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霧雨のまどろみ  作者: metti
第四章 魔法王国アルシータ
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4.お薬は用法用量を守って正しく使いましょう




キリたちが街に帰ってこられたのは、日が沈み、すっかり辺りが闇に包まれた頃のことだった。

人の気配のしない静けさの中、ぽつりぽつりと灯る街灯だけが街路を照らしている。


ジェドはといえば、町に戻ってくるなり「ここまででいい、後は自分で薬屋に行く」とだけ言い残して走っていってしまった。

当然ながらキリも声をかけたが、返ってきたのは返事ではなく、くっきりとした敵意を込めた視線。


ここでキリが付いていけば、更に彼の機嫌を損ねることになるだろう。

だが、夜の街を子供一人で行かせるのは危険だし、森で見かけた連中のこともあって何となく気がかりだ。


少し考えた末、キリはアルムを同行させることにした。


二人きりにしてやれば、多少は彼も落ち着くだろう。

ああ見えて彼はしっかりしているし、住み慣れた街で二人して犯罪に巻き込まれるようなことも、そうない筈だ。


ジェドの背中とキリを見比べておろおろしていたアルムの背を、ぽんと押してやる。


「ほら、見失うぞ。ついてってやれって」

「え、けど」

「私は一週間くらいあの宿にいるから。何かあればまた来いよ」

「……わかった。ごめんね、ありがとう!また明日行くよ!」


おやすみ!と手を振りながら駆け出したアルムを見送り、キリはやれやれと息を吐いた。

肩の荷が降りた気分で、宿へと歩みを進める。




昼食を食べそこねた空きっ腹に暖かな食事を摂り、就寝の準備を済ませれば、昼間は意識していなかった旅の疲れがぐったりと身体にのしかかってきた。

部屋に戻ってきた勢いで寝台に倒れこみ、ころりと寝返りを打つ。


このまま寝てしまおうかな、と細く長い息を吐いたところで、鳴き声が響いた。

何事かと首を傾げるキリの前に、ヴィーがずるずると引きずってきたのは、羽ペン。


眠い頭でぼんやりと揺れる羽を眺めて、キリは思い出す。

そういえば確かに、フォミュラに手紙を書こうと思っていたのだった。



「ああ、そうだな。手紙書こうか」



噛み跡のついてしまったペンを手に取って苦笑しつつ、キリは荷物の中から便箋を引っ張り出した。















翌朝、図書館に向かおうと宿を出たキリは、ばったりとアルムと鉢合わせた。

アルムが訪ねてくる前に帰ってこようと思ったのだが、どうやら早起きしてきたらしい。


昨日渡し忘れていた報酬だ、と差し出してきた袋は、苦笑と一緒に断った。

実際、昨日はキリは何もしていない。本当に後をついていっただけだ。

アルムは渋ったが、ジェドの姉の薬代の足しにでもしろと言えば大人しく引き下がった。


そのまま、並んで歩き出す。

歩き始めてから、はたと気づいたようにアルムが聞いてきた。


「どっか行くの?」

「図書館で調べ物しようと思ってな」

「本当?じゃあボク手伝うよ、今日は暇だし」


騒ぐなよ、と釘を刺せば、図書館で騒ぐわけないじゃん!と元気のいい返事があった。

そういうところが不安なわけだが、まあ、当人は気づいていないだろう。



そして、図書館への道すがら。

気になってはいたが聞くのを憚られた話を思い出し、キリはアルムを振り返った。


「――なあ、気になってたんだが」

「うん?」


足元を見ながら歩いていたアルムが、顔を上げる。


「森に取りに行ったあの花、万病に効くってわけじゃないんだろ?お前の師匠とジェドの姉さんとやらは、同じ病気なのか?」

「うーんと、万病に効くってのはあながち間違いでもないんだけど……あのね、病気に強くなる薬ができるの」

「……痛み止めとか熱冷ましとか、そういうものじゃなくて?」

「うん。師匠はそう言ってた」


口を噤み、キリは腕を組む。

つまりは、抵抗力とか免疫力とか、そういったものを高める薬ということだろうか。


