。

「じゃあ、宿題を持ってきたかな?」

「すいません、忘れました」

 即答だった。思わず俺はピキリと固まってしまう。

「えっと……昨日約束したよね?」

「はい……すいません」

 申し訳なさそうに頭を下げる長谷川君。まぁ反省はしているようだし……

「いいよ。次は絶対にないようにね?」

「はい。次こそは必ず持ってきます」

「よし、じゃあ昨日の続きを……」

 適当なところでお説教を切り上げて授業に移る。なにせ時間は限られているのだから少しでも学力をつけさせるに越したことはない。

 あっという間に五十分が立ち俺は彼と別れて講師室に向かった。するとまるで俺を待っていたかのように佐藤さんが出迎えてくれる。

「お疲れ」

「お疲れ様です」

「長谷川君……だよね? 君の担当」

「はい、そうですけど?」

「あの子、今日も忘れ物したでしょ?」

「な……何でそれを……!?」

 すべてを熟知している老兵のように佐藤さんは口の端に笑みを浮かべる。

「有名なんだよ。あの子よく――というか毎回忘れ物をするんだ」

「注意とか――」

「したけど無駄さ。君もわかっただろう?」

「いや……でも……」

 せめてあれはいつもの習慣ゆえの過ちだと思いたい。だが――どうしても佐藤さんの言ったことが心に引っ掛かる。

「君も諦めた方がいい。この世には――どうにもならないこともあるのさ」

「それは……違います」

 俺はきっと目の前の佐藤さんを睨みつける。彼は覇気のない目でこちらを亡霊のように見つめていた。

講師おれたちがあの子たちを見捨てたら……だれが彼らを導くんですか!?」

 講師室に響き渡るような大声で俺は叫んだ。だが、誰一人として俺を止めようとする者はいない。まるで昔の自分を見ているかのような枯れきった目でこちらを見るだけだ。

「俺は……諦めません!」

 それだけ言って俺は足早に講師室を後にした。何やらまとわりつくもやもやとした感情を払うように全力で――家まで駆けた。そして頭ではどう彼に対処すべきかを考える。

 正攻法……は難しそうだ。となれば……何か別の方法を考えねばならない。とりあえず次の彼の授業までまだ一週間ある。それまでに何か策を練らねば。

 俺は新たな決意を胸にひたすら走った。そして家に着くなり教科書を片っ端から引っ張り出す。

「と言っても……どうしたもんかなぁ」

 正直な話、彼は特異な生徒だ。成績が悪ければそれを治すのはある程度可能だ。だが、忘れ物となるとそうはいかない。それはもう彼の悪癖とでもいうべきものだ。

「まぁ……情報を集めること……かな? 最善は」

 ひとまずの解決策を考え、俺は床に着く。そして次の授業までの英気を養っていった。


 時は流れてちょうどいよいよ長谷川君との授業がやってきた。妙に心臓が早く脈を打つ。しばらくそわそわと待っているとゆっくりとドアが開き彼が入ってきた。

「宿題は?」

 開口一番俺はそう訊ねた。そしてその答えはもちろん――

「忘れました」

 だ。だがここまでは予想通り。俺は彼に笑みを浮かべつつ椅子を引く。そして彼が座ったのを確認してから――

「ところでさ、長谷川君何が好きなの?」

「へ?」

「いや、生徒とのコミュニケーションも重要だと思ってね。よかったら教えてくれないかな?」

「もちろんです!」

 元気よく答える長谷川君。そう、返事だけは良いんだよなぁ……。

「何か好きなのある? ゲームとか……スポーツとか」

「えっと……恥ずかしながらバケモンが好きです」

「本当に? 俺も好きなんだよ!」

 バケモン――正式名称バケットモンスターだ。バケットに入るサイズのモンスター達を使って戦う大人気ゲームだ。アニメ化もされていて今でも絶大な支持を得ている。

「そうなんですか!?」

 よっしゃ食いついた! ここが……好機!

「そうだよ。なんてったって最初からやりこんでるからね」

「よ……よかったらバトルか交換しませんか?」

 目をものすごく輝かせて訪ねてくる長谷川君。そして俺は彼に頷き返し、

「明日、授業あるよね? 終わったらやろうか」

「はい! ありがとうございます!」

 よし、ここまでは作戦通り。やっぱり情報収集は大事だね。

「じゃあやるよ。今日は教科書の五十三ページから」

 俺は丁寧に彼に教えていく――内心ある企みを抱きほくそ笑みながら。


「先生やりましょう!」

 次の日長谷川君はいつもより数十分早く来た。おそらく早く始めたかったのか、入ってくるなり鞄に手を突っ込んでゲーム機を取り出した。だが俺はここで首を捻り――

「あ〜ごめん。忘れちゃった」

「そ……そんな!? 約束したじゃないですか!?」

「これで分かっただろう? 約束を破られるっていうのは辛いんだ。君はこれをずっとしていたんだよ?」

 ハッとした表情になる長谷川君。俺は間髪入れずに二の句を告げる。

「今すごく嫌な気持ちだろう? 君はいつも人にそんな思いを味わわせていたんだよ」

「そ……そんな、俺が……」

 ガクッと膝をつき、涙を流し始めた。俺はそんな彼に歩み寄りその肩に手を置く。

「いいんだよ。過ちは誰にだってあるんだ……もう忘れないね?」

「はい……俺が間違っていました……すいません……」

 よしよし……これで何とか一件落着……かな?

「じゃあ、始めようか。今日は悪かったね。次は持ってくるよ」

「はい! 俺も……絶対持ってきます!」

 ごしごしと目をこすってから長谷川君は立ち上がって席に着いた。気のせいか俺も目頭が熱い。ばれないように目をこすりつつもいつものように俺は彼との授業を開始した。


 それからというもの、彼は忘れ物をしなくなった。どころかそれに比例して成績すらも飛躍的に上昇している。これは教師冥利に尽きるというものだ。おかげで塾長の俺に対する評価もうなぎのぼりである。

「ねぇ、ちょっといいかい?」

 そんな時、佐藤さんが俺に声をかけてきた。だが、明らかにいつもの様子と違った。よれよれのスーツはパリッとしてノリが効いており、目にも生気が宿っている。

「僕もね、君に言われたことを考えたんだけど……確かに君の言うとおりだ。ありがとう、まだ若い君に教えられるとは僕もまだ未熟だったみたいだ」

「いえ、そんなことないですよ。俺の方こそ、ご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いします」

「うん。僕にできることがあれば何でもするよ。ただ……これだけはいいかい?」

「なんですか?」

「いつか君も壁にぶつかると思う。でも、僕みたいになっちゃだめだ。この前僕に言ったことを――忘れないようにね」

「はい……もちろんです!」

 佐藤さんはサムズアップをして去っていった。背筋をぴんと伸ばしてまるで新入社員のようにやる気に満ちたその姿に俺は思わず息をのむ。

「俺も……頑張んないとな」

 そして机に出していた荷物をまとめ教室に向かう。さて今日は――どんな学びがあるだろうか?


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