15.悪癖ってやつ
アルシータの王都を後にして、入国してきた時に使った移動陣をイシュに起動してもらう。
白い光に包まれて降り立ったのは、里の入り口だった。
久々に訪れた竜人の里は、ひどく静かで人の気配がない。
人の姿の見えない道を進みながら、キリはぽつりと零す。
「……なんか静かじゃないか」
「普段はこんなもんだよ。お前が見たあの時の方が特別なんだ」
「そっか。お祭りだったもんな」
そんな他愛ない会話をしながら里を進み、中心部からは少し離れた里の外れ。
ここだ、と告げて、イシュは足を止めた。
つられて足を止め、キリは首を傾げる。
庭と言えるほどの庭はないし、周囲には木も生えていないように見えたからだ。
何より、族長の家にしてはちょっとばかり、こじんまりとしすぎてはいないだろうか。
キリの疑問に気づいたか、イシュが振り返って肩を竦める。
「おれんち」
「えっ」
「随分帰ってないけどな」
言われてもう一度まじまじと見やってみれば、なるほど、確かに生活感はあまりない。
誰かが手入れをしてくれているのか、朽ち寂れてこそいないものの、日常的に人が暮らしているようには見えなかった。
恐らく、言葉通り長い間帰っていないのだろう。
――それはともかく、彼がキリをここに連れてきたということは。
彼の考えを察して顔を上げたキリに告げられたのは、予想通りの言葉だった。
「族長の家には俺が行ってくるから、お前はここで待ってろ。そんなにかからないで帰ってくるからさ」
「いや、でもそれは」
「キリ。今の状況じゃ、謝罪をされた方も困るんだって」
言葉を遮って告げられた言葉に、キリは声を詰まらせた。
どういうことだと問い返す暇もなく、イシュは言葉を続ける。
「あれは、ティンドラの兵士が竜人族の外交官に対してやったことだろ。今のお前が謝りに行ったところで、責任なんて取れないじゃんか」
その通りだ。
例え謝罪ができたところで、責任を取ることはできない。
ただのキリに、その責任は重すぎる。
言い返す言葉が見つからず、視線を落とす。
「……それは、そうだけど」
「な。無理やり解決しようとすると面倒くさいことになるから、誤魔化しとこーぜ」
イシュの言うことにも一理ある。
正直言うと気持ちの面では納得できない部分もあったが、キリが行かなければ丸く収まるのは確かだ。
少し考えた後で、キリは不承不承頷いた。
「分かった、待ってる……にしても、それなら何でここまで連れてきたんだよ?」
「謝りたい奴がいるんじゃないかって思ったからだよ。族長じゃなくて、他にさ」
はっと視線を上げると、こちらを見下ろす視線とかち合った。
目が合うと、その瞳が僅かに優しく細められる。
メイ。
事情を知っていたファリエンヌやフォミュラはともかく、彼女は本当にキリの我侭に巻き込んでしまっただけだ。
フォミュラの時のように意地を張る理由もなければ、それが許されるなら謝りたい気持ちもある。
けれど、彼女はキリが再び顔を見せることを許してくれるだろうか。
キリの迷いを感じ取ったか、イシュは背中を押すように言葉を続ける。
「立場とか何とか関係ないなら、謝ったって別にいいんじゃねーの」
「そう、かな」
「そうだよ。あいつだって、そんな心の弱い奴じゃねーし」
きっぱりと言い切られ、キリは目を瞬いた。
根拠があるんだかないんだか分からないが、多分安心させようとしてくれているのだろう。
その気遣いが嬉しくて、強張っていた目元が、ふっと緩む。
「行きがけに、声かけてってやろうか。この近くに住んでるし」
「……いや。場所だけ教えてもらってもいいか」
自分で行くよ、と告げれば、イシュは先ほど通ってきた道沿いに彼女の家があることを教えてくれた。
がんばれ、と一言残して里の奥へと姿を消したイシュを見送り、一つ息を吸って吐いて。
キリは、彼とは反対方向へと足を踏み出した。
相変わらず人のいない獣道を進み、一軒家の前で足を止める。
ヴィルと同じように親元を離れて修業中だという彼女は、どうやら一人暮らしらしい。
数度扉を叩くと、ややあって中から「はーい」と伸びやかな声が聞こえてきた。
ああどうやら元気にしてはいるようだ、と内心安堵した瞬間、扉が開く。
顔をのぞかせたメイと目が合って、キリは片手を上げた。
「……よう」
「……え、えっ!?えっ!?」
