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プロローグ

 事実とは小説より奇なりと言う言葉がある。

 空想する事が可能な事象は現実でも起こりうる事象であり、予測の延長線上に発生した出来事に過ぎない。しかしそんなこちらの事情とは打って変わって、現実はこちらの想像を上回る事態を突き付けてくる。現実は思想に侵食し、思考を溶かしていく。

 現実にどう向き合っていくか。それは人によって異なる。

 多くは現実と上手く折り合いをつける。現実と自己の境界を作り、自己の範囲を定めて生きる。このやり方が、恐らく最も安定しているともいえる。

 だが少なからず、現実に抗う者たちがいる。現実が自分を押さえこむのと同じ力で、現実を押し返そうとする。彼等はそうやって現実を作り替えていくが、決してその道は、穏やかな物ではない。

 そして数こそ少ないものの、古今東西常に存在している者が、現実に背を向け、逃げる者である。彼等は虚無の中に自己を見出そうとする。

 しかし、いくら虚無の中に逃げようと、現実は逃げた者の背を追ってくる。

 そう言った者たちが最終的に現実に追いつかれた時、一体どのような末路を辿るのだろうか?








 広い、天井の高い通路の様な空間。ブザーが屋内に響き渡る。

 

 術式展開、身体強化。


 理人の全身に流れた霊力が展開された術式に流れ込み、術式を起動させる。起動した術式は理人の身体機能を急激にブーストする。

 理人が駆け出す。タクティカルジャケットからアサルトライフルのマガジンを引き抜き、ライフルに挿入する。そのまま左手でリリースハンドルを押すと、子気味いい音と共に初弾が薬室に挿入された。

 前方に現れる影。人型をした白いプラスチックの板が、床から一瞬でせり上がって来る。理人は反射的にそれに照準を向ける。光学照準器に表示された赤い光点がターゲットに重なる。発砲。透明な、青白いマズルフラッシュと乾いた音が響き、人型の板の胸の所に500円玉大の穴が複数開く。理人は視界の左端に、次のターゲットが3つせり上がるのを確認した。流れる様に照準を左にずらす。光学照準器の赤い光点がターゲットに重なったタイミングで引き金を引いて行く。間欠的な発砲音と共に、ターゲットに穴が開いて行く。

 理人は速度を増す。前方に背丈の3倍程の段差。ホップ、ステップ、ジャンプ。速度を維持したまま跳躍。身体能力でカバーして術式の負荷を極力減らしていく。段差を超えた先に有ったのは腰丈程の低さの地面との隙間。その上に2つのターゲット。空中の不安定な姿勢の中、理人はサイトを覗かずに左から右へ薙ぐようにしてフルオートで撃つ。金属音。弾が切れた。


「リロードするっ!」


 グリップの後ろに付いているリリースハンドルを推す。マガジンはするりと動き、段差の上に着地すると同時に勢いよく外れて地面に落ちた。理人はスピードを維持したまま足から隙間に滑り込む。地面を滑りながら、タクティカルジャケットのポーチからマガジンを引き抜く。隙間を出、左右に障害物。理人は前方に一回転し、右の障害物の影に飛び込む。そのまま障害物に隠れ、マガジンを差し込んでコッキングレバーを引いた。

 理人は腰のポーチからフィルムケース大の閃光手榴弾を引き抜く。ピンを抜き、障害物の影から先に向かって投げた。そしてすぐに目を閉じる。瞼の裏が白く輝き、轟音が耳を覆う。次の瞬間彼はライフルを構えて障害物から身を乗り出した。ターゲットは3。撫でる様に照準を左から右へ動かし、照準が合い次第引き金を引いて行く。間欠的な発砲音。

 理人は障害物を飛び越えて再び駆け出す。上方に空間が一気に広がる。同時に床が落ちて低くなっていた。上と下、どちらを取るか。理人は跳躍した。


 術式展開。


 空気をイオン化させ、ローレンツ力で加速して噴射する。理人の背部や足の付近から小さな青いジェットが噴き出す。小刻みに噴射方向を制御しながら、理人は垂直の壁を蹴って走り出す。下に見える2つのターゲット。サイトを覗き、照準を合わせようとするものの、上手く狙いが定められない。


