単独行動
一筋の光の帯が廃病院の中を煌々と照らし出す。上下に揺られる光は持ち主の焦りを表しているかのようであった。
「憲一!待ってろよ!」
大柄な体に似合わず軽快な動きで大介は病院内を駆け抜け、地下へと向かう道を探していた。
「あった!階段……って下に向かうのはねぇのかよ!」
目的地であった階段をなんなく見つけた大介であったが、不幸にも階段は上へ向かう階段しか無い。大介は知らぬことであったが、病院の多くは地下に手術室を設ける事から、清潔度を保つために職員のみしか地下に降りれない様に別の階段を用意する事が多い。
「くそっ流行りの欠陥住宅か」
とりあえず苛立ちを表す為になんやら言っているが、流行りでも無いし、欠陥でも、ましてや住宅でも無いという突っ込みを入れてくれるものは誰も居ない。
それに正面口から入ったわけでもないので、いまいち場所が分からないし、廃病院ゆえに案内板もところどころしかぶら下がっていない為、現在位置すらも判断付かない。唯一分かることと言えば、先の救急外来から見た景色からここが一階だという事だけだった。
「せめて地図があれば……そうか総合受付に地図があるかもな」
闇雲探しても余計に時間が掛かるだけだと、大介は今来た道を引き返し総合受付へと向かう。
「無事でいてくれよ憲一」
焦燥感に押されるように大介は全速力で走り出した。
「……ところどころが剥げてて全然読めない」
どんっとそれなりの力を込めて和泉は案内板に拳を叩きつけた。幼馴染みも含めクラスメートからクールだと思われている彼女には珍しいほどの焦りが、そこには見て取れた。
大病院、大学病院クラスの病院は改築、増築等を行うことが多い。未だ病院の正確な病院の規模を知らぬ彼女ではあったが、総合受付の大きさから、少なくとも総合病院と呼べるだけの診療科が有るということは掴んでいた。
(とりあえず読める範囲で分かるのはここが一階だってこと位ね。地下へ行く階段が書いてないけど、職員以外は立ち入りできないってことか……ってことは地下は手術室かな)
中途半端な地図からそこまで推測した和泉は次に行くべき場所を導き出す。
「非常階段ならもしかして……」
入院患者やお見舞い客、災害時と避難経路が真っ当な病院なら普通は存在する。地下に行くのにエレベータしかないというのは普通では有り得ない。ならば……。
「この剥げている四か所の内のどれかが非常階段のはず。かたっぱしに行ってみるしかないか」
悩んでも答えが出ないと判断し、和泉は素早くその場を後にした。
青い光が特徴と呼べる特徴が無い少年の顔を鮮やかに照らし出す。少年、憲一は闇の中で唯一の拠り所たるスマートフォンの明かりを頼りに暗闇の中を探索していた。
「全然見えねぇ……ゲームだったらライターで一メートル四方は見えるのに」
ぶつぶつと呟いても現状は変わらないと分かっていながらも、少しでも気を紛らわせる為に憲一はひとり言を口にしていた。
憲一とて俄かには信じがたいが、自分の部屋に居たはずなのに気付けばこんな状況。現実的な推理など出来るわけも無く。とりあえず、こんな状況に陥る前にプレイしていたゲーム、死霊少女の廃病院とこの廃病院が何らかの繋がりがあるのではないかと思い始めていた。
「どうしよう……あ、そういえば」
途方に暮れる憲一はスマートフォンを顔の前まで持ってくると、なにやら画面を操作し始める。圏外かどうかの確認にでは無く。開く画面は画面メモのフォルダだ。
「あった!よしこれで……」
憲一が開いたフォルダには死霊少女の攻略サイトの画面メモが記されたページだった。今月の小遣いが無くなり、当座を無料のフリーゲームで凌ごうと考えていた憲一は、あらかじめ目ぼしいゲームの攻略が記載されたホームページの画面をキャプチャーしメモリー内の保存していたのだ。
「なになに……」
一度は簡単に読んだあらすじやゲームの特徴について憲一は現状が打破できるのではないかと一字一句逃すまいと真剣に読み始める。
