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霧雨のまどろみ  作者: metti
第四章 魔法王国アルシータ
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10.おうちに帰るまでが遠足です




「はー……」


仄かな香味が鼻を擽り、温かいものが喉を落ちていく。

まったりと息を吐き、お茶の入ったカップを手に、アルムは机に突っ伏した。


一応ここは他人の家なのだが、勝手知ったる、とはこのことだ。

昔からよく出入りしていたこの家のことは、誰よりも知っている自信がある。

ジェドやその姉だって、アルムが勝手にお茶を淹れたくらいで今更怒りはしない。


机に頬をくっつけたまま、ぽつりと呟く。


「……ししょー今日帰ってくるのかな」


今頃、皆して森への道を進んでいるところだろうから、帰ってきたとしても遅くなりそうだ。

朝帰り、もしくは最悪の場合、お泊りからそのままお仕事だろう。

お夕飯はジェドのお姉さんと一緒に食べるとして、彼らの分はいらないか。


それにしても、とアルムはあの赤毛の青年のことを思って宙を見上げた。




彼が現れたのは、キリが森へ行くと告げて出て行った、一時間ほど後のこと。

唐突にアルムの元を訪ねてきたあの男性は、自分はキリの知り合いだと名乗った。


彼女を探してここに来たのだが、どこに行ったか知らないか。

そう聞かれ、アルムはそれはもう動揺した。

動揺しすぎて心配されるくらい動揺した。


そう、まず彼女って誰のことだと。


最初は同名の他人かと思ったが、話を聞いてみると、どうやらそうではないらしかった。

特徴も一致したし、調べ物の為に入国してきたという日付も大体同じ時期。


あの青年が言うには、旅をする上で都合がいいからと、本人は性別を間違われても訂正しないことが多い、らしい。

いやまあ確かにアルムも、傭兵さん冒険者さんにしてはすらりとした体型だとは思っていた。

物腰も柔らかいし、身のこなしも軽いし、どっちかっていうと騎士みたいだな、とか思ってもいた。

けれど、剣を持っていた事といい、言葉遣いといい、アルムには男の人にしか見えなかった。

正直に言うと今でも半信半疑なのだが、まあそれは帰ってきてから問い詰めればいいことだ。



とりあえず、ここまで詳しいならアルムよりは付き合いの長い知り合いに違いない。

そう判断したアルムは、とりあえずキリが今ここにいないことと、その事情を話すことにした。

色々と重なったとはいえ、キリをここまで巻き込んでしまったのも、元はといえばアルムである。

怒られるだろうかと怯えながら恐る恐る話をしてみたのだが、彼から返ってきたのは


「ああ、まあ予想はしてた」


という一言である。

ぽかんとしたまま、つい「よくあるの?」と聞いてしまったけれど、アルムが悪いわけではないと思う。

青年はアルムの質問に何とも言えない顔をしたけれど、少しの間の後、ひとつ頷いた。

そして、こう言った。


「俺がここに来たのは、こういう状況を何とかするためだ」と。


そして、話をするうちに、あれよあれよとアルムは彼を師匠のところへ案内することになってしまったのだった。

思いの外アルムたちの事情にも詳しいことには、あれ、と思わないでもなかったが、そこはそれ。

アルムも正直、ただお留守番しているだけではなく、キリとジェドの為に何かしたくてたまらなかったのだ。

何よりキリの友達だし、悪いことを考えてはいなさそうだったので、まあいっかと判断した結果、今に至る。




まあその結果、今もアルムはここでお留守番をしている訳なのだが。

ぷらぷらと足をぶらつかせながら、頬杖をついて首を傾げる。


「っていうか、なんかボクが知らないようなことも色々知ってたし……キリが話したのかな」


誰かに手紙を書いたとか、そんな話を聞いた気もするから、宛先は彼だったのかもしれない。

