12.小さな翼と大きな手
洞窟を出ると、森の中に幾つもの灯りが灯っているのが見えた。
出口に向かう途中でも数人の兵士と会ったが、思ったより大勢が来ているようだ。
目を瞬いて周りを確認していたキリは、ふと自分たちの方へ近づいて来る人影に気づいた。
ややあって暗がりから姿を現した長い青銀の髪を持つ女性は、イシュに声をかける。
「見つかったのね」
「ああ、お陰様で。あとこっちの女の子も保護した」
「……話は聞いたけれど、本当に大勢の亜人が捉えられていたようね」
話しながら彼女が向けた視線の先には、灯りの近くに座って治療を受ける青い肌の男がいた。
その傍らに毛布を被った子どもを二人見つけて、キリはほっと息を吐く。
「おい、こっち」
その間に担いでいた少女を兵士に預けたらしいイシュが、手招きでキリを呼んだ。
導かれたのは、人のいる場所から少しだけ離れた、木の根元。
僅かに届く灯りに照らされて腰を下ろし、キリは隣に座ったイシュを見やった。
洞窟を進むうち、混乱が収まってきた中で確信を深めていたことではあるのだけれど。
こちらを見下ろす金色の瞳と視線が合って、ああなるほどな、と場違いにも納得してしまう。
思い出せば、確かにヴィーも、満月のように輝く黄金の瞳を持っていた。
色々と言いたいことはあるけれど、とりあえず追求は後にしよう。
言いたいことは山ほどあるらしいし、甘んじて受けておくべきだろう。
散々迷惑をかけた自覚もあれば、彼にはその権利もある。
そう思ってキリが黙って彼を見上げていると、すいっと視線が逸らされた。
てっきりこのまま怒鳴るか説教が始まると思っていたキリが目を瞬いていると、大きな溜息が聞こえてきた。
「イシュ?」
「……足はもういいのか」
「え?ああ、うん」
ちなみに、なんとか歩けるくらいに足の痺れが取れてからは、自分の足で歩かせてもらった。
まだ足取りは覚束無いが、それでもあの状態を他人に見られるよりはマシだ。
歩いてみた感じでは致命的な怪我はないようだし、後遺症のようなものは残らず済むだろう。
確認はしていないが、青痣くらいならご愛嬌というやつだ。
キリの答えに、そっか、と応じた後、イシュは再び黙ってしまった。
落ちた沈黙の中、先ほどの言葉を思い出したキリは恐る恐る口にする。
「怒るんじゃなかったのか?」
「怒ってるっつの。何で一人で行くんだよ、馬鹿。あんな風に死にそうになるくらいなら、素直に連れてけよ」
ぐうの音も出ない。
色々と考えて結論を出したことではあるが、完全に正論だ。
「せめて周りに知らせてから行くとか、危ないと思ったら引き返すとかしろ。お前俺がいなかったら三、四回は死んでるだろ」
「……ごめん」
素直に謝罪を紡ぐと、イシュはまた口を閉じた。
ものすごく物言いたげな目でじっとキリを眺め、ひとつ息をついてからぽつりと零す。
「……俺にはよく分からないけど、やりたいこと、あるんだろ」
「……」
「だったら一人で無茶すんな。死んだら元も子もないだろ。暇だし、俺でよければ付き合うくらいしてやるからさ」
「それは、」
ダメだ、と言いかけて、黙る。
きっと、ここで拒否したらイシュは理由を聞くだろう。
うまく説明できる自信もなかったし、何よりイシュはキリの状況を知りすぎている。
詳しい話をしたことはないけれど、ヴィーとして行動を共にした時間は決して少なくない。
一人で大丈夫だなんて誤魔化したところで、説得力もない。
付け加えるなら、キリが探している強い魔力を持った協力者は、別に人間である必要はない。
きちんと確認したことはないけれど、魔法の腕は申し分ないように思える。
少しだけ悩んでから、
