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霧雨のまどろみ  作者: metti
第四章 魔法王国アルシータ
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16.この両腕の中と外



少し話してメイと別れ、キリはイシュの家へと戻ってきた。


家の前まで来て、先ほどは閉まっていたはずの扉が開いていることに気づく。

先に用事を済ませて戻ってきたのだろうか、と首を傾げつつ、声をかける。


「イシュ?」


返事はなく、少し躊躇った後にキリは中へと入った。


多少埃っぽくはあったが、思っていたよりも綺麗だ。

ただ、最低限必要な物は揃っているものの、やはり生活感はない。

もしかすると、キリの件で出払っていたのを差し引いても、あまりこの家を使っていないのかもしれなかった。


居間だろう部屋の奥に開いている扉を見つけ、キリはそこを覗き込む。

そして、そこで机に向かっている背中を見つけ、名前を呼んだ。

集中していたのか、イシュはそこでようやくキリに気づいたらしい。

お、と軽い調子でこちらを振り向いた。


「お帰り。ちゃんと仲直りできたか?」

「ああ」


頷き、やや考えてから付け加える。


「あと、怒られた」

「はは。そりゃそーだ」


笑って頷くイシュからは、メイの言っていたような落ち込む姿は想像できなかった。

じっと彼を見つめ、キリはそういえばと思い出す。


「色々あってすっかりタイミング逃したけど。お前にも、謝っとくよ」

「え?」

「あの時巻き込んだこと。まだ謝ってなかっただろ」


続けると、やや考えてから「ああ」と彼は得心がいったように頷いた。

椅子の背に凭れ、頭の後ろで手を組みながら言葉を紡ぐ。


「まあ俺にとっちゃ、結構今更なんだけどな。むしろあそこで巻き込まれたから、っつーのは少なからずあるし」

「……ん?どういうことだ?」

「あそこでお前と会ってなかったら、俺は一人で里から出るなんて思いもしなかったし、こうやってお前と一緒にいなかっただろうなって話」


その言葉に、キリは思わず目を瞬いた。


考えてみれば、イシュが里を出た切っ掛けや理由を、キリはきちんと聞いていない。

キリに協力してくれている以上、目的があって出てきたわけではなさそうだけれど。

ただ、ヴィーとしてもイシュとしても、彼がキリの所へ来てくれたタイミングは一緒だ。

今回の洞窟の件はともかく、グラジアに捕まっていた時のことを考えると。


「え、っと」

「なんだよ?」

「あー、その……いや、そっか。なんでもない」


……何だか自惚れているような気がして、聞くに聞けなかった。

首を横に振って会話を切ると、イシュは変な顔をして首を傾げつつも「まあいいけど」と追求をやめてくれた。

内心ほっとしつつ、脱線しかけた話を元に戻す。



「結果はどうあれ、謝らせてくれ。ごめん。……あと、ありがとう」



視線を合わせてそう告げると、イシュは数度ぱちぱちと瞬きをして。

おう、とちょっと照れ臭そうに視線を逸らしながら返事を返した。


「ま、あれだ、良かったじゃねーか。許してもらえて」

「ああ」


照れ隠しかそのままそっぽを向いてしまったイシュに、ついつい笑いが零れる。

最初は笑い始めたキリをじとっと睨んでいたが、彼もややあって仕方ないなとばかりに笑みを浮かべた。


僅かに曇った窓から差し込む柔らかい光の中、小さな部屋の中で笑い合う。

こうしていると、畑を世話しながら里で過ごしていた頃を思い出す。

もう半年も前なのか、とうっかり感慨深く思ってしまうのは、里を出てからが激動の日々だったからだろう。

あの日々が、ひどく懐かしい。


ひとしきり笑った後、キリは本題を忘れてはならないと口を開く。


「それで、竜の瞳の方はどうなったんだ?」


キリが尋ねると、イシュは「ああ」と机の上にあった革袋を持ち上げた。

軽く揺らすと、中で硬い物同士がぶつかる乾いた音が上がる。


「終わってるぜ。二つ返事で譲ってくれた。あとちょっと小言食らったくらい」

「……里から出たことについてか?」

「まあな。でもついでにちゃんと外出許可貰ってきたし、お前が気にすることは何もねーよ」


そう告げた彼は、身体を捻って机に広げていた書物を閉じた。

キリが追求する間もなく、ぐっと身体を伸ばして、椅子から立ち上がる。


「さて、お互い用事も済んだ所で、長居は無用だからな。さっさと届けに行こうぜ」

「……そっか。そうだな」


考えてみれば、祭りの間でさえイシュは里に滞在するのを嫌がっていた。

用があったのだから仕方ないとはいえ、長居をしたくはないだろう。

