Prologue part 1 ひとりぼっちのお姫様
1人の姫は鬱蒼とした気持ちの中、窓の外を眺めている。
そこには美しい湖、そして消えることのない街の灯りが目に映る。月の光が湖を照らす。それとは反対に人工の光は絶え間なく街を照らす。
夜の時間は街中どこもにぎやかだ。
あるものは笑い。あるものは酔い。あるものは泣き。あるものは怒る。様々な人が生活している。
それに引き替え姫は城の中しか知らない。こうして夜に窓から外の景色を見ることしかできない。
それが姫のすべての世界だった。視察という名目で城外を見て回ることはある。ただし、人は皆、姫を敬い形式的になってしまう。
毎夜見る景色とはまったく違う。視察の際には人というものが存在しない。誰もが姫という権威を恐れる。もしくはいい顔をしようと自分を作っている人もいる。すべて現実だ。
姫は夜の景色に幻想を抱いていた。ため息をひとつ、知らぬ間についてしまう。
白銀の長く美しい髪が風に揺れる。身長は高くもなく低くもない。美貌で知られており、どこの社交場に出ても人の目を引く。しかし、姫は人前に出ることを嫌う。若干16歳の姫君には社交場という空気が少々酷なのかもしれない。
姫は窓の外を眺めていた。ずっと遠くを見つめていた。
「アイリス様、夜風は体に悪いです。窓を閉めてください」
後ろから声が聞こえる。可愛らしい声だ。姫はそんなことを決して口に出さない。彼女が気にするからだ。
「ごめんなさい。スズ」
姫という身分であるアイリスは白銀の髪を揺らしながら、声のしたほうに振り向く。
そこにはアイリスより身長が低い少女がいた。少女というのは失礼かもしれない。すでに18歳なのに、少女という表現はいささかおかしいかもしれないが、少女という表現が似合う。
スズの姿は、使用人が着ている服とは違う。それに加え、スズは軍からの派遣ということもあり、軍服に近い服装となっている。
堅苦しい服装はまったく似合っていない。肩にかかるぐらいの黒い髪を、堅苦しい帽子が隠してしまう。
「いえ、お体のことが心配で」
姫の前であるため、表情はかたい。せっかく可愛らしい顔が台無しだと、アイリスはいつも残念がる。自然のありのままの表情を見せてほしいのに、その願いはかなわない。
スズは軍から来た侍女である。侍女という役柄、常に姫のそばに立ち、身の回りの手伝いをする。それに加えて護衛も兼ねているのだ。
アイリスは初めて会ったころスズが軍人だと思えなかった。小柄な体に可愛らしい顔。どれをとっても軍人らしくない。
「明日の予定はわかる?」
アイリスはスズと話を続けたくて、ついつい自分でも知っている質問をしてしまう。
「明日からは村を視察するため、1日かけての移動となります。夜になりましたら、アレンスという街にて宿泊です。なので、朝は早いです。それに移動で疲れてしまいます。早くお眠りになってください」
スズは、そんなアイリスの戯れごとにも真摯に付き合う。ポケットの中から手帳を取り出し、明日の予定を確認してくれる。
明日は村の視察。アイリスにとって何か月ぶりかの外出であり、珍しく農村部に行くことができる日である。王族が視察することにより、民衆への権威保持の意味合いが強い。最近は納税において問題が多く。反乱まで起きている。
そのために、急遽取り決めがされたことだ。この王国の王族は領内に行くことが決まった。その一環として王族であるアイリスは姫の立場として村に訪れないといけない。
「ありがとう。スズ」
姫であるアイリスは責務をこなさないといけない。それが王族に生まれてきた者の運命だ。アイリスは抗いたくても抗う方法を知らなかった。
姫は窓を閉めた。風が入ってこない。部屋の中は、わずかな灯りで照らされた無風の空間になった。そこにはアイリスとスズしかいない。
スズは扉の近くにいる。部屋と言っても、そんなに大きいわけでないため、スズの表情がはっきりと見えるのだ。
「アイリス様のためです」
照れた顔を隠すスズ。アイリスは素直なスズの姿勢がうらやましかった。アイリスは素直に表情を作れない。どうしても、王族として表情を作ってしまう。
「明日のことを、詳しく教えて? スズ」
アイリスは、さらに話がしたくなった。
「はい、明日は朝早くから移動です。馬車での移動となります。その護衛には、近衛騎士2個小隊が付きます」
「近衛騎士の中には、ティナもいるの?」
ティナという人物は、アイリスの警備を担当する近衛騎士だ。女性であり、アイリスと年齢が近いために、よく話し相手になってくれる。ヘスティナの愛称がティナ。
「残念ながら、ヘスティナは反乱の鎮圧に向かっているため、今回の警備からは外れています」
「そう……」
これで話し相手はスズだけになってしまった。アイリスの気を落とした様子を見たスズはもう一言付け加える。
「でも、ヘスティナは、反乱が終わり次第、早急に駆けつけますとのことです」
「あんまり無理はしてほしくない……」
ヘスティナの性格を考えると十分にあり得ることである。数日の移動でヘスティナがいないことは、残念であることは変わりないため、その言葉は嬉しくもあった。