「お前が思うほど立派な目的じゃないぞ。別に、誰かの為になることでもないし」
「はあ?じゃあ逆に聞くけど、それは誰かの迷惑になるようなことなのか?」
「え、いや、別に」
「じゃあいいだろ。問題あるのかよ」
……あっけらかんと告げた彼は、多分、損得とか利益とか考えていないのだろう。
目の前で困っているから手を貸す、くらいの気持ちでいるような気がする。
微かな罪悪感を覚えるが、彼が手を貸してくれるのであれば頼もしいのは確かだ。
だがその前にと、キリは躊躇いながら口を開いた。
「なあ、……ヴィー」
「なんだ?」
「フォミュラの話じゃ、お前は里から出たままでいるの、まずいんじゃないのか」
「別に。フォーは困るかもしれないけど、俺は困らない」
「いや、よくないだろ?」
「いいんだよ。困らしとけあんなの」
そう言われても、と眉を寄せると、イシュは少し困った顔をして。
視線を逸らして頭を掻き、言いづらそうに言葉を紡いだ。
「ていうか、俺は里にいない方がいいんだよ。竜人の奴らとは関わんないところで適当に暮らしてたほうが、多分俺もあいつらも楽なんだ」
「……それは、」
竜人の特徴を持たぬ人間の姿と、希少種と呼ばれる竜の姿。
どうあっても竜人とは一線を画す姿をしている彼が、竜人たちの中でどう過ごしてきたのか、キリは知らない。
それでも、今の言葉は察するに余りあるものだった。
このまま話を続けていいものか、と言い淀むと、イシュは言葉の先を勝手に解釈したらしい。
「まあこの際だから話しちまうけど」と言いおいて、話を始めた。
「先祖返りみてーなもんなんだよ。ちょっと魔力が強かったり火吐けたりするくらいで、別に特別なことはできない。幸い人に化けることはできたから、面倒事に巻き込まれないように普段はこの姿してる」
「……簡単に言うけど、竜って、信仰されてるんだろ。神様みたいに扱われたりはしなかったのか?」
「信仰してるったって、偉大なる先祖に感謝しよう、くらいのノリだよ。そんなとこに実際に竜なんて生まれてきてみろ、困るだけだろ」
まあ、それはそうかもしれない。
そもそも宗教に馴染みが薄いキリとしては、曖昧に頷くしかなかったが。
「それ、皆知ってることなのか?」
「いや?族長だとか、そのへんに近い奴らは知ってるけど、そうでない竜人は別に。知ってるとして、人間みたいな姿の変わり種がいるらしいぜーってくらいだ」
ただ、と言葉は続く。
「知ってる奴はやっぱり、扱いに困ってるんだよな。だから、許可なく里の外に出るなとか、祭りには必ず参加しろとか言うし、その癖ほかの竜人たちのように仕事を与えることはしない。お陰で日々暇人してるって訳だ」
ああそういうことか、とキリは納得した。
竜人族は小さな一族、働かざるもの食うべからずを割と地で行く暮らしぶりだ。
よっぽどのことでもない限り、何もせずぶらぶらとすることを許してはくれないだろう。
キリに付き合って一日中畑仕事を手伝ってくれた彼が普段何をしているのかは、キリも気になっていたところだった。
気怠そうにぱたぱたと手を振りながら、イシュは「まあそういう訳で」と言葉を続けた。
「別に、里を出たからって何があるわけじゃない。せいぜいフォーが困るだけってこと」
「……そうか、あいつお偉いさんだったな」
「お陰様で、ほぼ俺の育て親みたいなもんだよ。でもあいつ、昔はよく俺の事連れて里の外を旅してたし、平気平気」
「平気……かな」
考えてみれば、ヴィーがキリと一緒に行動したのは、フォミュラが監視役として同行させたのがきっかけだ。
先日ティンドラの天幕で会った時だって、困るとは言いつつも強い反対はしていなかった。
「……いいのかな」
