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霧雨のまどろみ  作者: metti
第三章 帝国グラジア
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19.眺むる道の先




ちょっと話があるから、と告げて、フォミュラはヴィーをぶら下げたまま立ち上がった。

助け舟を出せないことが解った以上、キリも出て行く彼らを見守るしかできない。

心の中でヴィーを応援しているうちにばさりと天幕の布が降り、足音が遠ざかっていく。


それを確認して、キリはアシュトルに向き直った。

できれば二人で話したかったが、魔剣が一緒なのはこの際仕方なかろう。

アシュトルもキリの様子に気づいたか、手にしていた魔剣を隣に置いた。



――正直、様々な疑問が氷解した今、問いかける意味もあまりない気はしている。

けれど、それでも一度、キリはどうしても確認しておきたかった。


胡座をかいた膝に頬杖を突いたまま、「なあ」と問いかける。


「一つ確認しておきたいんだけど」

「なんでしょう?」

「魔剣が覚醒した夜。もし儀式ができたとしたら、お前は何しようとしてたんだ」

「儀式をしてましたけど」


とぼけるような物言いに、キリは剣呑に目を眇めた。

喉の奥から漏れるのは、打って変わって、不穏さを孕んだ低い声。



「そうじゃない。何を呼ぼうとしてたんだって聞いてるんだよ」



以前。

ティンドラの城に忍び込んだ時に聞いた会話を、忘れたわけではない。

アシュトルがキリにした事を思えば可能性は低かったが、念の為だ。

実験の感覚でぽこじゃか人間を召喚されても困る。


鋭く睨むキリに彼は怪訝そうに目を細めたが、心当たりを思い出したのだろう。

「ああ」と頷き、肩を竦めた。


「少なくとも、生物ではありませんよ。一人目でこれだけ面倒くさいのに、二人目なんて誰がすると思います」

「答えになってないぞ」

「はいはい。どちらかといえばあの魔剣に近い物ですね。あわよくば戦争の切り札になるようなものが出てくれば一番いいとは思っていましたが」


開戦するかしないか、その瀬戸際の頃に聞いた話だ。

今とは状況も違いすぎるし、何より所詮仮定の話でしかない。

だいぶ曖昧な答えだが、とりあえずは満足しておくか、とキリは小さく息を吐いた。


「解ったよ。信用しとく」

「それはどうも」

「あと、もう一つ。……今、姫さんはどうしてるんだ」


もう一つ、ティンドラに戻るにあたっての懸念事項がそこだった。

同盟に関しては丸く収まったようだからともかく、彼女に対しては土下座も辞さない程のことをやらかした自覚がある。

目の前で知り合いが人を刺すだなんて、箱入り王女様にとっては相当悪夢のような光景だっただろう。


「……ファリエンヌ王女ですか」


と、そこでアシュトルは言い淀んだ。

性悪魔法使いが言葉に詰まるという珍しい姿に、何かあったのかとキリは眉を寄せる。


「お元気ではいらっしゃいますけどね」

「……何だその煮え切らない返事は」

「ま、じき解ると思いますよ。彼女の前で色々やらかしたみたいですが、そう心配する必要はありません」


まあ、と言葉は続いた。


「どちらにしろ、一度話はした方がいいでしょうね」

「話……って、どうやって」

「王女は今、戦争で被害を受けた街の慰問をする形で国を回っています。流石にこんな前線にまでは来られませんが、近くの街にはここ数日中に来る予定です」


その時にでも顔を見せればいいでしょう、と続いた言葉に、キリは少し迷ってから頷いた。

彼女がどういう状態かは解らないが、慰問ができるくらいには元気らしい。

変にトラウマになったりしていなければ、なんとか話もできるだろう。


「直接会いに行って大丈夫だと思うか?」

「私が大丈夫だと言えば安心するんですか?」


逆に聞き返されて、キリは言葉に詰まった。

