8話
8話っ! っ!
浅い眠りの時の時間は妙に早く過ぎる。目を覚ますと、既に時刻は5時40分だった。窓から朝日が差し込んでいる。俺が立ち上がると、入り口の所に座り込んでいた榛名がこちらを見た。
「時間かい?」
「ああ、そろそろ出よう」
俺はプラチナを揺する。彼女はううん、と軽くうなってゆっくり目を覚ました。
「時間です、そろそろ出発します」
「……ここは?」
「ホテルです。昨日見つけて何とか入りました」
プラチナが辺りを見回す。鏡が妙に多かったり、ライトが色っぽい色をしていたりと普通のホテルと若干異なる点が多いが、彼女は何の疑問も持たなかった様だ。これがホテルなのですね、なんて感心したように言う。良心が痛んだ。
「あら? 足が……」
プラチナが足の捻挫が治っている事に気付く。俺は昨日の晩治療しておいたと言った。
「まぁ。ありがとうございます」
プラチナがしずしずと頭を下げた。
俺はPDWを構えて部屋を出る。同時にECM起動。廊下はクリア。そのまま階段に向かう。榛名とプラチナも後に続いた。階段を下りて1階に着く。
「さてと……」
無人のフロントに鍵を返した俺は、プラチナの方を見た。ボロボロの服、靴は無し。見ようによっては如何わしい事をされていた直後にしか見えない。俺は渋々コスプレの販売機を見る。生憎、この時間帯に服屋は空いていないし、この格好で入る気にもならなかった。
「これも経費で落ちるかな……」
「報告書がんばれ、ご主人」
「どうかしたのですか?」
俺と榛名がコスプレの自販機の前で悩んでいる所にプラチナが声をかけてきた。一瞬迷う。正直に話すべきか、上手く誤魔化して言うべきか。すぐに答えは出た。正直に言おう。
「ボロボロの服をどうにかした方がいいのですけどね……せめて靴だけでも」
「まぁ! ニホンのホテルは服も売っているのですか?」
「いえ、ここにあるのは……その……所謂コスプレ衣装しかありませんでして……」
「コスプレ!? ジャパニーズ・カルチャーですね! 聞いたことがあります。とても可愛い仮装だと聞きました」
少し興奮した様子で話すプラチナさん。日本文化に憧れる外国人そのものだった。俺が夜間迷彩の真っ黒な服にマスク、暗視ゴーグルでいたらきっとニンジャとか言われていたに違いない。そしてこの世間知らずとも無垢とも箱入りともいえる少女を半分だましている様なこの状況にひどく罪悪感を覚えた。今度カティアさんに懺悔を依頼しよう。
せめて、せめて何とか普通に限りなく近い服は無いのか。そう思って俺は苦々しげにコスプレ衣装の自販機を見る。
それは、一番端にあった。
「……なぁゴルト」
「……きっと、誰かが売ったんだろう。一度着たら金になると聞くからな」
自販機の端、そこには少し古い、俺の通う槍沢高校のセーラー服が置いてあったのだ。ご丁寧に靴もある。俺は速攻で金を投入、そのセーラー服を購入した。妙に高い。ロッカー型の自販機が開く。
「プラチナさん、これに着替えてきてください。ゴルト、入り口を見張ってくれ」
「了解」
俺はすぐそばの女子トイレを指差して言う。同時に榛名が変化する。イケメンから中性的な顔立ちに。女と言われればああそうなのかと思う程だ。
「は、はい」
プラチナが頷く。俺はプラチナの先に立ち、周囲を警戒しながら女子トイレに入る。トイレ内、クリア。個室を確認。クリア。
「この中でどうぞ」
個室の一つを指さす。プラチナはその中に入った。内側から鍵が閉まる。俺はPDWを構え、個室を背にして周囲を警戒する。後ろからは衣切れの音が静かに響く。少し後、革靴を履く音。鍵が開いた。
「お待たせしました」
プラチナが出てきた。槍沢高校の、少し古い制服を纏っていた。
「少し胸がきついですが、他は大丈夫です」
制服の前の持ち主が聞いたら怒り狂いそうな言葉だった。俺はプラチナを連れてトイレを出る。入り口では榛名が周囲の警戒をしていた。
「終わった。行くぞ」
「了解」
周囲を警戒しながら外に出る。早朝の田舎には人の気配が無かった。薄く靄がかかっている。
俺はHUDグラスの蔓の所にあるボタンを押す。ガラスに色が付き、遮光性を持つようになる。サングラスの代わりだ。腕の端末を操作。屋上で待機中のドローンに指示、追従モード。同時にECMをカット。PDWを構えながら進む。前方が俺、後方が榛名、間にプラチナという陣形で周囲を警戒する。静かな街中を歩く。
30分程も歩くと、街中に出る。そこで俺達は初めて異変に気付いた。