「構わねーよ」
「とても、時間がかかると思うけど」
「少なくともお前の五倍は寿命あるから気にすんな」
まあ竜が生きた記録なんて残ってないから、実際どれくらい生きるのかは知らないけど。
そんな風に笑うイシュは、完全にキリに付き合ってくれるつもりのようだ。
キリとしても、そこまで言われてしまえば断るほうが難しい。
ふっと張り詰めていた息を漏らして、笑顔を作る。
「……じゃあ、よろしく頼んでいいかな」
「おう、頼まれてやるよ。よろしく」
返ってくるのは満面の笑み。
緩んだ空気の中、お互いに挨拶を交わしたところで、
「――さて、話は一段落ついたのかしら?」
さくりさくりと下草を踏む音が近づいてきた。
振り返ると、そこには先程会った長い髪の女性の姿がある。
凝った意匠の襟章からして、アルシータ軍の、恐らくそこそこの地位の人間だろう。
もしかして隊長さんだろうか、と目を瞬くキリの隣で、イシュが目を瞬いて問うた。
「リノ。もう移動するのか?」
「いいえ。そちらの方の体調はどうなのかしら、と思って」
体調。
僅かに残っていた足の痺れも話しているうちに取れたし、至って正常だ。
ただ、恐らく病気の心配をされているのだろうと当たりを付けて、キリは首を振った。
「今のところ、特には」
「……そうみたいね」
まじまじと観察され、居心地悪く視線を逃がす。
別に疚しいところがあるわけではないが、そう見つめられると心臓に悪い。
そんなキリの様子に気づいてか気づかずか、イシュが話題を変えた。
「洞窟の方は何か分かったのか?」
「ええ。こちらが目的にしていた調査は粗方終わったわ。彼が持ち出してきた資料のお陰で大体概要は掴めた感じね。洞窟の中をしっかり確認すればもう少し情報が出てくるのでしょうけど」
と、彼女はちらりと崩れた入口へと視線を投げる。
「ま、それは時間がかかるわね。内部がどれだけ崩れているかも分からないし、何より調査の前に救助が先よ」
「……そうだな。人命優先で頼む」
「ネズミ共も、生き埋めになる前にとっ捕まえなきゃいけないしね」
頭の痛いこと、と息を吐く彼女の顔には、疲労が見え隠れしている。
大変そうなら手伝おうか、と言いかけたキリを遮り、イシュが「それで」と問いかけた。
「結局どうだったんだ?」
「そうね。そのうち正式にまとめて発表するし、簡単に説明しておきましょうか」
ただ、発表まではみだりに触れ回らないと約束して頂戴、と念を押された。
二人して頷くと、彼女は満足げに笑みを浮かべて話し出す。
「病気を引き起こしていたのは、イシュが睨んだ通り魔力の汚染だったわ。具体的には、魔力が持つ免疫作用が抑えられて、様々な病気への抵抗力が落ちたことが原因」
「魔力?魔力に免疫作用なんてあるのか?」
「ええ、高い魔力を持つ者は毒や病への耐性も高いわよ。元々持っている魔力が少なければそこまでの影響はないんだけれど、この国でそういう人は少ないわね」
うちの隊が真っ先にやられた理由もよく分かるわ、と彼女は腕を組む。
推測になるが、アルシータの軍隊だけあって、彼女の隊には魔力の高い隊員が多かったのだろう。
ついでに、高い魔力を持つ竜人族が毒に強いのもそういう理由か、とキリは一人納得する。
「病状がバラバラで特定できなかった理由もそれよ。別の病気発症してるんだから当然よね」
「あー。特効薬がなかったの、それでか」
「そうね。汚染による魔力への影響を抑えるには、免疫を高める薬が一番の特効薬。でも、発症した病に直接効くわけではないから」
事件が解決しても事態の収束にはまだ遠いわね、と頭を振る彼女に、キリは深く頷いた。
救助した子どもたちの処遇、免疫力を高める薬の精製、発症した患者への対応。
