表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
霧雨のまどろみ  作者: metti
第三章 帝国グラジア
63/92

13.泥沼の中より願いを込めて




……。

痛い、とまず思った。


何度も蹴られたお腹が酷く重くて痛い。

強かに殴られた背中も痛みを訴えている。

左腕も何かに酷くぶつけたようなじんわりとした痛みがある。


でも、それは慢性的な痛みでしかなかった。

蹴られた瞬間に比べれば、痛みの強さは比較にならない。

あの視界が真っ白になるような激痛は、できれば二度と思い出したくなかった。



ゆっくり目を開ける。



石造りの天井。

遠くから聞こえてくる、機械の稼動音。


けれど、そこは繋がれていた地下牢ではなかった。


小さいけれど窓もあるし、キリが眠っていたのは床ではなく寝台だ。

シーツも、きちんと洗濯された清潔なもの。

傍の棚には水差しもあって、ぼろぼろになった筈の服はまた病人服に変わっていた。



しばらく現状の把握に努めてから、キリはゆっくり身体の状態を確認する。

拘束はされていない。身体自体は動かせる。

左腕も、痛みそのものは酷くない。

剣を振り回そうとすれば傷むだろうが、日常生活には支障ないレベルだろう。


ただ、起き上がるのは辛そうだった。

少し力を込めただけで激痛が走る。


はー、と痛む肺で息を吐き、キリはぼんやり天井を見上げた。










こうして治療を受けているということは、命は拾ったということだろう。

決して無事とは言いがたいが、あのまま嬲り殺されなくて良かったと心からほっとした。


動けるようになるには多少時間がかかるだろうが、命あってこそだ。

もうこんな危ない橋は渡りたくないな、と思いつつ、窓から差し込む朝日に目を眇める。



と、そこで。

遠くで聞こえていた足音が、段々とこちらに近づいてきた。

それに気づいたキリが視線を動かすと共に、ノックもなく扉が開く。


誰何の疑問はそこで消え失せ、キリは一気に疲労が襲ってくるのを感じた。

当然のように中に入ってくる男を、半目で迎える。


「……ノックぐらいしろよ」

「ああすまん、起きていると思わなかったからな」


特段気にした風もなく、ディアノスは寝台の横にあった椅子に腰掛けた。

尊大に足を組み、彼は横になったままのキリを見下ろして。


「全く、冷や冷やしたぞ。本当に殺すところだったじゃないか」

「楽しそうに蹴り飛ばしてくれやがった癖して……」

「体裁もあったからな。あれだけ引っ掻き回して何のお咎めもなしとなると、俺の管理能力が問われる」


それにしたってやりすぎな気もしたが、気のせいということにしておく。

大きなため息を一つ。


「で?これから私は戦場で死ぬわけか?」

「回復しないことには戦場に出すことも侭ならんがな。お望みなら引っ張っていってやろうか」

「遠慮する」


だろうなと笑って、彼は足を組み替えた。

ぎしりと椅子が軋む音を聞きながら、キリは次の言葉を待つ。


「ま、当面お前の身柄は俺が預かることになった。良かったな、身分証が役に立ったぞ」

「……最悪だ」

「出戻ってきた癖に何を言ってる」


それに関してはぐうの音も出ない。

反論せずに視線を泳がせたキリを、ディアノスは暫く眺めた後。


おもむろに口を開いた。



「裏切った者をわざわざ助けに来るとはな。情でも移ったのか?」



問いかけを無視したわけではない。

ただ、どう答えていいか分からず、キリは開きかけた口を噤んだ。


そのまま部屋に満ちる静寂。




――ややあって、寝台がぎしりと軋む。

慌てて視線を上げれば、腰を上げたディアノスが身を乗り出すようにして寝台に手を付いていた。


覆い被さるような格好と顔の近さに、キリは露骨に顔をしかめる。

それを意に介さず、ディアノスは躊躇なく毛布を捲った。

流れ込んでくる冷気に文句を言う間もなく、その手がキリの服にかかる。


病人服は病人に相応しく簡素で、また身体に負担をかけぬよう、ゆったりした作りだ。

その裾を開ける手にぎょっとして、流石にキリは声を上げた。


「何してんだ!」


慌てて身を起こしかけ、鋭い痛みに上げかけた悲鳴を飲み込む。

それをいい事に裾をべろっと捲り上げられて、感じる冷気に鳥肌が立った。


「いや?少し傷の様子を見ておこうと思ってな」

「医者でもないのに必要ない……いっ」


内出血で斑に染まった脇腹を、かさついた指がなぞる。

