17話
「なにやら複雑そうな話になってきたな」
通信が終わった直後に榛名が日本語で話しかけて来た。俺は奥のプラチナ――リリアをちらりと見やる。一瞬だが彼女の金色の瞳と目があった。建物の中で薄暗くなっているからだろうか、縦長の瞳孔が開いている。
「まぁ事態は思っているより複雑だが、状況は単純だ。プラチナを護り切る。それだけだ。行動は変わらん」
「なるほどな」
納得したと言わんばかりの口調で榛名が言う。俺は榛名に念話を繋いだ。
『で、現在の問題は』
『彼女、か?』
『ああ。まさかあの子がリリアさんだったとはなぁ……』
『これまた妙な話だな。いや、さほど奇妙な話でもないか』
『やることは変わらんが彼女の家族が生きていた。その事は伝えようと思う』
『で、どうするんだ? ご主人が穂高理人だとも伝えるのか?』
俺はそこで一瞬考え込んだ。
『……いや、やめておく。動揺されたら支障が出るかもしれない』
『了解。賢明な判断だと思う』
俺は念話を切ると、プラチナの所に歩いて行く。プラチナは、そんな俺を不安そうなまなざしで見ていた。
「……ステインさん、何かあったのですか?」
不安そうに見上げる彼女に対し、俺は片膝をついて目線の高さを合わせる。そして、軽く微笑み、ブルガリア語で言った。
「朗報です、プラチナさん。貴方の家族が無事保護されたとの連絡が入りました」
彼女はその言葉を聞くと感極まったようにあっと両手で口元を覆った。そしてポロポロと涙をこぼし始める。
「よかった……本当によかった……!」
表情で分かる。心の底から喜んでいるのだろう。だが事態はまだ終わってはいない。
「ええ。ですから、今はこの状況を乗り切る必要があります。あともう少しです。がんばって下さい」
「……はい!」
何処か陰りのあったプラチナの表情に明るさが戻る。涙は止まってないが、大分精神的にも落ち着きそうだ。
「我々は此処で救援を待ちます。プラチナさんはこの部屋で指示があるまで待機、隠れていてください」
プラチナは何も言わず、ただ俺と目線を合わせたまま力強く頷いた。
天候は次第に曇って行き、その向こうの空では日が既に落ちていた。俺達がいる廃墟の中は既にすっかり暗くなっている。感覚強化の術式を使用しなくてもまだ何とか見えるが、細かい所は見えにくい。時刻は既に23時を過ぎている。
あれから何度か黒部から通信があったが、言い渡されたのが日本支部の今回の作戦立案者が雲隠れ、責任の押し付け合いとトカゲのしっぽ切り合戦、証拠隠滅の嵐で救援要請がまともに通っていない、との報告だった。代わりにヨーロッパ支部から圧力が加わっていて、そのうち黒部もヨーロッパ支部の指揮下に入るそうだ。そうなれば、救援がすぐに出るらしい。作戦開始から既に50時間以上が経過している。
家族の安否が判明して気力を取り戻したプラチナだったが、精神的な疲労が増しているようだった。先程俺が車から取ってきた携帯トイレで用を足して、今は落ち着いている。妙に小慣れた感じだったが、あまり追及はしなかった。
俺は腕の端末を弄り、ARの時刻表示を確認する。0時14分。見ているうちに15分になった。
「やれやれ」
榛名がパトロールから戻ってきた。異常なし、とつぶやいて部屋の隅に座る。榛名の瞳がぼんやりと紅く光っていた。
「動きが無いな、味方も、敵も」
俺は手に持ったスナイパーライフルの重みを確かめながら言った。
「このまま救援があるまで敵さん、辺りをうろついてくれてればいいんだが」
榛名が苦笑いしながら言う。
このエリアの術式を起動した時点でこのエリアに自動的に結界が展開されている。物理的効力は一切ないが、結界は人間の認識に干渉する。流石に目視されたらばれるだろうが、『何処にいるのか』程度の曖昧な捜索では見つける事は出来ない。
しかし、問題は敵がこのエリアの上空を飛んでいるアトラス偵察機に気付いた場合だ。偵察機は高度9000mを飛行している上に認識阻害パターンが描かれているが、魔術師相手には気休めの様なものだ。飛行パターンを解析されたらはっきりとまではいかないがこのエリアを大まかにとらえる事は可能だろう。
