16話
今回は会話回
ヘッドセットから聞こえて来たカティアさんの声に一瞬驚いたが、すぐに思考が戻って来る。
「こちらステイン。通信は良好。どうぞ」
ヘッドセットのスピーカーの向こうから安堵のため息が聞こえる。
『分かったわ。状況の報告を』
「こちらステイン。状況を報告します。任務中に魔術師3名と思われる存在に護衛対象を襲撃され、うち一人を射殺。護衛対象は健在、本隊とは襲撃以降別れ、現在特別戦闘区域において救援と回収を待機しています。どうぞ」
『了解。コザックから連絡は受けているわ。援軍の状況は?』
「芳しくありません。どうやらこの作戦、非認可で行われている様で」
『コザックの報告にも有ったわ。どういうこと?』
昨日のロシア人部隊か。
俺は今までに起こったことを頭の中で整理する。
まず、最初はただの重要人物の護衛任務。しかし襲撃により部隊は壊滅。護衛対象だと思っていたのはダミー。ここまではカティアさんの所属するヨーロッパ支部の管轄の様だ。
そしてここからは、日本支部の管轄で起こった事。
「上層部に本作戦の作戦行動許可が届いていない状況です、としか。現在はオペレーターに無茶を言って無人機を飛ばして貰ってます」
向こうでカティアさんが押し黙る。
『……こちらから伝えられるだけの情報は伝えるわ。今はそれで何とか乗り切って』
「どうも。信頼されてる様で」
『この情報はヨーロッパ支部のクラス6レベルの情報よ。くれぐれも情報漏洩の無いように』
クラス6レベルの機密情報。その単語が頭の中で一瞬引っかかり、その意味を反芻して、喉元に氷を当てられた様な気分になる。
「……了解。どうぞ」
震える声で答えた。
『まずは貴方が今保護している人物の詳細から話すわ。接続は合わせたままちょっと待って』
無線が一瞬途切れ、雑音が入り、すぐに連続した電子音の様なものが流れた。ARディスプレイに『暗号化処理中』の文字。傍受対策か。数秒で通信は回復した。
『こちらブラス。暗号化処理を施した。通信状況を報告せよ、どうぞ』
「こちらステイン、感度良好。復号処理に問題無し、どうぞ」
無線の向こうでカティアさんが一息入れるのが聞こえた。気が付くと俺は無意識に右手で首に触れていた。
『まず話すべきことは……今回護衛している人物の名前は――』
やめろ、そう叫べと理性の奥の勘覚が叫ぶ。
『――リリア=フェレ=ヴィトシャ。貴方にも聞き覚えがある名前よね?』
頭が、真っ白になった。
「……ええ、その名前はよく知っています」
Lilia Ferre Vitosha。手紙に書かれていたアルファベットとキリル文字が脳裏でぐるぐると渦巻いた。彼女が? なぜ?
『貴方が去年の11月からずっと文通している、IRUの方の交流プログラムで貴方と交流し、もうすぐ会う予定だった、その彼女。リリア=フェレ=ヴィトシャが、貴方が今護衛しているドラゴン、コールサイン・プラチナよ』
一息の沈黙。
『貴方なら、ある程度は気付いていたでしょうけど』
「……まぁ、流石に偶然とは思いたくは無かったです」
リリアさんが竜人である可能性、ブルガリア語、来日するという連絡の直後に出撃。思えば疑ってかかるべき要素は山ほどあったというのに。
「ちょっと待ってください、ドラゴンだって?」
聞き捨てならない言葉があった。竜人ではなく、ドラゴンと言ったか?