顔を見るなり扉を締められたらどうしようかな、なんて思っていたが、彼女の方はどうやらそこまで思考が追いついていないようだ。
まあ突然だったしなと内心苦笑して、キリは混乱して動きを止めた彼女に、できるだけゆっくりとした口調で声をかけた。
「ごめんな、突然訪ねて。……メイに話があって来たんだけれど、今、大丈夫かな」
「え、ええっと、ええ……ちょ、ちょっと、ちょっと待っててください!!」
叫ぶなり、止める間もなくばたんと扉が閉まる。
そして数秒の間すら残さず再び勢いよく扉が開いて、
「いえそれよりとりあえず中へ!入って、待っててください!!!」
「あ、はい」
どういう風に話を聞いているかは分からないが、未だ逃亡中だとでも思われたのだろうか。
とりあえず外にいると目立つのに違いはないので、お言葉に甘えることにする。
……門前払いも覚悟していた身としては、少しほっとしてしまった。
メイが落ち着いて話をできる状態になったのは、十分ほどしてからだった。
しばらくして通された居間でお茶を前に椅子を勧められ、素直に従う。
部屋のあちこちに取り乱した跡が残っていたが、言わぬが華だ。
「え、えっと、すみません取り乱して」
「いや、こっちこそ急にごめん」
そしてメイ本人は、キリの反対側に座って僅かに頬を染めていた。
取り乱したことが恥ずかしかったらしい。
先程まではキリの方も心穏やかではなかったはずなのだが、あれだけ相手が混乱していると、いっそこちらは落ち着くというものだった。
「それで、ええと」
「そうだな。まず、多分何をしに来たかってのが一番気になるだろうけど。話をする前に一つ」
湯気を立てる器の向こう、彼女の表情が引き締まるのが見えた。
まっすぐな視線が、じっとキリの瞳を見つめてくる。
「私は、メイがあの時のことをどれくらい聞いてるのか分からない。あの後、里でどんな話になっているのかも知らない」
「……詳しいことは何も。ただ、貴方は亡くなられたって、聞いてました」
予想はしていたが、やっぱりそうか、と心の中で納得する。
ティンドラでも、竜人の里でも、キリ・ルーデンスは、もういない。
イシュが族長の家へ行くのを止めたのも頷ける。
僅かに唇の端を緩め、キリは彼女の言葉を肯定した。
「そっか。いや、間違ってないよ。ティンドラの兵士、キリ・ルーデンスは死んだ」
「……じゃあ、ここにいる貴方は」
「ただのキリだよ。ミストって呼ぶ人もいるけど、もうティンドラとは何の関わりもない」
キリの言葉を噛み砕くのに、少し時間を要したらしい。
少しの沈黙を挟み、彼女は躊躇いつつも言葉を口にした。
「ご本人、なのは間違いないんですよね?」
「うん。……ごめん、少し難しかったかな」
「いいえ。何となく、分かります」
分かりました、と言葉を続けて、メイは頷いた。
続きを促すように見上げてくる視線を受けて、キリは一つ息を吸う。
僅かに早まる鼓動を押さえつけ、できるだけ落ち着いた声になるようにと口を開いた。
「で、何をしにここに来たか、なんだけど」
「はい」
「メイ」
息苦しさを伝えてくる胸にすうっと息を吸い込み、
「あの時は、巻き込んで、ごめん」
頭を下げる。
薄く色づいた波紋に揺らめく表情は、自分の目にさえもひどく情けなく映った。
メイは何も言葉を返さなかった。
ただ、じっとつむじに視線が向けられているのを感じる。
ややあって、戸惑ったような声が耳朶を打った。
「……それ、だけ、ですか?」
「フォミュラとは、話をしたよ。今日は、メイに謝りに来た」
「そうじゃなくて。それを言うためだけに、来たんですか?」
「……ああ。それが言いたかっただけ」
恐る恐る顔を上げてみると、唇を引き結んだメイと視線が合った。
数秒して彼女はゆっくりと瞬きをして、視線を手元に落とす。
ややあって、口を開いた。
「……私、ずっと考えてたんです。あの夜のこと」
伏せた瞼の内側で、あの夜を思い起こしたのか。
僅かに眉間に皺を寄せたまま、彼女は言葉を続ける。
「どうしてあんな事になったのか、分からなくて。どうして貴方があんな事をしたのかも、分からなくて。どうして、イシュが貴方を追いかけたのかも、分からなくて」
「……」
「フォミュラさんが怒らない理由も、ファリエンヌ様があそこにいた理由も、……貴方がどうして謝っていったのかも、さっぱりで」