だとしたら……嫌な予感が俺の中で大きくなる。
「ゴルト」
俺は身体強化の術式を展開し、スナイパーライフルを背部ハンガーにかけてPDWを代わりに取り出しながら榛名に言った。無言で榛名が立ち上がる。
「何だ?」
「探知が心配だ。隣の棟に行って周囲を見張る。無線機を繋げておけ」
俺はヘッドセットを左手の人差し指で軽くつつきながら言った。
「了解」
榛名が懐から無線機を取り出す。それから延びるコードを頭の上にある狐耳に突っ込み、無線機のスイッチを入れた。AR表示にLINK―01の文字。
「ゴルト、聞こえるか。どうぞ」
『あぁ、通信状況に問題ない。どうぞ』
通信に問題無し。
「よし、行ってくる。プラチナを頼んだぞ」
「『了解だ。任せておけ』」
榛名が不敵そうに親指を立てた。俺はそれに軽く笑って返すと、一気に走って窓から部屋を飛び出した。空中を飛翔しながら姿勢を制御し、隣の棟の部屋に滑り込む。術式展開、感覚強化。術式閉鎖、肉体強化。少しでも霊力を節約したかった。
俺はPDWを構え、暗い廃墟の中を部屋ごとにクリアリングしながら進んでいく。万一入り込まれていた場合の対策だった。
部屋のあるエリアを過ぎて、階段へ。足音を殺しながらゆっくり登っていく。屋上まで後1階、階段の踊り場まで来ると、俺はしゃがんでPDWのマガジンを外し、それから一発弾を取り出した。
術式展開。
弾薬に術式を込め、そこに霊力を注入していく。大量の霊力の抜けていく感覚と同時に眩暈がした。術式により発生した電流が弾薬の分子を励起させ、大量のエネルギーを貯め込んでいく。俺は弾頭に人を感知する術式を込め、起爆用の術式と連動させた。感知対象から俺と榛名、プラチナを除いておく。
莫大なエネルギーの溜まったそれを、俺はゆっくり手すりの影に置いた。万一起爆すれば階段のあるこの吹き抜けは消し飛ぶだろう。俺はPDWのマガジンを戻すと再び構えながら階段を上って屋上を目指す。
屋上の扉はさび付いていた。軽く押したらゆっくりと金属音を立てて開いて行く。俺は慎重に周囲を確認しながら屋上に出る。扉は後ろ手に閉めた。周囲を確認、クリア。
屋上は廃墟の内部とさほど変わらない程暗かった。俺はゆっくりとしゃがみ、PDWをハンガーに仕舞って代わりにスナイパーライフルを取り出す。そのまま音を立てずに腹這いになり、ライフルを持ちながら匍匐前進で屋上の縁に向かって進む。
縁に着く。縁は50センチほど高くなっていた。柵があったようだが、錆びて無くなっている。縁は座射するにはちょうど良さそうな高さだった。俺はゆっくり起き上がり、縁から顔をのぞかせた。
マンションの廃墟の周りの景色が周りに広がる。人払いの術式の影響でこの周辺は完全に真っ暗だった。遠くには住宅の灯りが見える。俺は数回深呼吸をする。霊力が増してくる感覚。
「ゴルト、こちらステイン。監視位置に着いた」
『こちらゴルト、了解』
「屋上手前の踊り場にトラップが仕掛けてある、俺とゴルトとプラチナには反応しないが念のため通る際は注意してくれ」
『了解』
「以上だ。監視を始める。ステイン、アウト」
術式展開。
視覚を限界まで強化する。団地の入り口の鉄格子がはっきりと見えた。あそこまではおよそ150メートル。至近距離だ。
監視を続ける。真夏の、質量を持った暑くて湿った空気が俺を包む。雲はいよいよ垂れ込め、今にも崩れてきそうな感じがした。
そう思った、矢先の事。
「……降り出したか」
鼻先に当たった冷たい水滴の感触。その直後に周囲に雨が地面に落ちる音が響き始める。最初はまばらに、そしてすぐにそれはテレビの砂嵐の様な連続した物へと変わっていった。雨で団地の入り口が見えなくなる。相当降ってきたようだった。
敵に先手を取られるわけにはいかない、俺は警戒を続ける。