「くそっ」


 思わず毒づきながら、理人は引き金を引いた。連続した発砲音が響き、ターゲットに穴が穿たれる。壁の反対側にターゲットが出る。そちらにライフルを向けて、理人は引き金を引く。発砲音が4回。弾切れした。

 噴射を制御。理人は一旦自分を壁に押し付け、そして壁を蹴ると同時に噴射を切った。ターゲットに向かって跳ぶ。

 

術式展開。


 無理矢理増幅した霊力が理人の左腕に剣の形をなって表れる。眼前に迫るターゲット。左腕を突きだす様に左から右へ、一閃。バターを切る様に滑らかにターゲットが両断される。理人はそのまま切断されて開いた空白に身を滑らせた。壁に接触し、再び噴射を発生させながら壁を走っていく。通路の先が開けている。

 開けている場所から空中に理人は躍り出た。サッカーコート程の面積の空間に、高さ20メートルは有ろうかという岩板が幾つもそびえたっている。タイミングに気を付けながら理人は小さく噴射を発生させ、軌道をコントロールした。噴射を完全に切り、岩板のひとつに斜めに突っ込んでいく。リリースハンドルを押し、直後に岩板に着地。着地の衝撃を足を曲げてスピードをポテンシャル・エネルギーに変えて貯めていく。岩板を蹴り、理人は別の岩板へ向けて大きく跳躍した。マガジンが外れる、無重量。空中で後方に回転しながら理人は次のマガジンを挿入してコッキングレバーを引く。同時に地上にターゲットを見つける。数は5。グリップの根元の安全装置を親指で弄る、連射から単発へ。ターゲットの一つに照準を合わせ、引き金を引いた。サイトの向こうでターゲットに穴が開く。体を伸ばしたし縮めたりして回転を調整しつつ、理人はやや後傾気味に床に着地。勢いのまま5メートル程滑り、そこで止まった。理人はそのまま横に跳び、岩板に身を隠す。

 岩板の影で理人は一瞬思考を巡らせる。ターゲットの位置から、最短で狙えるルートを頭の中に構築していく。


「……よし」


 そう呟いて理人はまっすぐ駆け出した。横を見ながら走り続ける。姿を変えていく岩盤の影。その向こうに――見つけた。

 即座に照準を合わせ、発砲。サイトの向こうでターゲットに穴が開く。再び跳躍。次々に岩板を蹴って岩板の林の間を抜けていき、セミオートマチック射撃で1発ずつターゲートを撃って行く。次で、ラスト。理人は目標の岩盤に向かって跳躍する。


 術式展開。


 理人の左腕に光の帯が纏わりつき、理人はそれを大きく振りかぶって左手で岩板を殴りつけた。巻き起こる光と爆発。直後、殴った点を中心にぽっかりと穴が開いていた。穴の断面は赤く赤熱している。穴の向こうには、脚の部分だけが残ったターゲット板。

 理人はそれを見届ける間もなく続きに向けて走り出す。入り口の反対側に見えた大きな扉。走った勢いのまま理人はその扉を蹴り飛ばした。金属製の扉が大きく凹み、レールから外れて通路を吹き飛んでいく。その向こうで、通路にあったターゲット板が巻き込まれていた。残ったターゲット板をすぐさま撃つ。理人は現れた通路を駆けだした。するとすぐに階段が現れた。階段の上にはターゲット板が2つ。階段のたもとでそれを撃ち、理人は階段を駆け上がる。階段を上った先にあるのは、大きなガラスの壁。そしてその向こうに見下ろせるのは広々とした空間と、複数のターゲット板。

 理人の視界にガラスの壁が映る。理人は片手で腰のポーチからコーヒー缶程の大きさと形状の物体を引き抜いた。表面には『FRAG GRANADE』の文字。理人は親指で安全ピンを引き抜くと階段を登り切る直前で、それを思い切りガラスに投げつけた。ガラスを突き破ってやや下向きに向かって飛んでいく手榴弾。理人は階段を陰にして伏せる。

 爆発音と光、投擲から5秒ほどの事だった。反射的に理人は再び駆け出し、手榴弾の穴が開いた窓ガラスに飛び込む。一瞬の抵抗の後、ボロボロと崩れる様に砕けるガラス。理人の眼下に広がる空間。手榴弾の煙はまだ残っているが、はっきりとわかる。残りターゲット、5。