溜息と共に肩が竦められる。


「実際会って確認した方が早いと思いますよ」

「……そうか」


そして、落ちる沈黙。

ずっと黙っていた魔剣も口を挟むことはなく、静かな時間が過ぎていく。


妙な沈黙を意識しながら、キリはただ目を閉じた。




















暫くして。

アシュトルが魔剣を返しに行くと告げて天幕を出て行き、それと入れ替わりにフォミュラとヴィーが戻ってきた。

先程と違ってヴィーはフォミュラの肩の上に落ち着いているが、心なし元気がないように見える。

後で頭撫でてやろうと思いつつ、キリは「おかえり」と彼らに声をかけた。


「話とやらは、もういいのか?」

「ああ。アシュトルはどうした?」

「剣を返しに行ったよ。すぐ戻ると思う」


そうか、と頷いて先程と同じ位置に座り直すフォミュラ。

その姿をじっと眺め、キリは徐に切り出した。


「なあ。グラジアを出た後、里には戻ったのか?」

「ああ、一度。その後ティンドラに身を寄せていたが」

「そっか」


頷いて言葉を切る。

首を傾げるフォミュラに、少しだけ迷ってから、キリは口を開いた。


「メアと……イシュは、さ。どうしてるかな」

「メア、はともかく、イシュ?」


思わぬ名を聞いたとばかりに目を瞬くフォミュラに、キリはひとつ頷く。


思い出すのは、最後に顔を合わせた夜だ。

物言いたげな顔をしながらも、何も問わず言うことを聞いてくれた、あの時。


「あいつ、怒んなかったんだ」

「ああ、そうか。あの夜、会っていたのだったな」

「……謝らなきゃな」


畑のこと。

無理やり協力させたこと。

……何も、話さなかったこと。


何がとは具体的に言わなかったが、フォミュラも大体の事情は聞いているのだろう。

そうだな、と小さく首肯するのみだった。


いつの間にかフォミュラの肩から降りていたヴィーが、キリの膝によじ登ってくる。

その頭を撫でてやりながら、キリは小さく笑った。


「お前にはお礼だな。ありがと、助かったよ」


きゅあ、と返される鳴き声は、気にするなとでも言っているのだろうか。

ふと顔を上げるとフォミュラが微妙な顔でこちらを見ていて、キリは肩を竦めた。

彼にしてみればヴィーは無断で出てきたわけだし、褒めるに褒められないのだろう。


さっさと話題を変えるに限る、と、キリは「そういえば」と言葉を続けた。


「ヴィーの奴、よく私のいる場所が分かったな。牢屋にいたわけでもなかったのに」

「こいつは鼻が利くからな。大体の居場所は私たちの会話から知っただろうし、あとは匂いで探したんだろう」

「に、匂い……?」


確かに捕まっていた間、ろくに風呂には入れていなかったが。

女性としては、何とも受け入れがたい理由だ。


反射的に身体の匂いを嗅ぐキリに、彼は苦笑して。


「そうではなくて。……怪我をしていたのではないか?」


ぎくりと身を竦ませたキリを見て、フォミュラがやれやれとばかりに首を振る。

何も言われなかったので誤魔化せたと思っていたが、どうやら感づいていたらしい。


「血の匂いは強く残る。加えて、血は魔力の媒介としても優秀だ。こいつなら、匂いだけでも魔力の強さや有無を推測できるだろうな」

「あ、なるほど」


そういう意味では、キリの血は特殊だろう。

魔力量が少ないという機械人達の中では大変だったかもしれないが、見つけるのは難しくない筈だ。

特に、一度塞がった傷口をわざわざ抉っていった奴もいたことだし。


今はしっかり塞がっている傷口を無意識に摩りながら、キリはヴィーを見下ろす。

相変わらず首輪をつけてトカゲ姿だが、思い返してみると昨日は首輪をしたまま翼を広げていた。

どうやら、ある程度は自分で姿を操作できるらしい。


あの仔猫のような大きさの最初に見た姿がキリとしては好きなのだが、基地では流石に難しい。

一緒に里に戻るようなことがあれば、また見る機会もあるだろうか。


頭を撫でつつじーっと睨めっこしていると、不意に足音が近づいてきた。

