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3話

第3話

 将棋を3回指したら、あっという間に17時になった。帰宅の時間だ。結局、俺と榛名以外には誰も来なかった。


「僕はコップと麦茶を片してくる。ご主人はエアコンを切っておいてくれ」

「わかった。サンキュー」


 榛名が2人分のコップと麦茶の入ったポットを持って事務室から出ていく。俺は将棋盤を基の位置に戻し、パソコンの電源を落とした。結局、カティアさんから返信は来なかったし、本部から任務の連絡も無かった。ごく普通の一日だ。エアコンの電源を落とし、荷物をまとめて廊下に出ると、蒸し暑い空気が肌を包む。

 俺が事務室の扉の横で待っていると、すぐに榛名が来た。合流し、1階に降りる。入り口のドアは内側からは認証無しで開くようになっている。閉まると自動でロックされた。


「さて、帰りがけに買い物していくか」

「さっき通った時駅前のスーパーにセールの広告が出ていた。安く買えるかもしれない」

「うーん……いや、房吉の所で済ませよう。電車の中で大荷物は面倒くさい」


 駅に向かって歩く。夕飯何にするか、とか他愛も無い事を話して歩いているうちに、駅に着いた。改札を通って行きとは逆の方向に。少し帰宅ラッシュに重なる為、ホームは心なしか混雑していた。

 すぐに電車は来た。電車内は混んでいて、席は完全に埋まっていた。電車がホームに滑り込んで来て止まり、ドアが開く。俺と榛名は人混みに紛れるように乗り込む。


「そういえばご主人」


 吊革につかまりながら榛名が聞いてきた。


「何だ?」

「いや、今日妹君を見ていない気がして、な」

「大方、神社じっかの方が忙しかったんだろう。明日が怖いよ」


 ツツジも一応巫女である。巫女として働かなくてはいけないし、すぐ傍とはいえ毎日俺の家に襲撃に来れる訳ではない。しかし、そう日の次の日のツツジはフラストレーションが溜まっている為、出合い頭に襲われることもしばしば。というか、家で待ち伏せとかされてないよな?


「まぁ、その時はご主人が死ぬだけだ」

「おい」


 しれっと飛んでもないことを言う榛名。背中に悪寒が走る。


「ままま、まぁ、甘えてくる妹に構ってやるのも兄の務めだからな」

「赤飯なら喜んで炊いてやろう」

「なんで一線を超える事前提なんだよ……」


 そのままグダグダと話し続けていると、いつの間にか電車が降りる駅に着いていた。慌てて降りる。俺達が降りるとすぐにドアが閉まった。改札を出ると、夕焼けで赤く染まった空が広がった。すっかり日も傾いて来ている。

 房吉の店は駅から家に帰る途中の少し外れた所にある。夕方の店は混んでいて、商売がスーパーに負けずに繁盛している事が伺えた。


「いらっしゃいませー……って、ホダやんやないか」


 店の制服を着た房吉が言う。俺は片手を軽く上げてよぅ、と返した。


「げっ、後ろのは……」


 房吉が俺の後ろの榛名を見て苦々しい表情をする。狐と狸、やはり仲は悪い様だ。振り返ると、榛名も房吉を睨んでいた。


「やめんかこの駄狐」


 俺は祖父譲りの凸ピンを榛名の額にお見舞いした。乾いた音が響き渡り、榛名が額を抑えて悶絶する。


「ったく……榛名。お前は外出てろ」

「ぐぅ……わかった」


 額をさすりながら榛名は店の外に姿を消した。


「ったく、狐と狸の仲が悪いのは、もう宿命的な何かなんかね」

「せやな。昔から狐はいけ好かん連中やからな」


 今度カティアさんが来たら、この狸と榛名にも融和の精神についての説教を聞かせてやろう。きっと数時間後には目をキラキラさせて肩を組み合うに違いない。


「まぁいいや。仕事の邪魔して悪かったな」

「あ、ホダやん、ちょっと待ってや」


 立ち去ろうとする俺を房吉が止める。何だ、と言って俺は振り返った。


「……『仕事』の方、どうなんや」

「……問題ないさ。いつも通りだよ」

「こないだは部長の件、あんがとな」

「別に、それが『仕事』だからな」


不安そうな、それでいてしっかりとした表情で俺を見据える房吉。


「正直、ホダやんがそうやって危険な事をしてるのも知っとるし、それがホダやんの意志だってことも知っとる、だけどな、ワイは友人が一人でそうやって戦うのを黙って見とる気もせん。だから」

