22話
夢を見た。
真っ暗な場所に俺は立っていた。いや、真っ暗ではあるけど、何となく周囲に何があるかは分かる。そんな奇妙な感覚。石造りの建物の一室の様だが、部屋には何もない。振り返ると鉄格子。その向こうは真っ暗な空間が広がっていて、時折小さな光が明滅している。
これは牢獄だ。
ただ奇妙な事に、牢獄の鍵は内側に付いている。何かを閉じ込めておくというより、外から逃げる為の、自分以外の世界を囲うための牢獄。
視線を元に戻すと、変化があった。
部屋の中央。其処にぽっかりと浮かんでいる――様に見えた――白い光。いや、光じゃない。リリア? 17世紀ごろのヨーロッパの貴族が着ていたみたいなデザインの白いドレスを着て、部屋の中心で膝を抱えてうずくまっている。時折肩が震えている。泣いている様だった。
その手には、錆びた鍵。何となく彼女をここから出さなきゃいけないような気がして、俺はリリアに手を差し出す。
そこでようやく、俺は自分が血まみれであることに気付いたのだった。
差し出した右手は誰の物とも分からない血で真っ赤になっていて、血がしたたり落ちている。視線を下に向けると、同じく血まみれの胴体が目に付いた。着ている物は、穴だらけになったタクティカルジャケット。
それが何だか、リリアを汚してしまいそうで。
俺は手を引いた。
けど、その手はぬくもりに包まれた。
リリアの手が血で汚れていく。しかしリリアはその手を離すまいと、強く握る。リリアと目が合う。涙で濡れ、恐怖でおびえた瞳。
しかし、その奥に確かに感じる、勇気の炎。
現状を変えたいと望む、意志の光。
そして、決意。
それに思わず、俺はたじろいでしまった。そんな俺を追いかける様に、リリアは立ち上がる。そしてそのまま、俺の背中が格子に当たった。
暖かい。
俺に触れるリリアの肌から感じる、確かなぬくもり。心の触れられたくない部分までしみ込んで来そうで、少し恐怖を感じた。
――ありがとう
そうリリアが呟いたような気がした。彼女は微笑んでいた。
鍵が開く音。
頬を強く突かれているような感触で理人は目が覚めた。
ゆっくり目を開けると、理人の頬を、半分融けたスナイパーライフルを咥えた狐が前足で蹴っていた。ARグラスは壊れたらしく、何も映していない。
「……榛名か?」
理人は何とか声を絞り出す。狐は咥えていたライフルを離す。地面にライフルが落ちて音を立てた。
「気分はどうだい? ご主人」
榛名が理人の枕元に座りながら言う。
「最悪の気分だ。全身の感覚が無いし、口の中にまだ変な味がするし、視界は片方真っ赤だ」
榛名はそう言った理人を見やる。理人の着ていたタクティカルジャケットはボロボロになってあちこちに赤黒い染みが出来、彼の左目は出血して真っ赤だった。口の周りには赤茶けた染みが幾つも付いている。
「まぁ、でも何とか生きてるさ」
理人がゆっくり右腕を空に付きだした。すっかり雲は消え、夏の夜空が現れていた。東の空は明るみ初め、星々は暗い星から見えなくなっている。
「ん……」
理人が少し動いたからか、理人の上に覆いかぶさる様にして倒れていたリリアが、小さく声を漏らす。そこでようやく、理人はリリアが全裸でいる事を思いだした。
「……っと。榛名、何か彼女に被せてやってくれ。さっきの棟の保温シートとか――あ」
理人がそう言って先ほどまで拠点にしていた棟を見ると、そこにあるべきはずの棟の姿は無く、湯気を上げる抉れた大地のみがそこにはあった。どうやらドラゴンブレスで消し飛んだらしい。榛名が立ち上がる。
「何とか車から使えそうな物を持ってくるさ」
「車が残っていれば、だがな」
「よせ、これ以上始末書が増えても書くのはご主人なんだぞ」
くつくつと笑いながら榛名が走っていく。残された理人は、これから書く始末書の事を考えると憂鬱な気分になった。それでも、どこか清々しい気分だった。
まだ自分は、生きている。