死霊少女はマップ探索型のホラーゲームであり、三人が合流し病院内を脱出するのを目的としている。なお、病院内には探索者を妨害する死霊と呼ばれる霊が徘徊しており、この霊に遭遇すると対応によってはキャラクターが死んでしまう。それぞれのキャラクターには個別の特徴が存在し、男性キャラクターは重い物が持てる。女性キャラクターは男性キャラクターでは通れなかった狭い通路を通る事が出来る。などの違いがある。この三人がそれぞれ動き、徐々に謎を解いていきシナリオを進めていくというストーリだ。
「やべぇ……そういやエンディングによっては人が死ぬんだった」
キャプチャーされた画面を読み進めていくうちに、その手のシナリオでは有りがちな内容を見つけ憲一は顔面を蒼褪めさせた。
「ん?でもこの場合は誰がどのキャラクターに当て嵌まってるんだ?本当なら女の子がここに落っこちるはずだよな。俺がヒロインポジかよ。なら頭良いキャラは和泉だよな。ってことはもう一人の男が大介か?くそ……ネタバレだからって途中までしか攻略がねぇ」
シナリオや攻略を最後まで知ってしまうと面白くないと詳しくサイトを見ないで画面をキャプチャーした為、憲一が開いている画面メモにはシナリオも攻略も途中までしか乗っていなかった。サイトの管理人はこのゲームを楽しんでほしいからとの、親切心から敢えてそうしていたのだが、今の憲一にとっては不親切に極まりない。
「一番最初の死にイベント……あ、不味い……和泉が危ない!」
とりあえず見れる範囲での危険なイベントに視線を走らせていた憲一はゲーム内では最初の操作キャラクターである眼鏡を掛けた知的な少年に起こるイベントを見つけて焦りからか意味も無く立ち上がる。
死霊少女がどういった恐怖演出があるのかと端的に表す為なのか、いわゆる初見殺しと呼べるようなイベントが憲一の握るスマートフォン内に映し出されていた。
それは暗い影だった。
気付ければこの世界に一人存在し、待ち望んでいた。自分が居る世界に引き込める人間を。操作キャラクターが一人で有ったら、それこそわんさかゲーム内に引き込むことが出来のだが、このゲーム死霊少女は操作キャラクターが三人の為、わざわざ三人揃うのを待つ必要があった。しかも男二人、女一人。ホラーゲームなんて大抵は一人でやるし、三人でプレイしたとしても男三人が関の山だろう。
その上、媒体がフリーゲームだと中々条件が合うということは無く、それはようやく揃ったその状況に感謝していた。喜び過ぎて、気付けば和泉を穴に落とすはずが間違って憲一を穴に落としてしまう程に。
ともあれ初めての獲物。いつもの決められた動作しかキャラクターとは違う、生の人間の反応が見れるとあればぐずぐずしている暇は無い。
喜色に満ちた気配を漂わせ、それはゆっくりと一番近い人間へとその暗闇に染まった手を伸ばした。
「見つけた。ここから地下に行けるわ」
地下への階段を見つけ、走ったせいで若干汗ばんだ額を和泉は左手で拭う。深く息を吸い、ゆっくりと溜めた息を吐き出す。ここから先、何が起こるか分からない以上、焦っていくべきではない。
地下への階段は、心なしか今いる階よりも濃密な闇に満ちている様に和泉は感じる。幼馴染み、クラスメート達からは落ち着いていて頼りがいが有ると思われている彼女だが、流石にこんな状況でも落ち着いていられる程、泰然自若でも無い。なんだかんだ言ってもまだ十六歳の少女である事に間違いはないのだ。
「ふー大丈夫、大丈夫」
階段を右手に握ったライトで照らしながら、和泉はゆっくりと地下へと一歩一歩足を運ぶ。急ぎたい気持ちは有るものの、言いようの無い恐怖が足を鈍らせる。
踊り場まで辿り着き、再び深呼吸し心を落ち着かせる。じっとりと汗ばむ手のひらでライトを握り直し、和泉は歩き出した。
「なんで非常扉が閉まってるのよ」
ドンと和泉は目の前の白い非常扉を叩く。それなりの力を込めるも女の細腕では非常扉はビクともしない。というかそもそも何故、扉が閉まっているのか意味が分からない。
