3.そしてやってくる大災害
青年達に別れを告げ、再び二人きりになったキリとフォミュラ。
先導するフォミュラについて歩きながら、キリは何気なく思ったことを口にする。
「…なんか、意外と閉鎖的じゃないんだな」
「ん?」
「隠れ里だろ?人間に見つからないように住んでるなら、人間自体嫌っててもおかしくないと思ってた」
「ああ…確かに竜人族全体を見ればその傾向はあるな。そういった意味では、この里はちょっと変わっている」
何故、と問いかけようとして、彼の表情に気付き、やめる。
何かはわからないが、何かがあったのだろう。
嫌われてんじゃないならいいや、と結論付けて、キリは大人しく歩くことに集中する事にした。
広場から十分ほど歩いただろうか。
フォミュラが行く先を指差す。
「あそこに見えるのが、これから君の家になる家だ。以前住んでいた者の家具が残っているから、利用できる物は利用するといい。嫌ならば新しく調達してもいいしな」
「まあ、用意してもらったものに文句は言わないけど」
「遠慮は要らない。ここで暮らすことになるんだから、必要な物があれば言ってくれ。可能かどうかはともかく、できるだけ調達してくるようにするから」
そう言った後に、彼は「ああ、いや」と言葉を繋ぐ。
「一緒に旅について来て、自分の目で選んだ方がいいか」
「……物によるかな」
「ま、それも暮らしに慣れてからの話だな」
そんな話をしていれば、遠くに見えていたはずの家は、あっという間に目の前だった。
小さな、こじんまりとした家だった。
雰囲気としては、一人暮らしの魔女でも住んでいそうな、北欧風の煉瓦造りの家。
住む人がいなくなっても掃除はされていたのか、生活感はないものの、中は小奇麗なまま。
先住者が使っていたらしい調理道具や本、魔法を使うための器具なんかがそのまま残されていた。
雨風に打たれて少々くたびれたのか、時折窓枠から風が吹き込んでくるものの、少し補修すればどうにでもなる範囲だ。
「…ちなみに、風呂は」
「家の裏に囲いが見えるだろう。あそこから温泉が湧き出ている。水は沢の水を利用しているが、口にする水以外は基本的に温泉の湯を使っているな」
「露天風呂かよ。なんつー贅沢な…」
他にもこの里のルールだとか生活に必要な物を手にいれる方法だとかを教えてもらい、キリはふむと考え込んだ。
考えていた通り、この里は基本的に物々交換で成り立っているようだ。
客人という身分故に望めば無償で何でも用意してくれるとフォミュラは言うが、それではやっぱり落ち着かない。
この里に有用な何かを供給できるようになるのが、キリの第一目標だろう。
魔法に関する研究をしたい、と考えているのだから、それに関連した仕事があればいいんだけど。
追々考えていくか、と結論付け、キリは酷使したお陰か再び痛みがぶり返してきた足を摩る。
目ざとくそれを見つけたらしいフォミュラが、「そろそろ戻ろうか」と言い出した。
「身体もまだ本調子ではないだろうし、準備が整うまでは屋敷にいるといい。必要な物があるなら準備しよう」
「…そういえば、あの城みたいな屋敷って、やっぱあんたのか?随分でかかったけど」
「いや、王族の別荘だ」
「は!?」
「私が管理しているからな。勝手に使ってもいいと言われているから、問題ないだろう」
飄々と言ってのけているが、だいぶ大変な事だ。
確かに、王族が使っていると言われても違和感を覚えないほど、しっかりした作りの屋敷だった。
思い至らなかった自分も間抜けと言えば間抜けだ。
というか、こんな小さな里に別荘があるというのも驚きだけど。
そもそも、そんな別荘を当然のように我が物顔で使っている、こいつは何なんだ?
「…あんた何者?そういえば村の若い…若く見える人たちも敬語使っていたよな」
「いや、何者と名乗れるほどの者でもないが。一応宮仕えの身ではあるな」
「宮仕え…ってことは、王族とか貴族の関係者?」
「そんな所だな。まあ別に偉い立場でもないから、普通に接してくれ」
既に砕けた口調で話させてもらっているから、今更敬語を使うのも違和感はある。
考えた末にその言葉に甘える事にして、キリは「わかった」と頷いた。
「さて。家の確認も顔合わせも一通り終わった。一度帰ろうか」
「ああ、そうだ――」
頷いたキリは、振り返ろうとして。
振り返ろうとした横っ面に、衝撃を喰らった。
目を丸くしたフォミュラの姿が、歪んだ視界に映る。
衝撃を喰らった頬のみならず、今やそこを基点とした全身から、ぽたぽたと雫が垂れる。
水?
