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霧雨のまどろみ  作者: metti
第四章 魔法王国アルシータ
83/92

13.一件落着



救助を終えたキリたちが街へと帰ってこられたのは、翌日の昼過ぎだった。

軍の想定より多くの人間を救助することになったため、馬車を何度か往復させる必要があったのが、遅れた原因だ。

それでも大体の救助作業がその日中に終わったのは、やはり魔法の恩恵が大きいだろう。

地盤が崩れないよう固めたり、土砂をどかしたり、全く便利なものだった。


さて、帰ってきてもまだまだ忙しそうな軍の人たちをある程度手伝い、ようやく人心地つけたのがその日の夕方。

心配しているだろうアルムに顔だけでも見せてやるか、と、キリたちは一旦王宮を後にした。


相変わらず、街中には人気も活気もない。

イシュの先導で大通りを抜けて裏路地に入り、辿りついた家の扉を叩く。

すると、バタバタと音がした後、ややあって勢いよく扉が開き、アルムが顔を覗かせた。

彼女はキリたちの姿を見てぱっと顔を輝かせたが、そこに立っているのが二人だけであることに気づいて顔を曇らせる。



「……ジェドは?」



救助されたジェドは、今、王宮直属の病院でほかの子ども達と共に治療を受けている。

衛生状態の悪い場所にいたせいか症状が重く、入院が必要との話だった。

どれくらいかは不明だが、当分は帰ってこられないはずだ。


後ろにいたイシュとさっと視線を交わし、キリはアルムを安心させるように身を屈めた。


「アルム、ジェドは助け出したよ。ただちょっと具合を悪くしてて、念のため王宮の病院で様子を見てくれるって」

「ああ。すぐには帰ってこれないかもしれないけど、心配いらねーよ」

「……そっか。よかったぁ」


不安げにキリの言葉を聞いていたアルムだったが、イシュが言葉を続けたことで多少は安心できたらしい。

胸をなで下ろして、ほっと息を吐く。


が、続けて何かを思い出したように彼女は顔を上げた。

その表情は、何故かひどく強ばっている。

首を傾げるキリに、アルムは言いにくそうに口を開いた。


「そ、そういえばキリ……あの、あのね、落ち着いて聞いて欲しいんだけど。ヴィーのことなんだけどさ」


……そういえば、イシュは一体どうやってアルムの所を出てきたのだろうか。

アルムとの面識はあるようだが、詳しいことは何も聞いていない。

ちらりとイシュに視線を向けると、彼はちょっと罰が悪そうな顔をしていた。


「ごめん!!!気づいたらいなくなってて、探したんだけど、見当たらなくて」

「あー」


どうやら、ヴィーとイシュの関係については、アルムは何も知らないようだ。

頭を下げて湿った声で言葉を続けようとするアルムを、キリは慌てて静止する。


「待て待て。アルム、心配しなくていい。ヴィーは私に着いてきたみたいなんだ」

「へ……?」

「今はここにはいないけど、洞窟の中で会って、ちゃんと連れて帰ってきたよ。心配させて悪かったな」

「ほ、ほんと?」

「ああ。アルムを心配させたことは後でたっぷり叱っとくから」


後ろにいるイシュの表情は見えないが、恐らく視線を明後日の方向へ泳がせていることだろう。

ある程度仕方なかったとはキリも思うので、情状酌量の余地はあるが。


キリの言葉で今度こそ力が抜けたらしく、アルムはへなへなと座り込んでしまった。

この状況では仕方ないが、どうやら随分と心配していたようだ。

宥めるように頭をぽんぽん叩いてやると、ため息と一緒にアルムはへにゃりと笑う。


「けど、よかった。みんな無事に帰ってこれたってことだよね?」

「……そうだな。解決にはまだまだ時間がかかりそうだけど、みんな無事だよ」


実際は、あの洞窟の中にいた子どもたちの中には、手遅れだった子どももいた。

随分と長い間、あの場に放置されていた者も多かったらしい。

身元の確認や埋葬の手配などは、この状況では後回しになってしまうだろう。

