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ふと気付くと廃病院

設定だけ考えていたはずが何故か結構な分量になったので投稿しました。


 

 とある街の郊外。そこには大きな大学病院が建っている。建っているとは言っても、閉院してから随分と経ち、廃墟と呼ばれるようになって久しい。

 そういった廃墟の多くが心霊スポットと呼ばれるが、この廃病院もその例に漏れず、幽霊が徘徊すると噂され、怖い物知らず、幽霊マニア等が今も夜な夜な探検に訪れていた。

 ただ、他の心霊スポットと一線を画しているのは、廃病院を訪れた者が病院から何か恐ろしい物を見た顔で帰ってくることと、その内の何割かが行方不明になっている事だった。


「ねぇ、やっぱり帰ろうよ……こ、怖いよ」

「ははは、ここまで来て何言ってんだよ?」

「幽霊、興味深いですね」


 未だに恐怖体験談が底を尽きない、そんな病院に都市伝説の噂を聞きつけた三人の男女が足を運んでいた。

 身なりはいたって普通、不良の類には見えないどこにでもいそうな三人の男女。年若く、まだあどけなさすら感じさせる容貌は高く見積もっても二十才を越えないであろう。

 女性……女の子は見るからに怯えていることから、男二人に強引に誘われたのが容易に想像できた。


「結構前に廃院になったらしいけど、あまり荒れてなさそうだな」

「そうですね。不良の類が溜まり場にしてもおかしくないと思いますが」


 怯える女の子などいざ知らず、男二人はずんずんと廃病院の敷地に足を踏み込んでいく。きょろきょろと周りを警戒気味に見渡しているものの、そこには恐怖よりも好奇心の色合いが濃い。

 一行は足取りはそれぞれに病院の二つの入口が並ぶ、正面口へと足を運ぶ。


「やっぱり正面からは入れないか……」


 三人の中で一番、前を歩く髪を短く刈り込んだ青年が、こつこつと確かめるように正面口のガラスを叩きながらそう呟いた。


「そうですね。自動ドアでしょうから電気、それ自体が来ていないんでしょうね」

「入れないならしょうがないね!ね、もう帰ろう」

「職員用の入口とか、緊急患者の搬入口とかあるよな」

「確認して損はないでしょう」


 女の子のもう帰りたいと言う言葉を無視して、男連中は開いている入口を目指し始めた。


「……帰ろうって言ってるのに」


 不満を呟きながらも、女の子は暗い足取りで二人の後を追う。このまま二人を置いて帰ると言う選択肢も彼女の中にあるにはあったのだが、それはここまで三人で来た道のりを、たった一人で帰るという事に他ならない。


「はぁ……ちょっと!待って置いてかないでよ!」

「なに、ぼーっとしてるんだよ」


 こんな場所に年頃の女の子が一人きりになるかもしれないというのに、まったくもって自分に意識を払わない二人に女の子は怒りを覚えるが、なんとか堪えた。ここで言い争いになっても不毛の極みだ。






「ん……開いてますね」


 眼鏡をかけた理知的な少年が緊急患者の搬入用の入口が開いているのを発見した。


「お、マジか!?おー開いてる開いてる!さっそく入ろうぜ」

「……はぁ、なんで開いてるかなぁ」


 嬉々として飛び込む短髪の少年と、やや警戒して入る眼鏡の少年、そしてびくびくしながら女の子がそれに続く。


「ここは救急外来ですね」


 眼鏡の少年が部屋をざっと見て、呟いた。

 ここは眼鏡の少年が言った通り、緊急を要する患者や、救急車にて病院を来院した患者などが処置を受ける救急外来、救外と呼ばれる処置室だ。本来であればAEDや人工呼吸器等に代表される救命機器も無論常備されている。


「とは言え、廃病院になって久しいですし、閑散としていますね」


 流石に棚などのものは未だに置かれているが、部屋の中にはその棚とストレッチャーと呼ばれる移動式のベッド位しか目立った物は残っていなかった。


「さて、手術室とか霊安室とか探そうぜ」

「いかにもって感じですね」

「ちょ、ちょっと置いて行かないで」


 目ぼしい物が無いと判断すると男連中はさっさと病院の奥へと足を進めていく。幽霊が居るかどうかを確かめに来た二人からすれば、ホラー映画で出て来る病棟や霊安室、手術室が本命。いつまでのここに居てもしょうがない。