「それ以上は止めておけ、房吉」


 房吉の話を、俺は遮る。


「別に登録員だからと言って戦う義務はないし――お前には、それよりも大事な人がいるだろう」

「ホダやん……」

「別にどうってことないさ。生憎、食料品店の経営者引っ張り出さなきゃいけないほど、疲弊してるわけでもない」


 俺は、はっきりという。


「房吉、お前はお前の平穏な日常を生きればいい」


 店の奥で房吉を呼ぶ声がする。房吉の許嫁だろう。


「ほら、行ってこい」

「……わかった」


 店の奥に向かう房吉。俺は、ふと言い忘れていた事を思い出して、房吉を呼び止める。


「何や?」

「いっつも気になってたんだが」


 不思議そうな表情で振り返る房吉に、俺は言う。


「『ホダカ』じゃない、『ホタカ』だ」



 買い物を終えると店の外では榛名がふくれっ面で立っていた。


「遅かったな」


 少しむくれながら榛名が言う。心なし涙目。そういう風に見えた。


「さ、帰るか」

「……わかった」


 すっかり薄暗くなった帰り道。榛名は俺の後ろを歩き、始終黙っている。


「……妬いてんのか?」

「……」


 俺がボソッと言うと、榛名が咳き込んだ。結構苦しそうにゲホゲホ言っている。


「なな、何を勘違いしているんだこの駄目主人は」


 慌てて言い直した榛名の姿はいつもの10歳ほどの姿に戻っていた。服装もいつもの浴衣に戻っている。耳と尻尾が出ていたので、俺は慌てて認識阻害の術式を展開した。


「……図星か」

「……当たり前だろう」


 からころと下駄を鳴らしながら榛名が隣に並ぶ。


「言っておくがご主人。僕はご主人を『ご主人』だと認めたんだ」


 榛名は少し照れてるような、イラついている様な口調で言う。


「だから、僕に構え」


 珍しく見る榛名の弱弱しい姿。俺が房吉と話していたのがそこまで気に入らなかった様だ。俺はふと榛名を拾った時を思い出して、それから、すまなかったな、と言った。


「そうだ、それでいいんだ」


 もう、どっちが主人か分からなかったが、俺はこれでいいと思った。

 俺と榛名のこの妙な関係も、平穏な日常の一部だから。

 家に着くと、家の灯りは――まぁ当たり前だが、暗かった。玄関を開けて電気をつけて見ても、誰もいない。ツツジが張り付いていないかなと天井を見上げてみたが、いなかった。

 手を洗い、うがいをする。それから俺は榛名と一緒に夕飯の準備に取り掛かった。今晩の夕食はカレーだ。


「ご主人、僕は肉を炒めるから、ご主人は野菜をどんどん切って行ってくれ」

「わかった」


 榛名がフライパンに油を敷いて肉を炒めはじめる。その横で俺は洗った野菜を切る。具材が大きめなのが、穂高家のカレーだ。切り終わった野菜を鍋に入れ、水を入れて煮込む。月桂樹ローリエの葉っぱを鍋に一枚入れて、一緒に煮込む。水が沸騰したら、お湯で溶いておいたコンソメを適量入れ、溶けきったら肉を入れた。灰汁が出ていたので、それを掬って捨てた。煮込んでいる間に、榛名は炊飯器で米を炊いていた。

 カウンターの上に置いてあるリモコンを取り、テレビを付ける。ニュースがやっていた。ブルガリアの国立公園で山火事があったと言っている。火はもう消されているが、焼け跡から遺体が幾つか見つかったそうだ。


