10話
10話。
道路に出ると榛名が待っていた。スーツは所々が焼けたり破れたりしている。榛名でさえ、苦戦するような相手だったという事を物語っていた。
「顔色が優れないぞ。ご主人」
榛名が言った。
「慣れない事をやったからな」
気丈に振る舞ってみせる。勿論、この程度の誤魔化しが大妖怪九尾の狐に通じる訳は無かった。無い事は分かっていた。
「……そうか。わかった」
「苦労かけて、すまない」
「何の為の式神だと思ってる。どちらかというと、もっと苦労を掛けてくれ」
本当に頼りになる式神だよ、お前は。榛名のお蔭で、心が心なし暖まった気がした。
「さて、のんびりもしていられない。ゴルト、俺とプラチナを乗せて走ってくれ。この通りをまっすぐ行くと駅だが、この状態だ。電車は止まっているだろう。線路か高架線の下を行こう。もう人目を気にする事もあるまい」
「了解だ、ご主人」
榛名が光に包まれ、姿を巨大な狐に変化させる。俺はプラチナを榛名の背に乗せると、何も言わずに榛名の背に跨った。
「ゴルト、行くぞ」
「了解」
榛名がゆっくり走り出す。1機残ったドローンを索敵モードに。ドローンが再び高度を上げる。エリアに反応無し。大通りを少し走ったらすぐに駅に出た。人の気配は全くない。俺はPDWを構えて周囲を警戒する。
「ここから高架線沿いに行こう。下を走っていれば支部にたどり着くはずだ」
榛名は了解、とだけ言って針路を変えた。榛名の四肢が躍動し、ビルの壁を蹴って速度を落とさずに針路を90度変更する。そうして、延々と延びる電車の高架線に沿って続く道路を走り続けた。榛名の走る速度は時速50キロ程だ。15キロ先の長野支部には20分程で到着した。ドローンを索敵モードにしていたが、敵の反応は無い。おそらくドローンの索敵範囲外にいるのだろう。
改めて見る長野支部は新潟支部に比べて貧相だった。向こうは4階建てなのにこちらは3階建てである。おまけに内装も向こうの方がしっかりしている。ため息をつきながら俺は榛名から降りる。ドローンを索敵モードに設定し、支部の上空を哨戒させる。
「あの、私は」
プラチナが俺に言った。
「一緒に来てください。ゴルト、お前も来い」
「了解」
「わかりました」
プラチナが降りると榛名の姿が人間のそれに変化する。いつもの青年の姿だ。俺は認証カードを読み取り機に通し、パスコードを打ち込んだ。ドアが開く。
「さぁ、中に入って」
俺がドアを背中で抑える。プラチナと榛名はその間に中に入って行った。俺は後ろ手にドアを閉めた。ドアのロックがかかる音が響く。
長野支部の中は相変わらず蒸し暑かった。纏わりつくような熱気が俺を包むが、速乾性のインナーは俺の汗を即座に蒸発させ、そのおかげでそれほど暑くは感じなかった。むしろプラチナの方が大変そうである。あまり暑いのに慣れていないのか、部屋の中に入った途端に汗をどっと噴き出して今にも倒れそうだった。
「……榛名、談話室に扇風機が置いてあると思うから、そこでプラチナを涼ませてやってくれ」
「了解だ。さぁ、こっちへ」
1階の談話室のドアを榛名が開く。
「あの」
プラチナが言う。榛名の動きが止まった。
「何ですか?」
プラチナは少し、言うかどうか迷ったそぶりを見せ、それから少し震える声で言った。
「少し、一人にさせて頂けますか?」
何となく、その意味を俺は解した。榛名を見ると、俺を見て軽く頷いた。
「分かりました。ゴルト、扉の所で周囲を警戒していてくれ」
榛名は分かった、とだけ言った。
「ありがとうございます。ステインさん」
「お気になさらず」
俺は表情を一切変えずに努めながら言った。プラチナは一瞬安心したような表情を見せた後、談話室に静かに入って行った。扉が静かに閉じられる。
無理もない、か。
俺は心の中で呟く。
「本部に通信してくる。もしかしたら武器交換もするかもしれない」
俺は榛名に言った。
「手続きは大丈夫なのか?」
「緊急出撃の申請をするさ。後で報告書を書くのが面倒だが、背に腹は代えられないからな。プラチナの警護を頼む」
「了解だ。急いでくれよ」
「分かってる」
俺は2階に向かう。事務室のドアを開けると、やはりいつもの様に人の気配は全くなかった。俺は自分のデスクに向かい、PCを立ち上げた。起動時間がひどく長く感じる。
PCが立ち上がると、俺はPCから延びたケーブルを腕の端末につなぎ、腕の端末を操作する。端末とPCを同期。背中の通信機からのデータをPCを介して本部に送信する仕組みだ。同期と認証が終了すると、俺はアクセスポートの番号に作戦コードを入力していく。STTR―20389。接続を確認。俺はヘッドセットのマイクのボタンを押して言う。
「こちらステイン、HQ、応答願います」
数秒の沈黙の後、通信が繋がった。
『こちらHQ。ステイン、本隊とはぐれている。直ちに合流、作戦を続行――って、お前かよ』
この声は嫌程聞き覚えがあった。
本部勤務の中部北部支部担当オペレーター、黒部五郎だ。
彼とは何回か会ったことがあって、20代ほどに見える若い青年だった。本人が言うには32歳らしい。元自衛官で、演習中に妖怪に襲われて交戦。連合兵に助けられてからこちら側に関係を持ったらしい。京都に実家があるらしい。
