リアルなハナシ
街を歩けば色鮮やかな花が咲き誇り、芸術的な建造物が競い合うように存在を主張する。
そんな、国自体が遺産のような国・朋鸞国に暮らす少女――桜葉澄は、ついこの間まで休んでしまった分の出席日数を稼ぐため、今日も今日とて、学園・胡蝶蘭へ通っていた。
この学園の良い点は常に授業が行われるということで――生徒の中では芸能関係の仕事と両立している人も少なくないので、授業も勉学だけでなくて技能面も大いに組み込まれた特殊な時間割で、頑張れば遅れを取り戻すのには支障ない仕組みになっている。しかも授業以外の自主学習の評価点は高い。だからこの間までの自習の高評価を願いたい。
本日はみんなにとっては休日だからといって葉澄は呑気に休むというわけにはいかなかった。出席日数は最も重要な事項だ。これによって他の面は完璧なのにも関わらず、留年になった人を葉澄は知っている。
苦手な科目の授業が終わると、力を使い尽くした体を葉澄は机にバタンと突っ伏した。
――計算や暗記問題。苦手な内容に久々に頭をフル回転させた気がする……。
(春休み中からすでに王城に行っていて、頭を使う勉強はしなかったものね……)
学年の共同教室で身の程を知って項垂れていた葉澄は、室内が騒めき出したのを感じ何だろうと顔をあげる。
「葉ちゃん、どうしたの?最近全然見なかったけど、椿燐街に行っていたみたいだね。芭流から聞いたよ」
目の前に現れたのは若葉色の髪が印象的な美青年だった。彼は癒しのある笑顔で近付いてくる。
「星、おはよう。休みの日に登校なの?」
「うん。ちょっと用があってね。葉ちゃんは補習?」
「そう。休んでた分の」
葉澄は心の中での葛藤を悟られないように彼にペラペラと紙の束を見せびらかして、また項垂れた。
二か月という月日の溜まっていた量は半端なかった――。自分で教科書を読んだくらいじゃまったく分からないし、地道に覚えていくしかないけれど……。
「そう言えば、椿燐街に行っていたんだよね。芭流が言ってたよ」
葉澄は心の中で星に手を合わせて謝った。嘘を吐くのはやっぱり少し気が引ける。
けれど芭流が話してくれていたというのは、何だか意外だった。
「でも葉ちゃん、大丈夫だよ。実技の授業はまったく問題ないんだし。勉強はちゃんとした答えがあるから解き方さえわかれば平気だよ。だって頭いいんだから」
しゃがんで机に顎を付け、目尻を下げて同じ目線で彼は微笑む。こうやって優しく励ましてくれて親身になって話も聞いてくれる彼は本当にできた男子だった。
彼の名は、桜星。彼は、葉澄の同い年のまたいとこなのだけれど、芭流の所属する《豹鈴香》のメンバーでもあった。華奢な見た目やあまり高くない身長から世間的には弟のように慕われているけれど、真面目な性格や飾らない男らしさは抜群でとても頼りになる人物だ。
豹鈴香は四人組のグループなのであと二人メンバーがいるけれど、直接会ったことのない葉澄は芭流と星の事しか紹介出来ないのである。
星は芭流と違って、癒し系でしっかり者なイメージが強いかもしれない。
「ありがと。こうやって優しいから、星はみんなにモテるんだね。ほら、みんなが見てるよ」
「やだな、もう。葉ちゃん、芭流の方が女子の反応が凄いのは知ってるでしょ?僕は状況に慣れたけど、関係の無い周りの人に迷惑を掛けちゃうのは少し考えるね……。たとえ接触がなかったとしても、落ち着かないから嫌だって人も中にはいるから」
「そう?星を支持する娘たちは温厚な子が多いように思うけど。うーん……みんな悪気があるわけじゃないから難しいよね。だって私、芭流といたら気づいた子に追いかけられて、隠れたり逃げ回ったりするようなこともあったし」
星は空いていた隣の椅子に座って、眉根を寄せて笑う。