 救急外来から出ると、そこは総合病院だけあって広いロビーが三人の目に飛び込んでくる。第一診察、第二診察室、総合受付などの案内板が蜘蛛の巣を張り付けながらも、壁にぶら下がっている。


「う……な、なんか空気が変わった?」

「そ……うですね。ここからが本番というわけですね」


 夜の病院。ひらがな一文字、漢字三文字。たったこれだけの言葉だが、大抵の人は夜の病院と言う単語から怖さを連想するだろう。女の子の方はともかく、男子二人は勢い任せで麻痺していた恐怖がようやく追いついた。

 男二人だったなら、ここで帰っていたかもしれない。だが、女子が一人でも居れば、ついつい見栄を張ってしまうのが男。


「ゆ、幽霊が居たとしても、別にどうってことないだろ?」


 髪が短い男がそう言うと、それに倣うようにメガネの少年も続いていく。


「だから、もう帰ろうよ!ってか帰るからね!」

 

 いよいよ病院の奥へと進む事となり、女の子が悲鳴じみた抗議の声を上げた。病院のほんの入り口でこれなのだ。星明りも月明かりも届かない、深い暗闇の中をそれぞれが手にした懐中電灯で歩く勇気は彼女には無かった。


「お、おい!」

「じゃあね!」


 帰ると決めたらこれまでの恐怖と不安が一斉に吹き出し、彼女の足を駆け足で動かす。捨て台詞の様に別れの言葉を放つと女の子は出て来たばかりの救急外来へと戻っていく。恐怖か?はたまた言う事を聞いてくれない友人二人への怒りからか、やや大きい足音が辺りに響く。

 だが、その足音は唐突に途絶えた。


「え……きゃああああああ!?」


 その代わりとばりに女の子特有のかん高い悲鳴が男子二人の耳を打つ。


「な、なんだ!?」

「どうしました!?」


 ただならぬ悲鳴に、どっと冷や汗を流しながら救急外来へと飛び込んだ。


「危ないっ!」

「うぉ!?ってなんだこりゃ……」


 焦る心、そのままに二人は突き進もうとするが、メガネの少年のほうが聊か冷静だったのだろう。ほんの数分前とは様子の違う部屋に気付き、短髪の少年の服の襟を掴み、それ以上進まないように動きを止める。

 いきなりの静止に短髪の少年も大きな声を上げて驚くが、それよりも更に驚く事態が彼の目の前に広がっていた。


「穴?だよな。こんなのさっきは……」


 短髪の少年が呟く先の床には人一人が余裕で落っこちてしまう大穴がポカリと口を広げている。


「無かったと思います。老朽化が進んでいたんでしょう。たぶん、さっきの悲鳴は……」

「考えたくはねぇけど……くそ、おーい!大丈夫か!!返事しろ!」


 嫌な想像が脳裏を駆け抜けたのか、短髪の少年は穴の近くに屈むと大声で少女を呼び始めた。先の悲鳴からさほど経ってもいないのに気配が無い。


「あの光……ライトか?」

「でしょうね。こちらのライトだと下まで届かないですね。……しかし、ライトが有るという事は」


 闇の中に唯一の光がポツリとその存在を二人に主張しているが、その光が意味するのは二人のツレである少女がこの穴の中に落ちたのでは無いかという可能性を高くするだけであり、二人の不安は増していく一方だ。性質の悪い事に、二人の持つライトは光の帯をぼんやりと見せるだけで、少女の姿は未だに見えない。


「しょうがない、下に降りよう」

「二手に分かれましょうか?なるべく急いだ方が良いでしょうし」

「だな。階段の位置も分からないし、俺はここを出てから左に行く」

「では、私は右ですね」


 声を掛けても、ライトで光を照らしても一向に少女が反応を見せないのは、意識が無いと考えられる。ただ意識を失っているだけなら良いが、深刻な怪我を負っていた場合はシャレにならない。構造がいまいち分からない廃病院の中で二手に分かれるリスクは幾つか有るが、それを差し引いても女の子の安否が不明な今はそうも言ってられない。二人は互いに頷き合うと地下へと通ずる道を探す為、走り出した。


