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霧雨のまどろみ  作者: metti
第四章 魔法王国アルシータ
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14.……かに見えた


日を跨ぎ、翌朝。

王宮へと挨拶にやってきたキリたちは、その前庭で思いがけない人物と遭遇した。


王宮へと続く門の向こうから現れたのが、見覚えのある顔であることに気づいたのは、イシュが最初だった。

耳打ちされて気づき、目を瞬いたキリ同様、歩いてきた相手もキリを認識したらしい。

開いていた距離をすたすたと詰めてきて、彼女は「あらあらァ」と首を傾げた。


「珍しいとこで会うじゃあないの」

「あんたは、薬屋にいた」

「そうよォ。そっちの人は初めましてかしら?」

「……そだな。どーも」


白衣を羽織り、先日店番をしていた時よりは随分と医療者らしく見えたが、間違いなくアルムと訪ねた薬屋の店員さんだ。

どうやら帰るところだったらしく、大きな鞄を引っさげている。

格好からしても仕事道具のように見えるが、とすると、用件は。


「……子どもたちの治療か?」

「ま、そうね。そォ、リノの言ってた外部の協力者って、やっぱりあんただったの」

「やっぱり?」

「予想はしてたのよォ。昨日、アルムが一人でぎゃーすか騒いでたから」


そうでなくてもあの子トラブルメーカーだしィ、と肩を竦めた彼女に、キリは苦笑を返す。

確かに、アルシータに来てから彼女の周りでは話題に事欠かない。


「それよりあんた、医者だったんだな」

「まあ、訪問医だけどねェ?医者に行ってカルテ持参で来てくれるならともかく、具合が悪いからとりあえず薬貰いに来るって客ばっかなんだもん。下手な薬出せないでしょォ」


その代わり調剤はできないけどねェ、と笑う彼女は、十分に医者としての貫禄があった。

予想外だったらしくぽかんとしているイシュをそのままに、キリは口を開く。


「子どもたちの様子はどんなもんだ?」

「んー……まあ、そうねェ。一言で言うと悲惨」


げんなりとした顔で言い捨てた彼女は、ふっと溜息をついてから言葉を続けた。

視線を向ける先は、子どもたちが収容されている隔離病棟だ。


「彼らのいた環境が酷かったんでしょうねェ。今じゃ流行らせる方が難しいような病気が万延してたみたい」

「流行らせる方が難しいって……それ、大丈夫なのかよ?」

「ま、昔に治療法が見つかった病気なら、薬で簡単に治るからねェ。そりゃあ簡単には治らない難しいものもあるけど」


イシュに応える彼女の声を聞きながら、キリは眉間に皺を寄せていた。

ジェドの関係者であるキリたちが聞きたいことなど解っているのだろうに、その話題を意図的に避けているような話し方だ。


僅かな沈黙を挟み、キリは小細工なしにまっすぐに問いかけた。


「なあ、ジェドの容態、悪いのか」


その問いに返事はなかった。

代わりに、射るような視線がキリに向けられる。


「……キリって言ったわねェ」

「ああ」

「あんたに話があんのよォ。時間があるなら、場所を変えない?」


ちらりとイシュを見やると、彼は考えるように視線を彷徨わせた後、僅かに頷いた。


ジェドの容態に関しては、恐らく遠くないうちにリノから伝わってくるだろう。

けれど、彼女がわざわざ場所を変えたいと言い出したのだから、話はそれだけに留まらないはずだ。

何より、リノでもアルムでもなく、キリに話があるというのなら、それを断る気はない。


イシュに小さく頷きかけ、キリは彼女に向き直った。



「分かった。移動しよう」

「助かるわァ。じゃ、こっち」



そうして導かれた先は、キリもよく知る薬屋だ。

裏口へと通され、用意された一室で卓を囲む。

自然とイシュが同行していたが、彼女はそんなことはお構いなしに口火を切った。


「今更だけど、先に名乗っとくわねェ。あたしはネイア、見ての通り医者よ」

「まあ知ってるみたいだけど、キリだよ。こっちは友人のイシュ」

「友人ね……いいわァ、そっちのお兄さんも冒険者か傭兵でしょ?この際二人に頼んでおくわ」



「キリ、イシュ。あんたたちを見込んで、お願いがあるの」



ネイアと名乗った彼女の目は、ひどく真剣だった。

その真剣さにキリが思わず身を引いてしまうくらい、彼女はまっすぐキリたちを見つめていた。


「お願い、って?」