生きている者たちが優先されるからだ。


だが、それをアルムが知る必要はない。

キリの言葉にほっとしたように笑うアルムは、まだまだ自分の世界に手一杯の子どもなのだから。




その後、立ち話もなんだから、とキリたちは家の中に招き入れられた。

そう広くもない二人暮らしの家は、居間と寝室、その他最低限の居住施設があるだけだ。

今は眠っているというジェドの姉を起こさないよう、三人は居間の机に落ち着いた。


アルムが淹れてくれたお茶を前に、キリたちは改めて話を始める。

イシュのこと、ジェドのこと、そして、リノ――アルムのお師匠さんのこと。


イシュと遭遇してからこっち、キリがずっと気になっていた点がひとつあった。

どうしてイシュが、アルシータの軍の人間と一緒に来たのか。

普段里から出てこない彼に知り合いがいるとは思えなかったのだが、話を聞いて納得した。

聞く限りだいぶ強引に王宮に乗り込んだらしいが、アルム曰く「すごい頭よさそうな話してた」とのことで、詳細は不明だ。

説教ついでに、後で本人をこってり絞ってみようと思う。


それと、アルムが酷く騒いだのは、キリの性別についてだった。

そういえば彼女の勘違いは訂正していなかったが、いつの間にかバレていたらしい。

本当に女の人なの、と触って確かめる勢いで詰め寄られ、思わずイシュに助けを求める視線を送ってしまった。

その視線を受けたイシュは、自業自得だとばかりに軽く肩を竦めるだけに終わったが。

キリ自身の謝罪と弁明でなんとか納得してくれて、心底ホッとした。



そんな事をしている内に、窓の外は陽が沈み始めていた。

そろそろ夕食にしようか、という話が出たあたりで、かたん、と音がして居間の扉が開く。

顔を上げると、ジェドと同じ濃紺の髪を結った少女が顔をのぞかせていた。


できるだけ静かにと思ったのだが、どうやら起こしてしまったらしい。

顔色はそう悪くないようだが、まだ多少乾いた咳をしている。


「アルム、お客様?」

「ピア!起きてきていいの?」


そして、アルムと少女が話をする横で、キリは目を瞬いていた。

彼女の頭の上で、大きな猫耳がぴょこりと揺れていたからだ。

キリが驚いていることに気付いたのか、彼女は弱々しく微笑む。


「ごめんなさい、驚かれましたよね。ジェドの姉で、ピアと申します……見ての通り、獣人の血を引いています」

「あ、いや。こちらこそジロジロ眺めて悪かった。アルムの友人のキリだ」

「俺はイシュ。……具合はもういいのか?」

「はい、随分よくなりました」


イシュに微笑みかけ、彼女はキリへと向き直った。

何かと首を傾げるキリに、そのまま深々と頭を下げる。


「キリさん、ですよね。お薬を融通してくださったと、アルムに聞いてます。本当にありがとうございます。なんてお礼を言ったらいいか」

「え、いやいや」

「そればかりか、うちの不肖の弟が大変ご迷惑をおかけしたようで……申し訳ありませんでした」


想像していたよりも遥かに丁寧なお礼と謝罪を受け、キリも慌てて居住まいを正した。

外見はともかく、性格の方は随分とかけ離れた姉弟だ。


「そう改まられるとこっちも困っちゃうんだけど。聞いてたよりずっと良さそうでよかったよ」

「薬のお陰です。アルムもずっと看ていてくれたし、ここ数日で随分良くなりました」

「そりゃ重畳だ。ま、だからってあんまり無理はするなよ」


立ちっぱなしの彼女に椅子を勧めれば、頭を下げて彼女も卓についた。

そして、多分一番聞きたかったのだろう本題を口にする。


「……それで、ジェドは見つかったんでしょうか」

「ああ、無事だよ」


アルムに告げたのと同じ内容を伝えると、彼女は詰めていた息をそうっと吐き出した。

心なしか、表情も柔らかくなったように見える。


「そうですか。それなら安心です……けど、あの子、一体どうして森なんかに」

「それなんだけど」


ジェドを見つけたとき、彼が気を失ってしまう前に。

キリは確かに、彼の言葉を聞いていた。