 ……。


 …………。



「なるほど、これなら別々に行動してもそこまで違和感が無いなぁ」


 感心した声と同時にポンと両手を叩く音が狭くも広くも無い部屋に響く。部屋の隅にある机にはパソコンのモニターが置いてあり、そのモニターにはドットで描かれた眼鏡をかけた少年が暗い廃病院の中に突っ立っていた。

 このパソコンゲームをプレイしているのは、中肉中背を絵に描き、青い白いTシャツにブルージーンズと特徴が無い少年。ちなみに名は熊沢憲一。趣味はゲーム全般。見ての通り現在も絶賛ゲームプレイ中であり、そのゲームが潰れた廃病院で肝試し中に行方が分からなくなった幼馴染みの少女を探すという内容だった。


「何をそんなに感心しているんだ?」

「別にホラーゲームに違和感も何も無いんじゃない?そもそも幽霊が出るって言う時点で違和感が有りまくりなんだけど」


 憲一の独り言に男性の低い声と、女性の高い声がそれぞれ掛けられる。


「いやいやそれを言ったらお終いじゃん」


 くるりと机に向かっていた椅子を回転させて、憲一は声が掛けられた方向に体を向け、分かっていないなぁとばかりに肩を竦める。憲一の人を小馬鹿にしたような視線は小さなテーブルを挟んでカーペットの上に座る二人の男女に注がれていた。

 男性、少年は身長が百九十センチ近くもある筋肉質な体躯をノースリーブのシャツとハーフパンツで包み、そこにただ居るだけなのに無駄に存在感を振りまく短髪の偉丈夫、名前は古賀大介。

 その向かいに座る白いTシャツにキャミソールを合わせ、キュロットを履いている少女は佐々木和泉。肩まで伸ばした癖の無い黒髪のクール系の知的少女だ。ちなみにこちらも身長が百七十センチと女性にしては中々の長身を誇っている。

 中肉中背の普通少年と、体育体系以外には決して見えない体躯の少年、そしてクールビューティ少女。

 微塵も共通点が無さそうな三人だが、こう見えて三人は幼稚園以来の幼馴染み。小中はもちろんの事、現在通っている高校までも同じな程、仲が良い三人組だった。


「別に憲一の部屋だからゲームはするなとは言わないけど、大介の邪魔はしないでよ。赤点取りすぎて体育推薦の癖に留年しそうなんて聞いたことが無いんだから」

「いやぁ申し訳無い!」


 三人が集まっている理由は単純で勉強会。なのだがその実、勉強しているのは大介だけで、和泉は冷めきった目で大介の指導を行い。憲一はなんとパソコンでゲームをプレイ中だった。


「大介、声がでかいぞ。ゲームの音が聞こえなくなる」

「ん?それは悪い!」

「だから耳元で大きな声を出さないで……キンキンするわ」


 本来、勉強会なら勉強という名にも関わらず、多くがくっちゃべったりしてしまうものだが、それにしてもこの三人の行動は逸脱し過ぎている。

 その理由は。


「憲一、ダンベルは無いのか。三十キロとは言わん二十キロでも良いんだが……」


 この喋る筋肉の塊、大介が自分の家だと筋トレを開始して勉強どころじゃないからである。かと言って年頃の少女である和泉が二人の男を部屋に入れたがる訳も無い為、自動的に憲一の部屋がチョイスされたのだ。ちなみに喫茶店だの、レストランだの、図書館は大介の声が大きく、他の客、ないし利用者に迷惑なので早々に却下された。


「二十キロも無いわ!ってか三十キロでも妥協しているみたいな言い方するなよ。普段何キロのダンベルを使ってんだよお前は」

「六十キロだが?」

「……」

「ろっ……六十?」


 大介の常軌を逸したダンベルの重さに幼馴染みの二人が絶句する。なにしろ目の前に居る人間が自身の体重とほぼ同じ、もしくは自分の体重よりも重い物を筋トレで使っていると言っているのだ。驚くなと言う方が無理だろう。