 感覚を集中させる。世界がスローモーションになる。理人はライフルを構え、左から流す様に照準を移動させる。照準がターゲットに重なり、引き金を引く。肩にかかる衝撃。1回、2回、3回、4回、そして、5回。

 世界に時間が戻って来る。迫って来る地面。少し前後に足を開き、着地と同時に膝を折り曲げて静かに理人は地面に着地した。着地の風圧で手榴弾の爆発で薄く積もっていた塵が理人を中心に舞い上がる。

 ブザーが鳴った。理人は静かに立ち上がる。


『終了よ。上がっていいわ』


 次の瞬間、床の質感が消える。四方から折りたたまれるように景色が消えていき――

――気が付くと、理人は教室程の白い部屋の中央に立っていた。床には赤い円が描かれていて、90度ごとに小さなピラミッドの様な形の黒い物体が線の上に置かれている。理人が立っている場所は円の中心でもある。手に持っているのは、弾薬の入っていない、ダミーのアサルトライフル。ポーチにはマガジンの代わりにマガジンと同じ重さ、形状の重りが入っている。


『お疲れさま。VR訓練終了よ』


 天井のスピーカーからカティアの声が流れる。理人はゆっくりと歩みを進め、赤い円の中から外に出る。線を超えた瞬間に微かに背筋に走った電流が流れた様な感触に、理人は反射的に肩をすくめた。彼はそのまま部屋の隅にあるドアから外に出る。

 扉をくぐるとそこはコントロールルームだった。理人は部屋の隅のロッカーに持っていた装備を入れていく。


「反応速度が以前に比べて向上。命中率も上がっているわ」


 理人が訓練用の装備を片付けていると、結果をまとめ終わったカティアが話しかけて来た。


「でも、まだまだ立体的な機動をしながらの射撃は慣れてないみたいね」


 全ての物品をロッカーに仕舞い終えた理人はロッカーの扉を閉じる。蝶番が金属音を立てて軋んだ。


「訓練しておきます」


 理人はそっけなく答える。すると意外そうな顔をカティアがした。


「珍しいわね。この訓練、貴方あまり好きじゃなかったのに」

「別に。必要だって認識させられただけですよ」


 理人は先月の事件を思い出す。リリアとの戦闘で、術式の補助があったとはいえかなり立体的な高機動戦を行うことになった。あの時は榛名に術式の構築と演算、霊力供給を任せていた事もあり高機動をしながらの精密射撃を行うことが出来たが、それは完全に理人個人の話としては力不足を意味してもいた。


「必要、ね」

「何か?」

「いいえ、別に」


 カティアはそう言って、それ以上言及しなかった。


「そう言えば彼女・・は?」


 VR訓練室から出た理人がカティアに尋ねる。


「理人」


 すると、少し怒ったような、ともかくそんな口調でカティアが彼を窘めた。


「言わんとすることは、解るわよね?」

「……わかりましたよ。リリア(・・・)はどうしたんです?」


 そう言うとカティアは満足げに頷く。


「ちゃんと約束通り名前で呼んであげなさい。いつまでも他人行儀なのは頂けないわ」

「そうは言っても……」

「まぁ、無理に急ぐことも無いわ。リリアちゃんなら、今は第3トレーニングルームに居るわ」

「トレーニング?」


 理人が怪訝な顔で尋ねる。精神汚染の攻撃を受けて暴走状態のリリアと戦った感想としては、十分な体力は備えている様な気がしていた。アドレナリンが過剰放出されていて体力が多少底上げされていたとしても、あれだけあれば十分の様な気はしていた。

 理人とカティアは壁が白くて床が緑色の、どこか病院の様な雰囲気の通路を歩く。枝分かれした通路から広い通路に出ると人の往来が激しくなった。戦闘服を着ている者、白衣を着ている者、生活着の様なラフな格好の者、スーツにネクタイの者と様々だ。チラホラ狐や狸、狼の様な耳と尾や、角が生えていたりする者の姿が見えた。2人は第3トレーニング室に向かって歩みを進める。