「鍵も無いのになんで開かないのよ!」
扉に体当たりを敢行するも、並みの扉とは頑丈さが違い過ぎる。何度繰り返しても依然、扉が開く気配は無かった。もしかすると建物自体が歪んでいるのかもしれない。
「別の道を探すか……大介でも連れてくるしかないか」
自分では開けられない扉でも同年代を遥かに上回る筋力を誇る大介なら扉を開けらえるではと和泉は思い至る。
「ゆっくりはしてられないわね。きゃあ!?」
階段を上がろうとした瞬間、思いがけない事態に和泉の悲鳴が上がった。
積もった埃に足跡を残し、大介は総合受付の中を探索していた。
大介も和泉と同じく総合受付で案内板を見つけていたが、和泉と同じ思考に至ることは無く、とりあえず手当たり次第にそこらを探そうという結論に至っていた。
「……何処だ。クソッ」
ざっと受付を見る限り、色あせた書類があるだけで、地下に行く術は何処にも記されていない。進展しない事態に歯噛みする大介がふと素足である足元に違和感を覚え、しゃがみ込む。
そこには床に取っ手が付いてあり、もしやと思い大介はその取っ手を掴むと躊躇い無く開いた。
「床下か……配線や配管を通す為の隙間か?良く分からんが……どちらにしても俺じゃあ入れんな」
床下はそれなりに広いものの、女性なら余裕、平均的な男性ならなんとか入れる程度の隙間しかない。日本人としては明らかに規格外な体躯を誇る大介では入り込むのはとても無理だった。
「和泉なら入れるな。あいつモヤシみたいに痩せてるからな」
本人に聞かれていたらぶん殴られること必死な事を口にすると大介は覗き込んでいた穴から顔を離す。
「ん?……君、誰?」
妙な気配を感じ大介が振り返ると、そこには黒い髪を胸元まで垂らした白い病衣を羽織った少女が立っているではないか。長い髪が顔に掛かっているせいで表情は一切読めないが、身長は和泉よりも低く、体も華奢そのもの、履物は履いておらず素足。
そこまで確認し、大介はこの子も、自分と同じく知らないうちにこの場所に来てしまったのではないかと考えた。廃病院に似つかわしくない着の身着のままな格好もそれなら説明がつく。
「君も知らないうちにここに来たの、ぐっ!?……な」
高すぎる身長からなるべく威圧感を与えないよう大介は屈むに留まらず、片膝をついて大介は視線を合わせ、しゃべりかけたところで、いきなり大介は少女に掴み掛られていた。
強制的に呼吸を制限され、たまらず大介はうめき声をあげる。
少女の凶行は止まらない、苦しげな声を上げる大介にお構いなしに、更に力を込め、なんと大介の身体を持ち上げ片膝から屈んだような体勢にする。
(なん……なんだ。ってか……す、すげぇ力なんだけど)
首から手を外そうと大介は抵抗するも、少女の細腕からは信じられない力で締め付けられているので、大介は拘束から逃れられない。
「や……めろ。これ以上は……」
懇願するように大介が呻くも、少女は意に介した様子は無い。むしろ今まで以上の力で少女は大介の首を絞め始めた。
(くそ……っ!)
諦めたように大介は両の手から力を抜いた。
「……フフフ」
力を抜く大介に少女は暗い笑みを髪から覗く口元から見せる。そこには明らかに喜悦が滲んでいた。
「っ!!」
瞬間、大介を締め上げていた少女の右手から鈍い音が響き、少女は顔面に爆発したような感覚を覚え、思い切り後方へと吹き飛ばされていた。
吹き飛ばされた先にある机を数個巻き添えにし、少女は床に倒れ込む。
「パニックになってるならしょうがねぇかと思ったが、面白がってやってんだったら話は別だ!!おらぁあ!」
少女の右手を自慢の握力で握り潰し、全力の左ストレートを叩き込んだ大介はうおおおおおおお、獣の様な雄たけびを上げて床を踏み抜かん勢いで走り出す。肉体を鍛えているからこそ大介には少女が異質だと理解していた。この少女の体躯で、あの腕力は有り得ない。害意が有ると分かった以上、手加減する必要は無い。
(こいつが憲一達のところに行ったら不味い!俺が潰す!)