ということは、その薬が病気そのものに直接効くわけではない。

ついでに言うと、症状も緩和できない。

免疫力が高まれば回復する速度は上がるだろうが、結局それは本人の自然治癒力頼みだ。

自然治癒が望めないほど弱っていれば、薬に意味はない。


病気に効くというよりは、どちらかといえば予防薬だろう。

ある意味では理想の薬だが、使い方を間違えれば何の役にも立たない。


「……ジェドのお姉さん、具合は随分悪いのか?」

「熱が高いって言ってた。あと、咳がずっと止まんなくて、見てて辛いって」

「解熱剤と咳止めか」


症状自体は体の防衛反応でもあることだし、止めればいいと言うものではない。

だが、過ぎた反応は体力を削るだけだ。

多少症状を和らげるくらいはしてやった方が治りは早いだろう。


ジェドにそこまでしてやる義理はないが、ジェドの姉に罪はない。

アルムとジェドの話を聞く限り、両親はおらず二人暮らしのようだし、生活も苦しそうだ。

あんまり当てにはしていないが、昨日の報酬とやらもアルムの手元にある。


少しだけ考えた後、キリは図書館へと歩んでいた足を止めた。


「ちょっと寄り道しよう。薬屋までの道案内、頼んでいいか?」

「え?」


唐突な言葉にきょとんと目を瞬いたアルムは、少しの間の後、「ええっ!?」と声を上げた。


「そ、それはいいけど、調べ物あるんじゃないの?」

「急いでないからな。薬屋に寄った後だって構わないさ」


さあ頼んだぞ、と急かせば、アルムは慌てたように頷いて先導を始めた。



そんなこんなでたどり着いたのは、前回もお世話になった件の薬屋だ。

こんな状況だ、街中に比べて人は多いと思ったのだが、意外にも客はいなかった。


扉を開ければ、呼び鈴がからんからんと音を立てる。

棚の整理をしていた女性が、顔を上げて「あらァ」と声をあげた。

少し間延びした話し方には、キリも聞き覚えがある。


「アルムじゃない。あとこないだのおにーさん」

「こんにちは!」

「どーも。よく覚えてたな」

「そりゃねェ。この子があんだけ泣きべそかきながら店に来たのは、後にも先にもあの時だけだしィ」


からからと笑いながら告げられた言葉を、アルムが「そんなに泣いてないし!!」と顔を真っ赤にして否定した。

実際はようやく店を見つけた安心感で涙腺が緩んだ所を目撃されたわけだが、まあ確かに、あれは泣きべそといっても過言ではなかっただろう。


まあ、それはともかくとして。


「待たされるかと思ったんだが、意外と暇なのか?」

「裏の調合場は戦場よォ。自力で来店できるお客さんがいないだけ」


つまり、それほど重症だということか。

感染力が高い上に症状も重いとは、本当に洒落にならない。


「で、今日はどうしたのォ?昨日頼まれた薬、一週間は保つように出したわよねェ?」

「うん、えっと、それがね」


と、アルムはこちらに視線を向ける。

まあ、何も説明していないのだから当然か。


とりあえず、キリは簡潔に説明を試みる。

ジェドの姉のために薬が欲しいこと、どうも症状が重いらしいこと。

そして、昨日作ってもらた薬の効能をアルムに聞いたこと。


「私は医者でも何でもないけど、話を聞いた限り、あの薬だけじゃ不十分だってのは解った。だから、」

「ちょォっと待った」


と。

そこまで言ったところで、話を聞くうちに顔を引きつらせつつあった店員が言葉を遮った。

そして、キリから視線を外し、隣で話を聞いていたアルムを覗き込む。


「ひとつ確認させなさい。アルム、昨日のあれはリノに頼まれた薬じゃないの?」

「う、うん」

「……ああそォ。どおりでなんかいつもと様子が違うと思ったわ。まあ幸い、あの花の薬ならほぼ滋養剤に近いから、多少飲んでも毒にはなりゃしないけど」


溜息を吐きながらそうぼやいた彼女は、ふいに真面目な顔になってアルムをつまみ上げる。

細腕のように見えて、とんでもない力だ。


「いい?ちゃんと確認しなかったあたしも悪かったけどねェ、アルム?人や症状によって処方していい薬と量は違うのよォ。あんたに効いたからってジェドに効くとも限らない。下手な薬出したら、最悪死ぬわよォ」

