13話
移動回。アンド小休止。つまり閑話
「まずはひと段落、か」
運転席の榛名が言う。俺達の乗った車は周囲の車に紛れながら走行する。空はどんよりと曇り始め、薄暗い。今夜辺り降り出しそうな気配だった。
「天気が悪いな」
榛名が言う。
「降り出してくれるとありがたいのだが。水があると助かる」
俺が得意としている物理操作系の魔術。熱、平衡、モーメント、電磁気などに干渉する術式の事だ。先程やった水を操作する魔術が良い例だろう。武器が増えるのはありがたい。逆に、生体に干渉する術式や精神に作用する術式はどうも苦手だ。その辺は周囲の環境や知識と経験で補うしかないだろう。
「ところでご主人、作戦区域と言ってもどこに向かう? 人外が多いからって街中でドンパチは流石に不味いぞ」
「大丈夫だ。心当たりはある」
「心当たり――ああ、あそこか。いつもの所だな」
隣のプラチナは首を傾げていた。そもそも日本語が分かるかどうかも定かではないが、分かったとしてもそれでも意味不明だろう。
「連絡はどうする? 敵とドンパチしながら待ち続けるのは御免だぞ」
「作戦区域に入ったら、だ。正確な位置の通信を傍受されて襲撃を受けても対応できる環境で、だな」
「了解」
榛名がアクセルを踏み込む。車線を変えて車を追い越した。
ともかく到着まではあと10分程あるだろう。作戦区域内での事も考えると今は多少安全だろう。空の目もある。
「あら?」
隣でプラチナが呟いた。見ると車の床に先程と同じレーションの袋が落ちている。中身は無かった。くそっ、ゴミを車内に放置しやがって。頭の中で悪態をつく。
「これはさっきのと同じ物ですか?」
「袋だけ、ですけどね」
プラチナは珍しそうにレーションの袋を眺めていた。中々好奇心旺盛な質なのだろうか。彼女は表面に書かれた言語――日本語を指でなぞっていた。読めるのだろうか? そんな彼女の指がレーションの品名である『マナ』と書かれた所で止まった。
「マナ?」
彼女は不思議そうに言った。
「旧約聖書の出エジプト記を読んだ事は?」
俺は言う。
「全部は。モーセが海を割ったという話は知っているのですが」
「荒野でモーセ一行が食料に困ったとき、天から降ってきたと言われるパンの様な物――を再現したものですよ、それは」
蜜の様に甘く、少量で満腹になる。軍用食にはもってこいだ。因みに聖書だと一晩で腐敗するとのことだが技術班はそこまで正確に再現したらしい。封を切って1日経つと香ばしい『臭い』が漂うようになる。
「へぇ……そんなものがあるのですね……」
「まぁ、普通に工場で作っていますけどね」
俺がそう言うとプラチナは驚いた様だった。彼女の頭の中では魔術師が空から降って来るレーションを拾い集めている様子が展開されているのだろうと予想して言ってみたが、概ね当たっていたようだった。
旧約聖書に出てくる方も、実はモーセが魔術――こう呼んでいいのかは不明だが、俺は少なくともこう呼んで問題はないと思うし、これ以外にこの『現象』に当てはまる言葉は連合には存在しない――を用いて野草を変成させて作ったものだという事だ。
「ステインさん、これは連合内では普通に手に入る物ですか?」
「普通に施設内の売店で売っていますよ。気に入りました?」
「はい、とっても」
プラチナがにこやかに答える。先程からは大分落ち着いたようだ。
HUDグラスの端に表示。無人偵察機からだった。作戦区域内に到達したようだ。俺は腕に取り付けたタッチパネルを操作し、偵察機に指令を送る。偵察機からすぐに返答があった。本部と回線がつながる。
『こちらHQ、ステイン、どうぞ』
「こちらステイン。作戦区域に到達。これより槍沢町区域座標3・4・1・F、4・2・5・Bに向かいます」
使い慣れた座標だ。地図を表示しなくてもその場所のコードは覚えていた。
『了解した。それと……』
一瞬、黒部が言いよどんだ。
『ステイン、悪い知らせがある』
「どうぞ」
『本部の援軍だが、かなり遅れると思っておいた方が良さそうだ。先程提出した書類が上で動いている気配がない』
「くそったれ、いつもの事じゃないか」
俺は思わず悪態をついた。
いくら国際的な組織とは言え、いくら超自然的な力を持つ人々の組織とは言え、所詮人の作った組織だ。腐る事だってあり得なくはない。日本やアジアの方面の支部では、その傾向が大きい。こうして上層部に苦しめられるのもこれが初めてではなかった。
何度か深く呼吸して、気を落ち着かせる。大丈夫、これは予想の範囲内だ。
「人払いは?」
俺は問いかける。
『もう済んでいる。上の連中、こういう事にだけは手がよく回る』
俺は後部座席から前を覗く。フロントガラスから見える景色は馴染みのある景色になっていた。街に人の気配が無い事も、だ。HUDに表示された時刻は11時16分。曇天の薄暗さも相まって人気の全くない市街地は不気味な様相を呈している。
暫しの間、思考をめぐらせる。下手をすれば明日の朝まで待たされかねない。籠城戦になることは間違いない。これから向かう場所でよいのか。答えはすぐに出た。
「HQ、こちらステイン。合流地点は変更しない、繰り返す、合流地点は変更しない」
『了解した。籠城戦になるな』
「アトラスを対地攻撃可能にしてもらえると助かります」
『了解、急遽回した機だからな、燃料も心許ない。そちらが合流地点に到着し次第帰投させる。30分は偵察データ、通信ができなくなるぞ』
「了解。ステイン、アウト」
通信が切れた。
「榛名、聞いていたな? 例の場所で立て籠もる。長い夜になりそうだ」
「了解だ。最近、予定通りに事が上手く行った試しが無い」
榛名が呟くのに、俺は苦笑いで返した。
俺はスナイパーライフルの安全装置を入れ、マガジンを外す。コッキングレバーを2回引いて、薬室に弾が入っていないか確認。振り回した後だったので、ガタついていないかを軽く確認した。
ふと隣を見ると、窓の外の風景を不安と好奇心の入り混じった表情で見つめるプラチナの姿があった。窓の外の景色は住宅街を抜け、街の外れの方に来ている。まるで、人払いが無くてももともと人が居ないかのような景色だった。
書いてて『マナ』、私も食べたくなりました。
因みにレーションは他にも羊の香草焼やチーズ等様々な宗教の人にも受け入れられるようなメニューであったり。