「キリ。あんたこの間、咳止めの薬に必要な材料、持ってきてくれたわよねェ。どーいうコネ使ったのか知らないけど、ひどく珍しいものを、ホイホイと」


ネイアの言いたいことを察して、キリは眉を寄せる。

必要だと言うのなら協力を惜しむ気はないが、期待されてもそれに応えられるとは限らない。


「……言っとくけど、簡単だったわけじゃないぞ」

「いいのよォ、無理は承知してる。可能ならでいいの」


そうは言いつつも、ネイアがキリたちに向ける視線には縋るような色が篭っている。

それを向けられたキリはといえば、彼女の目を見返して言葉を待つ他ない。


「まず、ジェドたちがかかっている病気なんだけど。随分前に子どもの間で流行っていた病気で、高熱がずっと続く。少しずつ体力を削られて死に至る、そんな病気よォ」

「治療方法はあるのか?」

「通常であれば、解熱剤で熱を下げて自然回復を待つわねェ。正常な免疫機能が働いていれば、そんなに怖い病じゃないのよォ」


通常であれば。

その一言が、今の状況を如実に表していた。


「簡単に言えば、熱出す気力も出ないほど弱ってんのよォ、あの子たち」

「それってまずいんじゃ、」

「病原菌自体はそう強くない。きちんとした薬があれば治るし、体力が戻れば何ら問題ないわァ」


ただ、と彼女は続けた。



「他の子ども含め、このまんまじゃ、あのジェドって子、保たないわ」



しん、と沈黙が落ちる。

眉間に皺を寄せたまま、キリは目を閉じて一つ息を吐いた。


瞼を持ち上げ、静かに問う。



「……一応聞くぞ。薬自体はあるんだな」

「何十年か前、他国でこの病気が大流行したことがあったのよォ。その時には、抵抗力のない小さな子どもやお年寄りに対する治療薬として使われていたわァ」

「必要なものは?」


彼女の言葉を食い気味に問うと、彼女はぱちぱちと目を瞬いた。

それから破顔して、ありがとう、と礼を言った後にネイアは告げる。


「治療薬を作るのに、必要な材料が一つあるの。ただ、それが聞いたことも見たこともない材料でねェ。文献が古いから、呼び名が変わってる可能性はあるんだけど」

「なんて?」

「竜の瞳」


一瞬ぎょっとしたが、「どうやら木の実みたいなんだけど」と続いた言葉に内心胸を撫で下ろす。

ちらりとイシュに視線を投げたが、彼は何事か考え込んでいて気づいていないようだった。

とりあえず、キリもそんな材料は聞いたことがない。


「私も知らないな。調べて探してはみるけれど」

「そうねェ。こちらでもまた調べてみるから、また顔出してくれると助かるわァ」

「……なあ、一つ確認していいか?」


と、今まで黙って二人のやり取りを眺めていたイシュが口を挟んできた。


「その病気って、なんか病名ついてるか?」

「カンペジ熱、ね。昔は単に熱病とも呼ばれていたみたいだけどォ」

「そっか」


サンキュ、と軽く礼を言ったイシュは、考え込むようにまた黙り込んでしまった。

多少気になったは気になったが、それを追求する前にネイアが話をまとめにかかる。


「じゃあ、頼むわね。あたしも他のツテを当たってみるけど、正直望みは薄いのよォ」

「ああ、分かった。手に入れられるかは分からないけど、手は尽くしてみる」


建前ではなく本心からそう答え、キリは頷いた。

隣で沈黙を保つイシュは、薬屋を出てもずっと考え事をしているようだった。













再び王宮へと向かう道すがら。

相変わらず黙ったまま後ろをついてくるイシュを振り返り、キリは足を止めた。

気づかず追突しかけたイシュが目を瞬いているのを見上げ、口を開く。


「何か心当たりでもあったのか?」

「え?」

「竜の瞳」


ネイアの手前、期待させるようなことは言いたくなかったが、先ほどからの彼の様子は変だ。

そのものではなくとも、何がしかの情報は持っていそうに見えるのだけれど。

その予想に違わず、イシュは頷いた。


「あるっちゃ、ある。……手に入れられるかどうかは、賭けだけどな」

「本当か?」

「熱病なら、俺も知ってるんだ。流行してた時期に、丁度その辺を通りかかったことがあってさ」

「え?……ああ、そっか」


そういえば、フォミュラと一緒に旅をしていたことがあると、そう言っていた。

となると、その治療薬に関して何か知っていてもおかしくはない。


「そういやお前百年は生きてるんだったよな」

「そういやって何だよ、生きてるよ」

「いや、なんかあまりそんな感じがなくて」