「少しは脳味噌もトレーニングしなさいよ。栄養全部、筋肉に使ってんじゃないの?」

「うむ。良質なたんぱく質は良質な筋肉を作るのに欠かせないからな。後はビタミンB6やビタミンB1等も必要だ。特にビタミンB6は脂肪を燃焼させる効果も有る。言わせてもらうなら、鶏のササミはタンパク質、ビタミンB6を多く含み低カロリーで実に理想的な食品なんだ。筋肉は一日で約七グラムくらいしか増えないと言われている為、肉を喰いすぎると逆に太る。運動以上に栄養管理には……」

「憲一……なんとかして」


 大介は筋肉関係の話題においては学年屈指の学力を誇る和泉をも上回る知識を無駄に持っている。普段なら割けるべき話題なのだが、大介の勉強が思った以上に捗らない為、積もり積もったフラストレーションが和泉の注意力を散漫にさせていたのだろう。


「無理」

「即答しないでよ」

「いやぁなんだかんだで、大介も結構、ストレスが溜まっていたんでしょ。テーブルで筋トレされないだけマシだと思おう」


こうなっては大介は満足するまで筋肉知識を喋る続ける事は幼馴染として分かり過ぎる程に分かっている憲一は和泉の助けを求める視線を軽く流してゲームを再開する。

 キーボードを操作しながらモニター内のキャラを操作し、廃病院をくまなく散策する。

 和泉は大介の筋肉話はこりごりとばかりに、憲一がプレイしているゲームがどんなものかと憲一の肩越しにモニターを眺めると、眼鏡をかけた少年のキャラクターが病室と思われる部屋を探索していた。そして思わず疑問に思ったことを口にする。


「パソコンでゲームなんて珍しいね。ってか今どきドット?」

「別に珍しくないし、それにフリーゲームだからドットも珍しくないぞ」

「フリーゲーム?」

「そう、まぁ平たく言うと無料のゲーム。個人で作って配信しているのがほとんど、ゲーム会社が無料で配信するゲームもあるけど、そっちは少数派」


 個人が作ったものが圧倒的に多いフリーゲームはそれこそ質はピンからキリまで存在している。商業用のゲームと比較しても同等もしくは上回る程の良質なものもあるし、制作途中で公開され、完結されてないものまで有る。


「……へぇ」  


 それって面白いのと思わず和泉は口にしそうになるが、大介が筋肉系の話になると止まらないように、憲一もまた、ゲームの話になると舌の滑りが異様に良くなる。それをなんとか思い出したがゆえの気の無い返事だった。


「今月は緊縮財政なんで、とりあえず適当に無料ゲームをダウンロードしてプレイしてんだよ」 

「ダウンロードって危なくないの?」

「あぁ大丈夫、大丈夫。かるーく評価とか見て安全そうなのプレイしてるしね。悪質なのはウイルスが有るって言うし、酷いのはゲームに失敗するとハードディスクを全消去するってのが有ったらしいぞ」

「こわっ」


 コンピュータウィルスに感染しないのがもちろん理想だが、感染してしまったとしても適切な処置をすればウィルスを除去するのは難しくない。だがハードディスクのデータを全て消去されては何の意味も無い。現在使っているパソコンを思い浮かべ和泉は思わずぞっとしてしまう。


(どんだけゲーム好きなのよ)


 小遣いが無くなるほどゲーム好きな幼馴染みに内心で和泉は溜息を吐く。筋肉バカにゲームバカの幼馴染み。どうしてこんな二人に彼女の様なクール系少女が長年付き合っているのかは彼女をして謎であった。昔馴染みだから、なんとなくが一番近いのだろう。


「で?それは面白いの?千差万別なんでしょ。無料ゲームって」

「ん?いや、まだ分かんね。まだ導入部だし。でもここまでのシナリオは結構良いな。ホラー系のゲームって何故か一人で行動するんだけど、このゲームはそこまで不自然じゃないし」

