3話
プロローグ第3話ー。
玄関を出てツツジと別れる。自転車のペダルを漕ぐと、夏の風が顔を撫でていった。
吹き抜ける風が気持ちいい。俺はギアを上げ、重くなったペダルを踏み込んだ。グンと速度が上がり、景色が後ろに転がって行った。
「あのーひーぼくらはーであったー。ドラゴンーがーよぞーらーからーおちてーきてー」
気持ちよくなり、一昨日の音楽番組で紹介されていた歌を口ずさむ。歌詞がぶっ飛んでいて面白かったな、あの歌。
我が家から俺の通う学校、長野県立槍沢高等学校までは自転車で15分程。それまで延々と畑と水田の間の道路を走ることになる。
周囲にチラホラと家が見えてくるようになると、水田に囲まれてぽつんと存在する学校。その裏門へ俺は自転車を走らせる。
裏門から中に入ると、駐輪場が広がっている。チラホラ自転車が止まっているところを見ると、他の部活も活動を行っている様だ。俺は駐輪場の一角の、自転車の密度が薄くなっている所を狙って駐車した。自転車の鍵を閉める。
駐輪場を出て、昇降口を目指して歩きだす。グラウンドは前日の雨のせいで出来た水たまりが日の光を反射して輝いていた。この様子だと、校庭を使う運動部は練習どころじゃないだろう。
昇降口にたどり着く。日向から日陰に入ると、急に空気がひんやりとし出す。日差しのせいであまり分からないが、実際の気温はそこまで高くないのだ。
上履きに履き替え、校舎の中に入る。
文化研究部の活動場所は図書室だ。そもそも文化研究部と図書委員のメンバーが完全に同じなのだ。よって特例として使用が許可された。もちろん図書室内では話したりは出来ないので、実際は扉で仕切られた資料閲覧室で部活は行う事になる。
俺は廊下を歩く。
唐突に、頭に衝撃。思わず悶絶する。廊下に響く、ヤカンの転がる音。
妖怪ヤカンヅル。道や廊下を歩いていると、目の前にヤカンがにゅっと降りてきて驚かせる。それだけの妖怪。何故か俺の場合、ヤカンは目の前ではなく俺の頭めがけて降りてくる。退治してやろうか。
頭をさすりながらなおも廊下を歩いていると、教室のエリアが終わり、スライド式の2枚の扉が姿を現す。扉の上のプレートには、『図書室』の文字。夏休み期間中は図書室を解放していないので、最初に来た部員が鍵を開けることになっている。ドアに手をかけ、引くと――開いた。どうやら誰か先に来ていたらしい。職員室に行く手間が省けた。酔っぱらった鬼教師に絡まれるかもしれなかった。
俺は扉を開け、図書室に入った。
「ん、あ、穂高君。おっはよー」
「飯豊か。熱心だな」
「部長で委員長だもん。当たり前だよ」
「真面目なこった」
彼女は飯豊早苗。俺のクラスの学級委員長で、図書委員長で、部長。真面目を体現したような彼女だが、少し真面目のベクトルがずれているせいもあってか、成績は特筆して良い訳ではなかったりもする。
「穂高君穂高君、見て見て! 隣町の古本屋行ってみたらこんな古い本あったんだよ!」
飯豊は学生鞄の他に、もう一つ鞄を持ってきていた。その中から明治ぐらいに作られたと思われる本がどさどさ出てくる。
因みに、昨日助けた少女は彼女だった。だから遅くなっていたのか。
「でもねー。何か途中で雨に降られて、それで凍えちゃったのか、倒れちゃったみたいで」
「ほぅ」
「でも不思議な事に、倒れる直前の記憶がすっぽり抜けてるんだよねー。不思議な事に」
「へぇー」
「この学校の生徒が見つけておぶってきてくれたらしいんだけど、顔がよく分からなかったってお母さんも言ってたしー……不思議な事もあるんだね」
「ふーん」
「不思議な事、不思議な事、不思議な事……これは妖怪の臭いがプンプンしますなぁ……!」
「ひぇー」
「というわけで穂高君! 今度貴方の本屋また行かせて!」
「嫌だ」
「なんで!? そこは『はひふへほ』の順に『はい』でしょう!?」
「関係あるか! 嫌だといったら嫌だ!」
「お願い! 一生のお願い!」
「もう人生5回分は溜まっているぞそれ!?」