顔を上げたところで、ぱさりと天幕の入口の布が上げられる。


「入りますよ」

「失礼する」


戻ってきたアシュトルは、イージスを連れていた。

どうやら先程まで会議に出席していたらしい彼女は、昨夜と同じく目の下に隈を作っての登場だ。

相変わらずの無表情の中に疲労の色を見つけ、キリは心配になった。


昨晩から仮眠の一つも取ったのだろうか。

もしそうでないなら、少し休ませてあげたいものだが。



キリの心配も露知らず、アシュトルは「朗報です」と告げた。

何でも、アルシータが魔剣に興味を示しているらしい。


ティンドラとグラジアの荒野での戦闘は、すぐに各国に知れ渡った。

数日で侵されていた国境を取り戻すという驚異的な力を見せつけた上での、更なる戦果。

魔剣の存在が与える影響は、計り知れない。


元々魔法に関する研究が盛んなアルシータのこと、魔剣に興味を示すのはおかしな話ではなかった。

目を瞬くキリの隣で、フォミュラが腕を組む。


「アルシータか。上手く引き込めば、大きな抑止力だ。……彼女の負担はいや増す事になるだろうが」

「構わない。何もできず無力に打ちひしがれるよりは、ずっとマシだ」


二度とあのような醜態を晒すものか、と続いた言葉は、グラジアに捕まった時のことを指しているのだろうか。

手酷く痛めつけられていた姿を思い出し、キリは密かに眉を顰める。


「まあ、上手くいけばこのまま停戦まで持ち込めるでしょう」

「そう願う。血が流れないに越したことはないのだから」



その後も三人は暫くグラジアとの今後の話を続けていたが、キリはほぼ我関せずでヴィーを構っていた。


というか昨晩といい今といい、正直この場にいていいものか悩ましいところだった。

魔剣の解析に協力しているらしいフォミュラはともかく、キリは今完全に部外者だ。

それでも彼らがここで話をする理由は、ここであれば他人の邪魔なく今後の予定を立てられるからだろう。

特に一躍時の人となったイージスは、外にいればゆっくり話をする時間もない筈だ。


だからといって、キリが天幕の外に出て行くわけにもいかない。

一歩外に出れば顔見知りがウロウロしているのだから、一人で出て行くなんて以ての外だ。

なるべく会話の内容を耳に入れないようにするのが精一杯だった。


暫くして話が一通り終わったところで、フォミュラがキリの方へと水を向ける。


「キリ、お前はこれからどうするつもりだ?」

「……一度ファリエンヌ様に会いに行ってみる。その後のことは、それからかな」

「そうか」


それなら行ってこい、とばかりに頷くフォミュラに、頷き返す。

その様子をじっと見ていたアシュトルが、「さて」と腰を上げた。


「私はそろそろ戻ります。会議も一通り終わりましたから、指示を出さないと」

「では、一旦お開きにしようかな」

『それがよかろ。どうやら我が主も限界のようじゃ』

「……、へいき、だ」


いやこれ駄目な奴だ。

どことなく呂律の回っていない抗議に、他二人と顔を見合わせる。


そして、



「ここなら誰も来ませんし、良かったら一眠りしていってください」

「……すまない」



キリが自身の借りていた簡易的な寝床を示せば、彼女は素直に頷いた。


装備も外さずにぱたりと寝床に倒れ込むさまは、到底グラジアを震撼させた魔剣使いには見えない。

『行儀の悪い』と嘆息を漏らす魔剣に笑いを漏らしながら、キリは毛布をかけてやる。


「次の会議っていつだ?」

「夕方からです。まあ、仮眠には丁度いいくらいでしょう」

「ゆっくり休ませてやるといい」


呆れたようなため息と穏やかな苦笑を残し、二人も腰を上げる。

肩を竦めて、キリは彼らが天幕から出ていくのを見送った。



あんまりぐっすり眠りこける彼女を起こすのにキリが酷く苦労したことは、あくまで余談だ。




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