人が、全くいないのである。
時刻は既に6時。早い店なら開けていてもおかしくない時間帯である。それなのに町の中は静まり返っている。まるで人がごっそり消えてしまった様に。俺は、こういう効果を表す術式を知っている。
「人払い……」
人払いは結界の一種だ。その結界範囲内の一般人は『そこにいてはいけない』という自然な衝動に駆られ、結界の張られたエリアから退出する。結界の強制力と効果範囲は使用する霊力に比例して大きくなる。
これだけ大規模な人払いの結界を、何の前兆もなしに張ることが出来る。それは術式があらかじめ仕掛けられていた場合に限る。
「本部が動いたってことか……」
町には全体をカバーできるように人払いの結界の術式がしかけられている。万一街中で戦闘や怪奇現象が発生してしまった場合はそれを用いてそのあたりを『立ち入り禁止』にするのだ。
町一つを丸ごと人払いの結界の範囲内に置くような真似は、本部の許可と協力がないと不可能だ。つまり、今回の事案は支部だけでは対処しきれないと本部が認知した事も表している。
しんと静まり返った商店街の中で、俺達は立ち尽くした。
「ゴルト、何か妙な事になってきたな」
「初めはただの警護任務のはずだったのだがな。こりゃ、何か隠されてるのは間違いないだろうな」
榛名が耳と尻尾を出現させた。周囲にソフトボール大の狐火が複数出現する。次の瞬間ドローンの警報が鳴った。
「ご主人、敵だ。小型のが多数。こっちに真っすぐ向かってくる」
「また使い魔か。敵の人員は少ないみたいだな」
「あるいは出し惜しみしている、か」
俺はプラチナに姿勢を低くするように言った。彼女を庇うように俺が前に出る。ドローン、攻撃モード。ミニガンが回転を始めた。
「距離100、接敵まで後5」
俺はPDWを構える。3点バーストにモードを合わせる。距離が40を切った時、商店街の曲がり角からそいつらは飛び出してきた。痩せ細った四肢、異常に膨れた腹、何もない眼孔。日の光の下で見る餓鬼はグロテスクだ。後ろでプラチナが必死に悲鳴を堪える音がする。結構根性がある様だ。
榛名が腕を大きくふるった。狐火が一斉に射出される。榛名の腕の動きに同調してすさまじいスピードで放たれた狐火はさながらビームの様に線を描いて豪速で餓鬼の群れに殺到した。同時にドローンのミニガンが火を噴く。電動鋸の様な連続音と共に狐火で撃ち漏らした餓鬼を片付けていく。変成して水になった薬莢がさながら雨の様に滴る。榛名は次々と狐火を生成、出てくる餓鬼に向かって放っていた。
「後退するぞっ!」
「了解っ!」
後退しながら敵を足止めする、所謂引き撃ちの体制に入る。俺が反転し、進行方向に銃を向けると、丁度少し離れた物陰から餓鬼が出てきた。こちらに気付く。その時既に俺は照準を餓鬼に合わせていた。レッドドットサイトの、レーザーで記された赤い点に餓鬼の姿が重なる。ファイア。3発の短い射撃。サイレンサーを通しているために発射音は気の抜けた様な音だが、魔術師用にチューンされた弾薬は凄まじい弾速を出す。3発の極超音速で飛ぶ5.9mm高速弾が直撃した餓鬼の身体はショットガンでも食らった様に吹き飛んだ。
「挟み撃ちにする気だっ! 跳ぶぞ、ゴルトっ!」
「了解っ!」
術式展開、身体強化。術式展開、感覚強化。
全身に、まるでパワードスーツを着る様な形で術式を展開する。怪力や超感覚なんてのは昔話でもよく見る物だ。身体強化の術式の研究はかなり進んでいて、その成果がこの術式だった。全身を覆う様に展開された術式は、身体能力を補助すると共にそれらによる衝撃から身を守る。また、感覚強化は神経に直接働きかけ、信号の伝達、処理のスピードを飛躍的に高める。人間の脳はある程度までは鍛えることが出来るが、動体視力と認識には限界がある。感覚を強化せずに身体強化のみかけても、まともに動くことは出来ない。反応が追いつかないのだ。
俺はPDWをハンガーユニットに仕舞い、庇っているプラチナを抱きかかえ、彼女にも身体強化をかけた。2人分の負荷が術式に来る。少し屈み、一瞬足に力を貯め、次の瞬間爆発的にそれを解き放つ。視界が下に吹き飛ぶ。空中で前方に一回転し、商店街のビルの屋上に着地する。榛名もすぐ後に続いた。ばねの様に体を躍動させ、走り出す。爆発的に加速。手すりの一歩前で軽く跳び、手すりを蹴って空中に高く躍り上がる。後傾気味になりながら数個先の建物の屋根に着地する。左足のみをまげ、力を貯め、力のベクトルが体の重心を通る様にして地面を弾く。次の瞬間、プラチナを抱きかかえた俺は横に吹っ飛ぶ様にして跳躍した。サイドステップを軽く踏む程度でもこの威力だ。
