15話
久々に投稿
通信を切ると、再び静寂が廃墟内に降りて来た。思わず壁を蹴飛ばしたいような気分だったが、プラチナが寝ているのを見て、やめた。
少しの沈黙を破ったのは榛名だった。
「ご主人、このままここで待ち続けるのか?」
追ってきている魔術師は先程の戦闘から察するに恐らく残り2人か3人、魔術の腕は、先程榛名が押されていた所を見ると相当な腕前だ。だが戦闘の腕は――つけ入るなら、そこか。先程の逃走中、こちらを把握できていたかどうか。恐らく、このエリアに到着しても襲撃が無かった事を見ると、十中八九見失った可能性が大きい。
俺は背中に背負ったスナイパーライフルの重みを意識した。先程これで一人仕留められた。先手を打てれば、勝機はある。だが向こうに先手を持って行かれたらアウトだ。何処かでじり貧になるのは目に見えている。
だとすれば、答えは一つ。
「……ああ。ここに留まる。地の利を手放すのは避けたい」
命令だしな。そう言って俺は少し苦笑いをして肩をすくめた。
開いた窓、いや。穴と呼んだ方がいいかもしれない。ともかくそこから風が流れ込んでくる。外の湿気が流れ込んできた。汗を吸ったインナーの首元が風に吹かれて急に冷えた。心地よいはずの感触だが、汗が冷や汗による物だと意識すると途端に気持ち悪くなった。
静寂が部屋を包む。かすかに響くのは横になったプラチナの微かな呼吸の音のみ。耳を澄ませば遠くに蝉の音が聞こえている気がした。
「心ここにあらず、といった感じだな」
榛名が言った。事実、その通りだった。
「疲れているのかも、な」
呟くように言う。
「これが終わったら休暇でも申請したらどうだ? ここの所、働きづめだっただろう」
榛名が言う。口調は真剣だった。思えば先週も出撃があったばかりだ。
戦い過ぎ、なのだろうか。
「……そうだな。考えておく」
曖昧な答えを残す。結局、俺は榛名の提案に対して、どうも乗り気にはなれなかったのだった。
再び静寂が部屋を満たす。榛名は壁にもたれかかり、床に座り込んだ。
俺は何も考えずに周りの事に集中する。今は、任務が先だ。意識を周囲の事に向ける。時間が加速するような感覚。様々な情報が頭の中に流れ込んでは消えていく。
「ん……」
気が付くとプラチナが小声を出していた。寝言かと顔を見ると、眉間に皺が寄っている。それに何だか表情が苦しそうであった。ARに表示された時刻を見ると、いつの間にか2時間近くが経っていた。
苦しそうに彼女は寝返りをうつ。仰向けになると、汗で首筋に銀色の絹の様な髪が張り付き、呼吸に合わせて上下した。
俺は一瞬考えると、プラチナの頭のすぐそばに足を延ばして腰を下ろす。そして起こさないように優しく、プラチナの頭を俺の太腿の上に載せ、ゆっくり頭を撫でてやる。プラチナの眉間に寄っていた皺が少し解けていく。荒かった呼吸も収まっていく。
「こうしてツツジもあやしてやったやったっけな」
ツツジが妹だと判明したばかりの頃、中学生にもなってぐずるツツジをこうやってなだめた記憶がよみがえる。
「……う……うう……」
プラチナがゆっくりと目を開ける。
「よくお眠りになっていたようで」
「……え?」
プラチナの金色の瞳が動き、縦長の瞳孔が少し広がった。どうやら膝枕されている事に気付いたらしい。
「ひゃ、ひゃあああああっ!?」
あわてて彼女が飛び起きる。彼女のヘッドバッドを食らう前に頭を後ろに逸らした。榛名が小さく舌打ちした気がしたが、黙っておくことにした。
「余計な事をしたなら謝ります。すみません」
「い、いえ……」
多少寝て疲れが取れたようだ。先程と違って心の余裕があるようだ。
「私は、どの位寝ていましたか?」
「30分程。もう一度寝た方がいい。お疲れでしょう」
いえ、大丈夫です。そういってプラチナは微笑んで首に張り付いた髪を払った。少し暑いのか、彼女は服ののど元を引っ張り手で仰いだ。
「ご主人」
榛名が言う。そちらの方向を向くと立ち上がっていた。
