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9話

「ドラッグストア、でしたっけ?」

「あぁ、直訳すると薬屋だが最近はほぼ雑貨屋みたいなもんだ」


 ドラッグストアに到着した。光触媒を塗られて汚れの一切付いていない白い真新しい看板が夏の日差しを浴びて光っている。全国規模のチェーン店のドラッグストアは日用品から食品まで一通りそろっており、生鮮食品を除いたスーパーマーケットの様な存在だった。二人が自動ドアの前に来るとドアが開く。店内の冷たい空気が塊となって打ち付ける様な感触。足元が冷える。

 店内の光景が広がると、リリアは思わずおぉーと呟く。日用雑貨がこれだけ大量に並んでいる光景は故郷では中々見れる物ではなかったし、いくら外国資本が大分流入して近代化が進んでいるとはいえ、そもそもあまり領地から外に出る事は無かったリリアには無縁の光景ではあった。入り口のドアの横にあった商品回収のお知らせのポスターを理人は横目で眺める。ファンデルワールス力で歯のどんな汚れも落とすといううたい文句の歯ブラシの自主回収の通知だった。先日のニュースで健康に悪影響が出ると判明したと言っていたのが記憶に新しかった。理人の家では風呂場を洗うために使うのに十本程買ってあった。榛名とこれ絶対人体に使っちゃいけない奴だと異常なほどの汚れ落とし力に驚愕してたことを思い出す。


「日用品で何か必要な物を買おう」


 理人は籠を取る。

 リリアははっと思いだしてポーチに手を入れると、中から小さなメモを取り出した。そこには『買い物リスト』の文字。彼女が視線を下にずらすと、リストに記したものが羅列されている。


『日用品:洗面用具:石鹸、洗面器、理人さんとおそろいの歯ブラシ(重要)……』


 彼女はそれを一瞥すると、ぱたんとメモを閉じて再びポーチの中に仕舞う。


「まず必要なのは石鹸ですね」

「そうか」


 理人は天井からぶら下がる陳列棚の標識からボディーソープ、シャンプーの棚を探す。棚はすぐに見つかった。奥から2番目。


「シャンプーとかボディーソープとか、リリアの物を買わないとな」


 するとリリアは、キョトンとした顔で理人を見つめる。


「シャンプー? ボディーソープ?」


 そう、初めて聞いたもの名前を言う様に呟く彼女に、理人は何となく事情を頭の隅で理解しつつも尋ねる。


「OK、リリア。女性にこういう事聞くのはその……所謂、失礼な事になるのかもしれないが、実家では体洗うのに何使ってた?」

「なにって……石鹸ですけど」


 さも当たり前の様に言うリリア。だが理人は言わんとしている事に気付いていた。彼女の意味する石鹸とは恐らく液体石鹸ではなく――。

 そうこうして歩いているうちに石鹸の棚にまで到達してしまう。リリアはその中でいち早く目的の物に気付いた。


「あ、これです! こういうのです。それにしても流石ニホンですね。石鹸がこんなに種類があるなんて……ところで理人さん、この横の一杯並んでいるボトルは何ですか?」


 理人は迷った。果たしてこの純真無垢なお嬢様に急に広い世界を見せる事が果たして彼女の為になるのであろうかと。先程からリリアの世間のそれとは絶妙に違う価値観を目の当たりにしてきた理人にとって、それは複雑な選択でもあった。井の中の蛙大海を知らずとは言うが、世の中知らない事がいい場合もあるのである。

 そして、決断の時は来た。


「あー……それも石鹸だ」

「?」


 思わず理人の言う事が分からないのか、手元の昔ながらの固形石鹸と棚に並んでいるボトルの石鹸を見比べるリリア。


「?」


 理解できない、といった風に彼女は首をかしげる。


「え? 石鹸って固体じゃないんですか……?」

「……残念だが」


 そんな。そう言って彼女はわなわなと手元の石鹸と棚を見比べる。

 リリアは困惑した。産まれてこの方石鹸とは固体の白くて水で濡らして擦ると泡立つ物だと思っていたからだった。先日入院した時は入るだけで体の汚れがどんどん落ちて行く謎のバスタブのような装置で体を洗っており、これが外の世界のお風呂なのですねと大きなショックを受けたばかりの彼女にとって、さらなるカルチャーショックは脳の処理速度を大きく超える事態であった。