「ご主人、そろそろご飯が炊けそうだ」


 ニュースと煮込んだカレーを暫く交互に見ていたら、サラダを作っていた榛名から声をかけられた。俺は戸棚からインスタントコーヒーの缶を取り出す。蓋を開けると、以前作戦で一緒になり仲良くなったインド人魔術師から貰ったカレー粉が入っていた。豊潤なスパイスの香りが立ち上る。俺はそれを計量スプーンに取り、少量の溶いた片栗粉と共に鍋に適量入れた。湯に溶かすと、透明だった野菜スープにとろみと色が付き、すぐにカレーになった。丁度いいタイミングで炊飯器が炊けた合図の電子音を鳴らす。


「じゃあ、俺が盛って置くから、榛名はテーブルをセットしておいてくれ」

「分かった」


 榛名が食器を戸棚から取り出してテーブルに並べていく。その間に俺はカレーとサラダを器に盛り付けていく。狐だから玉葱は駄目なのかと以前に聞いたことがあるが、妖狐なので平気らしい。体の作りが色々違う様だ。サラダは小さな器に、楕円形の皿にカレーとご飯を盛り付けていく。最後に福神漬けとラッキョウを乗せて、完成。

 俺はそれをトレーに乗せてリビングへ向かう。テーブルの上には食器が並べられていて、榛名が椅子にちょこんと座って待っていた。テーブルに食べ物を並べていく。

 並べ終わると、俺は席に着いた。榛名と一緒に両手を合わせる。


「「いただきます」」


 そう言って、食事を始めた。


「結局、妹君は来なさそうだな」


 榛名がサラダの卵を食べながら言った。


「まぁ、どうせ明日の朝には襲ってくるだろうから、心配しなくて――いや、心配した方がいい」

「健闘を祈るぞ、ご主人」


 牛乳の入ったコップで乾杯し、ぐいっと飲み干した。カレーで火照った喉を牛乳が冷やしていく。

 ニュースが言う。前線は勢力を保ったまま北上しています。このままの針路だと、明々後日しあさっての8月19日には関東甲信越地方で大雨の降る可能性があります。土砂災害などに十分警戒をしていてください。

 洗濯物は明日で全部片付けておいた方が良さそうだ。俺は少し溜まった洗濯物を思い出して、そう考えた。

 そのまま食べ続け、20分程で皿は空になった。胃袋を中心に体が温まっていく感覚が心地よい。


「「ごちそうさま」」


 両手を合わせて榛名と一緒に言う。俺は榛名の食器を自分のに重ねると、まとめて台所に持って行った。プラスチック製の食器を流しに置き、軽く水で流してから洗う。2人分の食器を洗っただけなのですぐに洗い終わった。鍋にはカレーがまだ残っている。明日食べよう、そう思った。

 リビングのソファーに腰掛ける。ニュースが終わって大河ドラマが流れていた。


「変えていいか?」

「どうぞ」


 床に寝っ転がっている榛名に聞くと、そう返事が返ってきた。チャンネルを弄るが、どれも似たような物ばかりで面白みがない。

 こういう時は本を読むに限る。俺はソファーから立つとリモコンを榛名に渡す。


「本読んでくる」

「OK」


俺は壁にかかっている鍵を取る。廊下に出て階段の下を右に曲がると、昔祖父が経営していた古本屋のレジに出た。電気をつける。レジのテーブルの上には本が数冊置いてある。俺が今読んでいる本だ。

 一番上の本を取る。タイトルは『フォール・イン・ワン!』。大学受験に落ちた青年がゴルフで人生をやり直す話だ。ストーリーはぶっ飛んでいるが、筋道が立っていて面白い。所々に混じった笑いもセンスがある。良い本だった。

 本を開いて、本の世界に入り込む。心情風景に本の世界を投影する。まるで本の世界の住人になったような気分で、俺は本を読み進める。

 章が変わる。暫く読んでそう思った俺は現実世界へ意識を引きもどした。壁かけ時計を見ると時間はもう10時半になっていた。読書に没頭するといつもこうだ。そう思った。

 読んだ所まで栞を入れ、本を置く。続きは明日読もう。そう思った。風呂に入ろうと思い、レジ席を立つ。

 ふと、古本屋店内を見回す。店内は静まり返っている。昔祖父が趣味で経営していた古本屋だ。祖父が無くなってからは書斎の様な扱いになっていた。店舗としての登録も消えてるし、現在は実質連合からの給料で生活している。