手近な椅子を持ち上げ大介は容赦無く少女へと椅子を投げつける。破壊音と共に少女が呻く。
「ぐぅ!」
明らかに苦痛を訴える少女に大介は躊躇うことなく次々と椅子を投げつける。狙いは違うこと無く少女に着弾し、椅子の無残な残骸へと生まれ変わり、どんどん少女の上へと重なっていく。
だが、大介の予想通り少女は異質な存在だった。何度か椅子をぶつけられたところで宙へとその体を浮かせる。
「イタイ!イタぐっ!?チョッ……!?」
宙に浮きながら怖気を誘う声を少女はあげるが、少女を敵と認識した今の大介に少女の悍ましい声も、宙に浮くという普通では有り得ない現象も手を止める理由にはなり得ない。
それどころか机の上へと登り、少女を仕留めんと飛びかかる。
少女もまさか飛びかかって来るとは思わなかったのだろう。逆に驚きの声を上げるも、そんな事で既に自身に飛びかかってくる人間を止めるなんて事は出来はしない。
百キロに迫らんとする体躯が襲い大介の勢いそのままに床へと諸共に叩きつけられてしまう。
「――――――っ!?」
だが、ここで体躯の違いが少女に有利に働いた大柄な大介と小柄な少女がぶつかったことで、少女は面白いように吹き飛び、受付のドア付近まで吹き飛んだのだ。
「っ!!」
弱々しい動きで立ち上がるも、少女は目の前にドアが有るのに気付くなり、慌てて総合受付のカウンターから逃げ出した。
「待て!!」
逆に力強く起き上がった大介は逃げようとする少女に怒鳴り声をあげて猛然と追撃を開始する。もはやどちらから襲い掛かったのか分からない光景だった。
「――――!!?」
自身を追いかけてくる大介を視認すると少女は重力を感じさせないフワフワとした動きで待合い室を逃走する。偶に後ろを振り向きその度に逃げる速度を加速させる。獲物を確実に仕留める大型猛獣の様な大介の表情は怖すぎた。
少女は階段まで辿り着くと、迷い無く二階へと向かう。超常の存在故か、階段という構造を無視してふわりと上へと登る。大介も二段飛ばしで階段を駆け上がるが、少女の方が圧倒的に速い。
「どこに行きやがった!……でもあいつがこの良く分からんねぇ事態の原因か?」
良く分からない事態が重なっている。ならばあの不気味な少女が事態の解決策になるではと大介はやや血の巡りが良くなった頭で思いつく。
「とりあえず奴をふん捕まえよう!」
ライトで辺りを照らす。下の階とは異なり、規則正しく部屋が並んでおりプレートが所々落っこちているものの203だの205だの記されている事から、一階が診療科が並んでいるのに対し二階は病棟で有る事が分かる。
通路には埃が有るものの、椅子などは無く、ライトの光は障害物に影響されることなく光の帯を照らし出していた。階段から真っ直ぐに伸びる範囲には先の少女の姿は無い。
「これじゃあ上に行ったか、この階にいるのかも分からないな……もしかしたら地下に行く手段が見つかるかもしれないし、一応、この階を調べるか」
そう方針を決めると大介は一番近くの病室の扉に手を掛けた。
二階、ナースステーション。
ナースステーションの奥にあるスタッフ用の休憩室で小さな影が小さく震えていた。
震えていたのはつい数分前に大介に襲い掛かり、見事に撃退された黒髪の靡かせた病衣の少女だった。
「―――――」
ぶつぶつと愚痴めいた事を呟いているが、要約すると大介に怯えていた。
今までだったら……本来の登場人物の三人だったら決まった動作しかしなかった。そして三人が三人とも初めて見る自分に恐怖を抱いてくれた。怯え戸惑い逃げ惑う相手を追い詰める。単純であってもそれはそれで面白かった。だからこそ、普段の三人とは違い、この世界招いたあの三人も同じく恐怖してくれると少女は考えていたのだ。