調査と救助が終わっても、やるべきことはまだまだ山積みだろう。
イシュと言葉を交わす彼女を眺めながら、気になっていたことを口にする。
「けど、なんで離れたこの国の中で汚染が広まったんだ?この短期間で広まりすぎじゃないか?」
「ああ、それは……どうやらね、事故で漏れたらしいの」
「事故?」
「持ち出された資料から分かったのだけど、とある研究者が王都の中で、この病気の原因となった花の研究をしてたらしいのよ」
唇に指を当て、「そうね、一週間と少し前くらいかしら」と彼女は続ける。
「この病気が流行り始めた、ちょうどその頃に、都内で盛大な爆発事故があったの」
爆発事故。
以前は当たり前の光景だったよな、というキリの不思議そうな視線に気付いたのか、彼女は肩を竦めた。
「爆発なんて日常茶飯事だし、気にも止めてなかったわけだけど。実際その時の被害は爆心地の建物だけで被害は少なかったって報告が上がってたしね」
「……ところがどっこい、大被害って事か」
「そういうこと。ま、その辺り含めて調査しなおす必要はあるでしょうけどね」
ということは、森でたむろしていたフードの連中は、あの時の予想通りあの花を探していたということか。
予防薬にするために、病気を研究するために。
彼女の言葉に、イシュが感心したように声を上げた。
「街の中で研究してたって分かったの、ついさっきだろ。流石だな」
「国だって、一週間何もしてなかったわけじゃないのよ。因果関係はともかくとして、原因に関しては片っ端から心当たりを調べたんだから」
当時を思い出したのか、彼女はため息を吐いた。
言葉にはしなかったが、苦労が偲ばれる。
「……ま、あんたこそ、見ただけで魔力の汚染に気づくってのも相当なものだけれど」
ちらりと意味ありげな視線を送ってくる彼女に、イシュは苦虫を噛み潰した顔で頭を掻いた。
言外の追求は、圧力を増す前に遠くから響いてきた声によって遮られた。
「隊長ー!!また一人倒れましたー!!」
「中入る奴は薬飲んどけって言ったでしょうが!?飲まないなら中じゃなくて外で洞窟が崩れないようサポートしてなさい!」
叫び返した彼女は、はあ、と米神を押さえる。
そして、再びキリへと視線を向けた。
「さて。ねえ、貴方、長時間あそこにいても平気だったのよね?」
「え、まあ」
「疲れてるだろうところ悪いんだけど、人手が足りないの。魔術班のサポートはあるから、洞窟の中にいる子どもたちの救助を手伝っては貰えないかしら。お礼はするから」
「リノ!」
「魔法について調べてるって聞いたのだけど、個人で力になれることなら協力するわよ?」
咎めるように彼女の名を呼ぶイシュを意に介さず、彼女は笑顔で話しかけてくる。
魔法について調査していることは触れ回っていないはずだが、イシュが喋ったのだろうか。
その割に、イシュは反対のようだけれど。
まあ、どちらにしろ。
「構わないよ。断る理由もないし」
「そうこなくっちゃね」
「キリ」
「いいじゃん。事情聴取もあるだろうし、どうせ一緒に帰るんだろ?疲れたならお前は休んでても、」
「そんなわけないだろうが。俺も行く、リノ、薬くれ」
目を据わらせて立ち上がったイシュは、呆れた顔で放られた小瓶を受け取って飲み干す。
盛大に顔を顰めたところからして、どうやらひどく不味いらしい。
ぽかんとしてそれを見ていると、目の前にひょいっと手が差し伸べられた。
見上げたイシュは、行くんだろ、とばかりに憮然とした顔で待っている。
小さく苦笑して頷き、キリはその手を取り、腰を上げた。
全く、新しい連れは育て親に似ず、随分と過保護なようだ。