「ネガティヴ。作戦行動中に本隊は魔術師のものと思われる襲撃に合い、行動不能に。護衛対象を確保したもののこちらは不明部隊による襲撃を受けており現在逃走中。至急救援を要請します」
俺は現在の状況を正確に説明する。下手に説明不足で後で軍法会議に掛けられたらたまったものではない。
『――魔術師?』
黒部の不思議がる声が聞こえてきた。
『間違いないのか?』
「少なくとも魔術師用にチューンされたジャベリンを撃ってきた時点で、襲撃してきた奴等か、そのバックに魔術師がいるのは確定ですよ」
『おっかしいな。任務は対人外護衛任務になってる。部隊編成も対人外部隊で固められて、マルチはお前だけだ』
予想通りだった。
「護衛対象の車両はもぬけの殻。本物は後方にいました。俺達は囮でしたよ」
『……きな臭いな。報告が通ってない』
「現在の装備では対応できないので、装備交換の為のスクランブルを申請します。あとドローンを1機失いました。無人偵察機を要請します」
『了解。『アトラス』を飛ばす。最寄りから飛んでも20分はかかる。それまでは動かないでくれ。それまでは衛星からスキャンする。UAVが到着したらUAV経由の衛星通信でこちらに接続し直せ』
アトラス。連合のステルスUAVだ。単発の全面翼偵察機で、航続距離は6000キロ。通信の経由や爆激も可能な多機能無人機だ。通信ユニットを装備するのなら爆撃による航空支援は期待出来ないだろう。
「了解。これからスクランブルコードを用いて武器庫を開け、弾薬を補給します」
『了解だ。コードを受理しておく』
通信が切れる。俺は通信アドレスをそのままにして通信機とパソコンの接続を断った。パソコンの電源を落とすと、俺は3階の武器庫へ向かう。3階の武器庫の扉前に着くと、俺は網膜スキャンをした。認証の表示と共にコードの入力を要求された。
スクランブルコードは、その名前の通り緊急時に用いられるコードだ。マスターキーの様なもので、これが一つあれば自分の武器庫と弾薬を取ることが出来る。しかしこれは武器持ち出しの申請をする暇がない程切迫した状況のみ用いることが出来るコードで、入力して武器庫を開けると、どこの誰がコードを使ったという状況が本部に自動で送信される。通信が繋がる場合は、オペレーターに先程の様にスクランブルコードの使用を宣言しておくのが一般的だった。
俺はスクランブルコードを認証キーに入力した。コードの使用を確認したという表示と共に武器庫のドアが開いた。重いドアを押して中に入り、弾薬庫を開けた。
「プラチナは?」
「部屋で休んでる。あと、少々空腹の様だ」
時計を見ると時刻は午前10時だった。昨日から10時間以上は何も食べていないだろう。
弾薬庫に入った俺は持ち出した弾薬の量を管理コンピューターに入力し、弾倉にそれを詰めて補給を済ませた。そして今は1階の談話室に来ている。部屋の中にはプラチナが一人で休んでいる。俺は外の警備、という事だ。
「冷蔵庫に何か入ってるか、見て来よう」
榛名が言った。
「軍用食があったはずだ。倉庫に入ってたと思うから、最悪、それを頼む」
「分かった」
そう言って榛名は2階に上がっていった。俺はPDWにマガジンを差しこみ、コッキングレバーを引いた。安全装置は外さない。しばし、部屋の前でたたずむ。術式を隠蔽の結界のみに絞り、周辺の霊力を感じ取る。異常なし。
虚空を見つめる。頭の中を今までにあった様々な事が駆け回る。出撃、奇襲、魔術師、狙撃、殺害、逃走、陰謀。
とてもじゃないが、一兵士が背負えるものではない。俺はそう思った。あの少女を中心に渦巻く巨大な何かが、とても恐ろしく感じた。そしてその中心にいる少女、プラチナの存在すらも。
そこまで考えた所で意識が自然と戻った。そうして、部屋が妙に静かな事に気付く。
部屋をノックする。
返事は無かった。
俺は部屋のドアを後ろ向きに蹴り飛ばした。その間にPDWのセーフティーを外し、連射に切り替える。振り向きざまにPDWを構える。
感覚が自然に加速する。スローモーションになる世界。蹴り飛ばされた扉が床に当たって跳ね返る様子がゆっくりに見えた。靴を脱いで入る畳張りの座敷になっている談話室の隅にはプラチナが横になっていて、俺に驚いたのかゆっくり体を起こして――ん?
世界の時間が元に戻った。プラチナが慌てて起き上がり、ひゃっ、と声を上げて俺の方を見た。どうやら気のせいだったようだ。
「び、びっくりしました」
プラチナが目を丸くして驚いている。俺も慌ててすみませんと謝った。
「おいおい、どうしたんだ、ご主人」
音で気付いたのか榛名が降りてきた。右手にレーションの袋を持っている。
「すまん、俺のミスだ。何でもない」
俺は榛名に向かって言う。気配で部屋の中をサーチすることを完全に忘れていた事に気付いたからだ。
「そうか、ミスか」
「ん? 珍しいことでもないだろう」
「いや」
榛名が俺の目を数瞬見る。
「ご主人も、だな」
そう言って榛名は上階に向かっていった。
俺は一人残される。
「あ、あの」
プラチナが俺に向かって話しかける。
「少し、お話をしませんか?」
そう言って、彼女は俺に向かって弱弱しく笑ったのだった。彼女の頬には、涙の跡があった。
なかなかああいう事で悩むことになる主人公って、いない気がする