ところがどうだ?とりあえず普段だったら眼鏡の少年のポジションに居る体が大きい少年に襲い掛かったら、逆に痛めつけられたのだ。
「―――――」
一番最初に殴られた時は怒りを抱けた少女だったが、狂った獣の様に暴れる大介に今は完全に引け腰だった。
確かに場合によっては抵抗されたこともあった。だが、あそこまでの抵抗は初めてだ。
震えながらじっと右手を見つめる。右手は血こそ出ていないもの見事にひしゃげていた。おそらく顔や体も散々な目に遭っているだろう。だが……。
ミシミシと不穏な音が鳴り見る見るうちに少女の怪我は修復されていく。
「―――――――――」
とは言っても恐怖までは流石に回復しきれない。ちらりと少女はカウンターから顔を覗かせる。
少女は目に飛び込んできた光景にビクリと体を硬直させると、即座に顔を引っ込める。向こうからは見えないだろうが、闇を見通す彼女の眼には病室を次から次へと調べる大介の姿が映っていた。
「――――――」
なんで本来なら追い掛け回す側の自分がこんな目に遭わなければならないのだと、少女は頭を抱える。これでは立場が逆だ。
「――――――」
あいつは後にしよう。ただ闇雲に姿を現して脅かすだけが自分の力ではない。手を使わずに物を動かしたり、物を通り抜けたりと、一般的に幽霊と言われる存在の力を一応使える。ただ、今すぐに大介のところに行くのはちょっと遠慮したい少女だった。
「ヤバい……どうしよ」
スマートフォンの光に顔を照らされながら、憲一は一人でわたわたと慌てていた。相も変わらず部屋は薄暗いを通り越して真っ暗闇。唯一の光源がスマートフォンと言う有様。画面メモに記録した情報から二人に危機が迫っているのは分かっていても、助けに行けないというのは焦りをより一層助長させる。
「そうだ……序盤だったらこのサイトにも攻略が乗っているかも」
画面をスクロールさせると、幸いなことに憲一が予想した通り、この部屋からの脱出法が表示されている。
「なになに……って、部屋を歩いてある場所まで行くと勝手に落としたライトを見つけられる。……見つけられなかったんだが」
画面メモに残された情報との齟齬に憲一は頭を捻る。
(確かに色んなゲームで操作しているキャラクターが自動に動くことはあるけど……この場合、操作キャラって俺なんだよなぁ)
「この喋っている言葉だってゲームじゃなかったし……仕方ない良く探してみよう」
思ったが吉日、健一はスマートフォンの光を頼りに辺りを念入りに探し始めた。床には少ないものの瓦礫や廃棄された機材が幾つか放置されており、それが影となり単純に明かりを照らせば見つけられる様には見えなかった。
「そういえば、こっちの方は探してなかった。……ん?」
最初に落ちた場所に戻り、まだ探していなかった場所に思い至りそちらに歩を進めると、憲一のつま先に何かを蹴っ飛ばした感触が伝わる。
「こんな簡単に見つかるとは……やっぱりイベントってことか?」
壁際まで蹴飛ばしてしまった物は案の定、先まであんなに探していたライト。何か作為的なモノを感じつつも、役に立つことには変わりはないので憲一はライトを拾う。
幸いにもライトは壊れてはおらず憲一は安堵の溜息を吐いた。
「とりあえずここを脱出しないとな」
ライトの光をこの部屋唯一のドアに向け、憲一は歩を進めた。
「きゃあ!……え……う、嘘、ラ、ライトが」
本人にしても和泉にしても珍しく悲鳴をあげた原因は、これまで唯一といって良い光源たるライトの明かりが途絶えたことによるものだった。
ライトで照らしてなお、深い闇を湛えた空間は、明かりが消えたことにより一層、和泉の恐怖を煽り立てた。
「ちょっ!え、う……あ」