まるで独白のように紡がれる言葉は、ぽとぽとと机の上に落ちていく。
「でも、その後、いろんな事が動き始めて。戦争が起こってるとか、ティンドラと協力することになったとか、そういうお話を聞いて。ああ、きっとなにか難しい事情があったんだろうなって、何となく思ってたんですけど」
無言でその言葉を拾い上げながら、キリは目を伏せたままの彼女から視線を外せなかった。
「思えばキリさんって、他の人とは全然違ってました。私たちを怖がることもなかったし、普通に、他の人と同じように接してくれた」
「……そうだな」
「あの時はどうしてなのか分からなかったんですけど、今なら分かります。……今、こうしてこの里に、ここにいるのが答えなんですよね?」
そこでようやく、彼女は視線を上げた。
キリと視線が交わって、へにゃりと相好を崩す。
「……わざわざ謝りに来てくださったんですね。ありがとうございます」
「え、」
予想外の言葉に、紡ごうとした言葉が喉に詰まった。
言葉を失ったキリに向けて、再び彼女の言葉が紡がれる。
「嬉しいんです。……イシュも、フォミュラさんも族長も、何も教えてくれなかった」
「それは」
「分かってます。きっと、私が聞いてもよく分からない、難しい事情があったんだろうって」
キリの言葉を少し拗ねたような顔で遮り、彼女は続けた。
そして、「けど」と再びキリを見据える。
「やっぱりそんなの、納得できないじゃないですか。気になるし、何より、言いたいことも言えないままなんて、そんなのは嫌だったから」
力強い視線と言葉に射られ、キリは目を瞠った。
最悪トラウマになっているかもしれない、なんて考えていた自分を殴り飛ばされた気分だった。
考えてみれば、メイこそ竜人族の中でも随分と特殊な存在だ。
初めて会うはずの人間を怖がりもせず、積極的に会話を試みる強さを持った子どもだ。
……確かに、イシュの言うとおり、弱くもなんともない。
思わず、ふっと口元が緩む。
「そうだな。その通りだ」
「でしょう」
「ああ。……うまく説明できるか分からないけど、聞きたいことがあるなら話すよ」
「それはいいです。私、きっと聞いてもわからないので。ただ、一つ」
先ほどと変わらない強さで、彼女はまっすぐにキリを見上げてきた。
「約束してください。あんなことは、二度としないって」
しない、と即答はできなかった。
この先、何があって、どんな状況になるかは分からない。
もしかしたら、また誰かを傷つける結果になるのかもしれない。
可能な限り避けたいことではあるけれど、それでもやらないといけない理由がキリにはある。
どう答えたものかと思案を巡らせようとした時、メイが言葉を続けた。
「でないと、イシュやファリエンヌ様が可哀想です」
「え?」
「キリさんはご存知ないかもしれませんけど、あの後二人ともすごく落ち込んでたんですよ」
あの後。
ファリエンヌは確かに、大変だった、と怒っていたけれど、イシュもというのは初耳だ。
あんな別れ方をした以上迷惑をかけた自覚はあるし、怒られもしたけれど、落ち込まれるような事はしていない、はず。
訳がわからない顔でもしていたのだろうか、メイは目尻を釣り上げた。
「話を聞けたはずなのに、何も相談がなかったって。自分はそんなに頼りないのかって!」
「えっ」
「だから、一人で結論出さないで、もっとちゃんと、頼ってあげてください」
訴えるような声は、思いもしなかった言葉を紡ぐ。
見上げてくる眼差しに篭る光は、強く真っ直ぐだった。
「……そうしたら、一人で考えるよりもきっと、もっといい答えが見つかるはずですから」
あの時は、そんなことをする余裕もなければ、時間もなく、人も、いなかった。
そう思っていた。
そう思い込んでいただけなのかもしれないと、今なら、何となく分かる。
過ぎたことはもう何ともならないが、これからの約束であれば。
答えを見つけることも、できるかもしれない。
キリもまっすぐにメイを見つめ返す。
「……分かった。努力する」
「はい」
「ごめん。教えてくれて、ありがとう」
「はい。約束できるなら、許してあげます!」
ぱっと花開いた笑顔は、いつか見たのと同じ無垢な笑顔だ。
――その笑顔を、もう一度向けてもらえるとは思わなかった。
イシュのお陰だな、と感謝しつつ、キリも自然と口元を緩めていた。