 彼女の家族は全員ドラゴンである。普段は人間の姿こそしているものの、その正体はリリア程ではないが十分に強大な力を持つドラゴンである。それ故彼等は下界との接触を極力絶ち、連合の監視下のもと静かに生活していた。それ故外部の情報の、特に直接的な影響の少ない、例えば文化や生活用品などの情報は流入が極めて少ない。

つまるところ、彼女は近年の高度な情報化社会においてはレッドリストの絶滅寸前に分類されるような、超弩級の箱入りお嬢様なのであった。


「なんてこと……」


 リリアはそっと石鹸を元の棚に戻す。彼女には棚に並んだ数多くの液体石鹸の棚がまるで万里の長城の様に見えた。それは彼女の、理人へと一直線に向かう予定である恋路を妨げるかの如く長大にして重厚な存在感を放っていた。価値観の違い、彼と自分とでは住む世界が違う事をまじまじと見せつけられた気分だった。先程の食事の件と言い、これ以上の撤退はもう許されていないのを彼女ははっきりと感じ取る。戻るべき道はない、だとすれば、取るべき手段は一つ。


「?」


 理人が変に冷たい汗を掻きながらリリアを若干心配そうに見つめるなか、リリアのシルクの長手袋に覆われた右腕が大きく後ろへ振りかぶられる。先日のトラウマがよみがえり、思わずひっと小さな声を出す理人をよそに、リリアは目標に狙いを定めその右手を勢いよく突き出し――。


「――これにします!」


 そう威勢よくリリアが出したのは子供にも安心して使えるが売りのシャンプーのボトル。天然由来の素材を使用し、肌に優しいとのうたい文句だった。理人は、はたして彼女の銃弾すらはじき返し、無人機の体当たりを喰らっても傷一つつかない肌にシャンプー程度の界面活性剤の毒性でどうこうできるものなのだろうかという場違いな疑問を思い浮かべた。


「……お、おう」


 若干気おされながらも理人はそのボトルを受け取り、籠に入れたのだった。リリアはさぁ次は洗面器です! と元気よく言って歩き出す。そうして理人は、彼女がボディーソープを入れ忘れている事に気付いてそっと最初にリリアが取った石鹸を取って籠に入れたのだった。

 洗面器はボディーソープの隣に小さく並んでいるのをリリアがこれにしますと言って一番安そうなのをどんどん籠に突っ込んでいく。先程の惚れさせる宣言の後に見せた竜の眼光がちらちら脳裏に浮かぶ中理人はそれに付いて行く。そうしてリストにある物を次々に入れて行き買い物が終わり、残るは歯ブラシのみとなった。


「さて、と」


 リリアと理人は歯ブラシの棚にまで来た。先程の自主回収の札が端の方の、かつてそこに製品があったであろう場所に小さく立っていた。


「あとは歯ブラシだけなのか?」

「そうですね。日用品で買わなきゃいけないのはあとそれだけです」


 そう言ってリリアは先程の小さなメモを見やる。残るは歯ブラシのみ。


「じゃあ早く買ってしまいましょう。理人さんはいつもどの歯ブラシを使っているんですか?」

「俺か? 俺が使っている歯ブラシは……あった、これだな」


 そういえば俺も買い替えないとな。そう言って理人が取った歯ブラシ。毛先の先端が細いタイプで、心なしよく落ちる気がしていた。使っている奴はもうブラシが寝癖まみれの頭みたいになっていて、いい加減買い替えろと榛名から言われていたのを彼は思い出した。


「そうですか、じゃあ私もこれにしますね」


 リリアは理人が取ったものと同じ歯ブラシを手に取る。もとよりお揃いにしようと思っていたのでそこに迷いは無かった。しかし、ここで彼女は重大なミスを犯していた事に気付かない。

果たして種類も色も同じ歯ブラシを、どうやって見分けるというのだろうか? 何の気なしに籠に放り込んだ歯ブラシに、会計を終えて店をでても、ついには理人も気付く事は無かった。


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