カチカチとライトのスイッチを何度押しても明かりが灯る気配はない。まるで目を瞑っているかのような闇がべったりと和泉の視界を塗りつぶしていた。
鳥肌が全身の肌を走り抜け、冷や汗がどっと噴き出す。肌がピリピリと痺れ、毛穴が開く様な感覚を和泉は覚えるが、それがなんなのか明確に意識する余裕は彼女には無かった。
悲鳴すらも上げられない程に追い詰められた彼女は、残った理性でなんとか元来た場所へと戻ろうと、そろりそろりと階段を上り始めた。
「う……ど、どこ……」
明るい場所だったら年頃の少女としてどうよ、という四つん這いに近い動きで和泉は上へ上へと登って行く。相も変わらず黒を塗りたくったような暗闇は続き、和泉の正気をがりがりと削っていく。彼女がギリギリのところでパニックを起こさないのは、憲一を助けなければという責任感からだった。
なにせ、もう一人の人物は身体能力、知識ともに筋肉しか取り柄の無い大介。ここで、自分が動かなければ、憲一の無事すら確かめる事が出来なくなってしまう。
「……し、しっかりしなきゃ。私が、しっかりしなきゃ!」
この事態に自身がかじ取りをしなければと、ただそれだけを軸に和泉は自身の自我を強固に保つ。慌てふためいて好転しないのは、日常だろうが非日常だろうが変わりの無い事だろう。
「……ちょっと落ち着いた。そうよ携帯の明かりで代用すれば良いのよ」
まだ青白い顔をしてはいるものの、落ち着きを取り戻した和泉はジーンズのポケットに入れていた携帯を取り出すと、カメラのライトを懐中電灯代わりにする事を思いつく。
「あれ?」
明りを得た事で更に精神が安定してきたのか、学内でも優れた頭脳がある違和感に気付かせる。
「どうして靴を履いてるの?」
幼馴染みの家から気付かぬ間に廃病院へと移動し、そしてその幼馴染みの一人が階下へと転落してしてしまうという普通では想像し得ない事態に焦っていて今まで気付いていないことがようやく浮き彫りになる。
(どういうこと?……憲一の部屋から単純にここに移動したわけじゃない?そもそもが異常だけど)
携帯の明かりを頼りに一階へと戻ってきた和泉は、階下へと移動する手段を考えつつも周囲へと視線を走らせながら、移動を開始する。その中でも疑問は和泉の心の中から完全に消える事は無かった。
「これだけ大きい病院ならきっと何度も増改築をしているはず、地下に通じる階段は別の棟にもあるかもしれない」
一階へと無事に戻ってきた和泉は自身で確かめるようにそう呟くと、まだ探索していない場所へと足を運ぶ。
地下とは違い薄暗い廊下を手にした携帯の明かりが頼りなさげに照らす。照らしきれない闇と光の端々がまるで生き物の様にぞわぞわと動いている様にも見える。
「ここは……検査の受付が集中しているみたいね」
和泉が照らす明かりの先には検査室、採血室、放射線科と書かれたプレートが照らされている。
そして、エックス線室、CT室、MRI室といった部屋の前を素通りしようとして、立ち止まる。
「やっぱり、ただの病院じゃあないみたいね」
単純エックス線写真、CT検査はレントゲン博士が百年以上前に発見したエックス線を用いる検査であり、それらの検査室には放射線を用いた管理区域である事を表記しなければならない。……のだが、和泉が見る限り両方の部屋にそれらの表記は見当たらない。
病院という施設は医療監査という外部の機関による見回りを定期的に行わねばならない。無論、監査が入るときだけ、きちんと取り繕うという施設も少なくない。だが、手間もほとんど掛からない表記をしない理由は無い。
先からじわじわと込み上げてくる違和感がいよいよ形になりつつあるのを感じながら和泉は未だ見つからぬ地下への道を求めて歩き始めた。
その場には物言わぬ闇がじっとりと広がっていた。