「えっ」

「薬と毒なんて紙一重なの。だから、いつもと違う所に持ってくんなら、絶対に、そう言いなさい。わかったァ?」

「はい……」


猫の子のようにぷらんとぶら下げられたまま、アルムはしゅんとした顔で頷いた。

それを見て満足そうに頷き、店員はぱっとアルムの襟首を離す。


「まァ、とにかく事情は解ったわ……そのお姉さんの病気はいつ頃からなのォ?」

「5日くらい。だから多分、今流行ってるやつだと思う」

「……ってことは、長引きそうねェ。あんまり強い薬は出せないか」


と、彼女はカウンターに戻り、本棚から一冊の本を取り出した。

頁を捲りながら、顎に手を当てる。


「咳と熱って言ったわねェ……そうね、ウチに置いてある中なら、この辺なんかオススメよォ。ただ、今こんな状況だし、薬自体が高騰してるのよねェ」


そんな言葉とともに提示された金額は、彼らが手にするには随分値が張る。

昨日のように材料を調達してくれば値を下げてくれるかもしれないが、薬の材料にキリの知る薬草は含まれていないようだった。

代わりにその隣に見知った名の材料を見つけたキリは、本を指差す。


「――……この咳止めじゃ駄目なのか?」

「それは材料が手に入り辛いのよォ。中でもこれ、とびっきりに高い山の頂上付近にしか生えなくて、ほっとんど市場に出回ってないの。提供しようにもできないわァ」

「え?」


まさにその材料を調達してくるつもりでいたキリとしては、思いがけない言葉に目を丸くする。


だが、考えてみれば当たり前だ。

意識したことはあまりなかったけれど、竜人の里は隔絶された土地だった。

キリがよく知る、あそこに生えている植物が希少な部類に入ってもおかしくはない。

思い返してみると、薬を売りに行った際も、商人がいやに喜んでいたことを思い出す。


僅かな沈黙の後、キリは言葉を切り出す。



「なあ、その材料持ってくれば多少値は下げてくれるのか?」

「ええ?まァ他の材料はそう難しくないし、構わないけど……まさか、心当たりでもあるわけェ?」

「あくまで可能性だけどな」

「お兄さん実は凄い人ねェ?いいわ、ちょっと多めに持ってきてくれるなら特別にタダにしといてあげる」


代わりにこれからも是非ご贔屓にね、と続いた言葉に、キリは苦笑しつつ頷いた。

さすが商人、こういったことには鼻が利くようだ。

まあ、助かるのは事実。


「良かったな、アルム。これなら解熱剤も自力で買えるだろ」

「う、うん……っていうか、いいの?キリ」

「いいよ。別にそんなに手間でもない」


里にある自宅から持ち出してくればいいだけの話だ。

里に帰るのは流石に難しいので、フォミュラにお願いすることにはなってしまうが。


キリがそんな事を考えている間に、アルムと店員の女性はさくさくと話を進めていた。


「予算は?……ふゥん、てことはこの辺りの薬ね。ちょっと足りないけど、まあオマケってことで」

「いいの?」

「リノにはいつもお世話になってるしね」


手早く材料を書き留め、彼女は薬瓶の群れの中から材料を選別し始めた。

その背中を見ながら、キリは首を傾げてアルムを見下ろす。


「そういえばさっきから言ってたけど、リノって?」

「あら、お兄さんはリノの知り合いじゃァないの?ここまで面倒見てくれているからには、彼女に頼まれたのかと思ったんだけど」

「いや、私はただの通りすがりみたいなもんだよ。ちょっとした縁でアルムと知り合っただけ」

「うん、キリはまだ会ったことないよ。あのね、リノってのはうちの師匠のこと」


ああなるほど、と手を打つ。

普段からここで薬を頼んでいるとのことだったし、当然知り合いでもおかしくない。


「ま、リノも忙しいからねェ。こんな惨状だもの、前代未聞の大忙しでしょうよ」

「まあ……街の色々なところに影響が出てるからな」

「ほんっとに。こんなんじゃァ街の中枢が麻痺するのも時間の問題よ」


早く病気の解明が進めばいいけど、とぼやきつつ、彼女は揃えた材料とメモを確認する。

そして、全て揃ったことを確認すると、傍らの籐籠に無造作に投げ込んで。



「ま、咳止めはともかく、こっちは早く持ってってあげた方がいいわね。待ってなさい、ちょっと急ぎで調合してもらってくるわ」



そんな言葉と一緒にウインクをひとつ残し、彼女は店の奥へと消えていった。

奥から悲鳴が聞こえてきた気がしたが、きっと気のせいだろう。


剣も魔法もない、ただ確かな戦場の一端を垣間見ながら、キリは心の中で薬師にエールを送った。




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