 俺は電気を消し、古本屋を出る。戸口に鍵をかけてリビングへ向かった。リビングに入ると、リビングのソファーの上で榛名が横になって録画していた番組を見ていた。毎週月曜にやっている世界遺産の番組だ。よく見ると、寝間着になっている。


「風呂入って来る」


 俺は壁に鍵をかけながら言う。


「おう」


 榛名はこちらをちらりと振り返り、言った。俺は自分の部屋に向かう。階段を上ってすぐ、右側のドアが俺の部屋だ。部屋のドアを開けると暗い室内が広がる。スイッチを押して電気をつけると、何の変哲もない畳張りの部屋が現れた。机に見える様に置いてある携帯電話は真っ暗なままだ。箪笥を開け、着替えを取り出す。そのまま俺は部屋の電気を消して外に出て、風呂場に向かう。

 脱衣所は洗面所も兼ねている。足ふきマットの上で服を脱いで洗濯籠に放り込むと、タオルを取り出して脱衣所の足ふきマットの横、体重計の上に置いた。

 風呂場に入ると、大きな鏡が目に入る。人一人丸ごと写せる、大きな鏡だ。そこに俺が映る。引き締まった四肢、割れた腹筋、ボサボサの髪、そして――

――鳩尾付近に斜めに走る、10センチほどの傷。

もう昔のだ。そう考えて沸き上がった記憶を頭の隅に追いやる。髪を熱めのシャワーで流し、シャンプーで掻きまわした。泡を洗い流すと、先ほど浮かんだ記憶は消えていた。

 体を洗ってシャワーを出ると、湯気が脱衣場を満たす。換気扇のスイッチを入れると、冷えた空気がドアから染み入って来た。火照った体が冷えていく。そのまま体を拭き、足ふきマットに乗って寝間着に着替えた。

 軽く口をゆすいでから、赤いコップに挿してある歯ブラシを取った。歯磨き粉をチューブから出して歯ブラシに付け、歯を磨く。この歯ブラシも俺がいない間にツツジが色々していただろうが、特に気にせず歯を磨く。舌で歯の表面の感触を確かめながら磨く。数分磨いた後、俺は口をゆすいだ。

 バスタオルを首にかけ、俺は脱衣場から出る。喉が渇いていた。リビングに来ると榛名がテレビを見ていた。違う回だった。


「あがったぞー」

「ん。布団敷いておく」

「あんがと」


 榛名がテレビを消してソファーから降りる。もう少し見ていて良いぞと言ったら、そろそろ飽きてきたし、眠くなってきたところだ、と返事をしてきた。榛名はそのままリビングから出ていく。俺は台所に向かい、戸棚からコップを取り出すとシンクで水を入れて飲んだ。冷たい水が火照った体を内側から冷やしていった。コップを軽く洗い、拭いて戸棚に戻す。

 任務がそろそろあるかもしれない、というカティアさんの言葉を思い出す。布団の中で何か読んでから寝ようかと思ったが、早めに寝ておいた方が良さそうだ。

 俺の部屋に入ると、榛名が布団を引いている最中だった。小さな体に似合わず軽々と布団を運んで敷いている。せめても、と、枕だけは俺がセットした。


「もう、寝るのかい? ご主人」


 榛名が聞いてくる。


「カティアさんが任務があるかもって言ってたし、寝れる時に寝ておいた方がいいだろ」

「そうだな。僕も早く寝るとするか」


 そう言って押し入れに入っていく榛名。押し入れの中が彼の寝室である。俺は机の上から携帯電話を取ると枕元に置く。夜中に連絡があることも多いからだ。冷房の設定をタイマーで切れる様にした後、部屋の電気を消し、俺は布団に潜り込んだ。目を閉じると、あっという間に俺は眠りの海に沈んで行った。



初期設定案の陰陽師とはなんだったのか。

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