「ジェドの奴、姉さんが会いたいって言ったから、って言ってたんだよな」

「会いたい?」

「ちょっと熱で朦朧としてたから、定かではないけど。心当たり、あるか?」


返事はすぐには帰ってこなかった。

ややあって、難しい顔をしていた彼女は、ふと顔を上げて時計を見る。

窓の外は美しい茜色から、薄暗闇へと染まりつつあった。


「……このまま話をしていたら、お店が閉まっちゃいますね。アルム、悪いんだけど夕食のお使いをお願いしてもいい?」

「合点承知!いつものとこでいいんだよね!」

「ええ。何があるか分からないけど、少し多めにお願いね」

「了解!」


すちゃっと敬礼して財布らしき革袋を引っつかみ、アルムはたったかと部屋を出ていってしまう。

……もしかすると、真面目な会話に耐えられなかったのかもしれない。

もしくは、相当お腹が減っていたか。どちらかは不明だ。


遠くで扉が閉まる音がして、ピアはキリとイシュに向き直った。


「ごめんなさい、話の腰を折ってしまって。……でも、多分アルムは知らない方がいいと思うんです」

「……ってことは、何かあんのか?」

「心当たりは確かにあります。でも、確信はありません。お話する前に、今回の件についてもう少し詳しくお話を聞いてもいいでしょうか」


拒否する理由はないし、彼女にはそれを聞く権利もあるだろう。

子どもたちの惨状や病気の研究施設などに関してはある程度ぼかしたが、キリは事件について大体のことを彼女に語って聞かせた。

ジェドは奴隷商たちに捕まっていたこと、同じように大勢の子どもが捕まっていたこと。

そして、最終的にアジトは崩れ、奴隷商はほぼ全員が捕縛されたこと。


話を聞き終えた彼女は、「そうでしたか」と息を吐いた。

それから、覚悟を決めたようにキリたちへと視線を向ける。


「……見てお分かりの通り、私とジェドは亜人と人間の間の子です」

「帽子で隠れてて分からなかったけど、やっぱりジェドもそうなのか」

「ええ。……母親は奴隷だった。父親は奴隷商だった。そう言えばお分かりでしょう」


それは、つまり。

咄嗟に言葉を失ったキリの代わりに、イシュが低い声を上げた。


「……っつーことは、じゃあ、あの中に?」

「分かりません。ただ、可能性はあります」


洞窟の中にいた人間は全員転がしてきたが、命まで奪ったわけではない。

ただ、洞窟が崩れた後、可能な限り全員を救出し、捕縛してきたのは確かだ。

捕縛されたか、亡くなったか。キリには解らない。


ただ、ひとつだけ。


「……会いたかった、か」

「……うろ覚えなんですが、熱でぼんやりしている時に言ったような気がするんです。ごめんなさい。私の不用意な言葉がこんな事態を招いてしまったんですね」

「いや。病気の時って心細くなるものだからな。……時期が悪かったな」

「そう、ですね。言っておいて何ですけど、二度と会うことはないと思っていました」


ふう、と息を吐いて、彼女は唇の端に笑みを乗せる。

少し無理をして笑っているように見えたが、それは隣にいたイシュも同じだったらしい。

彼には珍しく神妙な声で、「あー、」と言葉を探して。


「……詳しくは俺にはよくわかんねーけど、大変だったろ」

「そうですね。でも、ここは優しい人たちばかりなので。仕事場の皆さんは何も聞かないでくださいますし、リノさんもよく気にかけてくださいますし」


目を伏せて話していた彼女の耳が、ぴくりと動いた。

何事かと瞬く二人の耳に、少し遅れて家の扉を開く音が飛び込んでくる。

「たっだいまー!」とアルムの元気な声が聞こえてきて、ピアはふっと目元を和ませた。



「何よりも救われてるんですよ、私たち。アルムのあの明るさに」

「……分かる気がするよ」



騒がしく近づいて来る足音を聞きながら、キリも彼女へと笑いかけた。
















「……で、どうすんだ?」


キリが取った宿の一室、小さなソファの上。