それにしたって、ここの住所はキリにも教えていないはずなのだけれど。


まあ分かんないことを考えてもしょうがないか、と暇を持て余したところで、ふと気づく。

立ち上がったアルムはきょろきょろと辺りを見回し、自分の服のポケットを確認し、ジェドのお姉さんが眠っている枕元を視線で探して。



「……あれ、ヴィー?」



首を傾げるアルムの背後。

ぽつり、と音を立てて、乾いた窓を雨粒が叩いた。



















ドサリと重いものが落ちる音がして、空洞の中は静まり返った。

上がった息を整えるためか、一つ大きく息を吐く音が響く。


危なっかしい動きながらも、最後の一人を何とか地に沈めた彼女は、ようやく扉を振り返った。


意識のない子どもたちの近くに下がり、小物を相手していただけだが、こちらも息は荒い。

先程から継続的に襲う寒気や身体のだるさも影響は大きかった。

これは熱が出ているな、と冷静に分析しながら、息を整える。


自分が壁に手をついて姿勢を保っている姿を見て、彼女は眉を寄せた。

駆け寄ろうとする彼女に、手のひらを向けて静止をかける。


「おい?」

「急に動かなければ平気だ。……お前は大丈夫なのか」

「いや、私は別に。あんたこそ何でそんな急に具合悪くなってるんだ?持病?」

「違う。あの空洞の中が……いや、いい」


それよりここを早く出るべきだ、と進言すると、彼女も頷いた。

倒れた男たちの間を縫って研究机に向かい、資料を手に取る。

ちらりと眺めてとりあえず全部かき集めたあたり、恐らく内容は理解していないだろう。


彼女が戻ってくるのを眺めながら、口の中で転がすように呪を唱え、身体強化の魔法をかける。

それに気づいた様子もなく、彼女はまるで荷物でも持つような気軽さでひょいっと子供ふたりを担ぎ上げた。

……正直この光景は何度見ても見慣れないのだが、彼女も身体強化魔法の使い手なのだろうか。

戦い慣れてはいるようだが満足な武器の一つも持っていないようだし、よく解らない奴なのは確かだ。


「行こう」

「ああ」


入口近くは一本道で、幾らかあった罠も行きがけに全て解除してきた。

落とし穴だけは飛び越してそのままだが、それくらい彼女も気づくだろう。


警戒しながら一本道を進んでいくうち、背後から足音が聞こえてきた。

近づいてくるそれに気づき足を止めた彼女と、顔を見合わせる。


「……増援にしちゃ遅いな。しかも一人だ」

「伸びていた奴らが追ってきたか」


反響する足音の軽さからして、武器は持っていなさそうだ。

追いかけてきたのは傭兵ではなく、どうやら研究者の方らしい。

確かに戦闘力のなさそうな彼らは、ちょっと動けなくなるくらいの状態にしかしていない。

わざわざ追ってくるとも思っていなかったが、研究資料を取り戻しにでも来たのだろうか。


そんなことを思っているうちに、彼女は子ども二人を下ろして研究資料をこちらに押し付けてきた。

「二人、連れてけるか」と問われ、少しの逡巡の後に頷いて資料を受け取る。


「足止めする、先に出てろ!!」


出口はもう見えている。

森の中にさえ出てしまえば、潜む場所はいくらでもある。


頼んだ、と一言だけ残し、子供達を抱えて走り出す。

彼女があんなに軽々と抱えていたはずの二人は、身体の不調も相まってひどく重く感じた。

眉根を寄せ、走りながら足を中心に身体強化の呪文を重ねる。


「うわっ!?」


洞窟の入口が見えてきた辺りで、背中越しに悲鳴が聞こえた。

離れた暗闇の中、振り返ったところで様子は窺い知れなかったが、次の瞬間。



ズン、と大きな振動が洞窟を揺らす。



どうやら、追ってきた研究者が魔法を使ったらしい。

この狭い洞窟で地震とは、中々度胸のある選択だ。

崩れでもしたらひどく面倒なことになる、と舌を打つ。


「走れ!」


背後から聞こえてきた声に従い、ふらつきそうになる体勢をなんとか立て直して足を動かす。