ゆっくりと押し込まれて鈍く走る痛みに眉を顰めると、目の前にあった薄い唇が吊り上がった。


「っう、ぁ」

「これなんか跡が残りそうだな?」


脅しも兼ねて切りつけられた、まだ血が滲んでいる傷口をなぞられる。

塞がりきってすらいないそこを弄られる恐怖に本能的に身がすくみ、キリは息を詰めた。


臓器に届くほど深くはないものの、一日経って塞がりきらない傷であれば跡が残ってもおかしくはないだろう。

だけどなんでそんな楽しそうなんだ貴様は、と睨みつけると、爪でぐりっと傷口を抉られた。


「っっってえぇ!!」

「後で包帯を変えねばな」


再びじわじわと包帯を侵食し始めた赤を見ての呟きに、キリは思わず拳を握り締めた。

残念ながら腕もしたたかに打ち付けたので、思うように力は入らなかったが。


脇腹を弄る手が背中へ移動し、手探りで傷口を探される。

暫くしてかさぶたを見つけたらしく、人差し指と中指が背を撫でた。


「ああ、最後に鞭打たれたのはここか。皮膚が裂けたのか」

「は、剥ぐなよ」

「ほう?」

「前振りじゃないぞ畜生!」


与えられた痛みにうっすら涙目になりつつ、キリはようやく根性を出してディアノスを引っペがした。

腹部が鈍く痛みを主張していたが、そんなことよりこの状況を何とかしたかった。


というか、そもそも何なんだこの状況は。

傷の見分とか言いつつキリの反応を見て遊んでいるようにしか思えない。


ディアノスが離れた隙に毛布に包まり、できる限り壁際に離れて睨みつける。

完全に防御体制を取ったキリを見て、ディアノスが大仰に肩を竦めた。


「何だ、そこまで威嚇することないだろう」

「ふざけんな、好き勝手しておいて!」

「心配しなくとも手なんぞ出さん。……治るまではな」


不穏な言葉を吐いた彼は、視線だけをこちらに向けて笑みを浮かべて踵を返す。

部屋を出ていく背中に罵声を投げようとしていたキリは、最後の言葉を耳にして絶句していた。


治るまではって何だ。治ったらどうする気だ。

恐ろしい想像と共に逃げ出したい衝動に駆られたが、如何せん身体は満足に動かせない。


今のキリにできるのは、力の抜けた身体で寝台に縋りつきながら、長く長くため息を吐くことだけだった。




じくじくと痛む腹の傷を抱え込み、キリは力の抜けるままに再び寝台に横になった。

毛布に顔を埋めながら、考える。


二日、とフォミュラは言った。

今日が捕まって二日目だから、きっと明日には何かしらの動きがあるだろう。


どう動くかは全くもって不明だが、何かしらの手段でキリを助けに来てくれるのは予想できる。

とするならば、キリが地下牢ではない場所にいることに彼らは気付くだろうか。

そもそも、警備が厳しくなっているだろうここに再びやってきて、無事でいられるだろうか。


キリの代わりに彼らが捕まるようなことだけは、何があっても避けないとならない。

イージスを助けたことは、あくまでキリの我侭なのだから。



「はー」



分かっている。

完っ全に自業自得だという自覚もある。

されど、一体何をやっているんだろうかと少し自己嫌悪するくらいは、許して欲しかった。


それでも彼女を助けたことについては後悔していないのだから、手に負えない。

見捨てて後悔するよりはマシだと、開き直ってしまった自分がいることも知っていた。



そういえば、クレイズを助けた時もそうだった。

あれが全ての発端だった、あの時も死ぬほど後悔したのに。

……それでも、今、あの時に戻れたとして、助けに行かない保証はなかった。



後悔先に立たず、後の祭り。

分かっていても教訓にできない自分は、案外と馬鹿なのかもしれない。


知らず漏れたため息は、聞く者もなく宙に溶けて消える。




――筈、だった。




まるでそれに応えるかのように、小さな声が聞こえてきて、キリは目を瞬いた。

息を止め、耳を澄ませる。


気のせいだろうか、いや、でも確かに耳の奥に残っている。



きゅあ、と。



幻聴だろうか。

いや、それにしてもこの状況で聞こえる幻聴としては平和すぎる。


そんなまさか、いや、でも。



「……ヴィー?」



半信半疑で呼びかけてみる。

きゅあー、とか細い鳴き声。


ややあって、カリカリと何かを引っ掻く音と共に、僅かに窓が開いた。

ふわりと入ってきた風と共に、今度は鮮明な鳴き声が飛び込んでくる。


そこからひょこりと顔を出した赤いトカゲに、キリは思わず力の抜けた笑いを漏らした。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