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霧雨のまどろみ  作者: metti
第四章 魔法王国アルシータ
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1.茫洋と行く宛ては




「――それで、一人で帰ってきたわけか」



頷き、小さく嘆息する。

漏れた吐息は、小鳥の囀りに紛れて消えた。


ティンドラの基地から少し離れた、そう深くもない森の中。

一人ユルレドから帰ってきたキリは、フォミュラと顔を合わせていた。



聖堂を出てファリエンヌを振り切り、ユルレドを出発してから数時間。

基地に帰ってきたわけだが、あんな会話の後では、キリとしても長居する気にはなれない。

そもそも長く世話になるつもりもなかったのだからと、キリは帰ってきてすぐに天幕の片付けを始めた。

そして、粗方荷をまとめ終えたところで、どこからかキリの帰還を聞きつけたらしいフォミュラが現れたのだ。


出発の準備を整えているキリに驚きながらも、彼は説明を求めた。

ここでは話し辛いなら、とりあえずは場所を変えてからでいいから――と。



そうして森の切り株に腰を落ち着け、かいつまんで経緯を説明し、今に至るという訳だ。



消えた溜息の残照を追いかけながら、キリはぽつりと言葉を漏らす。

視線はずっと、足元で揺れる雑草に固定されたままだ。


「……あいつが何を考えてるのか、私には解らないよ」

「そうだな。私にも解らない」


溜息と共に紡がれる声は、確かに困惑に満ちていた。

大まかな事情を知るだけのフォミュラでさえ、アシュトルの立場は理解している。

友人として心配にならないはずもないだろう。


とはいえ、ここで溜息をついたところで状況が変わらないことは彼も解っているのだろう。

下草に穴が開くほど見つめているキリのつむじを見下ろしつつ、フォミュラが話を変えた。


「それで、基地を出て何処へ行くつもりだ?」

「……アルシータに戻ろうと思って。調べ物も途中だったし」

「いいじゃないか。どちらにしろ、次に二つの月が重なる夜は三ヶ月以上先だ」


逆説、三ヶ月しかないとも言える。

アシュトルが力を貸してくれればともかく、そうでないなら次も見送るしかないだろう。

なにせ、帰るための魔法はまだ出来上がるどころか、理論すら構築できていないのだ。

ファリエンヌが告げたように、何年も先になる可能性だってある。


「私からもアシュトルに話をしてみるが、何分ティンドラは戦争中だ。協力を取り付けられたとしても、すぐ取り掛かるのは難しい」

「いいよ。あいつにはもう頼まない」

「……変な意地を張るのはよくないぞ」


意地なんて張ってない、と呟いた言葉は、思ったよりずっと小さな声で出てきた。

これじゃ拗ねてるみたいじゃないか、と思わず眉を顰めるが、外に出たものはどうしようもない。

そんなキリの姿を見かねてか、ふ、と溜息が漏らされる。


「とりあえず、ここを出るなら預かっていた荷物を返しておこう。アルシータに戻りがてら、拠点に寄ってもらっても構わないか」

「それは勿論」


頷けば、フォミュラは「決まりだな」と目元を緩めた。


「アルシータは手がかりを集めるのに適した場所だ。暫くそこで過ごすのもいいだろうさ」

「ああ。それじゃ――」


切り株から腰を持ち上げ、荷物を持ち上げようとしたその時。

きゅあ、と声が上がった。


目を瞬いて声の発生源を探し、キリはいつの間にか自分の肩に陣取っているトカゲに気付く。


「ヴィー?」

「……ああ、そうだった。こいつとも話をしてみたんだがな」


同じようにヴィーに視線を移したフォミュラが、どことなく疲れた顔で言葉を紡ぐ。


「どうやら、キリの傍に付いていたいらしい。無茶をしないように見張りが必要なんだそうだ」

「は?」


というか、そこまでしっかり話ができるもんなのか。

確かにヴィーの言動は解りやすいが、まるで普通に会話でもしたかのような意思の疎通具合だ。


首を傾げつつ頭を撫でてみるが、聴こえてくるのは間の抜けた鳴き声ばかり。

試しとばかりに問いかけてみるも、


「ほんとについてくる気か?」

「きゅあ」

「当分里には戻れないかもしれないぞ?」

「きゅー」


うん、お世辞にも会話なんて出来る気がしない。

が。


「……正体がバレたりしたら危ないんだぞ」

「きゅあっ」


当然とばかりに声を上げるヴィーに、キリは目を瞬いた。

とりあえず、保護者兼飼い主に視線を戻す。


「私は別に構わないけど、いいのか?」

「……良くはない。が、まあ、それが本人の希望なら仕方がなかろう」


溜息と一緒に吐き出された言葉は、説得を諦めたような響きを含んでいた。


飼い主兼保護者といえども、彼を自由にしておくには多少問題があるらしい。

期限付きであればともかく、仮にも崇める対象を他人に預けっぱなしというのは、確かに良くない。

本人の(本竜の?)希望であるからこそ、ということなのだろう。


――けれどそんな中にあって、彼はどこか嬉しそうでもあって。


何かいい事でもあったのか、と紡ぎかけた言葉は、ヴィーの鳴き声によって遮られた。

早く行こうとばかりにキリの頬を叩く尻尾を見て、フォミュラが苦笑を浮かべる。


「アルシータ内の拠点を教えておこう。面倒をかけるが、定期的に連絡をくれると助かる」

「解った。一週間に一回くらいは手紙を送るよ」

「ああ、頼む」


そうして渡された紙を受け取り、キリは荷物を持ち上げる。

