4.人はそれを自業自得と呼ぶんだぜ
ひとしきりの追いかけっこの後。
「――すまないな。久々に生まれた子どもだということで、だいぶ甘やかされて育っているんだ」
「……まあ、根性は叩きなおしてやるに、やぶさかじゃないけど。親、どうしてんの?」
「母親は死去し、父親は別の里に住んでいる」
ぜいぜいと息を切らして家の柵に寄りかかり、キリは「へー」と暗い瞳で呟いた。
服こそフォミュラが魔法で乾かしてくれたものの、ワンピースは見事に赤と黄色のまだらに染まっている。
体中から何だか酸っぱいような辛いような匂いがするし、最悪だ。
結局足の痛みに耐え切れず敗北を喫したキリだが、翼さえ使わせなければ勝算は十分にある。
次会ったら絶対に土下座させてやる、と暗い決意を固めつつ、キリはフォミュラの言葉に耳を傾けた。
「竜人は実質十五歳で一人立ちするから、今は親から離れて別の里で修行期間といったところだな」
「へえ…。んじゃ、あいつの年齢は外見通りなわけ?」
「竜人の身体は、人間でいう成人まで成長してから緩やかになる。おおむね二十歳ほどまでは外見通りと言っていいな」
なるほど、正真正銘くそがきな訳か。と呟くキリに、苦笑を向けるフォミュラ。
彼にしてみても、ヴィルの暴挙は予想外だったらしい。
「普段はあそこまで暴言を吐く子どもじゃないんだがな。よっぽど楽しみにしていたんだろう」
「……楽しみ、ねぇ」
「外から人が来る事など滅多にないからな」
「まあ…いいけどさ。暮らしてく上で目標ができたと思えば」
がしがしと頭を掻きながらそう言って、キリは大きく一つ息を吐いた。
そして気を取り直して辺りを見回し、ふと村の広場とは反対方向に伸びる道に目を留める。
村中を走り回った後、最終的にあのクソガキが逃げていった方角だった。
「…そういや、さっきも気になってたんだけどさ。あっちに見える森は道が整備されてるみたいだけど、あそこも里の中なのか?」
「ああ、あれか。今は荒れ放題だが、昔は薬草や染料になる花なんかが育てられていた畑に繋がっている」
「薬草?…薬なら結構大切なんじゃないのか、それ?どうして今は育ててないんだ?」
「薬草があっても、薬にするための知識がなければ意味がないだろう?」
じゃあ勉強すれば、とも考えたが、この里の規模を考えると、そのための手が足りないことは容易に想像できた。
恐らくこの家の先住者がその役目を担っていたのだろうなと考えながら、口を開く。
「じゃ、この里の医薬品は」
「今は私が外から買ってきているよ」
「…大変じゃないのか?必需品だろ」
「そもそもこの里の者は病や怪我にあまり縁がないからな。たまに必要になる時はあるが、十分事足りている」
ああ、まあこれだけ人里離れていればそうもなるか。
流行り病なんて伝播しようがないし、普通に暮らすだけなら、怪我だってそう頻繁にするものでもない。
特に竜人族は体力もあるし、身体の重要な部分は鱗に守られているため、そう薬を必要としないのだろう。
便利だなあと感心するキリに、ついでのように言葉が付け加えられる。
「薬を作るなら畑は自由にしてもいいぞ。ここでは使わないが、外に売りに行けばだいぶ金になるはずだ」
「え、そうなの?」
「好き勝手に生えているから他の種に淘汰されてしまったものもあるだろうが、大体の種類は揃っているはずだ。魔法の研究にも薬草はよく使われるから、育てても損はないだろうしな」
確か、ここの本棚に薬についての本が何冊も置いてあった気がする。
あれを貸してもらえるなら、キリにも何とかなりそうだ。
これで、生活の手段と研究材料の入手方法が一気に手に入ったことになる。
ほっとしたキリだったが、同時に一つの重要なことに気付いた。
「…あいつ…あっちに逃げてったよな?」
「ああ…。家は反対方向だが、ヴィルはいつもあそこで染料になる花を採集しているからな。この道は毎朝通るはずだ」
そうか。毎朝かぁ。
遠い目をして、キリはこれからの艱難辛苦に思いを馳せた。
フォミュラに薦められて湯浴みを済ませ、着替えたキリは、帰る前に畑の様子を見に行く事にした。
当然、あのくそがきに出くわさないよう、細心の注意を払いつつ。
畑だったという場所に着いたとき、キリは「うっわ」と思わず声を上げていた。
無秩序に広がった植物相は、手入れがされていないことなど一目瞭然。
地面の所々に朽ちた小さな柵が存在しているので、昔はきちんと整理されていたことも解るのだが、植物の方は今やその面影も残さぬ状態だった。
中には腰の辺りまで丈があるものや、木のように太く立派な幹を持った…草かどうか解らないものさえある。
「ほんとに好き勝手生えてるな、これ…」
「言っただろう?誰も管理していないんだ」
「道は辛うじて、って感じか…?あーあー、こっちは遠慮なくへし折られてるし」
「ヴィルだろうな」
翼があるんだから使えばいいのに、とぶちぶち言いつつ、キリは無理に植物の群れに押し入ろうとはしなかった。
変わりに、じっと生えている植物を観察し始める。
「結構トゲとか多いな。…うわ、この赤いの繁茂しすぎ…こっからあっち全部これじゃん」
「ああ、素手で触るとかぶれるものもある。手入れをするならきちんと準備をしてからが良いだろう」
「あいつよくこんな所平気で歩いてくな…」
「鱗があればトゲくらい脅威ではないからな。服は破れるからよく叱られているが」
あーなるほど便利だなーと納得し、キリはぐるりと元々畑だったらしい草むらを見渡す。
確か最低限の道具はあの家にあった気がしたが、全部を開拓するとなると、結構な重労働になりそうだった。
異世界でようやっと手に入れた自由生活の第一歩目は、どうやら農業からになりそうだ。
「騎士から農家かぁ」
「そのうち薬師になるのだろう?」
「兼、魔法の研究者な。…遠い道のりだなぁ、オイ」
けれど、歩いていかなければならない。
諦めるわけにはいかない。
帰ると、そう決めたのだから。
「ま、世話になるよ」
「こちらこそ」
見上げた黒の瞳が、安心させるように柔らかく微笑んで。
上方から局地的に降ってきた水を浴び、そのまま固まった。
「あ、わりぃフォー兄、ズレた」
「…………ヴィル?」
笑顔だが、目が笑っていない。
ああ、怒らせると怖そうだとは思ってたけど、まさかこんな所で見ることになろうとは思わなかった。
空気読めないからこうなるんだぞー、と二人の空中鬼ごっこに呆れた視線を向けるキリの耳に、恐らく珍しいのだろうフォミュラの怒声とくそがきの悲鳴が入ってくる。
「バカヤロー見てんじゃねえよ助けろ男女っ」と罵声が届いたような気もするが、きっと気のせいだ。
加勢しないだけありがたいと思え、と、キリはのんびり観戦を決め込んだ。