違う。
「げっほ!」
辛い。
ありえないほど辛い。
ハバネロとかブート・ジョロキアとか入ってんじゃねーのと思うほど辛い。
髪が酷いことにはなったが、目に入らなかったのが不幸中の幸いだ。
もし入ってたら激痛で地面をのた打ち回るところだった。
口に入ったそれに思わず咳き込むキリの隣で、ふむと落ち着いた声。
「…染料か?辛いなら恐らくアカススギだな」
「けほ、冷、静に、分析すんな!くっそ、誰が」
こんな悪戯を、と。
言いかけながら水が飛んできた方を睨みつけたキリは、二発めの攻撃をもろに顔面に食らった。
「げほ、うぇ、なにこ、れ、酸っぱ!!」
「――おっと」
続いた三発めは、流石にフォミュラが止めてくれた。
淡く色づいた水球が浮かぶ様は幻想的ではあったが、今はそれどころではない。
涙目で水球が飛んできた方を見やると、潅木の中の一本の木の影に、ちらりと黒の鱗が見えた。
とっくに犯人に気付いていたらしいフォミュラが、呆れたように犯人らしき者の名を呼ぶ。
「ヴィル!仮にも客人だぞ。何をするんだ」
「――ふん!なんだよ、人間なのにフォー兄の客だっていうから、期待してたのに」
期待はずれだなっ、というくっそ生意気な台詞と共に、黒い影が木の上から飛び降りてきた。
姿は少年だった。
鱗と同じ黒い翼を生やし、蛇のような爬虫類を連想させる金色の目をこちらに向けている。
10代前半といった所だが、実際その年齢かどうかはわからない。
が、どう見ても生意気でやんちゃなおガキ様だ。
恩人であるフォミュラの手前、思わず手が出そうになったのを堪えて、キリは半眼で彼を睨んだ。
「…おい、初対面の人間にこりゃねーだろ。どーしてくれんの、これ」
「はあ?いーだろ別に。あんたアホみてーに地味だし、これでまだらに染めてやったら少しはマシになるんじゃねーの」
と、言いつつ彼が示すのは、両手に携えた二丁の水鉄砲。
なるほど、先刻のあれは水鉄砲での襲撃だったわけか…。
と、納得する暇もなく、四発目が飛んでくる。
悲鳴を上げて慌てて回避したキリが文句を言ってやろうと顔を上げた瞬間、後頭部からばっしゃあと水を被せられた。
「……っ」
量からして、こちらはどうやら、魔法による攻撃だったらしい。
続けざまに放たれた五発目をフォミュラの魔法がかき消すのを見やりつつ、キリはぐっと拳を握った。
「あははっ、水も滴るって奴?別にいい女でもないけどな!」
「お…お前なっ!借り物なんだぞ、これ!!物粗末にすんな!」
「知るかよ!鬼婆みてーな顔して、ワンピースなんか着たって、全っ然似合ってねーでやんの!」
「ヴィル!いい加減にしないか!」
流石に焦ったらしいフォミュラが少年の手から水鉄砲を奪うのを見ながら、握った拳に力が入る。
…なんで初対面でこうまでボロクソ言われねばならんのだ。
そりゃ確かに嫌われてるかもしれないと思ってはいたが、
ばっしゃん!
流石に四度目の被害ともなれば、仏の顔が修羅に変わるのも仕方ないと言えた。
ぽたぽたと目の前を滴り落ちる雫を虚ろな目で見やりながら、キリはゆらりと一歩踏み出す。
「……おい小童。そこへ直れ。その性根叩きなおしてやる」
「へん!やれるもんならやってみやがれ、この男女!」
「…く」
笑おうとして、ひくりと頬が引きつったのが解った。
「くぉんのクソ餓鬼いいいいいぃぃっ!!!!!」
こうして始まった、予想だにしなかった新生活。
先行きはともかく、賑やかになることだけは間違いなさそうだった。