僅かに生まれた罪悪感も手伝って、キリは素直に頷いた。

















また里の入口まで戻るのかと思いきや、「こっちのが近い」とイシュが向かったのは里の中央。

そういやこっちにもあるって聞いたな、と思いつつ、連れ立って相変わらず人気のない道を進む。

昼食時に差し掛かったところ、という時間帯も理由の一つかもしれない。

このまま誰にも会わずに帰れるかな、なんて都合のいい事を思っていた矢先のことだった。


しばらく歩いて見えてきた集会所の隣で、ぼんやりと光っている移動陣。

その傍で、数人の竜人たちが立ち話をしているのが見えた。


顔を知られてはいないだろうが、そもそもキリは人間だ。

注目されるのを承知でこのまま通り過ぎるのがいいか、それとも声くらいかけるべきか。

どうするべきかな、と思いながら、ちらりとイシュを見上げると。


「いいんじゃね?珍しげには見られるかもしれないけど、堂々としてれば」


とのお言葉を頂いた。

多分自分が歩く度にそうだから、そういう視線には慣れているのだろう。

ならばそれに倣っておくか、とキリは「わかった」と頷いた。


――のだ、が。


「げ、」


彼らの顔が視認できるくらい近づいたところで、ふと、イシュが顔を引きつらせた。

目を瞬き、どうかしたのか、と口を開こうとした瞬間、彼らがこちらを振り返る。


その中の一人、壮年であろう年齢の赤毛の男。

彼の目がキリたちを捉えた瞬間、険しく細められた。



「イシュトヴァーユ」



イシュと彼に血の繋がりがあるのだろうことは、一見しただけのキリにも分かった。

ヴィルとイシュは割と似ていない兄弟だが、彼らは髪の色も目の色も、顔立ちもよく似ている。

違うのは、竜人の特徴である鱗や角、尻尾がないことだ。


耳慣れない名だったが、恐らくイシュのことだろうと当たりをつけて、こっそりと聞いてみる。


「……お前のこと?」

「……一応な」


お父さん?と続けて聞こうとして視線を上げたキリは、驚いて動きを止めた。

イシュが、見たこともないほど険しく嫌そうな顔をしていたからだ。


ぱちぱちと目を瞬いている間に、その男は雑談の輪を離れてこちらへとやってきた。

数メートル程の距離を開けて、対峙する。


「無断で里を出たそうだな?」

「だったら何だよ」


耳朶を打つ、剣呑な声の応酬。

傍目にも良好な関係ではないとわかったが、どうやら無視もできないようだ。

……イシュがさっさと里を出たがっていたのは、彼に会いたくなかったからだろうか。


「言い訳も悪びれもせんとはな。嘆かわしい」

「好きに嘆いてろ。外に出るのくらい勝手にさせてくれ」

「それができぬからこそ禁止と定めておるのだろうが」


適当なところで切り上げて外に出られればいいのだが、如何せん魔法陣は彼らの後ろだ。

イシュが転移陣に向ける視線に気付いたのか、男は眉間の皺を深めた。


「……まさか、これからまた里を出るつもりか」

「族長の許可は貰ってる」

「許可?ふざけるな。あれは脅しをかけたと言うのだ」


え、と漏れそうになった声を慌てて押しとどめる。

許可はもらった、とは言っていたが、確かにどう説得したかは聞いていない。

ちらりとイシュを見上げるが、彼は相変わらず眉間に皺を寄せたままだった。


「今許してくれないならもう二度と里には戻らない、など。出来もしないことを」

「なんでそんな事が言えるんだよ。やったわけでもないのに」

「一人では生きてもいけぬ癖によく吠える。我侭であまり族長殿に心労を掛けるようなことをしてくれるな」


そんなこと言ったのか。

確かにその言葉だけ聞けば子どもの我侭のようにも聞こえるが、言い分も聞かずに一蹴とは。

それに、例えイシュの父親なのだとしても、随分な言い草だ。


原因であるところのキリにしてみれば、彼を擁護するような事も言いづらかったが。


「フォーにはちゃんと連絡取ってるし、行く先も報告してる。文句言われる筋合い無いだろ」

「フォミュラか。あやつはどうも人間に肩入れするきらいがあるからな」


どこまで信用できるものか、と続いた言葉に、イシュが目尻を吊り上げたのが分かった。

が、言い返す言葉がなかったのか、物言いたげに開いた口をそのまま噤んでしまう。


……キリもそう長い付き合いではないが、イシュは割と口論が苦手だ。

言いたいことが上手く形にならないのか、それとも言いたくても言えないのか。

どちらにせよ黙ってしまったイシュに、男は追い打ちのように言葉を投げかける。


「力の制御も不完全、甘ったれた性格も相変わらず。これでは安心しようにもできまいよ」

「……俺だって、前よりは魔法も上達したし、色々なものを見てきた。少しくらい自由にさせてくれたって、いいだろ」


絞り出したのだろうイシュの言葉には、は、と呆れたような溜息が返ってきた。