「何だ?」
「この棟にいくつか『仕掛け』をしておこうと思う。グレネードを1つくれ」
俺はタクティカルジャケットからフィルムケース大のグレネードを引き抜くと、榛名に差し出す。
「術式を起動させる時は最小限の霊力でやれ。見つかる可能性を下げたい」
「了解だ。場所はあとで知らせる」
そう言って榛名はグレネードを受け取ると、部屋の外に出て言った。
再び室内に静寂が戻る。
横を向くと窓から外が見えた。空はどんよりと暗灰色に曇り、今にも落ちてきそうだった。喉が張り付くように乾く。背中のパックには1.5リットルの水が入る。使っていないからまだ十分残っているはずだ。俺はパックから延びる、肩にかかった水の入ったチューブを外す。そしてそのまま口に咥えようとして、止めた。
「水です、飲みますか?」
チューブをプラチナに差し出す。
そして、そのままそれが間接キスになるな、などと一瞬思い、恥じらいよりも衛生的に大丈夫かな、などと一瞬逡巡しているうちに――
「ありがとうございます。いただきますね」
微笑みながらプラチナは、躊躇なくチューブを咥えたのだった。実際喉が渇いていたのか、喉をならして水を飲んでいくプラチナ。汗で光る喉が音に合わせて上下する。
「ぷはっ」
半分ほど飲んだのだろうか。背中が大分軽くなっている感覚がした。
「はい、どうぞ」
プラチナがチューブを差し出してくる。先端は湿っていた。
「ありがとうございます」
そう言って俺はそのチューブを、心の中でのみ一瞬ためらい、受け取って口に咥えたのだった。吸うと生暖かい水が喉に流れ込んできた。
そういうのに抵抗が無いのか、あるいは知らないだけなのか。
もやもやとした気持ちはあるが、そんなことを気にするのは無駄だ、今はどう生き残るかだけを考えろと理性が押しつぶしていく。
「なんだかなぁ」
俺は、日本語で虚空に向かって呟いた。
「?」
「いえ、ただの独り言です」
ARに表示された時刻は既に午後4時を過ぎていた。救援が来るのが何時かはまだ、全く分からない。状況としては最悪だった。
だが、最善を尽くすしかない。
「ご主人、戻ったぞ」
20分程すると、榛名が戻ってきた。存在の反応を確認して、本人だと識別する。
「仕掛けは、ここだ」
そう言って榛名は俺の頭に手をかざす。この棟に仕掛けられた術式が先程弄った管理術式に上書きされて、情報として直接頭の中に入って来る。
「――オーケー。確認した」
一気に情報が入ってきたせいか、軽く眩暈がした。さっきのアレ程ではなかったが。
「本部から何か連絡は?」
榛名が尋ねてくる。
「いいや、ない」
かぶりを振ってこたえると、榛名は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「焦っても仕方ない。今できる事は待つことだけだ」
「それにしても、だ」
明らかに苛立っているのが目に見える。昔から少し感情的になりやすいのは榛名の欠点だった。隣を見ると、プラチナが不安そうな表情でこちらを見ている。
「すみません、不安にさせてしまって」
するとプラチナは一瞬目を丸くすると、慌ててそんな事ありません、ありがとうございますと言った。
「……すまん」
榛名は居心地悪そうに言うと、壁際に座り込んだ。
榛名の事も分からないではなかった。いつまでも連絡は取れず、作戦も不明瞭。俺も不安でしょうがなかった。
そんな空気を打開したのは、ARディスプレイに表示された『通信』の文字とヘッドセットから聞こえて来たアラーム音だった。俺は咄嗟にヘッドセットの通信ボタンを押しこみ、ARの通信回線を開く。表示が『UAV―LINK ON LINE』に切り替わる。しかし通信は始まらず、表示されたのは『ROCK』の文字と入力画面。数瞬の思考の後、俺は『LOTUS』と入力した。回線が完全に開く。聞こえてきたのは――ロシア語。
『こちらブラス。ステイン、応答して』