「ええ。彼女、ドラゴンとしての力は有っても、それはあくまでもヒトと比べたらの話。人外の中ではドラゴンとして見たら、結構力は落ちている方よ」


 それに。そう言ってカティアが付け足す。


「持久力に関しては殆ど無かったわ。だからトレーニングはそれが中心ね」

「成程」


 エレベーターの前まで来てカティアは上のボタンを押した。すぐにエレベーターが来て、ドアが開く。

 エレベーターの中には誰も乗っていなかった。2人はエレベーターに乗る。カティアが『2F』のボタンを押すとドアが閉まり、わずかなGと共にエレベーターが上昇して行き電光掲示板の表示が『B5F』から変わって行く。すぐに2Fに到着し、ドアが開いた。


「地下は何だか息苦しいわね」


 エレベーターから出ながら、カティアが言った。エレベーターを出て真っすぐ進み、突き当りを左に曲がる。右側は外からは見えない特殊素材のガラス張りになっていて、その向こうにはなだらかな起伏のある地形と畑、その向こうに市街地が見えた。ビルもいくつか見える。

 連合(IRU)のフロント企業の所有する研究施設。それに偽装したIRU長野支部。それが2人の居る施設だった。

 第3トレーニング室への入り口はすぐにあった。両開きのガラス扉を開けるとすぐに靴を脱ぐ場所があった。カティアと理人はそこでブーツを脱ぎ、ロッカーに入れる。床の冷たさが靴下とインナー越しに伝わって来て理人は少し身震いした。

 第3トレーニング室は狭い。広さで言えば先程のVR訓練室を横に2つ並べた程度で、そこに数種類のトレーニング器具とダンベル、そして人外も使える様にとやたらと頑丈で幅広のランニングマシーンがあった。そのランニングマシーンに、第3トレーニング室の現在の唯一の使用者の彼女がいた。

 彼女は長い銀髪を後頭部で纏めてポニーテールにしていて、余った髪の毛が汗で首筋に張り付いていた。やや側頭部からは後ろに向かって太い角が伸びている。その四肢は銀色の鱗に覆われ、人間のそれよりも多少ゴツゴツとしていて、握られた両手と素足の両足からは鋭い爪が伸びていた。肩甲骨の下部付近からは畳まれていてもなお大きな翼が生え、腰部付近から太腿より一回り細い程度太さの尻尾が伸びていて、走るたびに微妙に揺れてバランスを取っていた。

 要するに、そこでは竜人状態のリリア・フェレ・ヴィトシャがランニングマシーンでランニングをしていたのだった。身体に合わせる為か背中の大きく開いたレオタードの様なトレーニングスーツを着ているものの、微妙に肉が乗っている様な気が理人はして、何だか見てはいけない様な恥ずかしい様な気持ちが混ざった妙な気持になって思わず目を逸らした。同時に、何だか暑いような気がしていた。


「すぅ、すぅ、はぁ、はぁ、すぅ、すぅ、はぁ、はぁ」


 規則正しく響くリリアの呼吸音。しかしそれは苦しそうで、必死に酸素を吸おうとする意識が感じられる。だがフォームは完全に崩れてはいないものの、大分乱れている。持久力スタミナの無さが、浮き出ていた。


「リリアちゃーん」


 カティアが言う。そこでようやくリリアは理人とカティアの存在に気付いたらしい。するとぱぁっと顔を輝かせ、ランニングマシーンを止めるとベルトの惰性で飛び降り、理人に向かって駆け寄ってきた。


「理人さぁんっ!」

「なっ!?」


 勢いよく理人に飛びつき、思い切り抱き付く。薄いトレーニングスーツ越しに伝わるリリアの柔らかい感触と汗で蒸れたリリアの匂いに、理人は必死に脳内で狙撃の計算を繰り返すことで何かを手放そうとする意識を繋ぎ止めた。


「んー……!」


 そんな理人の気苦労は他所にリリアは理人に嬉しそうに抱き付き、頬ずりをする。その光景をカティアは生暖かい表情で見守っていた。

 何故ブルガリアに帰ったはずのリリアが日本に居るのか。そしてIRUの施設内でトレーニングをしているのか。それは1週間前に遡る。


新 章 突 入。

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