「う~ん、そうだね。葉ちゃんの場合は特例かも……。ごめんね、邪魔して。――じゃあ、僕も椿燐街のお祭りに出ることになったから、葉ちゃんみたいに必死で頑張らないと」
「え、そうなの!久々に〝踊ってる姿〟じゃなくて〝舞ってる姿〟が見られるんだ。すっごく楽しみ!ゼッタイに時間つくって見に行くからね」
『よし!』と腕まくりをして、葉澄はさっきの授業の復習を鼻歌まじりで楽しそうに始めた。
「葉ちゃんも椿燐街で演奏するよね?僕も聴きに行くから、補習ぜんぶ終わらせちゃおうよ。わからないところがあったら訊いてね」
葉澄はきょとんとした顔を見せた後、涙が出そうなほど喜んで彼に勉強を教わるのだった。
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「ねえ、芭流。今年は千鳥祭に行く?」
可愛らしい流行りの化粧をした、まるで人形のような身なりの彼女は親しそうに芭流の袖を引き、甘えるように話しかけた。紅茶色から桃色に変わっていく髪色が印象的な娘だった。
「紅璃鴾。お前は俺よりも忙しいだろ?そんな時間あるのか?」
「作るもん、そのくらい。芭流と遊べるなら暇とるし」
芭流は休憩がてら氷菓子をつまむと、設置された座り心地の良い椅子に疲れたように寄り掛かる。
紅璃鴾は隣に腰を下ろすと首を捻り、流行の最先端が施された爪をした手を口許に添えた。
「だから一緒に行こーよ、稽古の合間見つけて。だって葉澄も星もきっといるでしょ?」
街の娘たちは流行りを発信する彼女の真似をし、白い肌に水晶を埋め込んだような瞳にふさふさした長い睫毛、桃色に色づく頬に、映える潤んだ淡紅色の唇は今どき女子の黄金比になっている。
浮かない顔で口に氷菓子を放り込みながら、芭流は「はあ」と欠伸をした。
「どうしたの~?返事ない。芭流は太らないからいいけど、休憩中はお菓子ばっかり食べてるし、素っ気ないよね。私の事、嫌い?」
芭流は隣に座る紅璃鴾を横目で見た。
「思ってもないこと言うなよ、紅璃鴾。それに誘う相手が違うだろ?箏嗣と会ってないのか?」
箏嗣は彼女と同い年で豹鈴香の内の一人な上に、彼女と正式に付き合ってもいる。
そして彼女は今年、人気ナンバーワンに輝いた歌姫だ。見た目も性格も完璧な彼女は高い評価を受け、男女問わず好感がある。だからこうして、可愛らしい振る舞いをする彼女に影響されて、紅璃鴾を敬愛する信者も数を増す一方なのだろうけれど、彼女は自分と同じように心の置き場というものを持たない可哀想な〝迷い子〟だ。
紅璃鴾も黙って氷菓子を一つ摘まむと、口の中でコロコロと音が鳴るように転がしていたがこくりと頷いた。
「ねぇ、だからいいでしょ?幼馴染みだからって言えば何ともないよ。私たちはただの『友達』。役で何度キスしたって、現実的に恋愛には発展しないんだもんね?」
微笑ましいくらいの大きな目で、彼女は芭流に訴えかけた。
彼女なりには一応〝売れっ子〟ということで関係性をはっきり区別している節もあるけれど、他の得体の知れない男にこれを迫ったら、きっと危ない方向に向かってしまう。彼女に至っては意識が足りないというよりも好意のある誰かに固執してしまうところが、あえて厄介と言うところだろう。
ため息をついた芭流は周りに誰もいなくなったことを確認すると陰で紅璃鴾の腕を掴み、小声で囁く。
「もういい。あんま気張ると疲れるだろ?どうしてそんな作るんだよ……化粧で誤魔化せると思うなよ。顔色悪いだろ?体調悪い時ほど元気になるのが悪い癖だよな。今日はもうあがって休んだ方がいい」
「なに?言ってる意味よくわかんな~い。ちなみにあたしの悪い癖は『誰でも好きにさせちゃうところ』だよ。芭流、知らなかった?じゃあ、また後でね~」
そう言って手を振って、誰かに呼ばれた紅璃鴾は楽しそうに駆けていった。
芭流は彼女を目で見送った後に仰向いて、また氷菓子を口に放り込んだ。