「ご主人っ!」
「分かってる! 撒くのが先決だっ!」
榛名も俺に追従して走って来る。榛名は自身の感覚を頼りに後ろに向かって狐火を放ち続けていた。狐の様な滑らかな動きで走る榛名は、とても俊敏に動く。時には手すりの上を走り、ジグザグに屋根の上を走って追っ手を迎撃していた。
商店街が途切れる。大通りに飛び出した俺はビルの壁に着地する。壁を斜めに蹴り、落下の勢いを消すと共に道路に躍り出た。道路に着地。勢いを殺さずに走り続ける。ARに表示された速度計は時速120キロを示していた。これでもまだ『長距離走』の感覚である。戦闘行動に移って身体強化の出力を上げると瞬間的に400キロ近く出た事もあった。
榛名が少し遅れて大通りに飛び出した。地面に着地せずに看板や電信柱の上を飛び移って行く。
「ご主人っ! 8タンゴ(敵)、6オークロック!」
「了解、迎撃する(ウィルコ)っ!」
術式展開。
俺は「雨水」のマンホールを踏み抜く。同時に術式を、足を通してマンホールに仕掛ける。ひしゃげ、落下していくマンホールの蓋。それが雨水管を流れる雨水に触れた瞬間、術式が発動した。
道路に並ぶマンホールが次々に吹き飛んでいく。霊力は水に溶け込み、俺の霊力を帯びて、水は先程落としたマンホールの蓋を『受信機』にして俺の制御化に入った。コントロール化に入った水を俺は噴出させ、引き寄せる。水は俺の周囲に渦を巻く。反転、迫る餓鬼の群れを視界にとらえる。水の形を変化させ、道路一杯に広がる巨大な水の壁を作り出す。水の壁の真ん中には、先ほどのひしゃげたマンホール。『受信機』を霊力でとらえながら、俺は『受信機』に仕掛けたもう一つの術式を発動させた。光が水の壁を伝い、水の表面を凍らせていく――向こう側のみ。
「これで、仕上げだっ!」
最後の術式が発動。マンホールの術式は周囲の水を強制的に蒸発させる。堆積が急激に1700倍になった水蒸気は膨張を開始、そのスピードは音速を超え、衝撃波を発生させる。音――衝撃波とともに術式は伝播し、水の壁を次々と水蒸気に変換していく。
爆発により周囲の物が損壊するのは何故だろうか? 勿論、衝撃波による損壊も十分あるが、衝撃波は距離の2乗に反比例して減衰する。しかし、実際の爆弾――特に手榴弾などの加害範囲はそれよりもさらに大きくなる。それは、破片の存在である。衝撃波も十分脅威だが、それと同等に脅威なのが爆発によって吹き飛ばされる破片だ。破片のスピードは空気抵抗によって徐々に落ちるが、それは衝撃波の減衰よりも遅く、破片はより遠くまで高速で飛ぶことになる。
水の壁の、『向こう側』に形成した氷の層。それは内側から発生した衝撃波によって砕かれ、大小さまざまな破片となって衝撃波とほぼ同じスピードで吹き飛ぶ。
結果、『向こう側』には氷の銃弾の嵐が吹き荒れることになった。
俺は物理的障壁――ただ地面を隆起させたアスファルトの壁だが――を展開。高温の水蒸気を防ぐ。轟音と爆風が障壁を襲う。俺は障壁を維持する為に変性術式を展開、使用霊力が跳ね上がった。吹きすさぶ爆風が収まって視界が戻ると、水の壁のあった所を境に向こう側とこちら側では破壊の様子が全く異なっていた。
「クリア」
俺は言った。
「さながらクレイモア対人地雷だな」
榛名が隣に降り立って言う。『向こう側』は氷の破片によって地面が抉られたり街路樹が折れていたりした。まるで竜巻の後の様だ。煙を上げている肉片の様なものは餓鬼の残骸だろう。
「敵の反応もない。だが警戒を怠るな」
「了解、ご主人」
俺は抱きかかえていたプラチナに話しかける。
「大丈夫ですか?」
プラチナは目を白黒させていた。俺の問いかけに、ゆっくり頷いて答える。
何となく、嫌な予感がする。
『……なぁ、榛名』
俺は榛名に念話で話しかける。
『何だい?』
『俺、ひょっとしてドン引きされてる?』
『……かもな』
榛名が苦笑した。気分が激しく凹んだ。
「あ、あの、どうかしたのでしょうか?」
プラチナが心配そうに俺を見る。すみませんプラチナさん。全部俺が悪いんです。
「大丈夫です、先を急ぎましょう」
気を取り直して言う。敵の反応は無し。俺はプラチナを地面に降ろした。プラチナは一瞬よろけたが、すぐにバランスを取り戻した。
ある意味、魔術師ならではの戦闘?