「急に床が抜けたのは不自然……」

「そこは目を瞑れ」

「……」


 能面の様な無表情で呟く憲一に和泉はそれ以上、余計な事を口にするのは止めた。不自然でない導入部が良いと言っておきながら、ちょっと不自然な事を言うとこれだ。


「まぁ、こんなこと現実世界でないでしょ」

「いやぁ分からんぞ!……そう言えば、この街にも田んぼの真ん中にもう使われなくなったリサイクルセンターが……」

「いや、行かないし」


 至極真っ当な事を言う和泉に、いつのまにやら問題集を解くことを再開していた大介が、会話に参加する。だが、それは和泉に一蹴される。

 何故、わざわざ無駄足と分かる労力を払ってまで廃墟くんだりまで行く意義があるのかと。


「おいおい、そこは物語的には乗るところだろ?」

「いやいや、二人で行きなさいよ。本当に幽霊が出るとして、なんでわざわざ危険なところに行くのよ。物語の定番ルートで言ったら誰か死ぬわよ」

「確かに……でも一度は行ってみたいものだ。ホラーゲーム……いや、ホラーファンとしては夢だね。なんでこんな行動するんだ!ってのが多すぎなんだよなぁ」

「その時は俺も行くぜ!友達だからな!」

「おお、友よ!」


 ひょろい憲一とガタイが不必要に発達している大介がひっしと手を握り合い、友情を確かめ合う。そしてミシミシと憲一の腕の骨が悲鳴をあげ始める。


「いっってええええええ!おい!力の抜け!骨が砕ける!?」

「おぉ!悪い悪い。つい力が入ってしまった。ははは!」

「はははじゃねえっ」


 解放されても、痛みはすぐに引かなかったのだろう。左手で右手を摩りながら憲一は抗議する。大介の握力はクルミやリンゴは当たり前の事、生のジャガイモすら笑顔で握りつぶすパワーを誇る。


「いつか絶対、骨折するわよ。さ、勉強の続き、再開するわよ」

「えー」

「デカい男がえーとか言わないで」


 そのパワーを知っているが故に、似合わない口調に和泉は肌が粟立つのを感じた。


「あーこういう展開に一度は遭遇してみたいぜ」




 ナラ、連レテッテアゲルヨ。


「ん?なんか言った?」

「俺じゃないぞ」

「私でもないわよ」


 地の底、もしくは深い水の底から徐々に響き渡るような底冷えする様な声が三人の耳を打つ。

 無論、その声の主は憲一でも大介でも、ましてや和泉でも無い。


「ん……あぁパソコンからだ」

「おいおい、もっと音量を下げろよ」

「まったくね」

「悪い悪い……あれ?このゲームってボイスあったけ?あ……!?」


 首を傾げながらシステム音量を下げようとメニューを操作しようとして、憲一は見逃せない……いや見逃すはずの無い異変に気付く。

 パソコンのモニターはこちらを覗く自分と同じ位の年代の少女が映っていたのだから。


「な……んだよ。これ?」


 ゲームの演出かと、至極真っ当な思考に憲一は至るが、それは僅か数瞬で否定する。怖気を誘う様なつやの無い黒い瞳孔、だがどこか吸い込まれるような錯覚を憲一は覚える。そしてその意識は湯船に落ちた一滴の墨の様に瞬く間に溶けていった。







 規則正しく体がゆらゆらと動かされる感覚を憲一は感じていた。頬にはなんやら人肌の暖かさを持つ柔らかな感触。そしてそれとは全く違う、埃っぽい空気の香り。


「憲一、憲一。起きて」


 鈴の様な、それでいて聞き慣れた和泉の声が憲一の耳朶を打つ。いつもはクールな和泉の声が何処か戸惑っているように憲一には聞こえた。


(ん、ってことは……この感触は、まさか)


 茫洋と漂っていた意識が、とある男の境地の一つで結実する。


「和泉、お前!?」


 飛び上がるように憲一は起き上がる。和泉が自身の顔を覗いている可能性も考慮しない、まさに焦燥感溢れる起き上がりっぷりだった。


「わっ!?……き、急に起きないでよ。びっくりするじゃない」

「お、おう、お、おはよう」


 左手側かかけられた声に、顔を向けるとそこには予想通り、和泉がしゃがみこんで憲一を見つめている。


「あ……あれ?」


 想像していた体勢とは違う和泉の格好に憲一は、首を傾げる。


「どうしたの憲一。まだぼーっとする?」

「い、いや。そんな事は無いけど……えっと、ここは?ってか大介は?」

「さぁ、私が聞きたいくらいだよ?設備を見るに廃病院だと思う」


 部屋の中は薄暗く、屋外からの月明かりが差し込んでいる位だ。だが、和泉は何処から見つけて来たのか懐中電灯で辺り照らす。埃っぽい空気の中に、薬品棚や診察台が並んでいる。