『ええ、それが今回の問題の遠因でもあるわ』
「遠因、とは」
『まずは、貴方達を攻撃している存在について。東欧を中心に活動しているクラスB要注意団体、『ゲオルギウスの聖矛』が2時間前に犯行声明を出しているわ』
「名前を聞くだけでそのロクデナシ共が何をしているかってのは大体想像は付きますが、情報をお願いします」
無線の向こうでカティアさんがクスリと笑った。
『まぁ名前の通り、IRUが保護している外存在、その中でも特にドラゴン、広義に言う竜種の排除を叫ぶ過激団体よ。何名か『天然モノ』の魔術師がいるみたい。貴方を襲撃したのが魔術師だと言うなら、『天然モノ』の可能性が高いわ。注意して』
「了解」
『そしてもう一つ、重要な情報があるわ』
カティアさんの口調が急に冷えた様な、そんな錯覚を覚えた。
「情報、とは」
『リリア=フェレ=ヴィトシャはユニオンの保護対象であると同時に、管理・封印対象でもある、と言う事よ』
「封印!?」
俺はおもわず日本語で大声を上げてしまった。プラチナ――リリアが俺の方をびくりと見た。日本語の意味は解っていない様で、怪訝な表情をしている。一方榛名は眉の間に皺を寄せていた。
「封印対象って、どういうことですか」
俺は無線機に話しかける。
『文字通りの意味よ。リリア=フェレ=ヴィトシャはブルガリアの神竜、昼と夜を司ると言われるズメイの一族の一人で、しかも現在判明しているズメイの中で最も源流に近い性質を持っている』
「それは、つまり」
『潜在的危険性は、クラスAAA敵対的霊的存在に匹敵するわ』
クラスAAA敵対的霊的存在。神話で世界を焼き尽くすようなバケモノが、彼女だというのか。あまりの突拍子の無い話に世界が歪むような感覚を覚え、それが眩暈だとすぐに理解する。
『幸い彼女のパーソナルパターンは友好的だし、一応私が管轄しているから、同年代の貴方と交流させて自己管理・封印を進める。それが彼女を貴方と知り合わせた目的の一つでもあるの』
「でもじゃあ、なんでまた襲撃なんかに。彼女の家族も」
『思えば今まで恐ろしい程静かだったのが不思議なくらいだわ。多分戦力的に十分ではないと判断していたんでしょうね。それがわかっていた――いえ、つもりだった。でも一応警備は厳重に執り行っていたし、彼女の家族も無事保護されたわ』
「彼女に伝えておきます。きっと喜びますよ。今、結構精神的に不安定な様ですから」
『でしょうね。其処は任せるわ。でも問題になったのが、彼女を日本支部に引き渡してから、よ。日本支部は指揮系統を向こうに渡す様に要求してくるし、こちらの部隊員の合流も拒否していた』
「な……!」
『一応私が上層部にゴネて、私の息がかかっているあなたを何とか作戦に入れることが出来たけど、日本支部が何を考えているのか、さっぱりわからない』
日本支部は上層部が腐りきっている。明治維新における政治における身分の確保、太平洋戦争の終戦から戦犯を逃れる為にユニオンに肩入れした旧華族、旧士族の溜まり場だ、という噂を聞いた事が有る。ならば外部の干渉を拒んだ理由は、戦果目当てか、それともリリア本人目当てか。どちらにしろ、俺はふつふつと腹の奥で新月の夜の様などす黒い怒りが煮えたぎっているのを感じた。
『幸い――という表現は少しおかしいかもしれないけど、今彼等の計画は完全に頓挫し、代わりに貴方が作戦を維持している。ヨーロッパ支部は貴方を全面的にバックアップするつもりでいるわ』
「それは、なんとも心強いですね」
『天然モノ』で高い魔術適正を持ち、ヨーロッパ支部において実力でのし上がったカティア=クリテチェフスカヤという人物の影響力は、俺も嫌と言う程知っていた。
ARディスプレイに表示。暗号化処理の終了のメッセージ。すぐに先程と同じ様に雑音、電子音が流れ、通信が復活した。
『話はこれだけ。コミュニケーションリンクはスタンバイモードにして、いつでも通信に取れるようにしておいて』
「了解しました」
『切るわ。幸運を。ブラス、アウト』
「ステイン、アウト」
俺がそう言った直後、通信は途切れた。