「それが何になる?この里では精々が祭りのお飾り程度にしかなれんのだ。黙って飾られておくぐらいはできんのか」



これには流石に、キリもむっとした。

部外者だし目立ちたくないしで黙っていようと思っていたのだが、こうも言われっ放しで黙ってはいられない。

何より、これだけ言われて尚それに言い返せずにいるイシュを、庇わずにはいられなかった。


一つ深呼吸をして、キリは男を睨み据えた。

ざ、と音を立てて踏み出し、イシュの隣へ進み出る。



「……貴方がこいつをただの飾りにしかできないというなら、私が攫っていきますよ」



イシュを睨めつけていた視線が、突然言葉を紡いだキリへと向けられた。


「何?」

「こんな所で閉じ込めておくには勿体無い。そう言ってるんです」


幾つもの目にじろりと見下ろされ、その威圧感にキリは奥歯を噛み締める。

それでも、言いたい事は言ってやらないと気が済まなかった。



「外で旅をして、彼は頼もしくなりましたよ。――きっと、貴方が思っている以上に」



怪訝そうだった視線が、忌々しげなものに変わる。

人間か、と男は吐き捨てるように呟いた。


「イシュトヴァーユ、人間なぞと関わり合いになるのはやめておけ」

「……」

「人間は欲深い。力など貸したところで、争いに利用するだけ利用されて終わるのが関の山だ」


散々言ってくれやがる、と内心顔を引きつらせつつ、キリはそれでもと対話を試みる。

とりあえず、人間人間と失礼千万な呼び方はどうにかならないものかと口を開いた。


「……失礼、名乗るのが遅れました。私はキリと申します。外で彼に助けられた者です」

「そうか、では人間よ、疾く去れ。ここは貴様のような者が踏み入っていい場所ではない」


後ろ手にうっかり握り締めた拳を何とかして解きつつ、キリは何とか外面を保とうと努力する。

いや、した。


「ええ、そうさせて頂きましょう。けれど、彼は自分の意志で私に力を貸すと言ってくれました。できれば出て行く前に一度、話をする機会を頂ければと思うのですが」

「一度助けられたからといって思い上がるな、人間。そんな口約束など一時の気の迷いに過ぎん、真に受けるだけ無駄だ」


……キリは、自分は割と気の短い方だと分かっている。

だからこういう場では、できるだけ丁寧に、冷静にを心がけて話をするようにしていた。

実際、ティンドラで貴族として暮らしていた頃には役に立った心がけだ。

身を助けられたことも何度かある。


けれど。

この言葉には、カチンと来た。



「きちんと話を聞いてやれよ!こいつは道具じゃない、意志もあれば善悪の判断もできる!納得できないなら向き合って話をすればいいことだろ!?」



急に叫んだキリに驚いたのか、男は一瞬怯んだように目を瞬かせる。

だが、



「あんたの耳はただの飾りか!?」



キリが続けた言葉に、男の瞳孔がぎゅっと細くなった。

怒りを隠そうともせず、唸りが漏れる。


「口の利き方に気をつけろ、人間!!一人では何もできぬ者が、思い上がりおって」

「あんたこそ人間人間って失礼にも程がある!名乗りに答えもせず話も聞かない、それがあんた達の流儀だってなら私の言葉も案外間違ってなさそうだな!?」

「撤回せよ!調子に乗りおって、聞くに耐えん侮辱の数々、程度が知れるぞ!!」


キリに負けず劣らずの怒声が広場に響く。

遠くでこちらの様子を伺っていたらしい竜人たちが、慌てたようにそこを離れるのが視界の端に映った。


残念ながら騒ぎになってしまったが、今のキリにそれを構う余裕はない。


「何度だって言うさ!その耳が飾りじゃないなら、耳の穴かっぽじってよーく聞け!まだ話が出来るうちにちゃんと話しとけ、でないと絶対に後悔するぞ!!」

「忌々しい……矮小な人間が、痛い目を見ぬと分からぬか!!」


ごう、と周囲で風が唸る音が聞こえた。

唐突に始まった舌戦をぽかんと聞いていたらしいイシュが、隣ではっと息を呑む音。



「ば、ちょ、おい!?……っキリ!」



キリには感じ取れないが、恐らく魔法の類だろう。

周囲で高まる圧力を感じてぐっと足を踏ん張り、ぎっと男を睨みつける。


退く気はなかった。

例え相手が本気で殺しにかかってきていたとしても、ここで退きたくはなかった。



僅かな音がして、頬に裂かれたような痛みが走る。

風圧が増して、吹き飛ばされそうになりながら、キリはそれでも目を閉じはしなかった。


真っ向からこちらを見下ろす金色の瞳が、苦々しげに歪められる。



そして。

やがて、高められた圧力は臨界点を超えるかのように、破裂した。




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