俺の家は古本屋を営んでいた。亡くなった祖父から引き継いだ本屋だが、かなり古い本のコレクションが存在する。以前一回彼女にそれを見せたら、夜中の1時になるまで本に張り付いて帰ろうとしなかった。結局飯豊の家に電話して、ご両親に引き取りに来てもらった。それこそ蟲の様に離れようとしなかったのを覚えている。
それが、2週間前の出来事。
「迎えに来たお前の親御さんの姿が見て居たたまれないんだよ!」
「大丈夫! もう諦められてる!」
凄く嬉しそうに言う飯豊。なんか、もう色々終わっている気がした。
ふと、ドアの開く音。
「なんや、先に来てたんか」
茶髪の少年――高尾房吉は俺の同級生である。近所で食料品店を経営しており、度々そこに買い物に行く。
どうでもいいが、こいつは化け狸で、同じ化け狸の許嫁がいる。結構美人だが尻に敷かれているらしい。ざまぁみろ。
思えば房吉とは中学からの腐れ縁で、何かと一緒にいる。そんな気もする。
「遅かったな。珍しい」
「この阿呆の世話や」
そう言って房吉が引きずってきたのは人の形をした何か。時折うめき声が聞こえる。
「おい、大丈夫か?」
俺はその何かに話しかける。
「……うう……へい……き……だよ……」
そう言ってのっそり起き上がる『それ』よく見たら同級生で部員の釜無洋介だった。
釜無洋介。同級生で、イケメン。日本人なのだが性格は完全にラテン系。女子と付き合っていても別の女子に手を出すのでこういったトラブルには事欠かない。良くてネタ要員。悪くて浮気屋である。
因みにこいつも人外である。過去に邪道に手を出し、高慢さ故に人をやめた山伏の子孫――所謂天狗である。本家は静岡にあるとかで、分家であるこいつの一家はこの近くに住んでいる。何回か言ったことがあるが、結構な豪邸に住んでいた。多少趣味が悪いと思った部分もあったが、主観が入ってしまうので語るのはやめておこう。
部員は後2人。ツツジと女子が一人だ。
部室では飯豊が既に昨日の話を房吉と洋介にしている。二人とも微妙な顔をしているが、俺も話を聞かされている時はあんな顔をしていたのだろう。
二人の目から光が無くなった頃、見計らった様なタイミングで部室のドアが開いた。
「何、いつもの?」
「その通り」
入ってきたベリーショートの髪型の少女。至仏琴音もまた、人ではない。正確には『外側』は人であるが、『中身』は完全に別物だ。
覚。人の思考を読む妖怪。それが彼女の『中身』である。
「穂高君、もうちょい右」
至仏が俺から見て右を指さす。俺は言われた通りに動く。
「……ントリイイイイイイイイイイイィィィィ!」
直後、窓からツツジが飛び込んできた。しかしツツジの腕は空気を掴むのみ。ツツジはそのままの勢いでごろごろと床を転がると、部室の隅に置いてあった文芸部の部誌の入った段ボールの山に突っ込んで、止まった。追い打ちを書けるように段ボールが崩れて彼女の上を覆う。そして、ツツジが完全に埋まると、段ボールの山はピクリとも動かなくなった。
俺はツツジが飛び込んできた窓の方に目をやる。窓の外にはロープがぶら下がっていた。どうやら降下の後、突入したらしい。そしてそのまま俺を制圧しようとした模様。
変な事を覚えすぎた。そう思った。
俺は机の上にあったメモを1枚千切り取ると、赤いボールペンで適当に『封印』と書き、段ボールの山の上に置いた。
「邪神躑躅は此処に封印された。これで罪なき兄が襲われることは、もうないだろう」
わざとらしく歌い上げる。房吉と洋介が村人(?)の真似をして地に伏せ、ありがたやありがたやとこれまたわざとらしく言っている。その後ろでは飯豊が苦笑いし、至仏は呆れた目でこっちを見ていた。
「ぷっはああああああ! 死ぬかと思ったああああああっ!」
直後、段ボールの山を吹き飛ばしてツツジが姿を現す。できれば一生埋まっていて欲しかったが、それは無理な話の様だ。しかし、段ボールの山から上半身を出し、髪を振り乱したツツジの姿はホラー映画の様だった。丁度先程山の上に置いた札が頭の上に乗っていて、それっぽさをさらに醸し出している。
「はいはい、浅間さん、ちゃんと片付けておいてね。じゃあ、部活を始めましょう」
見かねた飯豊が仕切り直す。俺は部屋の隅に立てかけてあったパイプ椅子を引っ張り出して開くと、そこに腰掛けた。
次話でプロローグ最後です。