「大介はちなみそこだよ」

「ん?」


 室内をざっと照らし終えた和泉は最後に憲一の脇を照らす。すると、そこにはガタイの良すぎる男、大介が大口を開けて気を失っている。まだに大の字に寝るというのはこういうことを言うのだろう。


(あれ?)


 そこまで理解が及び、憲一の脳がある答えを導こうとしていた。和泉は憲一の左脇にしゃがんでいる。そして、大介は憲一の右側で大の字に寝っ転がっている。そしてその左腕はちょうど今まで憲一の頭があった位置に……。


「腕枕かよ!しかも大介の!」

「なんで私を睨むのよ」


 思いがけず理想郷に到達したのではと、考えていただけに憲一の受けた衝撃は大きかった。何が悲しくて男の、しかも自分よりも遥かにデカい男の腕枕を膝枕と勘違いせねばならんのかと。

 大介の上腕がそこらの女性の太ももばりに太いが故に起こった悲しい出来事だった。


「くそっ!」

「……なにをやってるんだか」


 見慣れた部屋から突然、廃病院らしき場所に紛れ込んでしまったにも関わらず、本気で悔しがっている和泉に冷ややかな視線を送るのであった。





「つまり良く分からない状況だっていうのか?」

「そうなるね」


 ようやく起きた大介に現状を説明し返ってきた言葉に和泉は肩を竦めてそう答えた。


「身に付けてた物はそのままみたいだね」

「この懐中電灯はなんなんだ?一応、人数分はありそうだが……」

「さぁ?それも謎の一つね」


 そう言って、自身の赤い携帯電話を目線の高さに合わせる。


「未だに携帯かよ。俺も大介もスマホだぞ」

「煩いわねー。充電は切れにくし、別にスマホでインターネット繋ぐ気無いし、現状困ってないからいいでしょ」

「話が脱線しているぞ」

「あ……そ、そうね。とりあえずここが何処なのか調べましょ。憲一の部屋に居たはずのにいきなりこんんなところに居るなんてどう考えても変だわ」


 和泉の言葉が終わると同時に三人の間に流れる空気がひやりと冷却される。現実逃避気味にいつもの会話を無意識に繰り広げていた三人だったが、現状は明らかに異質に過ぎた。


「とりあえず……外に」

「病院内を探索だな」

「は?」

「何を言ってるんだお前は」


 とりあえず病院の敷地から出て、現在地を把握すべきだと頭脳派と肉体派が自然に思う中、ゲーム中毒者が一人、意味不明な事を言い出す。


「いやいや、こんなわけの分からない事態になってるんだぜ?ここに俺達が居るってことは、ここに原因が有る……そうじゃないのか?」

「……一理あるけど、その原因が危険なものだったらどうするの?調べるにしても、一度ここを出た方がいいわ。夜に調べる利点なんて一つも無いし」


 そう言うと和泉はすくっと立ち上がる。憲一の言うことは既に却下する気まんまんだった。


「ここは救急外来……かな?だったら搬送用の入り口があるはずね」

「却下ですか……」


 懐中電灯で搬送口を探り当てた和泉は大介を伴いつかつかと廃病院を脱出するために歩き出す。じゃりじゃりと本来なら病院では有り得ない瓦礫と砂が靴底と床との間で擦れる。

 だが、それを気にするよりも早く、ここから出たいという気持ちが和泉の足を急かす。

 無機質で冷たいドアノブに触れ、錆びついてやや空きにくいドアを思いきり開け放つ。

 ひやりとした夜特有の夜気が和泉の肌を打ち、轟音と悲鳴が和泉の耳を貫いた。


「わあああ!?」

「え?」

「は?」


 憲一の悲鳴と瓦礫が砕ける音が同時に響き、和泉と大介が間抜けな声を上げて振り返る。

 すると、そこには直径二メートル近い穴が床に穿たれていた。


「あれ?け、憲一は」

「い、いないな」


 狭い室内で先まで背後に居たはずなのにその姿が無い。そして穿たれた大穴。考えたくも無いが、おそらく憲一は……。