熱のせいか揺れのせいか、動作が緩慢に思えて仕方なく、焦りが募った。


出口まではあと少し。

見えた光の中に、からりと小石が落ちるのが見えた。

揺れは続いて、段々と大きくなっている。


咄嗟に足が動いていた。

体の感覚の鈍さに苛立つ暇もなく、最後の数メートルを一足飛びに駆け、洞窟の中から転がり出る。




数秒の後、鈍い音と共に洞窟の入口は崩れ落ちた。




いつの間にか、外では雨が降り始めていたらしい。

濡れた下草に膝をつき、息を整える肩を、容赦なく雫が濡らしていく。

その目の前で、カラカラと音を立てて、湿った土の上を小石が転がり落ちていった。

僅かに続いていた揺れは、次第に収まっていく。


……恐らく、出口を塞いで研究資料の持ち出しを防ぎたかったのだろう。

間一髪だったが、資料がここにある以上、残念ながら研究者の目論見は潰えた。


抱えていた子どもたちを下草の上に降ろし、長く息を吐く。

だいぶ弱ってはいるようだが、子ども達もまだ息はある。

早いところ治療を施してやらなければならないだろう。



ふっと意識が緩みそうになった瞬間、ガサリと大きく茂みが揺れる音がした。

まさか外に伏兵がいたのか、と、咄嗟に愛用の槍に手をかける。


正直言うと、体調は悪化の一途を辿っており、お世辞にも満足に一人で戦える状態ではない。

万事休すかと奥歯を噛み締め、反撃を狙って身体強化を施す。


だが、いくら待っても襲いかかってくる気配はない。

緩慢な動作で顔を上げた先には、



「――キリは?」



赤毛の男が、息を切らして立っていた。















唸るような地鳴りが収まった後、キリは目を開けた。

視界を染める暗闇に目を瞬く暇もなく、通路の奥で燃え盛る炎が生まれる。

それは幾つかの火球となり、キリに向かって飛んできた。


「っ、わっ、と!!」


悲鳴を上げながら狭い通路を飛び退る。

キリの少し手前に着弾した炎は鈍い音と共に消えたが、岩を削って飛び散った欠片は幾つかキリに傷を作った。

欠片がそう大きくなかったのは幸運だ。


受けた傷の代わりと言っては何だが、火球によって一瞬明るくなった視界の中、キリは相手の姿を捉えていた。

次の攻撃が来る前にと、火球が生まれた場所まで一足飛びに駆け込む。


「このっ!」


このへんか、と闇雲に振るった拳だったが、鈍い音と共に、確かな手応えがあった。

静かになった相手が意識を失っていることを確認し、息を吐く。




他に足音や気配がないことを確認し、ようやくキリは入口を振り返った。

大量の土によって閉ざされた洞窟の中には、光のひとつも入ってこない。


「……」


一番初めに湧いてきたのは、あーこりゃ怒られるな、という呑気な感想だった。

誰に、と聞かれればそりゃもう心当たりは幾つもあるが、まあ一番に怒るのはアルムだろう。

置いていく時もあれだけ不満そうにしていたのだ、帰るのがある意味怖い。


怒られるのを防ぐためにも、さくっと脱出するのが一番だ。

ただ、ここにいるのは、生憎キリだけではない。



とりあえず、今の地震で下にあった牢獄の空洞が崩れていないかが心配だった。

……もし、崩れていたら。

ぞっとするような想像を振り払い、キリは踵を返す。


心配だが、さすがに奥深く、下まで降りて確認する気はなかった。

回復した敵が襲ってきても面倒だし、そもそもキリ一人ではここまで戻ってこられない。

構造上この通路はあの空洞の真上にあるようだし、このあたり一帯が崩れていなければ恐らく大丈夫だろう。

確認ついでに、土砂を退けられるような道具を見つけられれば万々歳といったところ。



真っ暗闇の中、足元が崩れていないか確認しながら、キリは慎重に元来た道を戻っていった。




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