当然のようにそこに座りながら放たれたイシュの一言に、キリは首を傾げた。



ちなみに同室で寝台も一つというこの状況だが、部屋を取り直そうかと申し出たキリの言葉は、「面倒くさいだろ。俺は別にトカゲ扱いで構わねーよ」という一言で却下された。


キリとしてはその状況には大いに構うのだが、確かに今更といえば今更だ。

というか、着替えだの風呂だの、よく考えなくてもヴィーとは今までずっと一緒だった。

そこに思い至った時には思わず穴を掘って中に入りたい衝動に駆られたが、残念ながらシャベルもなければ足元は石畳。

頭を抱えて蹲り、イシュに不審げに見られるだけに終わった。


そもそも肝心のイシュが平気そうな顔をしているあたり、多分竜人、ひいては竜としての異性への意識はそんなものなんだろう。

キリとしては実に複雑だが、ひとしきり赤くなって青くなった後で何とか落ち着いた。

正直言うとまだ思うところはあるのだが、路銀とも相談した結果、現状維持の運びとなったわけだ。



まあ、そんな経緯があったりなかったり。

ひとまず宿に戻ってきたキリは、部屋の中で人型に戻ったイシュと会話をしていた。


寝台に座って荷物の整理をしていた手を止め、キリは顔を上げる。


「どうって、明日からか?」

「ああ。ぱっと見た感じ、俺たちが協力できるのはこの辺までだろ」

「……まあ、そうかもな」


事後処理は大体終わり、事情聴取も終わった。

青い肌の亜人や子どもたちはジェドと同様に治療を受けているが、キリたちは健康だ。

一通りの協力はしたわけなので、そろそろ本来の旅の目的に戻ることを考える頃だろう。


キリとしてはもう少し手伝うくらい全く構わないのだが、イシュはどうやらこれ以上この件に関わりたくないようだった。

確かに、付き合ってもらっている身でこれ以上寄り道を続けるのも気が引ける。

ついでに自分たちが部外者なのは確かだしな、とキリは顎に手を当てた。


「リノさんに話を聞きたいとは思ってたんだけど、あの人もまだまだ忙しそうだもんな」

「そーそー。落ち着いた頃にでもまた話聞きに行けばいいだろ」


図書館での調べ物は、予定の半分程度が終わったところだ。

イシュが手伝ってくれるなら、三日もかからずに一通りは浚えるだろう。

収穫があるかどうかは別として、数日すればアルシータでの調べ物は終わる。

その頃には、リノたちの状況も少しは落ち着いてくるだろう。


もうひとつの目的は協力者探しだったが、偶然ながら身近にいた協力者は得られたわけだ。

……初対面の頃のことを思うとちょっと不安がないわけではないが、どうやら今は随分と魔法も上達しているようだし、申し分ないだろう。多分。

とすると、後は本格的に魔法陣の解析に乗り出すことも考えなければならない。


そんなことを一通り考えて、キリはとりあえずの方針を打ち出した。


「じゃあ、明日は王宮に挨拶だけ行こう。その後は図書館で調べ物の続きだな」

「おう、了解。……そうと決まればさっさと寝ちまおうぜ、昨日今日と、ほんと疲れた」


そんな台詞と共に、大きな欠伸を一つ。

確かに救助作業の時も彼はよく働いてくれたし、キリもその言い分はよく分かった。

ただ、立ち上がってキリの方へ歩いてきた彼に、念のため声をかけてみる。


「そうだな。で、寝る場所なんだけど」

「一緒でいいだろ」


キリが言葉を紡ぐ前に、彼はぼふっと寝台に倒れ込んできた。

広げられた腕に巻き込まれて一緒に寝台に転がり、悲鳴を上げる。


「うわっ!?」


文句を言おうと顔を向けた瞬間、ふっとイシュの姿が掻き消えた。

気づけば既にトカゲの姿へと変わった彼は、定位置である枕の横に丸くなっていた。

赤いしっぽがぱたりと揺らめき、金色のまあるい瞳がキリを見上げてくる。


「きゅあー?」

「……まあいいか」


ため息一つ。

重なった疲労もあり、説得を諦めたキリは、そのまま寝台に突っ伏した。




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