続きは、生まれ変わった後で
コンコン
「神子様、夜食をお持ちいたしました。夕餉を召し上がっていないとのことでしたので。入ってもよろしいでしょうか?」
真夜中、神殿を思わせる住居の奥深い一室、その扉の前で侍女がノックしながら中にいるはずの人物に語りかける。
「あの、神子様? 就寝中でしょうか?」
一向に返事がないのを不審に思い、侍女は扉を開けようとする。しかしガチャガチャと音がしてノブが回らない。鍵がかかっているということは、就寝中なのだろうか。なら、このまま休ませたほうが……。
いや。何か、嫌な予感がする。侍女は急ぎ足で鍵が保管されている部屋に向かい、管理人から引っ手繰るように奪って部屋に引き返す。そして侍女の悪い予感は的中していた。
「神子様!? 神子様! ……誰か! 非常事態です! 神子様が部屋にいません!」
「上手くいったな」
「ええ……」
その頃、神殿から遠く離れた街道の馬車の中で、二人の男女が寄り添いながら安堵していた。
「でも僕らは神子をやめたことで、きっとこの先とても苦労するだろうね」
「それは、覚悟したことだわ。でもどんな苦難の道だろうと、私は貴方を選ぶ。貴方は違うの? フェリオ」
「そんなわけないだろ、ミム。僕だって、初めて愛しいと思った人と、この人生を使いたかったさ」
その言葉に、ミムと呼ばれた少女は微笑んで、フェリオとキスを交わす。
駆け落ちだった。
身分違いとか、親が許さないとか、そういう話ではない。
お互いが国の礎となるべき『神子』 という存在だったのだ。神子はこの世界では国に一人選出される特別な存在。神の生まれ変わりとして崇められる。
ミムは今でも鮮明に思い出せる。その神子になった日のことを。六つになったばかりの日、突然神殿の者が目の前に現れた。彼らはミムに色々な試験をした後こう言った。「次の神子は貴女だ」 そして親元から強制的に引き離した。以来、神殿の奥で神の言葉をひたすら代弁するという浮世離れした生活を送っている。
ほとんど外界から隔離されたような存在だったが、国の重要祭事などには外に連れ出されることもある。拒否権のない話だ。
そこで出会ってしまった。
「……」
「……」
隣の大陸にある国の神子は男だった。しかも、自分と同い年。どことなく寂しそうな空気、虚ろな目。一目で心に残った。けれど、立場ゆえに話すことも許されず、そのうち祭事は終わり共にお互いの国への帰途に着いた。
しばらく物思いにふける日々が続いた。彼のことが忘れられずに。あれこれ手を使って、彼がフェリオという名であることも調べ上げた。けれど、それだけ。侍女と一人の高官くらいしか話す相手がいない日々。どうしようもなく寂しくなる日は、彼の名を心で唱えて紛らわした。
そんなある日、手紙が部屋に投げ込まれた。
――――突然このような真似をして申し訳ない。しかし僕は、あの祭事の日からずっと、ミム、貴女のことが忘れられない――――
もちろん、嫌なはずはなかった。それから人目を忍んでの文通が始まった。一人の時は考えようにしないでいたことも、こうして相手が出切ると堰を切ったように溢れていく。
「どうして私達はこのような生き方を強いられているのでしょう?」
「外の人達は、みな思い思いの人と添い遂げるというのに、僕達にそんな自由は無い」
「好きでこんな地位についた訳ではありません」
「たった一つの気持ちさえ殺して生きていく……貴女もお嫌ですか?」
二人で遠くへ逃げる。そんな考えがまとまるのもそう遅くはなかった。
体調が悪いといって一人の機会を増やし、金をくすめ御者を雇い、名を伏せて最果ての地で家を借り受ける。
生きた心地のしない日々だったが、耐えた甲斐があった。こうして逃亡に成功したのだから。
「本当に良かったわ、フェリオ……。でもどうしたのかしら。私、何だか頭がくらくらする……」
「安堵で疲れが出たんだろう。僕もだ。口の堅い御者だし、安心して眠ろう」
自分を気遣うフェリオの言葉もあり、夢にまで見た愛しい人の胸で眠るなんてことをしてしまう。幸せだった。家に着いたら、私達の新しい希望に満ちた生活が始まる――――。
手をすりぬけた皿を床に落としてしまう。まただ。
「ミム、大丈夫かい!?」
「え、ええ……。大丈夫。でもお皿が……」
「そんなの、君の身には変えられないよ。それより、最近多いね。具合が悪いの?」
「ごめんなさい。少し……。でも、フェリオ、貴方も顔色が悪いわ」
「僕は男だから、大丈夫だよ」
「お願い無理しないで」
「君こそ……」
家に着いたら、幸せな生活になるんだと思っていた。しかし、着くなり原因不明の体調不良におそわれて、お互い動くのも億劫な日々が続いている。どうして? 監禁生活で体力が落ちていた? ここの空気が合わない? それとも……。
「多少無理してでも、動いて体力をつけたほうがいいかもな……。外に散歩にでも……。 !!!」
玄関の向こうに人影。
誰か、いる。
私達は完全に自足自給できる暮らしをしているから、誰かがここに用があるなんて考えられないのだ。あるとしたら……。
「追っ手……?」
「ミム、静かに」
息を潜めて、相手の出方を見守る。しばらく様子を窺って、追っ手ではないと分かったが、それは追っ手以上に私を絶望させた。来たのは、若い男女の二人組だった。彼らはドアの向こうで、私達に追い詰める言葉を吐いていた。
「……貴方もなの?」
「ああ。毎晩夢を見るんだ。俺はここで見知らぬ異性と暮らしている。たわいない日常なんだが、最近どんどん鮮明になってくる。そして意味の分からないことに、『俺』 がどうしてここにいるのか。そもそも『俺』 はどういう存在だったのか。そんな情報が頭に流れ込んでくるんだ」
「それって、自分が神子様だったって話とか?」
「何でそれを」
「だって……私も同じ夢を見るんだもの」
ミムとフェリオは二人で青ざめる。そんな二人の存在を知らぬまま、外の二人は話を続ける。
「何だって!? いやでも……偶然だよな。だって神子様は都にいらっしゃるじゃないか」
「そ、そうよね……。神子選定に使う儀式の詳細を夢に見るとかそんな。そんなの見たところで、神子様はちゃんといらっしゃるもの」
その二人はお互いを怖い存在と認識したらしく、そう言ってそそくさと帰っていった。残された二人は茫然自失だった。彼女らが見た夢は、かつて自分達が見た夢であることに恐怖し、畏怖した。
このままでは自分達は遠からず死に、そしてあの二人が次の神子様に選定されることだろう。
「ミム……」
「フェリオ。分かってる」
誰かを犠牲にしてまで幸せになろうなんて思わない。
「長生きしましょうね。出来るだけ」
「僕らのような人達をできるだけ少なくするためにも……」
家を売り払って、お互いの国へ戻る支度を整えた。別れ際、名残惜しげに挨拶を交わす。
「今生では無理だったけれど、死んで、生まれ変わったら、きっとまた」
「そうだね……きっとまた」
そう言って、二人はまた神子生活へと戻っていった。