フォミュラは物腰の柔らかさだとか交渉の手腕だとか、落着いた雰囲気で随分年上のように感じるのだが、イシュはそうでもない。

感情的だし不器用だし、下手すると弟のように見える時もたまにあった。

不満そうに見下ろしてくるこの顔なんか、イシュが不在だった時のヴィルそっくりだ。

言ったら機嫌を損ねるのは分かりきっているので、口にはしないが。


「ま、それはいいよ。それより、詳しく教えてくれないか?」

「なんか納得いかねー」


とぼやきつつも、イシュが語ったところによると。

竜の瞳とは、魔力が豊富な土地に生える金色の木の実を指すらしい。

木の実は親指の爪の先くらいの大きさで、房のように生っているのだそうだ。


「ただ、まあ予想してると思うけど、すごく珍しい」

「そりゃそうだろうな。ネイアさんの方は情報すらなかったみたいだし」

「俺も知ってたのは偶然みたいなもんだよ」


肩を竦めるイシュを見上げ、「それで」とキリは口を開く。


「心当たりって?」

「竜人の里だよ。族長んちの庭に生えてた気がする」

「……なんでそんな所に」

「さあ?まあ、頼めば譲ってくれるんじゃねーかな」


あっけらかんと告げるイシュに、キリは身体の力が抜けていくのを感じた。

そんなキリとは対照的に、イシュは表情を変えず、じっとキリに視線を固定したまま。



「……お前も行くのか?」



そこで彼の視線の意味に気づき、キリは目を伏せて視線を石畳に落とした。


キリは、竜人の里においては罪人のようなものだ。

表立って指名手配はされていなくとも、知る人はキリの所業を知っている。

族長なんか、その筆頭だろう。

フォミュラとは話がついたとはいえ、それ以外の竜人たちからキリへの心象は最悪の筈だ。

実を譲ってくれと頼みに行ったところで、門前払いされる可能性は十分にある。


もし、手に入れることができなければ。

アルムは、ジェドの不在に気付かなかったと自分を責めるだろうか。

ピアは、今度こそたった一人になってしまう。



「……ああ」



いっそ、イシュやフォミュラにその役目をお願いしてしまえば角も立たないのだろう。

けれど、これはキリが関わったことで、キリの我侭だ。

そもそも頼みごとをするのに人任せだなんて、そんな失礼なことはできない。


「いいのかよ」


イシュの目が、伺うようにこちらに向けられる。

そこに気遣いの色が見えて、キリは僅かに口角を上げてみせた。


あんなことをしておいて、まさか竜人の里に戻る日が来るとは思ってもみなかった。

……いや、それを言うならイシュやフォミュラとこうして連絡を取り合うことだって、もうできないと思っていた。

ほんと、どう転ぶかなんてわからない。


すうっと息を吸って、キリは伏せていた視線を持ち上げた。


「行くよ。自分がやったことだし、けじめはつける」

「俺は別に、わざわざ辛い思いしに行かなくてもいいと思うけど」

「頼み事するのに自分で行かないなんて失礼だろ」

「……まあ、キリがそうしたいってなら止めないけどさ」


少しの沈黙を挟んだあと、頬を掻きながら、イシュは諦めたように呟く。

それを眺めて、「決まりだな」とキリも頷いた。



「挨拶だけ済ませたら、里に行こう」



踵を返して王宮へと歩き出した、背中の向こう。

お前ってほんと手のかかる奴だよな、と嘆息する声が聞こえたような気がした。



















グラジアとの国境付近に築かれた、ティンドラ陣営の防衛前線基地。

その天幕の一つで、束の間、彼女は身体を休めていた。


「停戦、か」

『予想より少し遅かったの』


敷布の上、急ごしらえの簡素な机の上には、妖しき藤色の魔剣。

一人きりのはずの天幕に響く声は、二人分だ。


「仕方ない。当てにしていたアルシータの動きが随分と鈍かったから」

『何やら国内で問題が起こっていたとの事じゃったが』

「という噂だな。そのうち公式に発表があるだろう」


また国内の魔法使いが騒ぎでも起こしたか、と続けた言葉には、『それだけならここまで混乱せんと思うがの』とにべもない答えが返ってきた。


『あやつらも忙しそうにしておる。また一荒れしそうじゃ』

「……そろそろゆっくり休ませて欲しいものだな」

『当分は難しかろ。諦めるんじゃな』


鈴の音を転がすようにころころと響く笑い声と、疲れたようなため息。

ひっそりと交わされた会話は、ゆっくりと昼の喧騒に溶けていった。




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