同時に自分が殺した4人の事が脳裏に浮かぶ。見ず知らずの敵で彼等も生きていたが、こちらを殺す気でいた。殺さねば、殺されていた。
「ホント、大変だよな……」
理人の胸の中のわだかまりは消えない。理人は右の掌を見る。吐き出した血は戦いの時に洗い流されていたが、グローブには赤茶色の染みがべっとりと付いていた。理人は少しの間その掌を眺めて、その手を握りしめて降ろす。胸の上ですやすやと寝ているリリアの頭でも撫でてやりたかったが、それ以上体を動かそうとすると激痛が走って変な声が出そうになったので、やめた。
十数分もすると榛名が戻ってきた。その口にはあちこち焦げた毛布が咥えられている。
「始末書追加だ、ご主人」
そう言って榛名が器用にプラチナに毛布を掛けていく。
「その毛布、どうしたんだ?」
「結界の外までひとっ走りさ。ゴミ捨て場にあった。少し汚いが、無いよりはましだろう」
苦笑いで理人はそれに返した。
次第に夜が明けてくる。日が昇ろうかという事に、まだ暗い空の遠くから縁のプロペラの音が聞こえてくる。音は次第に近づいて来、グレーのティルトローター機が2機、姿を現した。
『リヒト、応答して!』
ようやく体が動くようになり、痛みをこらえてオンにした通信機から聞こえて来たのは、カティアの悲痛な声だった。
「こちらステイン。護衛対象並びにゴルトは無事です。オーバー」
そう理人が言うと、通信機の向こうからカティアの安堵のため息が聞こえて来た。
ティルトローター機は団地の上空で静止し、ローターを上に向けてゆっくり降下して来る。地形のあまりの変化に着陸地点を選ぶのに苦戦している様だった。榛名がその間に毛布の端を噛んで抑える。少し離れた所に着陸すると、機の後方のハッチが開き、中から担架を抱えた衛生兵と武装した連合職員が降りてくる。その中に、カティアもいた。セミロングの金髪を頭の後ろで結い、端々が焦げた戦闘服を着ている。
「リヒト! リリア!」
彼女がロシア語で叫ぶ。理人はそれに弱弱しく腕を上げて答えた。衛生兵と一緒に彼女が駆け寄って来る。
「まったく……本当に無茶して……!」
「はは……流石に今回は死ぬかと思いましたよ」
理人は弱弱しくも、気丈に笑った。衛生兵がリリアと理人を担架に載せていく。
「攻撃を受けた際にプラチナが精神汚染を受けています。除染をお願いします」
そう理人がプラチナを運んでいこうとした衛生兵に日本語で言うと、一瞬衛生兵の動きが止まり、それから『ズェメターノ』と返して来た。ロシア人か。
「ヨーロッパ支部の人員ですか?」
理人が同じように衛生兵に担架に載せられながらカティアに尋ねる。
「ええ。日本支部の対応があまりにも遅くて、管理能力の喪失が判断されたから私たちが送られたの。ごめんなさい、もっと早く来れていれば」
ごめんなさい。そうカティアが言う。理人はそれに生きているだけで儲けもんですよと返した。
理人の担架が持ち上げられようとした時、榛名が理人の腹の上に飛び乗ってきた。腹の上で丸くなり、目を閉じる。カティアはその光景を見て微笑む。
「さぁ、帰りましょう。ミッション終了よ」
「了解。ステイン、ゴルト。ミッション終了、RTB」
理人は右手の親指を立てて、それに返した。
担架が持ち上げられ、運ばれていく。首を横に向けると跡形もなくなった廃墟の団地が目に映った。それもあっという間に輸送機の壁に置き換わる。理人の乗った担架は床に置かれ、手早くベルトで固定された。
「収容したわ。離陸して」
カティアがロシア語で通信機に向かって言う。わずかな重みを感じ、機体がふわりと宙に浮く。ハッチから見えていた町が見えなくなり、明るみを増した地平線が目に映る。
閃光。思わず理人は目を細める。明るさに慣れてくると、暖かい日の光が理人を照らしていた。すっかり冷たくなった身体に理人はぬくもりを覚える。
そしてハッチが閉まり、すぐに太陽は見えなくなった。
今回はちょっと短め。次回からはエピローグです。