肩の上では、きゅあー、と呑気な鳴き声が響いていた。























そうしてティンドラを出てきたのが、数日前だ。

再びアルシータに戻ってきたキリは、王都へと向かっていた。


ちなみに、一番の問題であった関所は、こっそり里の移動陣を経由して事なきを得た。

後ろめたさは拭えないが、フォミュラの許可が降りたので今回はよしとさせてもらおう。



それはともかく。

アルシータの王都に近づくにつれ、キリは嫌な予感を抱き始めていた。


何故かといえば、酷く空気が重苦しく、活気がないのだ。

以前は多くの馬車が行き交っていた街道は、現在キリの他に数名が歩くのみ。

どう見ても活気とは無縁の光景だ。

旅人に事情を聞こうにも、その姿さえまばらという有様である。


アルシータとの同盟の話を聞いた後では、危機感を覚えざるを得ない。

国内で何か問題が起こっているとすれば、国外の問題にまで首を突っ込む余裕はないだろう。


うーん、と朧げな不安と嫌な予感を抱えつつ、キリたちは歩みを進めていく。

そして、


「……マジか」


辿りついたアルシータの王都、街の中。

見違えるような変化に、キリは思わずぽつりと言葉を漏らした。



あれだけの人で賑わっていた中央広場は、寂しく数店の店が開いているのみ。

出店は場所取り合戦の様相まで呈していたというのに、今は姿さえも見えない。

昼過ぎ、一番人が行き交う時間帯だというのに、一体どうしたことだろうか。


開いている店に入って事情を聞いてもいいのだが、無駄な買い物をする余裕があるわけでもない。

それくらいなら宿屋に行くか、とキリは知った道へと進む。


見覚えのある無駄に攻撃的な家の前を通り、当初アルシータに来た時に世話になっていた宿屋へ向かう。




少しだけ黄色みがかった白い壁を撫で、懐かしさに目を細める。

そのまま扉に手をかけて開こうとして、キリは動きを止めた。


扉には鍵が掛かっている。

よくよく見れば、扉の横には、休業中、と書かれた寂しい看板が揺れていた。


驚きのあまり声も出ず、キリは何度か瞬きを繰り返す。


と、通りの向かいにあった花屋の扉が開く音。

振り向くと、顔を見たことのあるお爺さんが植木鉢を運んでいるところだった。

相手もキリの顔を覚えていたのか、立ち尽くすキリを見て「ああ」と声を上げる。


「そこは一昨日あたりから営業休止中だよ」

「そうなのか……手伝うよ、どこまで?」

「おお、どうも」


半ば反射的に手伝いを申し出て、植木鉢を抱え上げる。

示された場所に運びながら、キリは視線で閉ざされた扉を示した。


「あそこ、どうかしたのか」

「親父さんが倒れちまってな。ほぼ一人で回してたようなもんだから、治るまでは休業中だ」

「今も一人ってことか。大丈夫なのか?」

「親戚でもいりゃ違うだろうがなあ。まあ、今のこの状況じゃ、いたとしても自分の事で精一杯だろうな」


その言葉に、キリは僅かに眉をひそめた。

やはり気のせいなどではなく、何か大きな出来事があったようだ。


「私は少しの間ここを離れていたんだが、何かあったのか?以前とはまるで様子が違う」

「ああ……この辺りでは今、流行病が流行していてな」

「病気?」


それでこんなに街中静かになるものか、と目を瞬く。

確かに感染源が不明なら、外へ出るのを控えることはおかしくないが。


「ああ。原因不明、治療薬も効いてるんだか効いてないんだかよく解らん」

「街全体が妙に静かなのも、そのせいか?」

「おう。一週間くらい前か。体調を崩すものが一気に増えたと思ったら、そのまま皆してバタバタと倒れちまってな」


彼が言うには、数日前から一気に街に人がいなくなったのだと言う。

まだ死人が出たという報は聞いていないが、そう遠くないのではないかということ。


「国から何かお触れのようなものは出てるのか?」

「なるべく外出は控える、くらいだな。何せまだ調査中だ、対策も取るに取れんだろうよ」

「そうか……大変なことになっちゃったな」

「全くだ。折角の魔法も病気の前では形無しだからな」


この世界の医療が未発達であることは、キリも薄々とは感じていた。

魔法では怪我を治すことはできても、病気を治すことはできない。

なまじ魔法という便利なものがあるせいか、その他の医療はほぼ全てが対症療法である。

症状を軽くする、苦痛を和らげる、その程度のものだ。


最も医療の進んでいる国は恐らくグラジアだろうが、彼らはあくまで機械人だ。

特に病気においては、他の亜人たちと一線を画しているだろう。


その為、恐らくこの世界では病気による死は少なくない。

多少ではあるが薬を扱っていた身としては、歯がゆさもあった。



「……ここでいいか?」

「ああ」



そんな思いを飲み込みながら、キリは植木鉢を床に置く。

同じように屈んでいたお爺さんも「ありがとよ、助かった」と億劫そうに上半身を持ち上げ、


「中央通りの宿屋にはまだ人が集まっとる。泊まるなら、そちらへ行ったらどうだね」

「そうか、ありがとう」


キリが前回中央通りへ行かなかったのは、人の出入りが多すぎて落ち着かなかったからだ。

本来であれば大通りから少し外れた宿を取りたかったが、今回は仕方ない。

お爺さんの言葉に素直に従うことにする。



一言お礼の言葉をかけて、キリは踵を返した。

ふわりと暖かな風に外套を翻しながら、心持ち早足で歩みを進める。


陽気に反して、街は相変わらずしんと静かなままだった。




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