6話
おひさ
「え、えっと。どうすればいいんでしょうか」
「放っておけばいいと――いや、俺が処理しておく。気にしないでくれ」
困り顔で言うリリアに理人は無表情に返した。そしてそのまま理人は倒れたツツジを力士が俵を肩に担ぐようにして担いだ。
「えーと、荷物はそれだけ何ですか?」
彼はリリアの持っているスポーツバックを見て尋ねる。
「いえ、後で実家から荷物が送られてきます」
「成程」
少ない荷物になんとなく違和感を感じて質問すると、納得のいく回答が帰って来る。理人はなるほどそうかと思った。ふと腕時計を見ると時刻はそろそろ10時になろうという時間だった。
「良ければ」
「?」
「街を案内するついでに、日用品を買いに行くか? 生憎男所帯だから、色々と足りない物もあるかもしれない」
理人がそう言うと、少しリリアはこちらを見つめ、そして把握した、と言いたげな表情をして言った。
「成程、これがナンパと言うやつですね!」
ガクリとずっこけて膝から力が抜ける。衝撃でうぐぇとツツジがうめいた。このお嬢様、意外と世間知らずだ。しかし相変わらずその眼は完全に捕食者のそれである。世間知らずのいいとこの少し活発なお嬢様、しかしその正体は強大なドラゴン。相反する性質を内包するリリアという少女の事が理人は未だに完全に把握できていなかった。そのことを思い返すと、ずきりと左腕の、もう完治しているはずの傷が痛んだ気がした。
「理人さん?」
リリアがそんな様子の理人に尋ねてくる。
「あ、ああ、悪い。少し考え事をしてた。一階に行こう。『善は急げ』だ」
「『幸運の女神の髪は前髪にしかない、さりて行動すべし』でしたっけ? 日本の慣用句でしたよね?」
「慣用句の事を日本語じゃ『諺』って呼んだりもする。だがまぁ慣用句よりも長いもんだから、単体で使ったりする方が多いな」
「成程、コトゥワザですね。覚えました!」
そう言ってニコニコと嬉しそうに笑うリリア。勉強が好きな質の様だ。
リリアは手早くスポーツバッグの中からポーチを取り出して細いベルトを肩にかけた。黒い、模様の無いポーチは一般的な物ではなく、防塵、防水性を持ったアウトドア向け商品を出しているメーカーの物だった。彼女にとってはこの方が使いやすかった。中にはポケットがあり、小物や貴重品を分けて入れるのに便利だったし、雨に打たれても中の物が濡れないのは実家の山奥では便利だった。
理人はツツジを担いだまま部屋から出ると、彼と榛名の部屋にツツジを投棄する。投棄されたツツジはうーんうーんと呻くように寝言を呟いていた。理人はそこでリュックサックと財布を取り、靴下を履いて外出の準備を手早く済ます。
部屋を出てリリアと合流し階段を降りて再びリビングに着くと、カティアがソファーに腰掛けながら狐状態の榛名を膝に乗せてニュースを見ていた。
「カティアさん」
理人がロシア語で呼びかけると彼女が振り返った。膝の上の榛名はぐったりし、なされるがままになっている。
「ちょっとリリアと二人で買い物に行ってきます」
すると彼女は少し目を丸くすると、にんまりと嗤うのだった。
「成程、デートね!」
どうしようこの上司、完全に同じ思考アルゴリズムしてやがる。理人は頭の右側が痛くなる気分だった。もうそういう事でいいですと潔く白旗を上げると、エスコートはきちんとするのよと言うと彼女は再びテレビに向き直った。理人は小さくため息を漏らす。
「日用品を買いに行くんです」
リリアが帽子をかぶりながら言う。
「一緒に、この街を色々歩き回って覚えようと思います」
「なら、ちゃんと案内してあげるのよ、リヒト」
「言われなくとも」
そう返事しながらも、何処に向かおうか既に考えている自分に理人は気付いて、背中がかゆくなるような気分だった。
「4時頃には帰ると思うので」
「分かったわ、気を付けて――」
そうカティアが言いかけて、急に念話が飛んで来た。
『リヒト、念のためIDを持って行きなさい』
先日の、事件。
『……わかりました。武器は?』
『流石にそこまでは必要ないわ。でも万が一、と言う事を考えておいて』
『了解』
忘れ物があったと、そう言って理人は一人2階に上がって行った。その一瞬を見計らったように、なされるがままにしていた榛名がカティアの膝の上からするりとすり抜け、リビングから走り去って行った。リビングにはカティアとリリアが残される。
「さて、荷物は私とハルナが運び入れておくから、心配せずに遊んで来なさい」
カティアがリリアの方を振り向きながら言った。
「ありがとうございます。ですけれど、そこまで遅くはならないと思います」
夕飯も作ろうと思うので。そう言ってリリアは微笑む。
「リリアちゃん、リヒト、絶対自分で作る気でいるわよ。意外と彼、張り切ってると思うから」
ちょっとしたディナーでも作る気でいるんじゃないかしら。そう言ってカティアはくつくつと笑った。
「折角だから、お互いの自己紹介をもう少ししたらどうかしら。好きな色、食べ物、場所、趣味。お互いの事を知るのはコミュニケーションの最重要項目よ」
「一応文通でお互いの自己紹介は済ませていますけど……」
そうリリアが言うとカティアは甘い甘いとかぶりを振った。
「面と向かって話さなきゃ伝わらない事って言うのは少なからず存在するものよ。例えそれがどんなに些細なものだったとしても、ね」
そう言って彼女は立ち上がる。台所に向かいながらリリアの横で立ち止まって、呟いた。
「事実、文通の時の貴方と実際に会ってからの貴方、大分変わってるわ」
言うなれば――わざとらしく顎に手を当てる。
「大分、肉食系になったんじゃないかしら」
「? 私は肉食ですが?」
「あー……そう、そうよね」
何て表現すればいいのか。ひと言で上手く表す言葉が思いつかなかった。階段から足音が聞こえて来て、理人が降りて来た。
「悪い、待たせた」
「いえ。さぁ、行きましょう。理人さん」
何処か嬉しそうに言ってリリアは理人の手を引いた。彼は思わず少し慌てて、カティアに行ってきますと告げてリビングから手を引かれて消えて行った。一人残されるカティア。
「……ダイタンだわ」
そう、ぼそりと呟いた。
ようやく外出できる……