「ちょっと……冗談じゃないわよ。憲一!!返事しなさい!」

「憲一!!」


 部屋の中に居ない、そして先の悲鳴。憲一が下の階に落ちたと判断した二人は焦りながらも、大声を張り上げ、憲一の名を呼ぶ。手に持ったライトで穴を中を照らすが、目に見える以上に深く広いのだろう。ライトの光は憲一はおろか、壁も底を照らし出すことも無かった。


「憲一!こらゲームバカ!起きなさい!返事は!……ダメね。ねぇ大介」

「おい!憲一!もやし!……ん?どうした和泉」

「あんたなら降りれる?」

「ダメだな……底が見れりゃあ別だが、深さが分からないし、俺の体重で憲一の上に落ちたらあいつ死ぬぞ?」


 体と筋肉に見合った優れた身体能力を大介は有しているが、それに比して体重も相応に有る。何より高さが分からない以上、受け身も取れない。憲一が怪我をしている可能性がある以上、ここで大介が動けない程の負傷を負ってしまえば、和泉の華奢な体で二人を運ばなければならない。


「分かれるのは不本意だけど……二手に分かれて下に行く方法を探すしかないわね」

「何故だ?こういう場合は一緒の方が良くないか?」

「憲一が怪我をしている可能性がある以上、出来るだけ容体を早く確認した方が良い」


 何処かで見たような……、もしくは聞いたことがある展開ね。と思いながら和泉は大介と別れ、病院の奥へと走って行った。






「……う……痛っ」


 意識がゆったりと覚醒する中、針が全身を貫く様な刺激を受け、余韻に浸る間もなく憲一は目を覚ました。きょろきょろと開いた両目が左右上下と視線を走らせるが、憲一の視覚はべったりとした闇しか映さない。広い、狭い単純なそれも分からない程の闇が視界いっぱいに広がっている。


「あ……ラ、ライトは!?くそっ……大介!和泉!?」


 暗闇の中、四つん這いになりながら憲一はぺたぺたと両手で辺りを探る。冷たい床の感触と共に小さな砂粒、そして拳ほどもある石、もしくは瓦礫の感触が有るのみで、憲一が探し求めるライトは何処にも見当たらない。

 パニック状態に陥った憲一は半ば泣きそうになりながら、床を這いずるだけで事態は一向に進展しない。瓦礫等で散らかった床を探る手は容赦無く傷ついていくが、それすらも気が付ない程の焦燥。そして、遂にそのままの勢いで憲一は頭から壁に突っ込んだ。


「ぐぉお!いってえええええ!?」


 情け容赦ない痛みが憲一の脳天を貫く。思わず頭を抱え床を転がったところで、憲一の尻がなんやら固い感触を知覚する。


「ん……痛てて……あ!?そうかスマホがあった!」


 その異物が何かを思い出した途端、憲一はある程度の冷静さを取り戻す。後ろポケットからやや慌てた手つきでハードカバーに包まれたスマホを取り出す。幸いにも落下の衝撃や床を転がった事による故障は無いようで、暗闇に慣れた目には痛いほどに明るい待ち受け画面に憲一は思わず顔をしかめてしまう。


「圏外か……それにこの体の痛みと瓦礫。上から落っこちたのか。……ん?」


光を得たことで大分冷静になったのか、憲一はこれからどうするかと思索する中、ある事に気付く。三人の男女が廃病院の中に入り、そして一人が床が崩れるのに巻き込まれ、階下に落ちてしまう。


「ま、さか……いやでも……そんなバカな」


連れてってあげるよ。


「そう言えばあの声は……やっぱり、ここはゲームの……死霊少女の世界なのか……?」


こんな事態に陥る前に最後に聞いた冷たい無機質な声。怖気を誘うあの声色が全ての現況ではないかという考えに憲一は到る。

 背中に伝わる冷たい汗を憲一は感じるのだった。


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